第535話 皮膚
『気をつけて、レイ』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『あのインシの民、普通じゃない』
鳥羽色の鱗に黄金色の斑点が特徴的なオオトカゲに乗って現れたインシの民は、仕立てのいい象牙色の布を身にまとっていて、手綱に添えていた腕は黒紅色の外骨格に覆われていた。ノコギリ状の突起物がある腕は、攻撃的で威嚇的な形状をしていて、それだけで警戒心を抱かせるのに充分な迫力があった。
二メートルを優に超える体高を持つインシの民の背後には、不気味な仮面を装着したモノたちが列をなして歩いているのが確認できる。仮面は腐った木材を加工したものにも見えたが、実際にどんな素材で作られているのかは分からなかった。
その仮面には、単眼のようにも見える大きな眼が色彩豊かな塗料で描かれている。黒いローブの隙間から見える緑青色の外骨格で、その奇妙な集団がインシの民なのだということは分かったが、それ以外に得られる情報はなかった。
オオトカゲに乗ったインシの民は、私とハクの目の前までやってくると、硬い甲皮に覆われた腕を伸ばして、四本の指を器用に使って頭部を覆っていた布を動かした。
スズメバチにも似た恐ろしい頭部は、今まで見てきたインシの民よりも攻撃的な印象があった。大きな複眼の周囲には、細く短い灰色の産毛のような体毛がビッシリ生えていたが、それ以外の場所は鈍い光沢を帯びた黒紅色の甲皮で覆われている。
そのインシの民は、自身の首元に埋め込まれている小さな装置を指先でトントンと叩いて操作した。
『刃の勇者を従えるものよ、貴様が塵の子だな?』
インシの民が大顎をカチカチと打ち鳴らすと、首元にある装置が赤く点滅して、人間にも理解できる言葉に翻訳してくれる。装置から伸びている赤や黄色のケーブルは、外骨格に開けられた小さな穴の中に挿しこまれているのが確認できた。
「確かにそう呼ばれているけど……あなたは?」と、ハニカム構造の複眼を見ながら訊ねた。
インシの民はオオトカゲから下乗すると、我々のすぐ目の前に立った。やはり背が高く、見上げなければいけないほどだった。ちらりと確認できた裾から伸びる二本の脚は、人間と異なる逆関節の太く強靭なモノだった。
『我らは戦士を束ねるものだ』
『束ねる?』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『このインシの民は指揮官のような立場の戦士なのかな……? インシの民は、複数の個体がひとつの意識を共有している集合意識体だと思っていたけど違うのかな?』
カグヤの言葉に頭を振ると、黒紅色の生物に訊ねた。
「インシの民の――」
そこまで言うと、彼らの本当の種族名を知らないことに気がついた。
『砂漠の民、インシの民、ドラゥ・キリャンモ、呼び方は自由だ。我らは気にしない』と、ソレは大顎を鳴らしながら言う。
「ドラゥ・キリャンモ……それがあなたの名前なのですか?」
『違う。我らに個人という概念は存在しない。故に名前も持たない』
「名前を持たない……」と、利口なオウムのように私は言葉を繰り返した。
ソレはうなずいて、それから言った。
『塵の子よ、我らの街の近くで何をしていた?』
「実は、砂漠の地下に――」
そう口にしたときだった。ソレは四本の指がついた奇妙な手のひらをこちらに向けた。
『我らの遺跡を見つけた……そう言うことだな?』
「はい」
『それならば、我らについてこい』
黒紅色のインシの民がオオトカゲに乗り、トンネルに向かってのっそりと歩いていくと、仮面をつけた奇妙な集団もそのあとに続いた。
「レイラさま」と、アレナが小声で言う。「あれは信用できますか?」
「少なくとも、敵意は感じられなかった」と、私は瞳の能力を使いながら返事をした。「でも、警戒は続けたほうがいいだろうな……」
混沌の領域からやってくる生物のように、そもそも精神構造が大きく異なり、悪意や敵意そのものが感じ取れない生物がいる。インシの民についてハッキリと分かっていない以上、安心することはできないだろう。
「レイラさん、罪人たちも引き渡されるみたいですよ」
ウェイグァンの言葉に反応して視線を動かすと、仮面をつけたインシの民が、縄で繋がれていた罪人たちを連れてトンネルに向かって歩いて行く様子が見えた。
