第546話 罠
青白い外骨格を持つ邪悪な化け物と、光沢を帯びた緋色の体表を持つ闇を見つめる者が恐るべき力で衝突する。黒色の鉄棒が振るわれるたびに鈍い打撃音が聞こえ、化け物の外骨格が砕けて、ギトギトしたヌメリを持った気色悪い内臓が
化け物は巨大なハサミを振り上げて反撃しようとするが、闇を見つめる者は鉄棒でハサミを叩き払い、内臓が
依然として理由はわからなかったが、化け物が纏った黒い
問題があるとすれば、化け物の
通路に立ち込めている黒い靄から気色悪い化け物が何体も出現していたが、兵隊アリたちが戦闘に加わってくれたことで、大きな被害を出すことなく対処することができていた。
「イレブンはペパーミントの側についていてくれ!」
突進してくる化け物に貫通弾を撃ち込みながら声を張り上げると、化け物を蹴り飛ばしていたトゥエルブとイレブンを後退させる。背後からの襲撃を警戒して、早い段階で指示をしていたが、その選択は間違っていなかった。
我々の背後に黒い靄が出現すると、カニにもダンゴムシにも見える奇妙な生物が続々と姿をあらわした。
『レイ!』
カグヤの声に反応して振り向くと、無防備な少女に向かってハサミを叩きつけようとしていた化け物の姿が見えた。すかさず貫通弾を撃ち込んでゴツゴツしたハサミを吹き飛ばすと、グラップリングフックを射出して化け物を捕らえ、そのまま腕を振って別の個体に向かって投げ飛ばした。
「ハク!」
私の声に答えるように白蜘蛛がやってくると、ペパーミントと少女を抱えて安全な場所まで後退する。
「このままだと包囲される。どうするの、レイ!」と、ハクの脚に抱えられていたペパーミントは、黒い靄から出現する化け物に向かって射撃を続けながら言った。
状況を確認しようとして視線を動かすと、我々の周囲で起きている異変に気がついた。
通路の先に立ち込めていた黒い靄は広がり、兵隊アリたちの姿を呑みこんでしまっていて、もはや闇を見つめる者が何処にいるのかも分からなかった。
「なにかがおかしい。ハク、絶対に俺の側から離れないでくれ!」
『ん、はなれない』
トゥエルブとイレブンに背後の警戒を任せると、前方に立ち込めていた靄にライフルを向ける。奇妙なことに我々の周囲は静寂に支配されていて、兵隊アリたちによって叩き潰されていた奇妙な化け物の鳴き声も聞こえてこない。
本格的に異変が始まったのは、化け物に向かって綺麗なドロップキックを決めたトゥエルブが得意げに立ち上がったときだった。
トゥエルブの脚は複雑な模様が彫られたタイルを踏み、その重さでタイルが沈み込むのが見えた。その瞬間、足元の床が
突然、薄闇の向こうから風切り音が聞こえたかと思うと、凄まじい速度で鋭い物体が飛んでくるのが見えた。照明の光を反射する物体が暗闇に残す残像に目を細めた次の瞬間、鋭い
『レイ!』
「わかってる!」
声を荒げるようにしてカグヤに返事をすると、ベルトポーチから紺藍色の小さな球体を取り出して地面に叩きつけた。球体が割れると、その場所を中心にして半球状の薄膜が広がり我々の周囲にシールドを展開した。
薄闇の向こうから飛んでくる無数の矢は、重力場によって一定の範囲内に生成された力場によって
無数の矢を浴びせられている間も、我々の周囲にある床や壁は変化を続けていた。
まるで夜の闇に日の光が差し込むように、徐々に周囲が明るくなっていくと、我々は暗い神殿の地下通路ではなく、緑溢れる平原に立っていることに気がついた。
「なにが起きたの!?」
驚愕するペパーミントを横目に、私は小型シールド生成装置を取り出してスイッチを入れると、足元の石畳に叩きつけて消えかかっていたシールドを再生成する。姿の見えない敵からの執拗な攻撃は今も続いていたのだ。
なだらかな起伏が続く平原の真只中に立っていた我々は、敵からの攻撃が止まるのを待ってから、平原のあちこちに転がっていた大岩の陰に隠れた。
縦に大きく割れた大岩から身を乗り出して平原の先を覗き込むと、狙いすましたように矢が飛んでくる。が、その矢が私に直撃することはなかった。ハッキリとした理由は分からなかったが、身体を覆う空気の層が障壁のように機能しているみたいだった。
