第534話 峡谷


 戦闘は我々にとって圧倒的に有利なまま進み、気がつけば襲撃者を撃退することができていた。けれど結局、襲撃の首謀者に関する情報を得ることはできなかった。ほとんどの襲撃者が死んでしまった所為もあるが、ウェイグァンが首謀者を見つけることに興味を持っていなかったことも関係していた。


 紅蓮に存在する多くの犯罪組織は、大改革という名の粛清によって多大な犠牲を払いながら、ひとつの組織にまとまり始めていたが、複雑に入り組んだ広大な地下施設には未だ多くの反乱分子が潜んでいた。

 そのことを知っていたからなのか、ウェイグァンは首謀者を見つけ出しても意味がないと考えていた。ひとつの組織を潰しても、別の組織がそれに取って代わるだけだと知っていたからだ。


 もちろん愚連隊もやられっぱなしという訳ではないのだろう。ジョンシンの指揮のもと、警備隊は紅蓮の犯罪組織を撲滅するための作戦を継続していた。しかしそれはまた別の話だ。襲撃者の遺体を機械人形に集めてもらい焼却したあと、我々はインシの民が支配している領域に向かうことになった。


 ここからは愚連隊に加えてアレナが指揮するヤトの部隊も同行することになる。ヤトの戦士たちは装備の点検と弾薬の補充を手早く済ませると、採掘基地に配備されていた量産型軍用ヴィードルに乗り込む。


『レイ』

 出発の準備を進めていると、ハクの幼い声が聞こえて振り向く。そこには襲撃者たちの返り血で真っ赤に染まったラガルゲと、砂にまみれたハクの姿が見えた。

「ハク、どうしたんだ?」

『いっしょ、いく』

 オオトカゲの鱗から糸を引きながら滴る血液に視線を向けて、それから訊ねた。

「もしかして、ラガルゲも連れていくのか?」

『ん!』と、ハクはベシベシと地面を叩く。

「確かにラガルゲなら混沌の化け物が相手でも大丈夫だと思うけど……一緒に連れていくための荷台がないんだ」

『にだい?』

「ああ、ラガルゲは大きいだろ?」

『はしるから、だいじょうぶ』


 ちらりとラガルゲに視線を向けると、太い脚でドスンドスンと地面を叩くのが見えた。ハクの真似をしていただけなのかもしれないが、知らない人間が見たら威嚇されているように感じるのかもしれない。それほどラガルゲには迫力があった。


『襲撃者たちとの戦闘を見ていたけど』と、カグヤが操作する偵察ドローンが姿を見せる。『あの素早さで動けるなら、ヴィードルにも余裕でついてこられると思うよ』

「……それならラガルゲも連れて行こう。ハクも出発する準備はできているか?」

『じゅんび、できた』

 そう言ってさっさと門から出て行こうとするハクを引き止める。

 ハクが気に入ったガラクタを拾ってきては、腹部や胸板にペタペタと貼り付けて、拠点に持ち帰る癖があることを知っていたので、動きの邪魔になるようなモノを持ってきていないか確認する。


『たからもの、ないよ』と、ハクは惚けていたが、ラガルゲの背中にヴィードルのモジュール式装甲板を貼り付けていたのを知っていた。

「こいつは基地に置いていこう」ハガネの義手で糸を取り込みながら言う。

『それ、ハクのちがうよ』と、ハクは身体を傾ける。

「本当に?」

『うん。ほしいって、いってた』

「ラガルゲがどうしてヴィードルの装甲を欲しがるんだ?」

『ピカピカだった』


 血塗れの恐ろしいトカゲに視線を向けると、つぶらな瞳でじっとハクを見つめているのが見えた。私は溜息をつくと、近くにやって来ていた作業用ドロイドを呼び止めて、ハクの装甲板を預かってもらった。ハクは遠ざかっていく機械人形の背中をそわそわしながら見つめていた。

「さて、そろそろ出発しよう」

 準備ができると、愚連隊を先頭にして我々は採掘基地をあとにした。


 荷台に乗っていたハクが口ずさむアニメソングに耳を傾けながら、インシの民が支配している領域に向かって快調にヴィードルを走らせる。砂漠を走る際にヴィートルが立てる砂煙に巻き込まれないように、一定の間隔を空けて走っていると、ウェイグァンの声が内耳に聞こえた。


