第531話 白日夢


 梯子から手を離して、エレベーターシャフトから出ると、青白い照明に浮かび上がるガランとした空間が見えた。けれど居住区画であるにも拘わらず、人間の姿を見ることはなかった。


「レイラさま、こちらです」

 そう言って私に群青色の眸を向けたウミは、黒を基調とした半透明の特殊な金属繊維で造られたスキンスーツに、全身を保護する白菫色の強化外骨格の装甲に身を包んでいた。


 スキンスーツは特殊部隊などに支給されている自動密着式のスーツで、有機ナノマシンによって管理されていて、衝撃を受けた際にスーツを瞬時に硬化させ、衝撃で生じたエネルギーを分散させる機能が備わっている。また汚染物質や有害物質を遮断する機能を持ち、損傷した箇所に対して応急処置が施されるなどの機能も有していた。


 もちろん、どんな環境でも活動できるように自動的にスーツ内の熱調節が行われ、強化外骨格には身体機能を向上させると共に、金属の形状を変化させる機能も併せ持っていた。

 なんでも、特殊部隊で試験的に採用した〝ハガネ〟という技術が使われているようだったが、例によって大いなる種族から提供された技術が含まれているので、詳細について知ることはできなかった。


 その戦闘用スーツを身につけたウミは、通路の先で物音が聞こえると、反射的にライフルを肩づけして照準器を覗き込んだ。

「生存者でしょうか?」

「わからない」私は頭を横に振ると、スリングを調整してライフルを胸の中央に吊るし、サイドアームとして携帯していたハンドガンを太腿のホルスターから抜いた。「混沌の生物が近くに潜んでいるかもしれない。注意して進もう」

「了解」


 我々はエレベーターホールを進み、吹き抜け構造になっている巨大な空間が見渡せる場所まで移動した。上方から降り注ぐ陽光によって、数百にも及ぶ各部屋のベランダが眼下に見えたが、やはり人の気配は感じられなかった。


「これより下層はCクラスの居住者が利用している施設や部屋があるようですね」と、ウミはデータベースから取得した情報を確認しながら言う。「すでに偵察ユニットが調査を進めていますが、やはり生存者の確認はできていません」

「それなら、上層区画の捜索に専念しよう。偵察ユニットは――」

「隠者の瞳です。上層区画に三機、下層区画では六機が活動しています」

「少ないな……上空で待機している戦艦から、追加のユニットを送ってもらおう」

「わかりました。すぐに連絡を――」

 ウミが黙り込むと、私は首を傾げる。

「どうした?」

「上層区画で敵の痕跡を発見、それに〝バベル〟の存在も確認されました」

「神の門か……やはりここでも混沌の領域が広がっているのか」

「増援を要請しますか?」


 上方に視線を向けると、壁面を透かして入り込んでいる日の光を見ながら、これからのことについて思案する。

「いや」と、私は頭を振る。「予定通り、俺たちだけで作戦を遂行する。これ以上、目立つような行動を取って、地球防衛軍を刺激するような真似はしたくない」

「戦艦の光学迷彩は完璧に機能していますが?」

「長旅で不満が蓄積している娘たちが、ここでどんな行動を起こすのか分からない以上、危険は冒せない」

「だから多足の毛玉どもは信用できないんです」と、ウミは綺麗な顔をしかめる。

「種族の生まれ持った性質なんだ。大目に見てやってくれ。それに、彼女たちはよくやってくれている」

 ウミは溜息をつくと、偵察ユニットから受信した情報を私に転送する。


「バベルが開いているのなら、奴らが這い出てくる前に門を閉じなければいけません。急いで現場に向かいましょう」

 ウミの言葉にうなずくと、彼女に先導してもらいながら上層区画に向かう。数万の人間が生活していた巨大な構造物は静まり返っていて、奇妙なことに機械人形の姿を見ることもなかった。


「ウミ、統治局が配備している警備用の機械人形はどうなっている?」

「沈黙しています」

「沈黙……? これだけの異常事態なのに、警備システムは作動していないのか?」

「そのようですね。今から警備システムを起動して、現場に警備用ドロイドを派遣しますか?」

「バベルが開いているのなら、俺たちが相手にしなければいけないのは混沌の化け物だ。残念だけど暴徒鎮圧のために配備された警備用の機械人形は、ここではなんの役にも立たない」