「カグヤ、通信状態は良好か?」
『うん。ノイズが混じるようになったけど、まだ地上との通信は切断されていない』
「ここで何が起きているのか説明できるか?」
カグヤの操作するドローンはチカチカとレンズを発光させる。
『混沌の領域の侵食によって周囲の環境は劇的に変化したけど、通信が切断されていないってことは、まだ砂漠地帯の地下にいるってことになる』
「地下って……カグヤにもこの平原が見えているんだろ?」
『見えてるよ、でも他に説明のしようがないんだ。それにね、天井は変化してない』
上方に視線を向けると、正六角形の石材がビッシリと並べられている天井の構造がハッキリと確認することができた。たしかに我々はまだ砂漠の地下にいるようだ。
ハクの脚から解放されたペパーミントは地面に片膝をつくと、ライフルの照準器を睨みながら平原に銃口を向けた。
「それなら、私たちは遺跡のどこかに転移させられたってこと?」
『うん、どこかに飛ばされたのは間違いない。これを見て』
カグヤがドローンを使って作成していた簡易地図が拡張現実で表示さると、まだ未探索だった区画に我々の反応を示す青い点が表示されているのが確認できた。先ほどまで探索していた神殿からは二キロほどの距離があった。
「あの一瞬の間に、私たちはこんなに遠くに飛ばされたの?」と、ペパーミントは困惑する。「それは神殿に設置されていた罠か何かの
カグヤが操作する偵察ドローンは少女の側まで飛んでいく。
『私たちはインシの民に騙されていたの?』と、スピーカーからカグヤの声が聞こえる。
少女はドローンを捕まえようとして手を伸ばしたが、ドローンは彼女の手をひょいと避ける。
「それは分からない」と、少女は頬を膨らませながら言う。「でも警告はしたでしょ。地下に広がる広大な空間は、とても複雑で込み入った状況に陥っていて、多くの世界が区別できないほどに混じり合っているって」
『インシの民が仕掛けた罠じゃないってこと?』
少女は恐ろしく綺麗な顔でドローンを見つめる。
「罠の可能性もある。あの遺跡はインシの民の聖域だった。であるなら、侵入者を排除するための罠が仕掛けられていても不思議じゃない」
『あの奇妙な化け物が出現するようになったのも、インシの民が近くにいなかったから?』
「うん」
『でもヒメはずっと私たちと一緒に行動していた』
「それは私が――」
「カグヤ」と、私は平原にあらわれた複数の影を見ながら言う。「あれが何か分かるか?」
小高い丘の上に長弓を手にした人型生物の姿が見えた。それらの生物は一様に背が高く、体高は二メートルほどあり、身体は類人猿のように毛皮に覆われていた。衣類や装飾品を身につけていることから、混沌の化け物からは感じられない知的な印象を持ったが、我々を攻撃していることから味方だとは思えなかった。
『亜人……かな?』と、カグヤは疑問符をつける。『ヤトの戦士たちみたいに、混沌と関係のある種族とか?』
「あれも侵食に巻き込まれて、混沌の領域から強制的に転移させられた種族なのかも」と、少女はいい加減に言う。「さっさと倒して遺跡に戻りましょう」
『コケアリたちのことが心配だし、早く神殿に戻ったほうがいいみたいだね』
カグヤの言葉にうなずいて岩陰の向こうを覗き込むと、また矢が飛んできた。
「トゥエルブ、あいつらを脅かしてくれないか」
トゥエルブは拳を握って親指を立てると、脚部の武装コンテナから超小型ロケット弾を発射した。しかし加減というものを知らないのか、全弾撃ち尽くしてしまう。
激しい爆発音のあと、私は亜人の集団が立っていた場所を目指して一気に駆けた。小高い丘には砂煙が立っていたが、敵意を視覚化できる瞳でロケット弾の直撃から逃れた敵が近くに潜んでいることがハッキリと確認できた。
一緒に岩陰から飛び出していたハクに敵の位置を伝えると、飛んでくる矢を避けることなく最短距離で敵に接近する。相変わらず矢は身体を逸れるように飛んでいく。やはり理由は分からないが好都合だった。
