第536話 我ら


 長い脚を持つ奇妙な機械がカタカタと部屋に入ってくるのが見えた。装置につながれた頭部は、頭蓋骨の一部が綺麗に切り取られていて、紅梅色の綺麗な脳が露出していた。けれどそこにはミミズにも似た鉄黒色の生物が這っていて、鮮やかな色を穢すように、脳の表面や内側で蠢いている様子も一緒に確認することができた。


 その奇妙な機械がやってきた部屋に視線を向けると、天井から逆さに吊るされた無数の人間の遺体が見えた。それは屠畜場で食肉処理された動物のように頭部がなく、胸部から性器まで縦にパックリと裂かれていて、内臓は綺麗に取り除かれていた。それらの遺体の内部では、あの奇妙なミミズが脂肪や肉から滴る体液に濡れながら這っている。


 薄暗い部屋の隅には、人間や動物のありとあらゆる部位が切断された状態で雑然と積み重ねられている。それらの肉の山の側では、長い脚を持つあの奇妙な機械が働いている。

 人間の上半身の皮を何処かに運んでいる機械もあれば、骨から肉を削いでいる機械も見えた。何かの液体が入った半透明な瓶のなかに、内臓と切り取られた女性器を詰め込んでいる機械には、人間の指のように器用に動くマニピュレーターアームがついていることも確認できた。


『それじゃ』と、グロテスクな姿をした生物が装置を介して若い女性の声で言った。『これから大事な話をしましょう』

 昆虫と人間を無理やり融合させたような生物が、頭部に縫い付けられた女性の皮膚をピクピクと動かして微笑む。その非現実的な光景は、死体をつなぎ合わせて創られたフランケンシュタインが目の前に現れたようでもあった。


「俺たちは――」

『待って』と、ソレは私の言葉を遮りながら言う。『遺跡について知りたいのでしょ?』

「ああ」

『それなら、座ってちょうだい』と、ソレは男性の腕で椅子を指差した。『大丈夫、あなたたちを襲ったりしないわ』

 部屋の中央には岩を削って作られた円卓と背もたれのない椅子が置かれている。


「その容姿で襲われないって言われてもな……」

 ウェイグァンがつぶやくと、それを聞いた浅紫色の外骨格を持つ生物は、胸部に縫い付けられた女性の乳房を揺らしながら胸を張る。その際、腐臭と共に脂肪から滴る体液が糸を引くのが見えた。


『容姿?』と、ソレは頭部の皮膚を醜く歪ませる。『あなたたちの好みに合わせたつもりだったけど、何か間違えたかしら……』

 ソレはギザギザの突起物がビッシリと付いた腕で、自身の太腿を撫でる。腐敗が始まり灰色に膨らんだ女性の太腿からは、粘度のある体液がゆっくりと滴っている。

『そうか!』と、ソレは急に笑い出した。『乳房に対する異様な執着心を持つのは、あなたたちじゃなくて、イアーラの獣たちだったわね』


 しばらく気狂いのように笑ったあと、ソレは糸が切れた人形のようにドサリと地面に倒れる。グシャリと嫌な音がして気色悪い体液が床に広がり始めると、長い脚を持つ機械がカタカタとやって来て、グロテスクな生物を別の部屋に引き摺っていく。


「それなら、この身体はどう?」

 声が聞こえた方向に視線を向けると、十三から十四歳くらいの少女が立っているのが見えた。彼女は控えめに言っても、ゾッとするほど美しい少女だった。濡鳥色の真直ぐな長髪は艶々としていて肩にかかり、透き通るような肌をしている。睫毛が長く、青緑色が溶け込んだ琥珀色の瞳に見つめられていると、胸が震えるような奇妙な感覚がした。


 少女は象牙色のゆったりとした布を身にまとっていて、ミスズやペパーミントのように不自然なほど整った容姿をしていた。それはまるで彫刻家の手によって彫られた繊細な美術品のように、あるいは現実世界に迷い込んだ美の女神のように存在していた。どうしてそう感じたのかは分からなかった。少女から感じ取れる人工的な美が、奇妙な印象を与えていたのかもしれない。


 その少女が私を見つめて微笑むと、私は息を呑んで雷に打たれたように緊張する。彼女が歩いて髪がさらりとやわらかく流れると、長く尖った耳が見えた。それは明らかに人間の耳とは異なる形をしていた。物語に登場する妖精が実在するなら、少女がまさにその妖精なのだろうと思った。


