第544話 生け贄
コケアリたちによって周辺一帯に脅威が存在しないことが確認されると、我々は手早く装備の確認を行い砂に埋もれた遺跡に向かう。地中から顔を出した遺跡は、突如出現した円形状の窪地の底にあって、近づくには我々が野営していた場所から数十メートルほど下に移動する必要があった。
ハクはサラサラとした砂地の傾斜を転がるようにして移動する。それを見ていたペパーミントは呆れてしまうが、砂に足を取られて倒れないようにイレブンにしっかりと掴まって傾斜を移動した。
しばらくして遺跡に到着すると、見上げるようにして巨大な建造物の姿を確認する。神殿の外壁に沿って綺麗に切り揃えられた巨大な石材が、数百段に亘って積み上げられているのが確認できた。
神殿の入り口に続くと思われる場所には、急勾配の階段があるのが見えた。左右には謎の模様が彫られた石柱が並んでいる。そこに何が書かれているのかは分からなかったが、彫られた模様は浮き彫りになっていて、触れてみると石材の表面はつるりとしていて冷たかった。
夢中になって模様を調べていたペパーミントが躓かないように、彼女の手を取って一緒に階段を上っていく。
神殿は六十メートルほどの高さがあるように見えた。けれど砂に埋もれていている部分もあるので、正確な高さは分からない。階段の先は広場のような場所になっていて、神殿の入り口につながる通路が奥に続いていることが確認できた。
その広場の中央には、石材でつくられた祭壇のようなものが置かれていて、その周囲には数え切れないほどの大量の骨が転がっていた。その骨のなかには人間の頭蓋骨に似たモノもあったが、ほとんどは得体の知れない生物の骨だった。
それを見て私は奇妙な違和感を持った。その正体を探ろうとして足元に視線を落とすと、遺跡の床に砂が堆積していないことに気がついた。我々が使用した階段にも、祭壇がある広場にも砂は堆積していない。遺跡が地中から出現したにも拘わらず、この巨大な建造物が地中に埋まっていた痕跡は確認できなかった。
やはり混沌の侵食によって、我々が想像もできないような現象が発生したのかもしれない。遺跡は突如として、この空間に出現したのだ。
そんな突拍子もないことが想像できるほど、それは奇妙な光景だった。
石柱の模様を調べていたペパーミントは、その場にしゃがみ込むとショルダーバッグから小型の分析装置を取り出して、模様をレーザースキャンしていく。
「神殿の構造は古代エジプトやアステカ、それにヌビアのピラミッドでも見られる建築様式が混在しているけれど、壁や石柱に彫られている模様と文字はまったく未知のモノよ」
「異界から回収された粘土板に関係していると思うか?」と、私は遺跡の周囲を見渡しながら訊ねた。
「ええ。いくつかの模様や文字が似ていることが確認できた」
「翻訳できそうか?」
ペパーミントは装置から顔をあげると、私に青い眸を向ける。
「残念だけど、私ひとりでは調べられそうにない。横浜の拠点でメインフレームのリソースが使えれば、ある程度の文字は解読できるかもしれないけど――ねぇ、これを見て。アッシリアで使われていた楔形文字に似ていると思わない?」
「どうだろう……」と、私は返事に困る。
そこには遺跡の謎を解くことのできる重要な言葉が残されているのかもしれない。けれど私には、綺麗な模様が彫られていることくらいしか分からなかった。
立ち並ぶ石柱の模様を調べていたペパーミントの側に、トゥエルブとイレブンを残すと、私はハクと一緒に広場の中央に向かうことにした。
神殿のあちこちにコケアリの戦闘部隊が展開していて、巨大な黒蟻に跨った兵隊アリや、遺跡を調べている兵隊アリの姿を見ることができた。彼女たちもこの奇妙な遺跡に興味があるのだろう。
祭壇の側には闇を見つめる者が立っていて、複数の眼窩がある頭骨を手に取って興味深そうに眺めていた。
『これは生け贄の祭壇だな』と、彼女は手に持っていた頭骨を適当に放り捨てながら言う。頭骨は乾いた音を立てて床の上をカラカラと転がる。『インシの民は戦争によって繁栄してきた種族だ。これらの骨は、その被害に遭った者たちの骨なのかもしれないな』
「生け贄?」
『そうだ。他種族の奴隷を、この神殿で殺して神に捧げていたんだろう』