檻の代りに使われていた輸送コンテナから降りる際、罪人たちは悪態をついて、ひどく暴れていたが、まるで催眠術に掛けられたかのように今は大人しくしていた。
「どういうことだ?」と、私は頭を捻る。
『これを見て、レイ』
カグヤが拡張現実で表示してくれた映像には、仮面をつけたインシの民が罪人たちの手首に触れている様子が映し出されていた。とくに変わったことをしているようには見えなかったが、映像が拡大表示されると、インシの民の指先からミミズのような生物が這い出るのが見えた。
罪人たちの手足を束縛するために鉄の枷が使われていたが、硬い甲皮の隙間からウネウネと這い出した鉄黒色の生物は、枷が擦れて傷ついた皮膚から罪人の体内に侵入していくのが見えた。しばらくすると、それまで悪態をついていた罪人が驚くほど大人しくなるのが確認できた。
「あの奇妙なミミズで人間の感情を制御しているのか?」
『感情というより、意識そのものを支配しているのかも』と、カグヤは言う。
黒いローブを身にまとったインシの民がトンネルに向かって歩き出すと、縄で繋がれていた罪人たちもそのあとに続いた。
「レイラさん、俺たちも行きましょう」
ウェイグァンにうなずくと、ヴィードルに乗り込んだ。
「ここで紅蓮の警備隊と別れます」と、金色の複座型ヴィードルの前席に座っていたリーファが言う。
「俺たちについて来ると思っていたけど、他にも任務があるのか?」
となりに並んでいたヴィードルに視線を向けながら訊ねる。
「と言うより、街に近づきたくないみたいなんです」
「砂漠の民が怖いから?」
「それもあるかもしれませんが、街に入るという考えがないみたいなんです」
『警備隊の人間もあの奇妙なミミズを使って感情を操られているのかな』
カグヤが操作するドローンがカメラアイをチカチカと発光させながら現れると、私は疑問を口にした。
「たとえば、どんな風に操るんだ?」
『街に侵入されないように、街のことを考えさせないようにするんだよ』
「そんなことが可能なのか? ……いや、インシの民なら出来るのかもしれないな」
『それなら、あのミミズみたいな生物に注意しないとダメだね』
無意識に左手首に視線を向けたが、ハガネの義手から体内に侵入することはできないだろう。けれど身体のどこかを負傷したら、簡単に体内に侵入されるかもしれない。
インシの民の街に続くトンネルは長く、昼間であるにも拘わらず薄暗い場所だった。壁掛け松明が等間隔に設置されていたので、視界がひどく悪いということもなかった。興味深かったのは、トンネルに敷かれた石畳だった。それは踏まれるたびに淡い光を発していた。原理はまったく理解できなかったが、恐らく衝撃に反応して光っているのだろう。
『戦士たちの姿を見かけないね』と、ドローンに石畳をスキャンさせていたカグヤが言う。
「警備する必要がないのかもしれないな」
『たしかに人間は怖くて近寄らない場所だと思うけど』
「なぁ、カグヤ」
『うん?』
「昆虫型ドローンを使って彼らの街を偵察させることはできないか?」
『……ちょっと難しいみたい』
「なにが問題なんだ?」
『通信を妨害する装置が何処かに設置されているのかもしれない。一定の距離まで近づくと、ドローンの制御ができなくなるんだよ』
「カグヤのドローンは大丈夫なのか?」
『妨害を想定した場所でも運用できる設計だからね』
「そうか……」
インシの民の街を偵察した映像を、イーサンに見せてもらったことをふと思い出した。
『ここは別の街だからね』と、カグヤが言う。『あっちは奇岩地帯にある街だったけど、私たちが来ているのは峡谷だからね』
「そう言えば雰囲気が違うな……」と、私は今までの道程を思い出しながら言う。「どこもかしこも砂と岩しかないから、気がつかなかったよ」
『でもね、オアシスにはこの街のほうが近いんだ』
「なら、獣について説明できるインシの民がいるのかもしれないな」
仮面をつけた集団にちらりと視線を向ける。誰も口をきかず、象牙色の布を身にまとった戦士長のあとに続いて歩いている。その戦士長は、自分のことを〝我ら〟と呼んでいた。それが仮面の集団を含めての我らだったのか、それともインシの民全て含めた我らだったのかは分からなかったが、いずれにせよ、奇妙な集団であることに変わりはなかった。
長いトンネルを抜けると、岩山を削り出して造られた構造物の数々が姿を現す。渓谷に並ぶ赤錆色と黄土色の建造物は、カグヤが言うようにギリシャ様式の建造物にも見えたが、特徴的な列柱がそう思わせるだけで、まったく別の建築様式だったのかもしれない。
