第543話 神殿


 我々は大洞窟と呼ぶに相応しい場所に立っていた。広大な空間は深い闇の中に沈み込んでいて、天井は見えないほど高い場所にあった。

 懸垂下降で体力を消耗していたペパーミントを野営地で休ませている間、地上との通信が切断されないための装置を所定の場所に設置しに向かうことにした。すでに混沌の侵食が始まっている遺跡では、いつデータベースとの接続が切断されてもおかしくない状況だった。その最悪の状態を回避するためにも、地上との通信を中継してくれる装置は重要な要素となっていた。


「私も一緒に行く」と、ペパーミントが立ちあがる。

「いや、ペパーミントはここで休んでいてくれ」私はそう言うと、荷物の中から厚手の外套を取り出して彼女の肩にかけた。

「……ありがとう」

 上目遣いで私を見つめる彼女の息は白い。

「この寒さ、異常だと思わないか?」

「そう? これだけ深い場所にいるんだから、寒くても不思議じゃないと思うけど」


 地下数百メートルの位置にある洞窟は、地熱によって深くなるほど温度が高くなっていくものだと考えていたが、そもそもこの異質な空間では地球の常識は通用しないのかもしれない。

「どうしたの、レイ?」と、ペパーミントは不安そうな表情を見せる。

「なんでもない」彼女に笑みを見せたあと、暗闇に視線を向けた。「辺りを調べてくるから、トゥエルブたちの側から絶対に離れないでくれ」


 インシの民が野営地の近くにいないことを確認すると、ハクを連れて深い闇の中に歩を進める。洞窟では光源になるようなモノはなく、頼りになるのは暗視装置と着脱式の小型照明装置だけだった。

「ハク、敵の気配を感じたらすぐに教えてくれるか?」

『ん!』

 白蜘蛛は元気に返事をしてくれるが、やはり生物の気配は感じられないようだ。ここでは敵意を視覚化する瞳を使っても、敵の存在は捉えることができなかった。広範囲に亘って能力を阻害する何かが存在するとも考えられない。だとすると、この空間には混沌の化け物が存在しないことになる。そんなことがあり得るのだろうか?


 ベルトポケットから取り出した円盤状の装置を足元の砂に落とすと、装置は熔けだすように銀色の液体に変化して、徐々に十五センチほどの高さがある円錐型の通信装置に変化していく。通信状態に異常がないことを確認すると、偵察ドローンを使って周辺索敵を行っていたカグヤに声を掛ける。


「カグヤ、何か見つけられたか?」

『ううん。もう数十キロくらいになる距離を飛行してるけど、あるのは真っ暗な空間と砂だけ』

「ドローンはずっと真直ぐ飛ばしているのか?」

『そうだよ。生命の気配もないし、混沌の化け物にも遭遇してない。正直、この空間がどれほど広いのかも見当つかないよ』

「以前探索したときに見かけた石棺や階段は確認できたか?」

『ううん。この場所には本当に何もないんだ』

「そうか……わかった。一旦こっちに戻ってきてくれないか」

『了解、索敵を続けながら戻るよ』


 野営地に戻ると、コケアリの戦闘部隊を連れた闇を見つめる者の姿があった。どうやら彼女たちも周辺索敵から戻ってきていたみたいだ。しかし暗闇に適応した彼女たちの能力を最大限に使用しても、遺物はおろか、インシの民の遺跡を見つけることすらできなかった。


『ここには何もない』と、闇を見つめる者は言う。『しかし混沌の侵食が創り出した空間であることは間違いない。あまりにも奇妙な場所だと思わないか?』

「たしかに」と、私はうなずいた。「本当は混沌の化け物の襲撃に遭うことを覚悟していたんだ。でもここは空っぽだ」

『……化け物どころか、生物の気配もない』

 順調に進んでいたと思われる調査は、しかしここに来て陰りを見せるようになった。我々は索敵範囲を広げながら地下空間の捜索を続けたが、進展することなく時間ばかりが過ぎていった。