 グラップリングフックを使って素早く上層区画に移動すると、空気に腐臭が混ざっていることに気がついた。

「レイラさま」と、ウミは頭部をフルフェイスマスクで覆いながら言う。「住人を見つけました」

「遅かったみたいだけどな……」


 綺麗に磨かれた大理石調の白い床に、赤黒い血液を滴らせ、内臓を引き摺って歩いてくる人擬きの姿が見えた。人擬きウィルスに感染して間もない個体なのか、腹部は裂けていて内臓が飛び出していたが、それ以外は生前の姿を保った綺麗な状態だった。

 ウミは躊躇うことなく、セミオート射撃で人擬きを射殺する。けれど前のめりに倒れた人擬きの後方からは、次々と別の感染体が姿を見せていた。


「レイラさま、目的地は群れの先にあります」

 ウミの遠隔操作によって、通路に設置されていたホログラム投影機から上層区画の地図が表示される。私は人擬きを射殺しながら、地図の上を移動する矢印を確認する。

「人擬きを排除しないとダメみたいだな」と、通路の曲がり角から現れる数十体の人擬きを見ながら言う。

「すぐに終わらせます」


 ウミはライフルから手を離すと、人擬きの群れに向かって駆け出し、前方に向かって腕を突き出した。するとウミの腕は半透明の粘液状の物質に変化して、真直ぐ伸びると、巨大な獣のあぎとに変化して、まるで噛み千切るように人擬きを喰い殺していく。


 血液や肉、それに内臓が飛び散って通路は悲惨な殺戮現場に変わる。瞬く間に人擬きの群れを処理したウミは満足そうにお腹を撫でると、ライフルを肩づけして通路の先に向かう。

 ビチャビチャとぬめりのある血液を踏みながら通路を進み、突き当りを曲がると、上層区画で暮らす人々のために用意された部屋の扉が開いているのが確認できた。それぞれの部屋は広く、各部屋の玄関との間にはそれなりの距離があったが、その全ての扉が不自然に開いていた。


 どこかに生存者がいるのか、どこからともなく女性のすすり泣きが聞こえてきた。その悲しげな声に耳を澄ませながら、私とウミは通路を進んだ。いくつかの扉からは人擬きが飛び出してきて、我々に襲い掛かってくることがあったが、人擬きは脅威にならなかった。


 しばらく進むと通路の雰囲気は変化して、つるりと磨かれた床や壁が赤黒い肉の膜に覆われるようになっていく。やがてそれは、腸のようにも見える粘液に濡れた触手に似た管に変化していく。混沌の領域が我々の世界を侵食していることがハッキリと確認できた。


 すると上層区画を探索していた偵察ユニットが、通路の先からこちらに向かって飛んでくる姿が見えた。

「バベルにつながる通りに、複数の化け物を確認しました」

 ウミの言葉にうなずくと、転送されてきた映像を確認する。


 グロテスクな肉に覆われた通路に化け物の姿が確認できた。巨大な蠅にも似た姿をした化け物は、見る角度によって色が変化する不思議な外骨格を持っていて、広げた鞘翅の奥には半透明の翅があるのが確認できた。

 常に前傾姿勢だった化け物の膨れた腹部には、鋭い体毛がビッシリと生えていて、ギザギザの突起物がツノのように突き出しているのが見えた。


 また化け物はバッタの後脚にも似た湾曲した二本の脚で立っていたが、胸部からも短い脚が数本伸びていて、それらには人間の指にも似た黒い器官が十数本生えているモノもあれば、甲殻類のハサミのようなモノがついた脚も存在した。


 その化け物は、頭部についた巨大な複眼を偵察ユニットに向けると、大顎を鳴らして悪態をついた。すると脇腹の外骨格が糸を引きながら開くのが見えた。化け物は短い脚をその隙間にいれて、粘液に覆われた三角形の黒い物体を取り出した。それはゴツゴツした鉱物のような殻で覆われていた。

 まるで拳銃を構えるように、化け物は三角形の物体をドローンに向けた。そして次の瞬間、光学迷彩で姿を隠していた偵察ユニット目掛けて青い閃光を放った。


「偵察ユニットの破壊を確認しました」

「ただの偵察部隊じゃないみたいだな……ウミ、残りの偵察ユニットを後退させてくれ」

「わかりました……」彼女はうなずいて、それから私に顔を向けた。「戦闘部隊がやってきているということは、何がなんでも手に入れたいモノがこの建物にあるということです」

「建物内にいる要人のリストを手に入れられるか?」

「すぐに入手します」


 化け物の存在が確認できた通路まで、あと少しのところまでやってきたときだった。蠅にも似た化け物の巨体が通路の先に現れる。私は移動する速度を落とさず、化け物に向かって左手首からグラップリングフックを撃ち込んだ。