骨の山を叩いて遊んでいたハクに声をかけると、神殿の入り口に向かって歩き出した闇を見つめる者のあとを追う。
『ここが入り口で間違いない』と彼女は薄暗い通路に視線を向ける。奇妙な呻き声が聞こえたのは、入り口のすぐ側に立ったときだった。それは不安になるような嫌な声だったが、闇を見つめる者とハクは声に反応しなかった。
「保存状態は完璧ね」と、入り口までやってきたペパーミントが感心しながら言う。「浮き彫りの表面には傷ひとつ確認できない。まるで彫られた瞬間に時間を止めてしまったみたいに、綺麗な状態で残されている」
『かべ、ヤバいな』と、ハクはたいして興味もないのに、ペパーミントの真似をして驚いたフリをする。
「そうだな」と私は苦笑して、通路の奥に視線を向ける。
綺麗に磨かれた藍鉄色の石材が使われた薄暗い通路は、道幅が狭かったが天井は高く、いくつかの回廊につながっていることが確認できた。その通路の壁には、神殿の外に並ぶ石柱同様、多数の模様と文字が彫られていた。
闇を見つめる者が触角を小刻みに揺らしてコケアリたちと交信すると、兵隊アリの部隊がやってきて、薄暗い通路に足を踏み入れる。入り口に罠の類はないようだったが、念のためカグヤが操作するドローンで安全確認をしてもらうことにした。
『大丈夫みたいだよ』と、しばらくするとカグヤの声が内耳に聞こえる。『脅威になるようなモノは見つけられなかった』
「通信障害は?」
『確認できなかったよ。ドローンの操作にもタイムラグはなかったから、時間の流れに関しても変化がないみたい』
闇を見つめる者は兵隊アリの一団をいくつかの小隊に分けると、神殿の周囲を警備する部隊と、神殿入り口を警備するための部隊を素早く編成した。それらの部隊の中心になるのは、黒蟻に跨ったコケアリたちだった。しかし我々に同行する部隊に黒蟻は加わらない。通路内で動き回るには身体が大きすぎるのだ。
『ここは彼女たちに任せて、我々は神殿内部の調査を進めよう』
闇を見つめる者がそう言って歩き出そうとすると、インシの民とサソリの変異体を引き連れた少女が広場に姿を見せる。
「我らの聖域で、我らのことを無視するのは気に入らないな」と、少女は祭壇を見ながら言う。「神殿を見つけたのなら、我らに知らせてくれても良かったんじゃない?」
『我々が遺跡を調査することは、すでに了承していたはずだ』
闇を見つめる者が大顎をカチカチと鳴らすと、少女は不貞腐れた表情を見せる。
「けど勝手をされるのは困る」
少女がインシの戦士を引き連れてぞろぞろと神殿内に入ると、我々もそのあとに続いた。通路内の空気はひんやりとしていたが、廃墟などで感じるカビ臭さはなかった。ペパーミントはショルダーバッグから小型の照明装置をいくつか取り出すと、通路の端に設置していった。十二時間ほど点滅し続けるストロボライトは、我々が遺跡で迷わないための助けになるはずだと彼女は言う。
「トゥエルブとイレブンも、何か異変を感じたらすぐに知らせてね」
彼女の言葉にイレブンはビープ音を鳴らして反応するが、トゥエルブは通路のずっと高いところにある無数の横穴のことが気になっているのか、通路に機体を残して球体型の本体だけで天井に向かって飛んで行く。
「ハクは私たちの側にいて」と、ペパーミントは壁に張り付いたハクに言った。
白蜘蛛は天井に向かってフワフワと飛んで行くトゥエルブをじっと見つめたあと、追いかけることを諦めて、我々の側に戻ってくる。
長い廊下の先に、複雑な幾何学模様が彫られた石扉があるのが確認できたが、扉は重く閉ざされていた。先行するインシの民は通路を曲がり、ゆるやかな傾斜がある別の通路に入っていった。
相変わらず通路は薄暗かったが、何処かに光源があるのか、閉ざされた環境であるにも拘わらず、ある程度の視界が確保できていた。
「不思議ね」と、ペパーミントは照明装置を設置しながら言う。「分析によれば、この遺跡は信じられないほど大昔のモノなの。それなのに、経年劣化も見られないし、誰かが掃除したみたいに綺麗な環境が保たれている」
複雑な模様で飾られた数千の文字が並ぶ壁にちらりと視線を向けながら、私は言った。
「やっぱりそれも、混沌の領域がこの空間を侵食している所為だと思うか?」