 簡易コンロと固形燃料で温めた戦闘糧食の缶詰をペパーミントから受け取ると、彼女に感謝して食事をいただく。

「あなたもどうですか?」と、ペパーミントは闇を見つめる者に食事を勧める。

 彼女はちらりと缶詰に綺麗な複眼を向けたあと、頭を横に振った。

『ありがとう、ペパーミント。けれど私たちの身体は、人間の食べ物とあまり相性が良くないんだ』

「そうですか……」ペパーミントはあれこれと考えたあと、コンテナボックスから小さな缶詰を手に取る。「ではフルーツはどうでしょうか?」


 缶詰を受け取った闇を見つめる者の複眼は、パチパチとはじけるようにして白藍色に発光した。

『本当にいただいてもいいのか?』

「もちろん」と、ペパーミントは笑みを見せた。「あの子たちの分もありますから、遠慮しないでください」

 兵隊アリたちは闇を見つめる者がシャクシャクとフルーツを食べる姿を確認すると、綺麗な列をつくってペパーミントから缶詰を受け取り、そしてカチカチと大顎を鳴らした。翻訳装置がなかったので彼女たちの言葉は理解できなかったが、きっと感謝をしてくれていたのだろう。


 ちなみにコケアリたちが最も気に入ってくれたのは、フルーツではなく、缶詰に入っていた甘くて濃厚なシロップだった。ジャンクタウンにある旧文明期の施設に行けば、フルーツの缶詰は幾らでも手に入れることができるので、彼女たちとの交易の商品として使えるかもしれない。


 戦闘糧食のすき焼きハンバーグを食べていると、いつの間にか野営地に戻ってきていた少女が私の膝に座る。それを見てペパーミントは不機嫌そうに私を睨んだが、あまりにも自然に座られたので拒絶する暇すらなかった。

「それはなに?」と、彼女は私の手元にある缶詰を見つめる。

「ご飯だよ。ヒメも食べるか?」

「ううん、我らは別のモノを食べるから」

「インシの民もご飯を持ってきていたのか」

「うん。あそこにある」

 薄闇の向こうから固いモノをバリバリと砕く音が聞こえて視線を動かすと、じっとして動かなくなったサソリ型変異体に群がっているインシの戦士が見えた。抵抗しないサソリに昆虫種族が食らいついている様子はグロテスクで、見ていて気持ちのいいモノじゃなかった。


「でも、ヒメは俺たちと一緒のご飯を食べたほうがいいと思う」

 少女に戦闘糧食を勧めると、彼女は首をかしげる。

「どうして?」

「その身体では、サソリの外骨格を噛砕くことができないからだよ」

 少女は細い指先で自分自身のやわらかい唇を撫でる。

「深淵の娘は何を食べているの?」

 そう言って少女はハクに視線を向けるが、ハクは大量のハンバーガーがのったトレイを触肢で器用に持ち上げると、天幕の陰にそそくさと隠れた。少女に自分の好物が食べられてしまうと思ったのかもしれない。


 それを見た少女は頬を膨らませて、それから私を睨む。

「それなら、あなたが食べているモノをちょうだい」

「ああ。こっちに缶詰とスプーンが――」

「イヤよ。我らはそれが食べたいの」と、彼女は私の手元に視線を向ける。

 私は溜息をつくと、少女にご飯を食べさようとした。が、すぐにペパーミントに止められる。

「レイ、正気なの? 相手はただの子供じゃないんだよ」

「たしかに」と私はうなずく。

 少女の姿をしているけど、相手はインシの民だ。どうして幼い子供のように面倒を見なければいけないんだ?


 少女に缶詰とスプーンを手渡すと、彼女はきょとんとした顔で私を見つめる。

「どうやって食べるの?」と、彼女はスプーンを握りしめたまま言う。

 少女にスプーンの使い方を教えてあげると、彼女はたどたどしい仕草で白飯を口に運ぶ。やはり世話をされることに慣れているのか、少女は不自然なほど、ものを知らなかった。

「おいしいか?」

 彼女は口をもごもごと動かしたあと、私の質問に答えた。

「なんか、へんな感じがする」と。


 カグヤが操作するドローンが戻ってくると、我々は周辺索敵で得た情報を確認しながらこれからの行動について話し合ったが、インシの民は話し合いに参加せず、少女を連れて洞窟に広がる暗闇の中に消えていった。

 私は時間を確認すると、折り畳み式の簡易ベッドが用意された天幕にペパーミントを残してハクの側に向かう。


「ハク、少し休もう。朝になったら調査を再開する」

『もう、ねるじかん?』

「ああ、今日は大変だったからな。ゆっくり休もう」

 ハクに寄り掛かるようにして地面に座って身体を休めていると、毛布を持ったペパーミントがやってきて私の隣に座った。

「どうしたんだ?」

「べつに」と、彼女は答える。「迷惑だった?」

「いや。側にいてくれたほうが、いざって時に守れるから迷惑なんかじゃないよ」

「……そう」

「ペパーミントも眠ったほうがいい」

 彼女が毛布に包まって眠りについてから、どれくらいの時間が過ぎたのか分からない。地上にいるアレナと今後のことについて話をしていると、何の前触れもなく遺跡に異変が起きた。


