第532話 砂漠の民


 砂漠がどこまでも続いているような、そんな錯覚に陥るほど広大な大地をぼんやりと眺めていると、内耳にカグヤの声が聞こえる。

『つまり、レイは白日夢を見ていたんじゃなくて、過去に体験した出来事を思い出していたってことなの?』

「うまく説明することができないけど、そうだと思う」

 輸送機のコクピットシートにぐったり身体を沈めると、私は瞼を閉じて、それから自分が見たモノを思い出そうとする。


「レイと一緒にいた女性は、本当に自分のことをウミだって言ってたの?」

 ペパーミントの質問に私は頭を横に振った。

「言わなかったよ。だけど一目見て彼女だって分かったんだ。あの現象を体験していると、まるで何度も繰り返される夢を見ているときのように、色々なことが直感的に分かるんだ」

『でも』と、カグヤが言う。『ウミは人間の肉体を持ってないよ』

「厳密に言えば、彼女は人間じゃないんだ。ただ、人間の肉体を忠実に模した存在に姿を変えられるだけなんだ」


「不思議ね」と、ペパーミントは言う。「それが幻覚なんかじゃなくて、レイの失われていた記憶の一部だとしたら、本当の記憶を取り戻すための手掛かりになるかもしれない」

『手掛かり?』と、カグヤは疑問を口にする。

「ええ。廃墟の街を探索しているときにも、レイは同様の白日夢を見てきた。そのときは幻覚だって決めつけていたけど、ひょっとしたら、記憶を呼び覚ますキッカケになるようなモノがそこにあったのかもしれない」

『キッカケ……? 例えば、過去にレイが訪れた場所……とか?』

「そう。現在、発掘調査が行われていた構造物で、レイは過去に重要な任務を遂行していた。それがどんな任務だったのかは分からないけど……でも、とにかくそこで記憶を思い出すような体験をすることになった」

『記憶を取り戻す……というより、思い出すには、過去に訪れた場所に行けばいいのかな?』

「断言することはできないけど、その経験が何かの刺激になって、レイが過去の出来事を思いだす可能性は充分にあると思う」


『……ペパーミントの推測が正しいとするなら、今までレイが見てきた悪夢や幻覚、それに白日夢は過去の記憶ってことになるんだよね』

「そうだけど……」と、ペパーミントは眉を寄せながら言う。「なにか気になることがあるの?」

『たくさんある。例えば、ウミのことはどうやって説明するの?』

「ウミ?」

 カグヤの言葉にペパーミントは思わず首を傾げる。


『レイが断片的に記憶していて、私たちに話してくれたことが過去に実際に起きたことだとしたら、人型のウミはレイと一緒に行動していたことになる。でもウミに訊ねても、そのときのことは覚えていない。それはどうしてなの?』

「それを説明することは、それほど難しいことじゃないないの。母なる貝で『マーシー』が話していたことを覚えてる?」

『マーシー……? ちょっと待ってね、えっと……』

 カグヤは保存していた膨大な記録の中から、マーシーとの会話部分だけを抜き出して再生した。


〈存在を消滅させない限り、永遠に生き続けられる存在。だから記憶の整理が必要なの〉

 マーシーの声がスピーカーを通して聞こえると、ペパーミントはうなずいた。

「記憶を整理する過程で、レイに関する情報や記憶が失われた可能性は充分にあるし、それ以外にも例えば、機械人形に意識を転送しているときに記憶媒体が破壊されてしまったことで、レイと一緒に行動していた期間の記憶だけが失われたとも考えられる」

『そう言われると、ウミが記憶を持っていないことの説明はできるのかもしれない。でも記憶を失ったレイとウミが、また同じ街で出会うような偶然が起きるのかな?』

「それが偶然じゃなくて、二人がまた出会えるように、初めから仕組まれていたことだとしたら?」


『……確かに海岸で受信した謎の救難信号は不自然だったけど、誰がそんなことをするの?』

 カグヤの問いにペパーミントは頭を振った。

「分からないわ。そういう緊急事態に備えて、あらかじめ二人で決めていたことなのかもしれないし、別の理由があったのかもしれない。ただ、二人がまた一緒になったことは偶然だったとは思えないの」

『緊急事態って、殺されて記憶を失うとか?』

「考えられる最悪の状況かも知れないけど、不死の子供たちは一般の兵士ではどうすることもできないような、危険で過酷な戦地に派遣される特殊部隊だったんでしょ? 緊急時の備えくらいしていると思うの」