「断言することはできないけど、なんらかの影響を及ぼしている可能性はあると思う。コケアリたちの坑道につながっていた地下遺跡では、時間の流れがハッキリと感じられた。塵や埃が舞っていたし、石像は倒れていて、経年劣化で壁には亀裂ができていた。でもこの場所は違う」
「そう考えると、この場所は異常だな」
薄暗い通路は円形状の広い部屋につながっていた。
丸天井は高く、半球の曲線は闇のなかに沈み込んでいる。部屋の壁にも奇妙な文字の浮き彫りが確認できたが、ここでは複雑な模様よりも、規則性を持った文字のほうが多く見られた。
その部屋の中央には、人間が余裕をもって横になれる長方形の石壇が置いてあった。数は九基あって、頭の部分を中心にして放射状に並べられているのが見えた。腰ほどの高さがある石壇に近づくと、大量の骨に雑じって宝石や貴金属の装飾具が窪んだ石壇に載っていることが確認できた
「これは……?」と、ペパーミントは茫然と石壇を見つめる。
「生け贄の祭壇だよ」と、少女がポツリと言う。「我らの神に生け贄を捧げるための神聖な場所」
『儀式の場か』と、闇を見つめる者は大顎を鳴らす。『奥に見える扉はどこに続いているんだ?』
「我らの目的の場所」
少女の言葉に反応して薄闇に視線を向けると、重厚な石扉が見えた。しかし扉は閉ざされていて、動かすことすら困難に思えた。
『遺物が保管されている部屋だな。扉を開くことはできるのか?』
「もちろん」と、少女は不敵な笑みを見せた。「生け贄が必要だけどね」
少女の言葉に反応してコケアリたちが一斉に武器を構える。
「安心して、地を這うものたちの命は必要ない」
彼女の言葉のあと、インシの戦士たちが無言で石壇に横たわる。すると黒紅色の外骨格を持つ戦士長が刃物を手にしながらやってくる。そして躊躇うことなく戦士たちの首を切断していった。彼らは少しも抵抗することなく死んでいった。
切断面から噴き出した体液は、そのまま石壇の窪みに沿って流れ、床に掘られた溝を通って部屋の中央にある円形の窪みに溜まっていく。
少女はじっと窪みに溜まっていく体液を眺めていたが、やがて首をひねる。
「ダメだったみたい」
「何が起きているのか説明してくれるか」と私は言った。
「説明しなくても、これを見れば分かるでしょ? 遺跡の奥に続く扉を開くには、神さまに生け贄を捧げなければいけなかった。でも戦闘用に品種改良された肉体では、その条件を満たすことができなかった」
「他に道はないの?」
ペパーミントの質問に少女は頭を横に振る。
「入り口はここだけ」
少女はそう言うと、裸足になってペタペタと部屋の中央に向かって歩いていった。途中で寒さをしのぐために使っていたサバイバルシートを足元に捨て、身につけていた象牙色の布を脱いで裸になる。
そして戦士長からラピスラズリで装飾が施された短剣を受け取ると、戦士たちの血液が流れ込んでいた窪みに入っていった。血溜まりに膝まで浸かると、少女はゆっくり振り返る。
「我らも生け贄になる」
「何をするつもりなの?」
次の瞬間、少女の行動を察したペパーミントが慌てながら少女に駆け寄る。けれど間に合わなかった。ペパーミントが近づく前に少女は自分自身の首に短剣を深く刺し込み、横に斬り裂いてみせた。
大量の血液が少女の白い肌をつたって足元に流れ落ちると、少女は糸が切れた人形のように血溜まりのなかに倒れた。
「なんなの?」と、ひどく動揺したペパーミントの声は震える。
部屋の奥に視線を向けると、石扉が重々しい音を立てながら開いていくのが見えた。それを確認した戦士長は、残り少なくなった数体の戦士を連れて扉の先に歩いていった。少女の死に対して、まるで関心を持っていなかった。
闇を見つめる者は部屋の中央まで歩いて行くと、茫然と立ち尽くすペパーミントの肩に手をのせる。
『大丈夫か、ペパーミント』
「ええ」と、彼女はうなずく。「少し混乱していますけど、大丈夫です」
人間の姿をした少女が目の前で自殺をしたのだ。彼女が動揺するのも無理はない。そう思って歩き出そうとしたときだった。
『やっと私に相応しい肉体を手に入れられる』
何処からともなく女性の声が聞こえると、少女の遺体の側に遮光器土偶が立っているのが見えた。
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