『レイ』

 カグヤの声にうなずくと、ゆっくり立ち上がって周囲の様子を観察する。真っ暗だった空間には、地上から幾つもの光が筋となって差し込んでいて、地下数百メートルの深さにいるとは思えないほど明るくなっていた。

「どうなってるの?」異変に気づいたのか、ペパーミントも驚いた様子で私のとなりにやってくる。

「混沌の侵食によって空間に変化が生じているのかもしれない」

「通信装置は大丈夫?」

「確認したけど問題なかったよ」


 そう言って天井に視線を向けると、今まで暗くて見えなかった天井の構造がハッキリと確認できるようになっていた。正六角形の石材がビッシリと並べられているさまは、自然界に多く見られるハニカム構造にも見えたが、いくつかの箇所には石材がハメ込まれておらず、そこから地上の光が侵入してきているのが確認できた。

 もっとも、それが本当に地上から差し込む光なのかは誰にも分からなかった。

「よかった……」と、ペパーミントも天井を見つめながら言う。「私たちが使った縦穴はそのままの状態が維持されているみたい」

 彼女の視線を追うと、縦穴から垂れ下がる無数のロープが確認できた。


『レイラ、こっちに来てくれ』と、闇を見つめる者が言う。『見せたいモノがある』

 ハクたちを連れてコケアリが集まっている場所に向かうと、地面が大きく窪んでいて、奇妙な建造物が砂から顔を出しているのが確認できた。

「ピラミッド……?」と、ペパーミントは首をかしげる。

 傾斜がある壁面や、なめらかな石材が何百段と積み重なっている姿は、確かにエジプトにあるピラミッドを思わせたが、砂に埋もれた建造物はギザの大ピラミッドよりも巨大なモノで構造も複雑だった。


「あれがインシの民の遺跡か?」

『恐らく』と、闇を見つめる者が答える。『混沌の侵食によって空間に変化が生じた際に、砂に埋もれてしまったのだろう』

「遺跡は完全な状態で残っているみたい。見て、レイ」と、ペパーミントは建造物の一角を指差した。「儀式用に使用されたと思われる通路や、神殿の構造がハッキリと確認できる」

「儀式?」

「ええ。あの遺跡はインシの民の聖域でもあるんでしょ?」


 困惑しながら神殿を見つめていると、闇を見つめる者は兵隊アリたちに指示を出して遺跡に接近できる経路を探させる。

『レイラたちはここで待っていてくれ』と、彼女は大顎を鳴らす。『安全が確認できたら合図をする』

 トゥエルブとイレブンにコケアリたちの手伝いをさせようと思ったが、彼女は支援を断った。インシの民が側にいる間は、戦力を分散させることはできるだけ避けたほうがいいと彼女は言う。


『闇を見つめる者が警戒する気持ちは理解できる』と、カグヤの声が聞こえる。『インシの民は、私たちが今まで出会ったどの種族よりも異質な生物だからね』

「そうね」とペパーミントも同意する。「ハッキリ言って、あれと馴れ馴れしく会話ができるレイの気が知れない」

『何か秘密があるのは間違いない』

 サラサラと流れる砂の傾斜を下って神殿に接近するコケアリたちを見ながら、私はカグヤに訊ねた。

「俺たちと敵対すると思うか?」

『それは分からない。でもインシの民が人間をどんな風に利用しているのかは、レイも知ってるでしょ』

 インシの民の都市で見てきたモノを思い出しながら私は言った。

「だから、彼らを簡単に信用することはできない?」

『うん。信用できないし、信用しちゃいけないと思う』


「ねえ、あれは象形文字……?」と、偵察ドローンから受信する映像を確認していたペパーミントがつぶやく。「違う……楔形文字にも見える」

 映像を確認すると、神殿内部に繋がる短い石段の両側に石柱が並んでいるのが見えた。それらの石柱に無数の文字が彫られているのが確認できた。

「ペパーミント、あれが読めるのか?」

「いいえ」と、彼女は頭を振る。「でも、レイが土人形と一緒に手に入れた粘土板で同じような模様を見たかも」

「そうか……」

「驚かないの?」

「いや」と私は頭を横に振った。

 異界の女神がこの件に関わっていることは想定済みだった。問題があるとすれば、彼女がどのような立場で関わっているのか想像もできないことだった。

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