 カグヤが黙り込むと、短い警告音が鳴って、全天周囲モニターに獣の群れが拡大表示される。砂丘を越えて移動する群れは、発掘調査隊を襲ったコヨーテにも似た大型の獣だった。その獣の進行方向に視線を動かすと、傭兵に護衛されていた隊商が確認できた。


「ペパーミント、あの群れを攻撃できるか?」

「ええ、問題ないわ」

 輸送機の機首を群れに向けると、バルカン砲で攻撃し、獣の身体をズタズタに破壊していく。隊商を率いていた行商人や傭兵は、突然鳴り響いた騒がしい発射音に驚いて、すぐに移動経路を変更していた。


『紅蓮の近くまで来ているのに、あの獣は普通に現れるんだね』と、カグヤは言う。

「あの獣が勢力を拡大させている証拠にもなっているな……」

 モニターに表示される死骸を見ながら、獣の住処になっているオアシスまでの距離を確認した。

「オアシスがどんな状況になっているのか知りたいな……カグヤ、偵察ドローンを派遣することはできないか?」

『採掘基地まで撤退させていた昆虫型ドローンを派遣するよ』

「ありがとう」


「ついでに爆撃機を使えればいいんだけどね」と、ペパーミントが言う。

『さすがに爆撃なんてしたら、地中に埋まってる遺跡に被害が出て、大変なことになると思う。だから攻撃は推薦しないよ』

「そうだな」と、私は同意する。「でも、紅蓮はどうして部隊を派遣して獣を掃討しないんだ?」

『私たちが提供した映像が関係しているのかも』

「化け物の存在に怖気づいた?」

『旧文明期の兵器を多数所持してる私たちと違うからね。痛手をこうむることが分かっているのに、戦闘部隊を派遣する人はいない』


 しばらくすると紅蓮に続く巨大な岩山の裂け目が見えてくる。渓谷の両側には切り立った崖があり、その高さは五十メートルを優に超えている。赤茶色の乾燥した土に、濡れた土のような黒い帯が、そびえる岩壁に不思議な模様をつくりだしているのが確認できた。


 輸送機は渓谷の上空を飛行して、紅蓮の警備隊が使用している基地まで向かう。そこには整備された広場があって、輸送機を安全に着陸させることができた。我々が輸送機を所持していることは、すでに紅蓮の人々に知られていたが、まるで自慢するように住人に大っぴらに披露して、面倒事を増やす必要はない。だから紅蓮の上空はできるだけ避けて飛行した。


 閑散とした広場で我々を迎えてくれたのは、紅蓮の警備隊を指揮する『イリン』だった。事前に連絡をしていたので、彼女は我々のために時間を作ってくれていた。

 ここで浄水装置を調べに行くペパーミントとは別れることになる。彼女の護衛にはイリンたち警備隊に加えて、トゥエルブとイレブンが付くことになるので、心配する必要はないだろう。

 ちなみに紅蓮の指導者であるジョンシンとは会えそうになかった。我々のために時間をつくると言ってくれたが、オアシスの問題を始め、多くの仕事を抱えているみたいだったので、彼の邪魔をしたくなかった。


 私はハクを連れて、愚連隊に会いに行くことにした。どうやら警備隊の基地には、愚連隊のためだけに用意された部屋があるようだった。警備隊に所属する人間がそこまで我々を案内してくれるようだったが、彼女はハクの存在に怯えていて、見ていて気の毒になるほど身体を震わせていた。けれどハクがいつものように無遠慮に話しかけると、落ち着きを取り戻したのか、我々に基地の説明までしてくれた。


 どうやら地上にある旧文明の施設は、紅蓮の最初の住人たちの手で建造されたようだった。その時代には、人造人間たちの支援でデータベースにアクセスする権限を持っていた人々がいたのだろう。施設の建造に使用された建築機械も基地に保管されているようだったが、現在の人々は操作権限を持っていないので、使用できないようだった。


 その基地には軍用規格のヴィードルや戦闘車両が多く残されていて、それらは現在でも自由に使用できるようになっていた。紅蓮の人々が危険で資源の乏しい砂漠で生き残ることができたのは、早い段階で身を守るための武器や施設を入手したことが関係しているのかもしれない。


 金属製の壁面パネルで覆われた廊下を歩きながら、私はインシの民について訊ねたが、彼女は人型昆虫生物の詳細な情報は持っていなかった。

「砂漠の民と呼ばれる異形の生物が暮らす地域が存在するって噂は、聞いたことがあります」と、彼女は顎に指を当てながら言う。「彼らは行商人たちの前に姿を見せて、紅蓮に与えられた通行許可証を持っているのか訊ねるそうです。許可証を見せると、何事もなく無事に砂漠の移動を許してくれるそうです」

