第518話 闇を見つめる者


 混沌の子供たちが撤退したあと、我々は砦内の広間に通され、そこで砦を管理している『闇を見つめる者』と話をすることになった。砦まで案内してくれたマキシタは我々に同行せず、混沌の子供たちの死骸を処理していた働きアリのもとに向かった。それを見ていたハクは、とうとうじっとしていられなくなって、働きアリたちの作業を覗きに行った。ハクが我々を置いて何処かに行く心配はしていなかったが、念のためにイレブンとアルファ小隊を同行させることにした。


 砦内の広間には大理石調の石材で造られたテーブルと椅子が用意され、発光器官を備えた無数の昆虫が天井に張り付いて広間を照らしていた。天井を移動しながら鞘翅をカサカサと動かす甲虫は、少々気味が悪かったが、礼を欠くことはできなかったので、気がつかないフリをしながら部屋に入る。

 人間とコケアリの身体は多くの点で構造が異なるため、石を削り出して造られた椅子が、人間のために特別に用意されたものだと分かった。集落の住人と交易を行っているので、それが関係しているのかもしれない。


 広間の四方には、荒々しくも豊かな感性を持つ彫刻家の手で削り出されたと思われる石像が置かれていた。それはカマキリにも似た細長い胴体を持った生物の像だった。全身はつるりとした外骨格に覆われていたが、異様に肥大化した腹部には、皮膜に包まれたザクロの果肉にも似た粒状の物体が詰まっているのが見えた。

 生物の異様な姿には驚かされたが、一目見て恐ろしいと感じたのは、薄い皮膜の質感が完璧に再現されていることだった。皮膜に包まれたぶよぶよとした物体の感触すら伝わってくるような、そんな迫力がある石像だった。


『レイ』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。『あれは『アジョエク』だよ』

「異界の女神に仕えていた生物だな」と、私は石像の胴体から伸びる四本の腕を見ながら言う。

『どうしてコケアリの砦にアジョエクの石像があるんだろう?』

「彼女たちの信仰の対象だった……とか?」

『でも別の奇妙な生物の像も一緒に並んでるよ』

「他の石像も、異界に存在する神々なのかもしれない」

 それらの石像には、全て大理石調の正体不明の黒い石材が使われていた。

『少し気になるから、レイが混沌の領域で記録していた映像を確認してみる」

 カグヤの言葉にうなずくと、広間の中央に置かれたテーブルに近づく。


 硬い椅子に座ると、コケアリたちの砦にやってくることになった経緯を説明して、突然の訪問を歓迎してくれたことにも感謝した。

『少々、派手な歓迎になってしまったな』

 闇を見つめる者は大顎をカチカチ鳴らして笑った。彼女が笑っていると理解できたのは、翻訳機から彼女の笑い声が聞こえたからだ。それがなければ、話しているときとの区別はできなかった。

「砦に対する襲撃は頻繁に起きているのですか?」

 ミスズの問いに、隊長アリは人間のようにうなずいてみせた。

『そうだ。しかし新兵の訓練になっているから、私は助かっている』

「混沌の領域につながる門が近くにあるのでしょうか?」

『あるぞ。門の正確な位置も把握している。これをごらんなさい』


 闇を見つめる者が、人間の腕のように進化した前脚をテーブルに載せて、キチン質の殻に包まれた鋭い指で表面をなぞると、それまで硬かったテーブルの表層が粘度の高いタールのような物質に変化して、うねうねと動くのが見えた。すると複雑に入り組んだ坑道の詳細な地図がテーブルの表面に浮かび上がる。


『ここに印があるのが見えるか?』

 隊長アリは指先で地図の凹凸を叩いてカツカツと音を鳴らした。

「わかります」

 ミスズがうなずくのを確認すると、彼女は触角を小刻みに動かした。

『そこに混沌の領域につながる門が存在する』

「門の場所が分かっているのに、それを封鎖しようとしないのは、方法がないからなのでしょうか?」

『いや、あの門を永遠に閉じる方法は分かっている。けれど門を閉じても、別の場所に歪みが発生して、新たな門が誕生するだけだ。そうであるなら、場所を把握している門の監視を続けている方が、よほど効率的だと女王様は考えているのだろう』


