第542話 底
遺跡を調査するための準備をしている間、我々は砂漠からやってくる獣の襲撃に何度も遭ったが、オアシス周辺に展開していた戦闘部隊によって難なく退けることができた。
アレナ・ヴィスの指揮によって愚連隊は見違えるほどの動きを見せ、戦闘に大きく貢献してくれた。組織に所属し、集団での戦闘に慣れた指揮官がいる、ということがどれほど重要なのか分かる一幕でもあった。
作業用ドロイドによって前哨基地が設営され、ハクを充分に休ませることができると、我々は遺跡調査に向かうための本格的な準備を始めることにした。遺跡に向かうのは私とペパーミント、それに彼女の護衛をするトゥエルブとイレブン。闇を見つめる者が指揮している兵隊アリの戦闘部隊も同行してくれる。もちろんインシの民も遺跡調査を行う。
インシの民は既にサソリ型変異体の死骸を使って遺跡の調査を進めていたが、遺跡は混沌の領域に侵食され、深刻な事態に陥っているようだった。
「あの場所は、もはや我らが知る遺跡じゃない」と、インシの戦士を引き連れて天幕までやってきた少女は不貞腐れながら言う。「聖域は混沌によって穢された」
「混沌の侵食か、それを止める手立ては見つけられそうか?」と訊ねる。
非現実的な美しさを持つ少女は息を吐き出して、それから腕を組んでみせた。
「原因になっているモノを排除して、遺跡の奥深くに封印されている遺物を回収する。それができれば、混沌の侵食を止めることができるかもしれない」
「遺物……どうして遺物が重要な役割を担うと考えるんだ?」
「聖域には我らの神の一部が祀られているからだ」
「そう言えば……」と私は思い出す。インシの民は古代の〝竜の骨〟を収集していると聞いたことがある。その骨が異界の神々に関連する遺物であるなら、混沌の影響を受けている可能性は充分にある。しかし骨が混沌の意思に晒されたからといって、ここまで現実世界に影響を及ぼすものなのだろうか? いや、及ぼすのだろう。そういった現象は今までも見てきた。
「どうでもいいけどさ」と、少女は私を睨んだ。「もう遺跡に行く準備はできたの?」
「ああ。あとはハクと合流するだけだ」
そう言ってバックパックを手に取ると、少女はペパーミントに顔を向けた。その際、艶々した前髪が彼女の動きに合わせてサラサラと揺れるのが見えた。
「お人形さんはどうするの?」
「人形じゃない」と、ペパーミントは少女の顔を見ずにキッパリと言う。「ペパーミントって名前があるの」
「そう。それで……お人形さんも我らと一緒に来るの?」
「くたばれ」
ペパーミントはそう言うと、トゥエルブとイレブンを連れて天幕を出ていった。
「へんなの」と、少女は肩をすくめる。
お手製の寝床で休んでいたハクと合流すると、我々は地下に続く縦穴に向かう。前哨基地にバリケードやセントリーガンを設置するなど、出発のための準備を終えるまで数時間の余裕があったので、ハクはしっかりと身体を休めることができたみたいだ。今はオアシスを占拠していた獣との戦闘で、自分自身がどれほど貢献したのかをペパーミントに得意げに話して聞かせていた。
ちなみにラガルゲはアレナの部隊と一緒に地上に待機することになる。敵の襲撃はいつ起きても不思議じゃなかったし、我々の退路を確保してもらう必要があった。砂漠での戦闘になれているラガルゲはきっと地上で活躍してくれることだろう。
草木をかき分けるようにして移動すると、砂漠に直径二メートルほどの縦穴が開いているのが確認できた。その暗い穴は完全な円形で、以前見たモノと形状が異なっているように感じられた。実際に縦穴を覗き込んでみると、穴の底は暗がりに消えていて、正確な深さを確認することができなかった。
ペパーミントは縦穴の縁まで慎重に歩いて行くと片膝をついて、荷物の中から情報端末を取り出して縦穴の表層を調べる。漆黒色の壁面はなめらかで、つるつるとした手触りだった。
「まったく未知の物質ね」と、ペパーミントは困ったような表情で端末を見つめる。「それに穿孔痕もなければ、傷の類も確認できない。これは明らかに誰かが掘削してできた穴じゃない」
「人工的に作られたものじゃない?」
