第539話 条件


 砂に足を取られないように注意して砂丘を下り、完全武装したコケアリたちのもとに向かう。統率がとれた兵隊アリの部隊は、ざっと数えただけでも四十体ほど待機していて、巨大な黒蟻に跨っているものたちの存在も確認できた。

 と、夜の闇に閃光が瞬いて騒がしい銃声が聞こえる。私は視線を動かして、アレナ率いる戦闘部隊がコヨーテじみた獣の群れと激しい戦闘を繰り広げている様子を確認する。


 ウェイグァンが搭乗する金色のヴィードルは、群れの真只中に単機で突進して、無数の獣に飛びつかれながらも次々と獣を蹴り殺していた。ヴィードルの装甲に頼りきった大胆な戦い方だ。獣を相手にしているからこそできる無茶な戦い方でもある。

『周りに気をつけて!』

 リーファが声を上げると、ウェイグァンの舌打ちが聞こえる。

『ハッ! 戦いっていうのはなぁ! こうやってやるんだよ!』

 ヴィードルを器用に回転させながら四方から飛び掛かってきた獣を蹴り飛ばすと、凄まじい打撃で脚を骨折して動けなくなっていた獣の頭部を踏み潰していく。


 単機で突出したウェイグァンのヴィードルは、すぐに獣の集団に取り囲まれてしまうが、愚連隊がやってきて獣を蹴散らしていく。ウェイグァンの癖を知り尽くしているのか、愚連隊は常に彼をサポートしながら戦っているように見えた。


 一見すれば、しっかりと統率が取れた部隊のようにも見えたが、ウェイグァンの自己中心的な行動は、一個の部隊が選択できる戦術の幅を狭めているような気がした。部隊の中心で活躍するウェイグァンを的確に動かせる人物が欠けているのか、あるいは彼の立場に遠慮して、誰も注意できないだけなのかもしれない。いずれにしろ、それはマズい戦い方だ。


 視線を動かすと、隊列を組み、狙いすました射撃で獣を射殺しているヤトの部隊が見えた。獣は仲間が倒されると、群れを砂丘の陰に隠しながら大きく迂回してヴィードルに接近してくるが、アレナの部隊は数発の擲弾を撃ち込んで冷静に群れの動きを牽制する。


 砂漠にけたたましい破裂音が鳴り響くと、砂丘が削られ砂煙が立つ。が、恐れを知らない獣は傷つきながらも猛然と駆けてくる。そこに数十発の自動追尾弾が撃ち込まれ、頭部を撃ち抜かれた獣はバタバタと倒れていく。この調子で戦いが続いてくれたら、獣の群れとの戦闘はすぐに終わるだろう。


 歩くたびに足元で砂がサラサラと流れ、月明りを浴びて砂はキラキラと光を反射する。コケアリたちの隊列に近づくと、緋色の外骨格を持つコケアリが近づいてくるのが見えた。

 網膜に投射されているインターフェースで、コケアリの外骨格に生えている苔の位置を素早く参照すると、彼女が部隊を率いる『闇を見つめる者』だと確信する。


『夜の砂漠は――』と、彼女は大顎をカチカチ鳴らす。『どこか幻想的で、美しい場所だと思わないか?』

「そうだな。俺たちを喰い殺そうとする獣がいなければ、この雄大な景色をもっと楽しめたのかもしれない」

 苦笑しながらそう言うと、彼女は何度かうなずいてみせた。

『それに、インシの民が発する腐臭も遠慮したいものだな』

 腐臭? と、私は頭を捻る。

 ずっとインシの民と行動していた所為で、あの昆虫種族から漂ってくる異様な臭いに慣れてしまっていたのかもしれない。


『奴らの街には?』

 闇を見つめるものが大顎を鳴らすと、私はヨルダンのペトラ遺跡を思わせる峡谷と街の景観を思い出した。閑散とした石畳の通りや、神殿のような壮麗な建造物、そして積み上げられたグロテスクな内臓と無数の死骸。

「まるで死者の街に迷い込んだような、そんな奇妙な場所だったよ」と、私は率直な感想を口にする。

『言い得て妙だ。この砂漠は名前すら忘れられた古の神々の争いによって荒廃した土地だからな。今も死者たちの魂が彷徨っているのかもしれない』


 闇を見つめる者の白藍色の複眼を見ながら、街のあちこちに佇んでいた異形の生物と、彼らが我々に向けていた嫌な視線を思い出す。途端に身震いがするような、嫌な寒気がした。

