第538話 行軍


 生暖かい風と共に運ばれてくる砂に目をしばたたかせながら、ラガルゲの背に揺られる。視線の先には、キチン質の外骨格を身にまとう奇妙な集団が行進を続けている。昆虫を思わせる外見をしているが、その内側では数え切れないほどのミミズに似た生物が蠢いている。そのことはできるだけ考えないようにしていたが、外骨格や関節の隙間でウネウネと動く生物は嫌でも視界に入る。


 なだらかな砂丘を形成する砂は、軽い衝撃だけで川のように流れ、風によって砂が舞い上がる。首に巻き付けていたシュマグ、俗にアフガンストールとも呼ばれている布で顔についた砂を払うが、やわらかい砂の塊は砕けてさらに広がってしまう。


 ザラザラした砂が汗で頬にまとわりつくと不快感に顔をしかめる。ハガネのマスクで頭部を覆うべきだったと後悔しながら、ラガルゲの動きに合わせてじゃらじゃら動く装身具に目を向ける。人間の頭蓋骨や肉食動物の牙に雑じって、インシの民の外骨格の一部が吊り下げられていることに気がついた。


 緑青色の砕けた外骨格はつるりとした手触りで、羽のように軽く、想像していたよりもずっと強度があり柔軟性も持ち合わせていた。旧式の小銃を使用した場合、至近距離でなければ弾丸は貫通しないのかもしれない。


「見事なモノでしょ」と、少女は前方に視線を向けながら言う。「品種改良の成果だよ」

 私は手元の外骨格を引っ繰り返しながら訊ねる。

「進化じゃなくて、品種改良なのか?」

「そう。あれはとっても扱いやすい身体だよ」

「その少女の身体と同様、あの昆虫種族も代替が利く身体でしかないのか?」

 彼女は振り向くと、私の顔をじっと見つめる。

「そんなに不思議なこと?」

「人間は身体の交換をしない生き物だからな」

「でも」と、彼女はニヤリとする。「あなたはできるでしょ?」

 肩をすくめると、少女は体重を掛けるようにして私に寄り掛かる。


 上空のカラスから受信する映像を確認していると、キリンのような生物の群れが砂漠をゆっくり移動しているのが見えた。しかしカラスが接近すると、それがキリンではなく、ティタノサウルスにも似た首が異様に長い生物だということが分かった。

『混沌の領域からやってきた生物なのかな?』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『敵意があるようには見えないけど、離れるまで監視を継続させるよ』


「砂漠地帯に生息する生物を調査したとき、あんな生物はいなかったと思うけど――」

『あのコヨーテみたいな獣と一緒に出現するようになったんじゃないのかな』と、カグヤは砂漠地帯に生息している生物の資料を複数表示しながら言う。

「あれも地下遺跡から出現した生物なのか?」

『あるいは、広大な砂漠地帯で私たちが見つけられていなかっただけなのかも』

「それなら、調査範囲を広げたほうがいいのかもしれないな」


「ねぇ」と、少女は気怠そうに言う。「砂漠の異変には我らも気がついていたんだよ」

「原因を究明しようとは思わなかったのか?」少女に訊ねながら、ずっと遠くにいるティタノサウルスに似た生物の群れに注意を向ける。自分自身の目で見ると、生物がいかに巨大なのかをまざまざと感じさせられた。

「原因というか、心当たりはあったから。あなたもあるでしょ」

 私は三十秒ほどあれこれ考えて、それから言った。

「砂漠地帯に墜落した旧文明期の構造物か……」

「そう。あれが墜ちたとき、我らも近くでみていたんだよ。凄まじい衝撃だった」

「近くにいたなんて、全然気がつかなかったよ」

「人間の悪い癖だよ。見たいモノしか見ようとしない」

「たしかに……」


「あれが墜落した場所には――」と、少女も巨大な生物に視線を向けながら言う。「生き物が近づかないようにすぐに防壁が築かれた。あなたが主導していのを知っていたから、我らは無闇に干渉しなかった」