『歪みが発生する……?』と、カグヤの困惑する声が偵察ドローンから聞こえた。『その現象が起きる理由を知ってるの?』

 隊長アリはうなずくと、白藍色の綺麗な複眼を私に向けた。

『レイラたちは集落から来たのだろ?』

「もしかして……あの四角い遺物のことを言っているのか」

 ナミの言葉に反応して隊長アリは触角を動かした。

『かつて混沌の神々の奴隷だった忍び寄る者たちなら、あの遺物から漂う禍々しい気配の意味を理解できるはずだ。あれは、この世界に存在してはいけない代物だ』

「歪みを発生させている原因が遺物だと知っているのに、対処しないのは何故なんだ?」

『地中を這いながら生きている生物に、神の意思が永遠に理解できないのと同じだ。あの遺物に対して我々にできることは何もない』


「混沌の気配を隠す方法なら知っている」と、私はペパーミントとサナエが開発した塗料のことを思い浮かべながら言う。「材料を確保するための時間は必要だけど、あの遺物を封印することができるかもしれない」

『興味深い話だが、その申し出を受け入れることはできない』

「理由を教えてくれるか?」

『混沌の領域からやってくる生物は坑道の至る所に潜んでいる。坑道を知り尽くしている我々にすら知られることなく。けれど私たちにも分かることはある』

「それは?」

『奴らが遺物に執着していることだよ。もしもその大切な遺物の気配が消えたら、奴らはどうなると思う?』

「遺物の気配がなくなれば、それを探すため、地上にも出現するようになる……」

『問題は他にもあるが、その認識で間違っていない』


 沈黙が訪れるタイミングを見計らったように、金属製のトレイを持ったコケアリが足音を響かせながらやってくると、我々の前にグラスを置いていく。精巧な細工が施されたグラスは、コケアリたちが使用しているものにしては異質だと感じたが、これも人間のために特別に用意したものなのだろう。水滴が付着していたグラスには、ブドウ色の液体が入っていた。

『飲み物を用意させた』と、闇を見つめる者は言う。『安心してくれ、人間に害のない果実の絞り汁だ』

 感謝してから液体を一口含む。冷たく甘いだけでなく、酸味も感じられる飲み物だった。ワスダとソフィーは警戒しているのか、飲み物に手をつけていなかった。


 冷たい飲み物を味わったあと、気になっていたことを訊ねる。

「集落の人々に提供されている物資は、どこから手に入れているんだ?」

『地上で大樹の森と呼ばれている場所だ。知っているだろ?』

 隊長アリの言葉にうなずいて、それから訊いた。

「このトンネルは大樹の森までつながっているのか?」

『つながっている。坑道は人類の遺跡を避けて、ずっと深い場所を通っているが、確かに大樹の森につながっているぞ』

「遺跡……? 旧文明期の施設や地下鉄のことか?」

『そうだ』と、闇を見つめる者は大顎をカチカチ鳴らす。『おかげで我々の坑道は、迷路のように入り組んでしまっている』

 コケアリも人間のように皮肉を口にするんだと分かった。


 グラスをテーブルに戻すと、話題を変えることにした。

「混沌の生物が地上に出現しないように状況をコントロールしているのは、コケアリたちが人間と交わした約束が関係しているのか?」

 そこまで言うと、私は思い出したように謝罪の言葉を口にした。

「すまない、コケアリは正しい種族名じゃなかったな」

『気にするな、レイラ』と、闇を見つめる者は頭を横に振る。『かつて地上で生活していた人類が、我々のことをコケアリと呼んでいたことは知っているし、我々も集落で暮らしているモノたちに、自分たちのことをコケアリだと紹介している』