「ええ。傷がついていないのは掘削したからじゃなくて、まるで金属を熔かすようにして穴を作っていったからだと思うの。こんなことができるのは、ある種の発熱装置だけ。それも短時間に凄まじい高熱を発生させる装置」
「発熱……たとえば重力子弾のように、膨大なエネルギーを生み出す装置とか?」
私の言葉に彼女は真剣な面持ちでうなずく。
「旧文明期の技術で作られた装置なら、あるいはそれができるのかもしれない。でも、そんな装置が存在するなんて聞いたことがないし、廃墟の街でも見かけたことがない」
『人為的なモノじゃないとしたら、混沌の侵食によって遺跡の改変が始まっているってことなのかな?』と、カグヤはドローンに縦穴の壁面をスキャンさせながらペパーミントに訊ねる。
「そうね……それに、気になることもある」
『気になることって?』
「遺跡につながる縦穴まで改変が進んでいるのに、地上では混沌の痕跡が見られない」
『たしかに化け物は出現しているけど、オアシスに異常は見られないね』
「とにかく情報が欲しいなら、縦穴の底に下りて調査をしなければいけない」
「昆虫型ドローンに調査させることはできないのか?」
『それはすでに試したよ』とカグヤが言う。『でも電波障害が発生したから、縦穴の途中で引き返すことになった』
「本格的な調査が目的なんだから私たちが行かなければいけない」
ペパーミントはそう言うと縦穴の壁面に照明装置を向けた。漆黒色の壁が光を反射すると、私は思わず瞼を閉じた。
作業用ドロイドが続々とやってくると、縦穴の周囲は一気に騒がしくなる。深い縦穴に向かって照明装置が設置され、金属繊維を含んだロープの束を持ったドロイドがやってくると、金属製の支柱に取り付けられた電動ウィンチ装置が縦穴の上に設置されていく。
「あれは何をしてるの?」と、少女が作業の様子を興味深そうに眺めながら言う。
「命綱だよ。縦穴の底まで相当な距離があるみたいだからな」
「我らに言えば運んであげたのに」
「運ぶ?」と、私は顔をしかめる。「そう言えば、ヒメはどうやって遺跡に?」
少女が縦穴に視線を向けると、深い穴からサソリ型変異体がぞろぞろと姿を見せる。その際、作業用ドロイドが驚いて金属製の支柱を地面に落としてしまう。
「なにやってるの!」と、ペパーミントが声を荒げる。「作業の邪魔になるんだから、さっさとその化け物を移動させて!」
少女が目を細めて不機嫌そうにペパーミントを睨んだあと、サソリの変異体はカサカサと縦穴の側を離れる。
攻撃のための予備動作を見せていたハクに私は声を掛ける。
『てき、ちがう?』と、ハクは釈然としない態度をみせた。
「ああ」私は小声で返事をする。「少なくとも今は俺たちの敵じゃないみたいだ。でも油断しないようにしよう」
『ん……ゆだんしない』
地上に残るアレナたちにも警戒を怠らないように努めてもらう。刃の勇者だとか呼ばれているが、インシの民が何を考えているのか分からない以上、隙を見せないほうがいいだろう。
『ここで気をつけなければいけないのは、他の誰でもないレイなんだけどね』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。
「わかってるよ」
『全然わかってない。レイはあの少女に気を許しすぎてる』
「頭では危険だって分かっているんだ。でも彼女の声を聞いて顔を見ていると、まるで魅了されているような――」
『魅了? それってリンダから感じるような、説明のできない気配みたいなモノ?』
「ああ」
『リンダは異界からやってきた『アシェラーの民』とかって呼ばれてる種族だよね……あの少女の身体と何か関係があるのかな?』
「それは分からない。でもここに来て、色々な物事が奇妙な繋がりを見せるようになってきている。このタイミングで俺たちがリンダの一族に出会ったことも、砂漠に墜落した構造物が、あちこちで起きている異変の発端になっていることにもきっと何か意味がある」
『すべて偶然で片付けるには、たしかに無理があるね』
「それに――」
『他にもまだ何かあるの?』
拡張現実で視線の先に遮光土偶の画像を表示する。
『異界の女神……』
「ああ。この一連の騒動は何かしらの形で彼女に繋がっているはずだ」