『機械人形に巡回警備してもらっていたのに、付近一帯でインシの民を全然見かけなかった理由が分かったよ』と、偵察ドローンからカグヤの声が聞こえる。

「砂漠で我らと共存することを認めたからだよ」

『でも、あの構造物が砂漠に及ぼした何かしらの影響には気がついていた?』

「もちろん。砂漠は我らが支配しているんだよ。気がつかないなんておかしい」

『どうして今まで何も手を打たなかったの』

「砂漠が抱えている問題は他にもあるから。それにね、遺跡が影響を受けてしまうとは考えていなかった」

『けど、墜落の際に生じた凄まじいエネルギーは、砂漠地帯という異質な空間に大きな変化をもたらした……』


 首の長い巨大生物が、見渡す限りどこまでも連なる砂丘の陰に消えていくと、なんの警戒心もなく私に寄り掛かっていた少女に訊ねる。

「インシの民は、この砂漠でなにが起きていると考えているんだ?」

「我らは無駄な推測はしない。だからこそ、件の遺跡を調べに行こうとしている。でも、そうだな……」と、少女は考え込むように腕を組む。象牙色の布から覗く腕は透き通るような白い肌をしていて、まったく日に焼けていなかった。

「なにか……我らが想像もできないようなモノが空から墜ちてきた。そしてそれは微妙な均衡によって保たれていた空間に亀裂を生じさせた」

「だから混沌の領域につながる門が開いたと考えているのか」

「そう。バベルの侵食によって、遺跡は混沌の領域に結び付けられてしまったと考えられる。このまま放って置いたら、影響を受けるのは地を這うものたちの坑道だけじゃ済まなくなる」

「それは大問題だな」と、私は溜息をつく。


 少女は身体を離すと、振り返って上目遣いで私を見つめた。

「砂漠にいるとき、あなたはいつも厄介事を抱えている」

「何処にいても厄介事は尽きないさ」

「ねえ、なんでそんなに問題を抱え込んでいるの?」

「そんなに?」

「言ったでしょ、我らの眼は砂漠のあちこちにある。だからあなたが砂漠にいるとき、いつも何かと戦っていることは知っているし、何度も見てきた」


「たしかに戦っているな」私は苦笑して、それから砂丘のなだらかな傾斜をコロコロと転がって遊んでいるハクに視線を向ける。「でも仕方ないことなんだ。生きていくために戦わなくちゃいけない」

「生きる……? 塵の子を殺せるモノなんかないよ」

「そうだったらいいんだけどな。それに、俺はひとりじゃないから」

「ひとり?」

「ああ、家族がいるんだ。そのなかには、ひとりでは生きていけないような幼い子供たちもいる。だからこれからも戦い続けなければいけない」

「……かぞく」彼女は囁くように言ったあと、愚連隊のヴィードルに冷たい視線を向けた。「それは仲間のこと?」

「いや。ただの仲間よりもずっと深いつながりがあるんだ」

「へんなの」と、彼女は唇を尖らせる。


 日が傾き砂漠に吹く風が冷たくなるころ、隊列の後方で警戒してもらっていたアレナの声が内耳に聞こえた。

『レイラさま。こちらに向かってくる生物の気配を捉えました』

「混沌の獣か?」

『はい。こちらで対処してもよろしいでしょうか?』

 敵意を視覚化できる瞳で確認すると、砂丘を透かして赤紫色の靄が見えた。カラスに頼んで現場を確認してもらうと、数十体の獣が我々を取り囲むようにして集まってきているのが見えた。

 先行するインシの民の行軍速度に合わせて移動していたので、獣に襲撃する隙を与えたのかもしれない。

「数が多い、念のため愚連隊も一緒に連れていってくれないか?」

『わかりました』

「問題が起きたら教えてくれ、すぐに掩護に向かう」


 アレナ率いる戦士たちがヴィードルの速度を上げて、砂を巻き上げながら砂丘を越えていくと、私はハクを側に呼んで状況を説明する。砂にまみれていた白蜘蛛は砂遊びにも飽きていて、アレナたちの掩護に行くと思っていたが、私の近くにいる少女を警戒しているのか、ラガルゲのとなりに並んでトコトコとついてくることにしたようだった。


「またあの獣だね」と、少女はあくびをしながら言う。「どれほど殺そうとも、次の日には何処からともなく湧いて出てくる」

「本当に殲滅できると思うか?」

「できるよ。我らがその気になれば、できないことなんてないんだから」

 インシの民なら獣を簡単に殲滅することができるのかもしれない。少女の言葉にうなずくと、ラガルゲの鞍に引っかけていたバックパックを手に取る。それから寒さに震えていた彼女のために、優れた保温効果を持つサバイバルシートを取り出す。


