第545話 群れ


 土人形が圧し潰されるようにして砕けて、その場で粉々になると、白い肌を赤黒い血液に濡らした少女がもぞもぞと動き出すのが見えた。彼女は腹這いになりながら気色悪い血溜まりの中から出てくると、おもむろに立ち上がった。

「なにが起きてるの?」

 ペパーミントは少女が息を吹き返したことに驚愕するが、彼女の疑問に答えられるものはいなかった。


 血液に濡れた少女の裸体には傷ひとつなく、短剣で切り裂かれた喉元の傷も確認できなかった。少女から女性へと成長していく段階の、とても繊細で、それでいて力強さすら感じられるすらりとした肢体は美しく、それはある種の美の完成形ともいえる立ち姿だった。


 虚ろな眸で何もない空間をじっと見つめていた少女は、やがて視線の焦点を私に合わせ、こちらに真直ぐ歩いてくる。血液が滴り落ちる少女の肌は、太陽を知らない月のように白く、どこか人形のような印象を与えた。

 少女の肌からは生気が感じられなかったが、一方では他の生命を圧倒するような超自然的な雰囲気をまとっていた。


 少女が持つ奇妙な気配に意識を向けていると、彼女の手に握られた短剣の存在に気がついた。ラピスラズリと金の装飾が施された柄の先には、骨でつくられたと思われる刃がついていたが、両刃の剣身は先端に近づくほど金属を思わせる輝きを帯びていた。

 その美しい短剣は、少女が自害に使用したモノだった。


 少女は私の目の前で立ち止まると、まるで話し方を思い出すように、もごもごと口を動かした。

「ねぇ、彼らを追わなくてもいいの?」

 私は粉々になった土人形の残骸にちらりと視線を向けたあと、少女に訊ねた。

「彼ら……? ヒメに何が起きたのか教えてくれるか?」

「なにがって?」

 彼女はとぼけてみせると、ニヤリと蠱惑的こわくてきな笑みをみせる。少女の死をハッキリと確認したわけではないけれど、首の傷は致命傷になったはずだ。

「君は――」

「行きましょう」

 少女は私の手を取ると、開かれた石扉に向かってペタペタと歩き出す。


「待って」と、ペパーミントは少女の腕を掴む。「あなたがインシの民だとしても、その格好で動き回るのは危険すぎるし、病気になるかもしれない」

 少女は血液に濡れた身体に視線を落とすと、ペパーミントに向かって微笑む。

「そうだね、気がつかなかったよ」

「すぐに身体を綺麗にするから、そこで大人しくしていて」


 ペパーミントはショルダーバッグの拡張された収納空間から、綺麗な水が入ったペットボトルを数本取り出すと少女の身体に付着した血液を洗い流していく。短剣によって切り裂かれた首元の傷が気になるのか、手で擦るようにして何度も洗っていたが、やはり傷痕は確認できなかった。


「不思議ね……この身体もインシの民の品種改良とやらで、人工的に造られた身体なの?」

 少女はきょとんとした表情でペパーミントを見つめて、それから言った。

「よくわからないけど、この身体は違うと思うよ」

「違う?」

 ペパーミントが困惑した表情をみせると、少女は赤黒い血液が混ざった唾を吐き出す。その唾液のなかでは、ミミズにも似た気色悪い生物がウネウネと動いていたが、やがて干からびて動かなくなった。


「あれはなに?」

「えっと……」少女は丸天井に視線を向けて、あれこれと考える。「たぶん、この身体を遠隔操作するために使われていた生体装置みたいなものだよ」

「たぶん?」

「そう」

「大切なモノなのに、吐き出してもよかったの?」

「ここにまだあるみたいだから、大丈夫だと思う」と、少女はこめかみの辺りを指先でトントンと叩く。

 脳と頭蓋骨の隙間でうごめく生物の姿を想像したのだろう、ペパーミントは顔をしかめる。


 清潔なタオルで身体を拭かれている少女を見ながら、私はハクの体毛を撫でる。

『レイラ、気がついたか』と、私のとなりにやってきた闇を見つめる者が言う。『あれが纏っていた気配が変化した』

 なにが起きているのか大体の予想はできていたけれど、まだ確証は持てなかった。だから少女のなかにあるモノについては明言しなかった。


「変化したことには気がついたよ。危険な存在になったと思うか」

『さらに危険なモノになったのか、それはわからない。けれど私はあれが恐ろしい。それに、我々の女王に似た気配を感じる』

「女王の気配……?」

『いと高き神々の気配だ』


 コケアリたちの女王も、イアーラの族長と同じように神に近い存在なのかもしれない。そして闇を見つめる者が感じている気配が神のそれに準ずるものなら、少女のなかに潜んでいるモノの正体は私が想像していた通りの存在だということになる。