「その許可証を持っていなかったら、商人たちはどうなるんだ?」

「砂漠の民は恐ろしい姿をしていて、人間を食べる生物だと言われています。許可証を持っていない人間は襲われてしまうのだと思います」

「でも、砂漠の民の存在は紅蓮で秘匿されている?」


 ハクのことを怖がっていたのが嘘みたいに、彼女はハクの体毛を撫でながら言う。

「私も警備隊に所属するまで、まことしやかに語られる伝説のようなモノだと思っていました。例えば、悪さをする子供たちに言うことを聞かせるために、両親が口にするような、おとぎ話みたいなモノだと」

「でも違った?」

「はい。紅蓮の商人組合に認められた行商人たちは、砂漠を安全に移動するための許可証を手に入れます。それがないと砂漠の民に襲撃されると言われています」


「初めて紅蓮に来たとき、俺たちはその許可証を持っていなかった。けど砂漠の民に襲われることはなかった。それはどうしてなんだ?」

「彼らは、砂漠のあちこちに眼があるそうです」と、彼女は目を大きく見開いた。

「眼……つまり、彼らは砂漠に出入りする人間を監視しているのか?」

「噂ではそうなっています。砂漠に迷い込んだ人間や、初めて紅蓮にやってくる人間は見逃されます」


「そこまで知っているのに、どうして彼らは実在しない、まるで幽霊のような曖昧な存在にされているんだ?」

 私の言葉に彼女はしばらく考えて、それから言った。

「紅蓮でも限られた人間の間でしか、砂漠の民の情報は共有されていません。例えば通行許可証は、腐った板切れのような見た目をした不思議な物体ですが、商人組合がそれをどこから入手してくるのかも警備隊には説明されていません」


「紅蓮は異形の生物と共存していることを人々に隠しているのか?」

「機密情報というよりは、不用意に人々に恐怖を与えないための措置だと私は考えています。その通行許可証も砂漠の民から預かっているモノだって、ほとんどの人は知っています。それに……」

「それに?」

「警備隊には、砂漠の民に犯罪者を引き渡す特別な部隊が存在します」

「紅蓮で罪を犯した人々のことか?」

「はい。連続殺人犯から強姦魔まで、紅蓮で罪を犯した人間は砂漠の民に引き渡されて、そして二度と紅蓮に帰ってくることがありません。彼らが人間を食べているって噂が誕生したのも、きっとそれが関係していると思います」


 目的の場所に到着すると、金属製の扉がスライドしながら左右に開いて、学生服のような戦闘服を着たウェイグァンが現れる。

「すいません、レイラさん。今から迎えに行こうと思っていたんですけど」

 申し訳なさそうな顔で言う青年に微笑むと、大丈夫だと伝える。

「彼女が案内してくれたんだ。えっと……名前を訊いても?」

「ルォシーです」と、彼女は笑顔を見せてくれた。

「ありがとう、ルォシー」

 彼女がハクにお別れを言って、施設の警備に戻っていくと、我々は愚連隊が使用している部屋に通された。


 入り口には何故かホログラムで投影されるジョンシンの肖像画が飾られていて、ウェイグァンは部屋に入ると、まず肖像画にお辞儀して、それから部屋の奥に向かう。ヤクザの事務所に飾られている組長の写真のようなモノなのかもしれないが、さすがにホログラムに向かってお辞儀する気にはなれなかったので、申し訳ないがそのまま素通りすることにした。


 大理石調の床に絨毯が敷かれていて、高価そうな黒光りするソファーが置かれている。壁際には古代の戦士たちの甲冑が飾られていて、クマに似た生物の巨大な剥製も置かれていた。とても警備隊の休憩室には見えなかったが、私は何も言わずソファーに座り、ハクは剥製を弄りにいった。


「すぐにオアシスに行くんですか?」と、ウェイグァンが落ち着かない様子で言う。

「いや、事前に話していた通り、まずは採掘基地にいる仲間と合流して、それからインシの民に会いに行こうと考えている」

「砂漠の民って呼ばれてる奴らですね。親父に聞いてます」

「ウェイグァンたちは、彼らが支配している地域に行ったことがあるのか?」

「いえ」と、青年は残念そうに言う。「ですが、砂漠の民に会える場所は把握しているので問題ないです」

「良かった。愚連隊に案内を頼もうと考えていたんだ」

「喜んでお供しますよ」と、青年はニヤリと笑った。

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