「そうか……」なんだか申し訳ない気持ちになる。


『さて、私はレイラたちを歓迎するぞ。坑道を使用する際には我々に声をかけてくれ』と、隊長アリは席に着いていた者たちの顔を見渡しながら言った。

「ありがとうございます」ミスズが感謝すると、私も素直に感謝の言葉を口にした。

『レイラたちは鉄屑を回収したいのだろ?』

「拠点の規模を広げようと考えているんだ」

『支援が必要になったら、いつでも私に会いに来てくれ』

「助かるよ」

『気にしないでくれ、部下は大勢いるんだ』と、彼女は大顎を鳴らした。今回は翻訳機がなくても、彼女が笑っていることが分かった。


『レイラに贈り物がある。私についてきてくれ』

 隊長アリが背もたれのない椅子から立ち上がると、我々も立ち上がって彼女のあとに続いた。

『気持ちは嬉しいけど、贈り物を用意しなくてもいいんだよ』とカグヤが言う。『自由に行動させてくれるだけでも、私たちは充分に感謝してる』

『そうか?』と、闇を見つめる者は振り向くことなく言う。『我々にとって無用の長物だから、ぜひ受け取ってもらいたかったんだが』

『どんなものなの?』

『お前みたいな機械だ』

『ドローンってこと?』

『たぶんな。だが私からの贈り物は、それが大量に放置されている場所に辿り着くための地図だ』


「あの爺さんが話していた別の区画にある廃棄場のことだな」

 ワスダの言葉に隊長アリはうなずく。

『そうだ。残念ながら生物は死に絶えて、危険な生物が徘徊する場所になっているが、レイラたちがそこに行く際には、私の部下を同行させるから心配する必要はない』

 広間を出ると、混沌の子供たちの死骸が荷車に載せられて運ばれていく様子が見えた。働きアリたちがトンネルの先から集めてきた死体なのだろう。


「あの死骸はどうするんだ?」

 ワスダが訊ねると、隊長アリは触角を動かして反応する。

『深淵の娘もそこにいるみたいだし、どうなるか見せてやろう』

 我々とずっと一緒にいた隊長アリが、どうしてハクの正確な居場所を知っているのか不思議に思った。

『触角が関係しているんじゃないのかな?』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。『あれは感覚器官でしょ?』

「つまり?」

『人間が端末を使って離れた相手と会話するように、コケアリたちは触角に備わる何かしらの能力を使って、連絡を取り合っているんだよ』

「ハクが使う念話みたいなものか?」

『たぶんね』


 砦を出て少し歩くと、地面に掘られた巨大な穴の周囲に働きアリたちが集まっているのが見えた。隊長アリが言ったように、そこにはアルファ小隊と行動していたハクの姿が確認できた。

 ハクは我々の姿を見つけると、勢いよく跳んできて、素早くミスズを捕まえて穴の縁に連れて行ってしまう。ハクの興味を引くものがあるのだろう。だからミスズにも見てもらいたくて、我慢できずに強引に連れていった。ハクの子供のような行動には慣れているのか、ナミは肩をすくめてミスズのあとを追った。


 混沌の子供たちの死骸が、半球状に掘られた穴の底に向かって次々と捨てられている光景が見えたが、ハクの興味を引いたのは、その穴の至る所に生えているキノコなのだろう。十五センチほどの大きな傘を持つキノコは、鮮やかな蛍光色に発光して周囲を照らしていた。もちろんキノコも不思議だったが、私の興味を引いたのは、コケアリたちが穴の底に流し込んでいた液体だった。

 粘度のあるドロリとした液体は混沌の子供たちの死骸をゆっくりと包み込んでいき、やがてタールのような見た目をした油状の液体に変化していく。


「何が起きているんだ?」

 ワスダの率直な質問に、隊長アリは大顎を鳴らして答えた。

『お前たちが旧文明期の鋼材と呼ぶ物質を造っているんだ。人類のように洗練された方法ではないけどな』

『もしかして砦に使われている石材は――』

『そうだ』と、隊長アリはカグヤの言葉を遮りながら言う。『混沌の生物と戦うための砦を、奴ら自身の肉体を使って造っている。非常に合理的な方法だと思わないか?』

『穴の底に流し込んでいる液体は?』

『あれも混沌の生物由来のモノだ。具体的に説明すると、坑道の奥深くに生息する巨大なミミズの体液だ』


 黒色の棒を手にした兵隊アリがやってくると、円筒型の金属製容器を隊長アリに手渡した。容器のなかには厚紙が入っていて、それが坑道の詳細な地図だと分かった。

『これが私からの贈り物だ。受け取ってくれ、古き友よ』

「ありがとう」と、私は両手で容器を受け取った。

『さっそく資源の回収に向かうのか?』

「いや、探索に必要な装備を揃える必要があるし、集落に設置されている昇降機の修理もしないといけないんだ。だから探索はそのあとになる」

『それは残念だ』と、彼女は頭を横に振る。『でも、すぐに戻ってくるのだろ?』

「そのつもりだよ」

『それは良かった。我々の都市にもレイラを招待するつもりだからな』

 彼女の言葉にうなずいたあと、穴の底に視線を移した。すると奇妙な液体が生きているかのように蠢いているのが見えた。

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