 凄まじい速度で発射されたフックが化け物に突き刺さったことを確認すると、化け物ごとワイヤロープを一気に巻き取る。するとウミは前腕を粘液状の物質に変化させたあと、鋭い刃を形成し、ロープによって引っ張られていた化け物の身体を両断する。


 切断された死骸がぐしゃりと床に転がっていくのを横目に見ながら、ワイヤロープを巻き取っていると、ウミの声が聞こえた。

「軍事企業『エボシ』に所属する研究者の存在を確認しました」

 ウミから受信したリストを素早く確認すると、気になる研究者の名前を見つけた。

「奴らの狙いが分かったよ……」

 羽音が聞こえてくると、我々は立ち止まって、通路の先で群れていた化け物にライフルを向ける。

「レイラさま、摘出された脳を確認しました!」

 視線を走らせると、円筒状の容器に収納された人間の脳が確認できた。

「あれを破壊しても構わない、絶対に奴らに奪われるな!」

「了解!」


 ウミは化け物の集団に向かって駆けていくと、両腕を変形させて化け物のグロテスクな身体を次々と両断していった。ウミに対して攻撃する動きをみせる化け物には、私が即座に対応して射撃で掩護する。


 ウミは群れの中心に到達すると、全身を粘液状の物質に変化させて、サッカーボールほどの大きさの球体状の物体に収縮する。そして次の瞬間、収縮していた物体は破裂するように一気に膨張して、放射状に無数の鋭い杭のようなモノを伸ばした。

 瞬間的に発生した膨大なエネルギーによって生じた衝撃で、ほぼ全ての化け物が串刺し状態になり、破壊された壁に埋まり磔にされる。


 が、研究者の脳が収納された容器を持った化け物は、ウミの攻撃から逃れ、通路の先に逃げようとしていた。私は間髪を入れずに、太腿のホルスターからサイドアームのハンドガンを抜くと、化け物に対して重力子弾を撃ち込んだ。

 化け物は閃光の渦に呑み込まれ、塵も残さず消滅する。光弾が通過した通路は融解して、床に転がっていた化け物の死骸は吹き荒れる爆風で構造物に開いた穴から空に投げ出されていった。


「終わりましたね」と、人型に戻ったウミが澄ました表情でライフルを拾い上げる。「あとはバベルだけです」

「そうだな。面倒な作業だけど、さっさと終わらせよう」

 そう言って歩き出そうとしたときだった。建物全体が振動して、何処からともなく地鳴りのような音が聞こえてきた。


「――の侵入を確認しました!」

 ウミの言葉に反応して心臓が激しく鼓動する。

「間違いないのか?」

「はい。もはや防衛軍を気にかけている余裕はありません。すぐに増援を要請しましょう」

「わかった。ウルに通信をつないでくれ」


「レイラさま!」

 ウミの声が聞こえたかと思うと、私は凄まじい衝撃を受けて、肉に覆われた壁を破壊しながら吹き飛び、気がつくと吹き抜け構造になっていた空間から下層区画に向かって落下していた。すぐに壁面に向かってフックを発射しようとして腕を伸ばすが、上方で閃光が瞬くのが見えた瞬間、私は衝撃に備えて瞼を閉じた。



『レイ』

 カグヤの優しい声が聞こえると、私はゆっくり瞼を開いた。目の前には砂が堆積した薄暗い通路が続いていて、ガラスのように変化した床の一部が見えていた。

『まるでガラス化現象だね』と、床にドローン近づけてガラスを調べさせていたカグヤが言う。『融解して、急速に冷却されていく過程で、不自然な形で固体に――どうしたの、レイ?』

 私はひどく混乱すると共に、まともに立っていられないほどの眩暈と吐き気を感じていた。一瞬、自分がどこに立っているのかも分からないほどだった。


「ずいぶん深い場所まで下りて来たので、体調が悪くなったのかもしれません」

 ジャンナの言葉にペパーミントは否定するように頭を振るが、すぐに側にやって来ると、そっと私の頬に触れた。

「地上に向かいましょう。ハク、レイに手を貸してあげて」


 ハクが側にやってくる頃には、ほとんど目が見えていなかった。

 私の身に何かが起きている。そしてそれはこの奇妙な構造物と、先ほど見た白日夢が関係しているのだろう。私は朦朧とした意識のなかで、先ほど体験したことについて考えようとしていたが、建物のずっと深い場所に潜む何かの視線を感じて、集中することができなかった。

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