「荒廃した土地……」と私は砂漠に目を向ける。

 この異質な空間は、混沌の領域の侵食によって誕生した土地だと思っていたが、ある地点を境に、横浜と何処か別の世界がつながってしまっているのかもしれない。


『レイラ』彼女は翻訳装置が発する機械的な合成音声ではなく、人間が声を発しているときのような自然で違和感がない声で言う。『我々は部隊を坑道に派遣し調べることで、あの地下遺跡が異常事態の発端になっていることを突き止めた』

「原因が分かったのか?」

『……インシの民が意図的に災害を引き起こしたのだと考えていたが、その痕跡は見つけられなかった』

「原因は依然として分からないが、遺跡を中心にして混沌の侵食が起きていることは疑いようのない事実なんだな?」

『そうだ』


「だから俺たちを助けに来てくれたのか?」と私は訊ねた。

『この異変に混沌の意思が介在していると分かった以上、レイラだけに事態の収拾を任せる訳にはいかなかった』

「そうか……感謝するよ」

『感謝する必要はない。我々は女王から許可を得て動いている。レイラが気にすることなど何もない。協力してこの事態に対処しよう』

 その必要はないと言われたが、あらためてコケアリたちに感謝を伝えると、私はこれまでの経緯を話し、インシの民が調査に協力してくれることを伝えた。


『しかし奴らと共に行動することになるとは……』と、闇を見つめる者は苦々しく言う。『いや、そもそも奴らは私たちが同行することを許してくれるだろうか』

「俺から話してみるよ。どんな確執があるのかは分からないけど、今は争っているような余裕はないはずだからな」

『話が通じる相手だとは思えないが』

「それが……」と、私は闇を見つめる者に奇妙な少女について話をした。その少女が人間のように振舞い、人間のような精神構造をもっていることも。


『ふむ、それは実に奇妙なことだな……』彼女は触角を揺らしながら腕を組む。

 すると近くで話を聞いていたハクも『ふむ』と真似をして、触肢をこすり合わせる。闇を見つめる者はハクを撫でて、それから言った。

『我々は人間と共存し、考え方や生き方、そして文化を尊重しながら多くを学んできた。しかし人間に対して、さほど興味を持たなかったインシの民がどうして人間のように振舞うことができるのだ?』


「わからない」と、私は頭を横に振った。「だけど確かに彼女は人間のように豊かな感情や表情を持っている。そして自分の言葉や容姿が、周囲の人々に与える印象についても熟知しているように思える」

『気味が悪いな』闇を見つめる者はそう言うと、触角を小刻みに揺らした。『あの少女のことだな?』

 振り返ると、十五メートルほどの高さがある砂丘の頂上に、オオトカゲの背に乗った戦士長と少女の姿が見えた。少女の瞳は月明りを反射して輝いていた。その眼はどこか恐ろしげで、背筋を凍らせるような冷たさを宿していた。


『あの肉体は人間のモノじゃないな』と、闇を見つめる者は言う。『レイラ、気づいていたか?』

「ああ。ありきたりな表現だけど、彼女は女神のように美しいからな。遺伝的多様性に富んだ人間は、あれほどの完全性を持った美しさは絶対に手に入れられない」

『……あれはレイラに強い執着心を持っているようだな』

「自意識過剰になっているだけだと思っていたけど……やっぱりそうだったんだな。でもどうして俺に執着しているって分かるんだ?」

『気配で分かるのさ。あれが感心を示すような生き物は少ない。獲物にもならず、身体を手に入れることも難しい相手なら尚更だ。それに――』

「それに?」

『レイラが塵の子だから執着するのかもしれないな』

「探し続ける者も俺のことをそんな風に呼んでいたけど、どういう意味があるんだ?」

『意味……?』と、彼女は首をかしげる。『いや、そうだったな。それについては女王が教えてくれるだろう。だから今は遺跡のことを考えよう』

「わかった」

 私は素直にうなずいた。信頼できる彼女がそう言うのなら、ここで焦って情報を訊きだす必要はないだろう。


 闇を見つめる者の触角がまた動くと、アレナの声が内耳に聞こえた。どうやら獣との戦闘は無事に終了したようだ。愚連隊は我々と合流することになるが、アレナの部隊は引き続き周辺索敵を行うみたいだ。

 オアシスの近くまで来ているからなのか、付近一帯は邪悪な気配に支配されていて、別の獣の群れが我々の近くに潜んでいる可能性があるとのことだった。

「カグヤはドローンを使ってそのままアレナの支援を続けてくれ」

『了解。ついでにオアシスがどうなっているのかも調べてくるよ』

「頼む」


 ハクと話していた闇を見つめる者に声を掛けたあと、私はラガルゲに頼んで少女のもとに戻ってもらった。兵隊アリたちはラガルゲを見て動揺しているようだったが、隊列を崩すことはなかった。