「準備できたわ」

 しばらくすると、ペパーミントが少女の手を引いて歩いてくる。不思議なことに、それまで少女に対して嫌悪感のようなものを抱いていたはずのペパーミントが、今は普通に接していた。そしてその変化にペパーミント自身は気がついていないようだった。


 象牙色の布で身を包んだ少女は、長髪を後ろできゅっとまとめていて、頬についた血液も綺麗に拭き取られていた。足元に視線を向けると、ちゃんとタクティカルブーツを穿いていることが確認できた。

「それなら俺たちも先に進もう」

 闇を見つめる者が近くに待機していた兵隊アリの部隊に指示を出すと、我々はインシの民の亡骸を生け贄の間に残して、遺跡の地下へと続く石扉の先に向かう。


 薄暗い廊下を進むと、カグヤが遠隔操作するドローンが飛んでくるのが見えた。

「カグヤ、どうしたんだ?」

『インシの民を見失った』

 偵察ドローンから受信した映像を見ると、通路の先に突如発生した真っ黒なもやによって戦士たちを見失う様子が確認できた。

「この通路は?」

『ここから少し先に行った場所だよ』

 カグヤが作成した簡易地図を眺めていると、ペパーミントが後方を確認しながら言った。

「ところで、トゥエルブはまだ戻ってきていないの?」

「そういえば、トゥエルブは何処に行ったんだ」


 拡張現実で投影したディスプレイにトゥエルブの視点映像を表示すると、通路の高い場所に張り巡らされていた狭い横穴のなかを、それなりの速度で移動している様子が確認できた。

『何か見つけたみたいだね』と、カグヤが言う。

「あれはなんだ?」

 映像が拡大表示されると、通路を塞ぐように大量の骨が放置されているのが確認できた。

『実際に調べてみないと詳しいことは分からないけど、遺跡に迷い込んだ野生動物と混沌の生物の骨に見える』

「神殿の外にあったのと同じものか」

『ううん、これを見て』と、カグヤはすぐに否定する。『骨に肉片がついてるし、飛び散った血液も乾いてない』

「数年の間、広場に放置されていた骨の山と違って、あの骨はつい最近のモノなのか……」

『うん。あれをやった化け物が遺跡の何処かに潜んでいる可能性がある』

「トゥエルブに戻ってくるように言っておいてくれ」

『了解』


 カグヤがインシの民を見失った通路には、確かに見慣れない靄がかかっていて通路の先を確認することができなくなっていた。奇妙なことに、照明装置は濃い暗闇の所為でまるで役に立たなかった。


『罠なのかもしれないな』と闇を見つめる者は大顎を鳴らす。『カグヤ、その機械で通路の先を調べることはできないのか?』

『もう試したんだけど、真っ暗で何も見えなかったんだ』と、コケアリが認識できる音に翻訳されたカグヤの言葉と、普通の声が重なるようにして聞こえた。

 闇を見つめる者は触角を小刻みに揺らしたあと、少女に訊ねた。

『この通路は安全なのか?』

 少女は上目遣いで闇を見つめる者の複眼をじっと見つめて、それから口を開いた。

「知らない。私に訊かれても困る」

『私に?』彼女は疑問を口にしたあと、しばらく黙り込んでしまうが、やがて白藍色の複眼をぼんやりと発光させる。『罠の可能性は捨てきれない、レイラ、戦闘の準備をしてくれ』


 アサルトライフルを構えると、ハクも姿勢を低くして戦いに備える。イレブンはペパーミントの前に出ると、レーザーライフルの銃口を通路の先に向ける。少女はどうすればいいのか分かっていないのか、ペパーミントに手を引かれるまで通路の中央に立ち尽くしていた。


 闇を見つめる者が大顎をカチカチ鳴らすと、武器を手にした兵隊アリが通路の先に発生していた靄に近づく。

 と、そのときだった。突然なにかが兵隊アリに向かって飛びかかってきた。彼女はすぐに反応して後方に飛び退いて、手にした鉄棒を横に振るう。

 グシャリと音を立てながら何かが壁に衝突する。それは三十センチほどの大きさのダンゴムシに似た不気味な生物で、青白い外骨格は衝撃で潰れ、棘のように鋭い無数の脚が内臓と共に露出していた。その奇妙な生物は、松葉色の気色悪い体液を壁に引き伸ばしならズルリと床に落ちる。