それらの建物の出入り口には多くのインシの民が立っていて、通りに現れた我々は好奇の眼差しに晒されることになった。
『みんなボロ布を身につけてるね』と、カグヤが感想を口にした。
「そうだな……」と、地面に座り込んでいるみすぼらしい集団に視線を向ける。
『戦士長と仮面の集団が身につけてる布はいいモノに見える』
「戦士の位があるんだろう」
『かもしれないね。それより、ハクがいるのに少しも驚いているように見えない』
「俺たちが来ることを知っていたんだろう」
『それでも驚かないのは変だよ』
「そもそも、驚くような感情を持ち合わせているのかも謎だ」
仮面の集団に言われるままヴィードルを止めると、戦士長は我々を置いてさっさと何処かに行ってしまう。
『レイ』
ハクの声が聞こえて視線を前方に向けると、ほとんど裸と変わらないボロ布を身にまとった女性が歩いている姿が見えた。けれどその女性には頭部がなく、首の切断面には奇妙な装置が組み込まれていた。
フラフラと不自然に歩く女性を見ながら訊ねる。
「あれは人擬きなのか……?」
『もう、しんでる』と、ハクは可愛らしい声で物騒なことを言う。
頭部のない死体は目的もなく歩いているように見えたが、罪人たちの前まで歩いていって、それからピタリと立ち止まる。すると罪人は夢遊病患者のように、彼女の側まで歩いて行く。首のない女性にはそれが分かるのか、罪人が近づいてくると何処かに向かって歩き出した。
正直、それはひどく不思議な光景に見えた。初期の機械人形がどういうモノだったのかは分からないが、奇妙なミミズに操られている罪人たちは、女性について行く。という、至極単純な命令を実行している機械のようにも見えた。
そう考えるなら、あの頭部を持たない女性もミミズのような生物に操られているのかもしれない。
女性の太腿に視線を向けると、皮膚の一部が盛り上がって奇妙な生物が蠢いている様子が確認できた。
『もしかしたら』と、カグヤは慎重に言葉を選びなら言う。『着ぐるみのように人間の身体を使っているのかもしれないね……』
仮面をつけた集団が歩き出すと、我々は集団のあとを追って通りを歩いた。しばらくすると、四本の細長い脚を持つ小型の機械が通りの先から歩いてくるのが見えた。しかしよく見ると、金属の脚を持つ昆虫のような機械の胴体には、切断された人間の頭部が使用されていた。
「あれが罪人の末路なのか……?」
私の言葉に答えたのは、ウェイグァンだった。
「罪人は砂漠の民の食料になるって噂があります。でも、罪人の多くは何かしらの薬物に手を出してます」
『食料にもならない肉体は奴隷のように扱われているって言いたいの?』
カグヤの質問にウェイグァンはうなずいた。
「ここでは、あり得ない話じゃないですよ……」
通路の先に視線を向けると、グロテスクな機械があちこちにいることが確認できた。少なくとも、この街では罪人の頭部は有り余っているように見えた。
我々が連れて来られたのは、高い岩山を削り出してつくられた古代遺跡の神殿にも見える建造物だったが、それは未完成だったのか、建造物の上部は切り立った崖のゴツゴツとした岩肌が剥き出しになっていた。
仮面の集団が何処かに行ってしまうと、建物から戦士長がのっそりと姿を見せる。
『入れ』
我々は戦士長の言葉に素直に応じることにした。そもそも我々は話し合いにきたのだ。警戒することも大事だが、目的を忘れてはいけない。
その建造物のなかは砂埃が舞うような環境だと思っていたが、しっかりと換気されているのか、清潔な環境が保たれていた。
私は足元に敷かれた絨毯に視線を落とした。ペルシャ絨毯を思わせる美しい模様を眺めていると、部屋の奥から女性の声が聞こえる。
『刃の勇者を従えるもの、どうぞこちらに』
部屋の奥にはグロテスクな生き物が佇んでいた。
それはインシの民のように外骨格を持つ生物だったが、胸部には人間の女性の乳房が縫い付けられていて、脂肪と皮膚の間から滴る茶色い体液で足元を汚していた。
その奇妙な生物は我々を歓迎するように、四本の腕のうち、以前は男性のモノだったと思われる二本の腕を広げてみせた。そして女性の顔の皮膚が縫い付けられていた頭部を我々に向けて、微かに微笑んで見せた。
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