 異界に生息すると言われる気性が激しい肉食性のドクトカゲのなかでも、ラガルゲは大人しい性格だとアレナは話していたが、ラガルゲの種としての恐ろしさを知るコケアリたちにとっては恐ろしい存在なのだろう。


 のっそりと砂丘の頂上まで行くと、少女が不貞腐れた表情で言う。

「それで、地を這うものたちはどうして我らの砂漠にいるの?」

 私は誤解を与えないように、コケアリたちの事情を丁寧に説明した。少女は私の話を聞きながらコロコロと表情を変えていたが、最後には不機嫌になって頬を膨らませた。

「我らの支配領域に侵入するだけでは飽き足らず、我らの聖域に土足で踏み込もうとしているの!」

「なんとか協力し合うことはできないか?」


「どうして協力する必要があるの?」と彼女は首をかしげる。

「混沌の領域が広がれば、あの獣よりもずっと恐ろしい生物がこの世界にやってくるようになるかもしれない。そうなったら砂漠の問題だけじゃなくなる」

「どうしてあなたが地を這うものたちの味方をするの」

「彼女たちが人間の敵じゃないからだ」

「でも――」

「砂漠から溢れ出した化け物が廃墟の街にやってきたら、抗う力をもたない人間は生きていけなくなる」


「まがいものたちがどうなろうと、それは塵の子に関係ないことでしょ」と、少女は私を睨む。

「言っただろ」私は幼い子供に話しかけるように、できるだけ優しい声で言った。「俺には守らなければいけない家族がいるんだ」

「かぞく……」

「ああ」

「でも……それでも厭なの。彼女たちと協力するなんて厭よ!」と彼女は頭を振る。

「どうして?」

「理由なんて知らなくたっていいでしょ! 絶対に厭なのっ!」


 これは参った……と、私は頭を抱える。少女の態度が急変したことに驚いていたが、ここまで人間的な激しい感情を持っていることにも困惑していた。私は一体何を相手にしているのだろうか?


「でも」と、少女は突然落ち着きを取り戻す。「彼女たちの女王に接触できる機会を得られるかもしれないわね」

「それは難しいと思う」私は正直に言った。「コケアリとインシの民の間にどんな確執があるのか分からないけど、それが極めて難しい要求だと言うことは俺でも分かる」

「でも努力するべきじゃない? 彼女たちは我らの聖域を侵そうとしているのよ」


「条件として提示することはできるかもしれない。けど女王がそれを受け入れてくれるのかは分からない」

「それでいいわ。やっと手に入れられた機会を失いたくないもの」

 私はうなずいて、それから言った。

「コケアリたちが遺跡に同行することを許してくれるか?」

「ええ。条件を話してきてちょうだい」

 私は溜息をつくと、この橋渡し役が無駄にならないこと願った。


 ラガルゲの鱗を優しく撫でると、ゆっくり砂丘を下っていく。遠くに視線を向けると、愚連隊のヴィードルが近づいてくるのが見えた。

 コケアリたちのもとに戻ると、私は少女の要求を伝えた。

『レイラの言う通り、インシの民と面会するのかを判断するのは女王だ』と、闇を見つめる者は言った。

「それで充分だよ。要求を受け入れてくれることに意味があるみたいなんだ」


 闇を見つめる者はうなずく。

『それにしても気味が悪いな。あれは子供のように情緒が不安定だ』

「聞こえていたのか?」

『ああ、しっかりと聞こえていたよ』と、彼女は大顎を鳴らした。『彼女の機嫌を損ねないように、我々も注意しないといけないな』

「……彼女と話したら合図するよ」

 ラガルゲに何度も往復させていることを謝罪すると、また砂丘の頂上に向かう。


「そう」と、少女は冷たい声で言う。「彼女たちは条件を受け入れたのね」

「ああ。コケアリも一緒に行動することになるけど、攻撃はしないでくれよ」

「わかってる」

 少女は私を睨んで、それからニヤリと笑みを見せて両腕を広げた。

「なんだ?」

「なんだ、じゃないでしょ」

 私は何度目かの溜息をつくと、少女の脇に手を入れて彼女の身体を持ち上げると、自分自身の前に座らせた。彼女は満足したのか、体重を掛けるようにして私に寄り掛かった。

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