『このまま峡谷に向かい、そこで砂漠の民に罪人を引き渡す部隊と合流します』

「確か警備隊の人間が担当しているんだったな」

『そうです。部隊とはすでに話がついているので、合流したらそのまま砂漠の民が待っている場所まで向かいます』

「了解、引き続き先導を頼む」


 半月型のなだらかな砂丘がどこまでも続く砂漠をひたすら走る。砂ばかりの風景に飽き始めるころになって、高さ百メートルほどの断崖と岩山の峡谷が見えてくる。赤錆色の岩肌を眺めながら進むと、岩をくり抜いて造られた奇妙な構造物が確認できた。まるでハチの巣のようにあちこちに出入口があり、それらの入り口の前には、ボロ布をまとった異様な人影が立っているのが見えた。

 我々のことを監視しているインシの民なのかもしれない。彼らは断崖絶壁の底にある細い道を走り抜けていく我々に、じっと視線を向けているようだった。


『見えてきました』

 ウェイグァンの声に反応して前方に視線を向けると、数台のヴィードルが見えてくる。その車列のなかには、輸送コンテナを運ぶ大型ヴィードルの姿も確認できた。

 そのコンテナが確認できるようにヴィードルを横につける。改造されたコンテナには鉄格子の小窓がついていて、そこからこちらを睨む人間の姿が見えた。山男のように髭を生やした汚らしい男たちが、インシの民に引き渡される犯罪者たちなのだろう。彼らはヴィードルに並走するラガルゲの姿を見ると、ぎょっとして窓の側から離れた。


 高い岩山がそびえ垂直に近い崖が続く道を進むと、古代遺跡の神殿にも見える岩山を削り出して造られた構造物が姿を現す。赤錆色と黄土色の岩肌に、乾いた飴色の砂地、そして雲ひとつない青い空によって、峡谷は目を奪われるような幻想的な空間をつくりだしていた。


 その光景を眺めていると、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『特徴的な円柱は古代ギリシャ建築を思わせるけど、構造物の側に立っている石像は、明らかにインシの民の姿を象ったものだね』

「それだけじゃない。あれを見てくれ」

 峡谷の両岸に恐ろしく巨大な石像が立っているのが見えてくる。それは布をまとった人物の姿を象ったモノだった。フードで隠れた顔は確認できなかったが、片方の石像は地面に突き刺した大剣を持ち、もう片方は枯れ枝のような杖を手にしていた。


『もうすぐインシの民との合流地点に到着します』とウェイグァンが言う。

 切り立った崖を見ながら峡谷を進むと、岩陰に隠れるようにして焚き火にあたっているモノたちの姿が見えてくる。

 黒緑色のボロ切れをまとっていたモノたちは、焚火の炎が揺れるのをじっと見つめていたが、我々が近づくとおもむろに立ち上がる。


『インシの民だね』と、カグヤが言う。

 敵意を視覚化できる瞳を使ってインシの民の様子を窺うが、我々に対して敵意を抱いている気配はまったく感じられなかった。

「大丈夫みたいだな……カグヤ、部隊に危険がないことを知らせてくれ」

『了解。でも引き続き警戒はさせる』


 断崖の裂け目にできた細い道の先から、ラガルゲに似たオオトカゲに乗ったインシの民がやってくる。ラガルゲと異なり黒茶色の鱗を持つオオトカゲは、長い舌を出し入れしながらコンテナの周りをぐるりと一周する。何かを確かめていたのか、それが終わるとインシの民は大顎をカチカチ鳴らす。


「よく、ぎた」と、しわがれた声が聞こえる。「ついて、ごい」

 オオトカゲがのっそりと歩き出すと、警備隊のヴィードルはそのあとに続いた。

 焚き火を囲んで座っていたインシの民の側を通るときに、ちらりと彼らに視線を向けると、タールで塗り固められた枝のようなモノを持っているのが確認できた。ただの杖にも見えたが、武器として使用されるモノなのかもしれない。理由は分からなかったが、ふとそんな気がした。


『レイ』と、ハクの声が聞こえる。『てきがくる』

 視線を動かすと、切り立った崖を駆け下りてくる獣の姿が見えた。

「またあいつらか」

『すぐに部隊に知らせるよ』と、カグヤは部隊の通信をひとつにつなげる。『カラスにも周辺索敵してもらうよ』

「わかった」

 ラガルゲの背中で翼を休めていたカラスが空に向かって飛び上がるのと同時に、ヤトの戦士たちからの射撃音が聞こえる。


 量産型軍用ヴィードルは、車両の軽量化のために多くの機能や部品が排除されていた。搭乗者を保護する防弾キャノピーがなく、剥き出しのコクピットになっていたのもそれが理由だったが、キャノピーの開閉操作をせずに、すぐに攻撃できることは利点でもあった。