丘に近づいたときだった。砂煙の向こうから敵が突進してくるのが見えた。枯茶色の毛皮を持つ大きな個体だ。彼、あるいは彼女は、咆哮しながら手に持っていた棍棒を振り上げる。すぐにハガネの鎧で全身を覆うと、左手に形成した大盾で棍棒の一撃を受け流して、右腕の前腕に形成した鋭い刃を敵の胸部に突き刺した。が、亜人はそれでも私に
そこにハクに投げ飛ばされた別の個体が飛んできて、私を捕まえようとしていた亜人と衝突、もみくちゃになって丘を転げ落ちる。と、そこに凄まじい速度で矢が飛んでくる。
反射的に手を伸ばして矢を掴むと、亜人が取り落としていた長弓を拾い上げる。その長弓を手にした瞬間、どうすれば的確に矢を射ることができるのか理解する。私は間髪を入れずに、砂煙の向こうに隠れていた亜人に向かって矢を放った。
脇腹に矢を受けた亜人が倒れるのを見届けていると、岩陰から飛び出した猿の亜人が私に向かって棍棒を振り下ろした。長弓を使って紙一重のところで打撃を防いだが、木製の長弓は破壊されてしまう。
壊れた弓を捨てて横に飛び退くと、ハガネを使って瞬く間に形成したショルダーキャノンから貫通弾を撃ち込む。至近距離で銃弾を受けた亜人は破裂するように内臓やら血液を辺りに撒き散らした。
『つかまえた!』
砂煙の向こうから毛むくじゃらの亜人が吹き飛んできたかと思うと、ハクが圧し掛かるように亜人を押さえつけて、何度も鉤爪を突き刺して殺してしまう。ハクに対する恐怖からなのか、あるいは痛みからなのか、亜人は悲痛な叫びをあげながら息絶えた。
ロケット弾の衝撃で立ち込めていた砂塵が風によって流されると、ハクの鉤爪や糸で殺された亜人の死体があちこちに転がっているのが確認できた。さっと視線を動かすと、戦意を喪失して逃亡している亜人たちの背中が見えた。
「あとは放って置いても大丈夫そうだな……」
ハクに声をかけると、ペパーミントたちのもとに戻ることにした。
『それにしても……』と、カグヤの声が聞こえる。『見渡す限りの大草原だね』
「ああ。数時間前まで砂で埋め尽くされていたとは思えない光景だ」
『侵食って、どんなふうに起きるんだろう?』
「さあな、見当もつかないよ」と私は正直に答えた。考えたこともない。
『これだけのことをやってみせるんだから、膨大なエネルギーが必要だと思うんだ』
「エネルギー? 魔法みたいな?」
『わからない。でもこの草原は幻覚なんかじゃなくて、本物の草や土でつくられている。こんなふうに環境を変化させるには、それこそ目には見えない原子や量子に働きかける必要があるでしょ?』
「だから未知のエネルギーが存在すると?」
『うん。混沌の領域には、願いを現実にする何かしらの存在があるんでしょ? ひょっとしたら、この世界を侵食する未知のエネルギーが関係しているのかも』
カグヤの言葉についてあれこれと考えたあと、私は言った。
「つまり混沌の意思と呼ばれているモノの背後には、神々と呼ばれるような存在がいるんじゃなくて、正体不明のエネルギー物質だけが存在するって考えているのか?」
『そんな感じ』
善や悪といった枠組みの外にある現象が、この世界や宇宙に影響を及ぼしている。確かにそれは興味深い考えだったが、今は他に考えなければいけないことがあった。
ペパーミントたちと合流すると、我々は突発的に発生する環境の変化で離れ離れにならないように注意しながら神殿に向かうことになった。その道中、奇妙な一団を見かけることになった。
それはスカラベにも似た甲虫だったが、人間の子供ほどの背丈があり、奇妙な脚で直立していた。その脚はノコギリの歯のようなギザギザの突起物が並ぶ厚い殻に覆われていた。
ハクが容赦なく襲いかかろうとすると、少女は慌てながらハクを止めた。
「待って、あれは敵じゃない。ドラゥ・キリャンモの労働階級だよ。彼らに神殿まで案内してもらいましょう」
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