「まだ我らの姿に不満があるの?」と、少女は幼い仕草で腰に手を当てる。

「いや」私は頭を振って、それから正直に言う。「君があまりにも綺麗だったから、緊張しているんだ」

「そう……初めからこの身体を選んでいれば良かったわ」

 少女は残念そうに言うと、表面が磨き上げられた硬そうな椅子に座る。


「どうぞ、あなたたちも座ってちょうだい」

 少女の真正面に座ると、アレナとウェイグァンも私のとなりに座る。とくに指示をした訳ではなかったが、ヤトの戦士たちと愚連隊は我々の背後に気をつけの姿勢を維持したまま立ち、じっと少女と、彼女の背後に立つ戦士長に目を向けていた。

 ちなみにハクとラガルゲは建物に入れなかったので、カラスと一緒に外で待機している。


「それで……」と、少女は頬杖をつきながら私を見つめる。「あなたたちは、遺跡の出現と共に姿を見せるようになった獣のことを心配しているんでしょ?」

「出現?」と、私は頭を捻る。「それもあるけど、地中の遺跡が――」

「待って」少女はぴしゃりと言う。「まずは獣について話をしましょう。あの獣には我らも迷惑しているの」

「獣の出現はインシの民と関係ないのか?」

「我らが獣を使って、砂漠の生物を襲うように仕向けていると思っていたの?」


 少女はそう言うと、華奢で細い指で石のテーブルをコツコツと叩いた。けれど苛立っているような雰囲気はなかった。どちらかといえば、退屈を紛らわせようとしている子供の仕草に見えた。

「あり得ない」と、少女は言う。「我らにその気があるなら、砂漠は疎か、廃墟の街すら手に入れている」


「教えてくれないか」と私は言う。「その〝我ら〟とは誰のことを言っているんだ?」

「もちろん我らのことだ。塵の子は不思議なことを言うのだな……」彼女は表情のない声で言うと、アレナに笑顔を向ける。「刃の勇者よ、我らは貴様に敬意を表する。偉大な戦士が望むのなら、力を貸すことも厭わない」

「力を貸す……とは?」アレナが眉を寄せると、少女はクスクス笑う。

「獣の駆除だよ。それが我らの都市にやってきた理由なんでしょ?」


 アレナが私に視線を向けると、少女は不思議な色合いの瞳を私に向けた。

「そうだった。我らと異なり、決定権は塵の子が持っているんだったわね」少女はニヤリと笑みを見せる。「どうするの?」

「インシの民が獣の処理を手伝ってくれるのか?」と、私は訊ねる。

「ええ。我らは砂漠のあちこちにいるから、力のない獣なんてすぐに殲滅できると思う」


『獣に対処しようと思えばいつでも出来たのに、どうして今になって協力してくれる気になったの?』

 少女はカグヤのドローンにちらっと視線を向けて、それから冷たくて平板な声で言った。

「我らがそうしたいと思ったから。他にどんな理由があると?」

『わからない。だから訊いているの』

「不死の子よ、我ら偉大なるドラゥ・キリャンモは、お前たちの要求通り砂漠に根を下ろし、何世紀もの間、まがいものたちの世話もしてきた。それでも我らの言葉を疑うの?」

『残念だけど、大昔の人類がインシの民にどんな要求をしたのかなんて私には分からない。大事なことは、あなたが私たちのことを陥れようとしているのか。それだけ』

「我らは名誉を重んじるの。刃の勇者と共に戦えると言うのなら、我らは喜んで戦士たちを戦場に送り出す」


「名誉のために命を懸けるのか?」

「命……」と、作りモノのように美しい少女は空虚な目つきで私を見つめる。「塵の子が命について語るなんて不思議ね……でも、我らのことを勘違いしている。我らに死という概念は存在しないの。我らは肉体に束縛されない。塵の子だってそうでしょ?」

「俺は――」

「ねぇ、ウルはどこにいるの?」

 彼女の突然の言葉にふとフクロウ男の姿が頭に浮かぶ。

「そう、あれがあなたのことを放っておくはずないもの」

 現実的な日常性の外側にいるような、そんな圧倒的な美しさを持った少女は首を傾げる。

 あれがあなたのことを放っておくはずないもの、と。


「いや」と、私は頭を横に振る。「彼がどこにいるのか、俺には見当もつかない」

「本当は知っているんでしょ?」少女は呆れたように言う。「だってあれはあなたのために存在しているんだから。今もあなたの側にいて、色々な物事をあなたに結びつけている。あれはあなたのためだけに存在して、あなたのために働いている。あれがいなくなってしまったら、あなたは世界との結びつきを失ってしまう」