 車両の駆動力制御と姿勢制御に関する通知が浮かび上がり、視線の先に拡張現実で表示されているのを確認しながら、私はライフルのストックを肩につけた。


「カグヤ、射撃支援を頼む」

『了解』

 断崖を駆け下りてくる獣に標的用のタグが貼り付けられると、赤色の線で輪郭が縁取られていく。その情報は部隊で共有され、標的の視認性が格段に向上される。

 銃弾を受けた獣が次々と脚を踏み外して崖から落下するのが見えた。しかしそのなかには死ぬことなく、我々に向かって突撃してくる獣もいた。が、それらの獣はラガルゲと、インシの民のオオトカゲによって排除されていく。


「カグヤ、他にも敵は確認できるか?」

『待ってね』と、カグヤは素早くカラスから受信する映像を確認する。『獣はまだいるみたいだけど……これを見て』


 ボロ切れをまとった集団が岩山の隙間を縫うように歩いている様子が映し出される。そのインシの民だと思われる集団に向かって、獣の群れが駆けていくのが見えた。それに気がつくと、集団は杖のように使っていた枯れ枝の尖端を獣に向ける。

 ライフルを構えるみたいに枯れ枝を肩につけると、杖に塗りつけられていたタールのようなモノがうねうねと動くのが見えた。次の瞬間、閃光が瞬いて細長いレーザーのようなモノが発射されるのが見えた。


 赤紫色の閃光が走るたび、獣の身体はスパッと切断され地面を転がる。やはりインシの民が持っている杖は武器だったが、銃器と言うより、生物的な奇妙なモノにも見えた。

『レイ、敵の掃討を完了したよ』

 カグヤの言葉に反応して周囲に視線を向けると、獣の死骸があちこちに転がっているのが見えた。

「あの獣はインシの民にも襲い掛かっていたな」

『うん。腹を空かせた猛獣だね。生き物ならなんでも見境なく攻撃する』

「それなら、インシの民も砂漠の異変に気がついているのかもしれないな……」


 岩から削り出した赤錆色の列柱が連なる道を進むと、岩山に掘られたトンネルが見えてくる。入り口にはボロ布をまとったインシの民の姿が確認できた。そしてここでも焚き火を囲むインシの民を見ることができた。

『ここで罪人を砂漠の民に引き渡すみたいですね』と、ウェイグァンの声が聞こえる。『おい! ここの責任者は誰だ!』

 大型ヴィードルを操縦していた隊員はトンネルの側に車両を停車させると、慌てた様子でウェイグァンが操縦する金色のヴィードルに走っていく。


 私も適当に車両を止めると、ハクと共にトンネルの入り口まで歩いて行く。かまぼこ型の入り口の左右には、インシの民の遺跡で見た石像が立っているのが確認できた。それは触角のないミツバチに似た頭部をしていながら、スズメバチのような大顎を持つインシの民の姿を象った巨大な石像だったが、野晒しにされていたからなのか、あるいは岩を削り出したモノだったからなのか、遺跡で見た石像のほうが精巧に彫られていたように思えた。


『私たちにまったく関心を示さないね』と、カグヤのドローンが姿を見せる。

「そうだな」石像に登ろうとするハクを止めながら私は言う。「こんなふうに無視されると、まるで幽霊になったような気分になる」

 ボロ切れをまとったインシの民はあちこちに座り込んでいて、焚き火をじっと見つめていて、我々に見向きもしなかった。


『あの焚き火に使われる薪は、何処から調達してるのかな?』 と、カグヤは疑問を口にする。

「オアシスが近くにあるのかもしれないな……それより、あの焚き火が気になる」

『昆虫型の生物だから、体温調節する必要があるんじゃないかな?』

「砂漠なのに、体温調節が必要なのか?」

『夜は冷えるからね』

 カグヤはそう言っていたが、他にも理由があるのかもしれない。


 アレナたちに周囲の警戒を任せると、私はハクと一緒にインシの民の様子を眺めることにした。ラガルゲに似たオオトカゲの姿も確認できた。舌をするすると伸ばしてのっそりと移動している複数のオオトカゲは、それぞれが動物の骨でつくられた装身具を身につけていた。オオトカゲを区別するための飾りだと考えたが、それなら鱗の色で判断したほうが早いような気がした。


 色彩豊かな鱗を持つトカゲを見ていると、ウェイグァンとリーファがやってくる。

「レイラさん」と、青年は言う。「この先に砂漠の民の街があるみたいなんですけど、ここから先に行けるのは、砂漠の民と罪人たちだけみたいです」

「それなら、インシの民と話をする必要があるな」

 そう言ってトンネルに視線を向けると、オオトカゲに乗ったインシの民がこちらに向かってくるのが見えた。その個体は、他のインシの民よりも大きな身体をもっているように見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る