『複数の動体反応の接近を確認!』

 カグヤの言葉のあと、数え切れないほどの気色悪いダンゴムシが通路の先から姿をみせた。それは床や壁にビッシリと張り付いていて、ガザガザと音を立てながら我々に向かってきた。


「すぐに後退して!」

 ペパーミントが声を張り上げると、彼女の意図を察した闇を見つめる者が兵隊アリに指示を出して、すぐに部隊を後退させる。

 私はライフルの弾薬を火炎放射に切り替えると、こちらに向かってくる気色悪い生物の群れを焼き払う。ペパーミントもライフルを構えると、私のとなりまでやってきて火炎放射を使う。しかしダンゴムシは焼かれながらも我々に向かってくる。


 そこにイレブンがやってきて、脚部に搭載していた武装コンテナから超小型ロケット弾を発射する。飛んでいく無数のロケット弾が炸裂するたび、歯ぎしりにも似た嫌な鳴き声が聞こえて生物が吹き飛んでいく。が、生物の進行は止まらない。それどころか、先ほどよりも大きな個体が姿を見せるようになる。その大型個体は床に散乱する生物の死骸を踏み潰しながら迫ってくる。


 イレブンはロケット弾を打ち尽くすと、高出力のレーザーで大型個体を射殺していくが、その死骸が破裂すると、次々と小型の生物が吐き出されていく。

「カグヤ、掩護してくれ」

 ホルスターからハンドガンを引き抜くと、弾薬を反重力弾に切り替えて、通路の先に照準を合わせる。カグヤの操作によって、遺跡に被害を出さない出力まで威力が調整されたことを確認すると、生物の群れに向かって引き金を引いた。


 立て続けに撃ち出されたプラズマ状の発光体が甲高い音を響かせると、通路を埋め尽くしていた気色悪い生物が死骸と共に重力に捕らわれ、発光体に向かって凄まじい勢いで引き寄せられて圧し潰されていった。

 遺跡に被害が出ない最小限の出力だったので、重力が及ばす影響範囲は限られていたが、それでも多くの生物をまとめて処理することができた。


「やったの?」

 ペパーミントの言葉に闇を見つめる者が答える。

『いや、まだだ』

 暗い靄の中からのっそりと姿を見せたのは、ダンゴムシというより、巨大なハサミを持ったダイオウグソクムシのような生物だった。


 人間ほどの体高に、厚い外骨格に覆われた身体を持つ青白い生物は、鞭のような触角をゆらりと動かして我々の様子を窺う。反重力弾を撃ち込もうとしてハンドガンの銃口を向けると、生物は無数の脚をワサワサと動かして靄の中に消えてしまう。

「もしかして、攻撃を察知して隠れた?」と、ペパーミントは困惑する。

 銃口を下げると靄の中から生物が姿を見せる。しかし今回はあの奇妙な靄を纏っていて、数も数十体に増えていた。


 と、我々の後方から無数の小型ロケット弾が飛んできて、奇妙な生物に直撃する。けれどロケット弾は爆発せず、生物の足元に転がり落ちる。

 意気揚々と登場し、生物に攻撃を行ったトゥエルブはビープ音を鳴らして不満を示すと、生物に向かって高出力のレーザーを撃ち込む。しかし靄に触れた瞬間、閃光は靄に取り込まれるようにして拡散して消えてしまう。

『シールドだ』と、カグヤの声が聞こえる。『あの靄はシールドのように機能してるんだ』

 反重力弾を撃ち込んだが、カグヤの言葉が正しかったことを証明しただけだった。


『レイラ、力を貸せ』

 鉄棒を手にした闇を見つめる者がやってくると、私は生物に向かってグラップリングフックを射出した。勢いよく撃ち出されたワイヤロープの尖端についていたフックが、生物の肉体に突き刺さったのを確認すると、一気にロープを巻き取る。

 生物は無数の脚を動かして抵抗するが、磨かれた床を滑りながら近づいてくる。


 闇を見つめる者は駆け出すと、接近する生物に向かって思いっきり鉄棒を叩きつけた。凄まじい打撃音が聞こえると、気色悪い生物の体液やら内臓やらが辺りに飛び散る。

『やはり鈍器は頼りになる』

 闇を見つめる者は大顎をカチカチ鳴らすと、兵隊アリたちに攻撃を指示した。

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