「結びつき?」

「ええ、あなたが世界との結びつきを求めたら、あれがやってきて結びつけてくれている。今もそうやって、あなたは失ったものを取り戻しているのでしょ?」

「取り戻す?」

「深淵の娘も、ショゴスの落とし子も……そう言えば、あの人造人間もそうだったわね」

「悪いけど、君が何を言っているのかまったく分からないよ」

「やめて」と、少女は私をきつく睨む。「異常者のフリをしないで」


 私が困惑して黙り込んでしまうと、少女はまた頬杖をついて、それから指でコツコツとテーブルを叩く。

「刃の勇者には我らが同行する。我らはすでに獣の駆除を始めたから、すぐに砂漠は落ち着きを取り戻すと思う」

『君が行くの?』カグヤが驚いて訊ねると、少女は溜息をつく。

『戦うのは我らだ』と、少女の背後に立っていた黒紅色の外骨格を持つインシの民が大顎をカチカチ鳴らす。

「我らと刃の勇者は」と、少女が続ける。「オアシスを占拠している獣の相手をする。あの場所には、とっても厄介な化け物がいるからね」

『地中に遺跡があるオアシスのことだよね?』

「そう」


「その遺跡について話があるんだ」

「知ってるわ。でも、遺跡について話せることはないの。本当よ」と、少女は言う。

「俺たちに知られたくない、たとえば種族の秘密があるからなのか?」

「違うの。我らもあの場所で何が起きているのか分かっていないの。あなたたちは遺跡で何を見てきたの?」

 我々が遺跡に侵入したことを、どうしてインシの民が知っているのか分からなかったが、とにかく隠し事はしないほうがいいのかもしれない。


「奇妙なハチの化け物に遭遇した」

「それで」と、少女は話の続きを促す。

「まだ確証はないけど、遺跡は混沌の影響を受けて広がっている」

「バベルが出現したのかもしれないわね……それで、地を這うものたちは、コケアリたちはどうするつもりなの?」

 コケアリたちの計画について少女に話してもいいのか分からず躊躇したが、そこまで知られているのなら、今さら隠しても無意味だと思った。

「女王に支援を求めると言っていたよ」

「女王が動くのか!」と、少女は興奮した様子で言う。「それなら、我らも遺跡に行かないといけないな」


 すると仮面を装着したインシの民が木箱を抱えてやってきて、少女の側に木箱を置いた。そのなかには様々な大きさのタクティカルブーツが無雑作に入っていた。

 少女は適当なブーツを手に取ると、ブーツの底を足裏に当てて自分に合った大きさのモノを探し始める。

『もしかして』と、カグヤのドローンがカメラアイを明滅させる。『私たちと一緒に来るつもりなの?』

「あたりまえでしょ」と少女は頬を膨らませる。「我らがいなければ、遺跡は侵入者を容赦なく攻撃する。あなたたちだってそれはイヤでしょ」


 少女はしばらく足に合うブーツを探していたが、それらは砂漠の略奪者たちから奪ったものだったからなのか、少女の足に合うものはなかった。

 少女の綺麗な横顔を見つめていると、彼女は溜息をついて、それから言った。

「仕方ない。少し傷つくかもしれないけど、このまま歩いて行く」

 彼女が立ち上がって歩き出すと、我々も彼女のあとに続いた。


「ねぇ、我らのことを綺麗だって言っていたけど、塵の子は我らを見てどんなことを考えたの?」

 少女の不思議な質問に私は何を話せばいいのか分からなかった。だから正直に答えることにした。

「そうだな……もしも君がどんな生き物か知らなくて、君がもう少し大人だったら、一目惚れをしていたかもしれない」

「一目惚れ?」と、少女は顔をしかめる。

「ああ。そして破滅的な恋をしていたかもしれない」

「破滅的」と、彼女は上目遣いで私を見つめる。

「ある種の美しさは、時として人間を破滅させてしまうほど魅了するものなんだ」

「我らの身体には、それだけの価値があるのだな」と、少女は両手で自身の頬に触れる。「気に入った。この身体は大事に使わせてもらう」

 少女が高笑いしながら建物を出て行くと、それまで少女の存在に緊張して、一言も口を利かなかったウェイグァンは呆れたように肩をすくめた。

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