きっと何もかも繋がっているんだ。と、私は思った。けれど私にはまだハッキリとした繋ぎ目が見えなかったし、それがどんな結果をもたらすのか想像することもできなかった。
背中のバックパックに入っている土人形から、得体の知れない気配を感じる。それは心のずっと深い場所に向かって、無数の触手をゆっくりと伸ばしてくる。人間の感情や心は、くねくねと折れ曲がった迷路のように複雑で理解するのは難しい。ましてや、心の奥底に辿り着くなんて不可能だ。
だけどその得体の知れないモノは。目的の場所が何処にあるのか分かっているかのように、暗い触手をするすると伸ばしてくる。骨や肉に沁み込むような冷気を含んだ触手は、自分自身すら把握していない心の敏感な場所を弄る。それは鋭い痛みを伴い、あまりの冷たさに身体が震える。
『レイ』
はっとして顔をあげると、白蜘蛛がすぐ側に来ていることに気がついた。
「ハク、どうしたんだ?」
『じゅんび、できたって』
ちらりと支柱に視線を向けたあとハクに感謝する。
「それじゃ、俺たちも準備しよう」
『うん!』
ペパーミントがフルハーネス型の安全帯をしっかりと装着できているのか確認したあと、私もハーネスを装着する。まず遺跡に向かうのは我々とコケアリの部隊だけだ。遺跡で必要になると思われる物資は、我々が縦穴の底に到着してから降ろしてもらう予定になっている。
黒蟻に跨ったコケアリやハクが壁面に張り付いて、悠々と移動していくのを横目に見ながら、私は慎重に懸垂下降しながらペパーミントの動きに注意する。懸垂下降の経験なんてないと思っていたが、ロープを握った瞬間、自然に身体が動くのが分かった。記憶を失う以前は兵士だったのだから、それができても不思議じゃないと考えた。しかしだからといって楽に下降できるという訳でもなかった。
「ペパーミント、大丈夫か?」
「ええ」彼女は動きを止めながら言う。「でもハクが羨ましい」
「そうだな」と思わず苦笑する。「ゆっくりでいいから、無理しないでくれ」
「わかってる」
地上からの明かりが見えなくなると、壁に小さな杭を打ち込んで、等間隔に照明装置を取り付けていった。混沌の侵食によって縦穴の壁面が変化して、照明装置が失われる可能性はあったが、今は明かりと目印のようなモノが必要だと感じていた。自分自身が何処にいるのかも分からない暗闇を進むのは、ひどく気が滅入る。
数百メートルほど下降しても縦穴の底が見えなかった。私はトゥエルブとイレブンをペパーミントの側に残すと、一気に数百メートル先まで下降していった。しばらくすると縦穴を抜けて広大な空間に出た。
『見て、レイ』と、すぐ近くに浮遊していたドローンがチカチカと光を放つ。『ハクの脚に装着したストロボライトの点滅が見える』
たしかに点滅は確認できたが、それは点のように小さな明かりだった。
「カグヤ、こいつを落とすから、穴の底までどれくらいの距離があるか測ってくれ」
私はそう言うと、手に持っていた予備の照明装置を地面に向かって落とした。
『えっと……六十メートルくらいかな』
ここまで来れば重力場生成グレネードで安全に下りられそうだったが、ペパーミントを待って一緒に下降することにした。
縦穴の底は暗く、ゾッとするほど静まり返っていた。以前、遺跡を調査したときに発見した石棺は何処にもなく、広大な空間に砂が敷き詰められている光景が延々と続いているのが見えた。もっとも、明かりが届かない場所がどうなっているのかは我々には分からなかった。
『周囲の様子を確認してくるよ』
カグヤのドローンが暗闇に溶け込んで見えなくなると、私は地上から届く物資を使って簡単な探索拠点の準備をしていく。ハクがペパーミントの側で待機していてくれたので、トゥエルブとイレブンにも協力してもらう。
『レイラ』と、闇を見つめる者が言う。『我々も周囲の状況を確認してくる』
「わかった」
『奴らが側にいるときは、絶対に気を抜くなよ』
暗闇からカサカサと姿を現すサソリの変異体と少女を見ながら、私はうなずいた。
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