 薄い銀色のフィルム状のシートを少女が珍しそうに眺めている間、私は彼女の身体をシートで包み込む。

「ありがとう」と、少女は微笑む。「便利な道具を持っているんだね」

「砂漠は夜になると冷えるからな」

「あなたは寒くないの?」

「ああ。寒さが気にならない装備を身につけているんだ」

「ふぅん」と、サバイバルシートから顔だけ出した少女が言う。「そうやっていつも色々な道具を持ち歩いているの?」

「危険と隣り合わせの世界で生きているからな。備えを怠らないようにしている」

「でも、塵の子は〝鍵〟を持っているよね」

「鍵?」

「これだよ」と、彼女は私が右腕につけていた腕輪に触れる。「抱いてくれたときに気づいたんだ」


「これは――」

「神の門を利用して、収納空間につながる鍵でしょ」と、彼女は誰もが知る当然のことのように言う。「入手するには厄介な化け物を殺さないといけないから、我らもそれほど多くの鍵を所有している訳じゃないけど……ほら、我らも使えるぞ!」

 少女は腕を突き出したが、華奢な腕に金色の腕輪は確認できなかった。

「この身体じゃなかった……」

 急に小声になった少女の腕をシートで包みながら、空間転移するために使うモノだと思っていて、収納として使えるなんて考えもしなかったと正直に話した。


「空間転移?」少女は疑わしそうに目を細めて、それから言った。「腕輪だけでそんなことができるなんて聞いたことがない」

「俺も最初はそう思ったよ。魔法みたいなことをできるはずがないって、でもできたんだ。制限はあるけど」

「そっか……それも軍の技術なの?」

「そうだ」と私は適当に答えた。ブレインたちのことを話す必要はないだろう。


「収納空間を開くための装置を用意してあげる」と、少女は暗くなっていく砂漠に視線を向けながらつぶやいた。「我らにとっては特別な技術じゃないからね」

「その見返りに俺は何を提供すればいい?」

「見返り?」少女は飛び上がるように振り返ると、不機嫌そうな表情を見せる。「我ら偉大なるドラゥ・キリャンモは、塵の子と共存すると決めた。そしてそれは、あなたの戦士が儀式によって勝ち取った権利でもある。どうして我らが見返りなど求めると思うの」

 砂丘の向こうから聞こえてくる騒がしい銃声に耳を澄ませたあと、分からないと正直に答えた。

「へんなの」少女はそう言うと私に寄り掛かった。


「カグヤ、戦闘の状況を教えてくれるか」

『こっちは問題ないよ』と、アレナに同行していた偵察ドローンから映像を受信する。『カラスの眼で敵の位置は把握していたし、何度も戦っている相手だからね』

 ちらりと隣に視線を向けると、ハクの背に揺られているカラスの姿が見えた。もう暗くなったから翼を休めるために戻ってきたのだろう。

「了解、引き続き警戒を続けてくれ」


 隊列の先頭にいた戦士長は、獣の群れとの戦闘に参加することもなければ、関心を持っているようにも見えなかった。そしてそれはインシの戦士たちも同様だった。彼らは時折、大顎をカチカチと打ち鳴らすだけで、無言の行軍を続けていた。


「地を這うものたちが近くにいる」と、少女は言う。「彼女たちと戦闘になって兵士を失う訳にはいかないから、ここから先はあなたにお願いしてもいい?」

「どうして戦闘になると?」

「互いを毛嫌いしてるからだよ。不測の事態が起きないように、不要な接触は避けたほうがいいでしょ?」

「不測の事態……」と私は溜息をつく。「わかった。俺は何をすればいい?」

「彼女たちが許可もなく砂漠に侵入した理由を問いただして」

 戦士長のオオトカゲがやってくると、サバイバルシートに包まれた少女を抱きかかえて戦士長の前に座らせた。

「ここで待ってるから、早く戻って来てね」


 少女にうなずくと、ハクと共になだらかな傾斜を登っていく。インシの民の都市から、ここまで来るのにそれなりの距離を移動したが、ラガルゲの足取りはしっかりしていて、疲れているようには感じられなかった。

 砂丘の頂上に到着すると、砂漠にずらりと並んだ兵隊アリたちの姿が見えた。そこには坑道の砦を守っていた『闇を見つめる者』の姿もあった。

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