第517話 兵隊アリ


 黒蟻に跨がった隊長アリに案内されながら、我々はコケアリの砦に向かうことになった。間近に見ると巨大な黒蟻は迫力があったが、とても大人しい個体で、恐怖を感じるようなことはなかった。しかしそれでも大顎は恐ろしく、近づくことを躊躇わせるには充分な効果を発揮していた。

 砦の周囲には、茶色い体表を持ったコケアリが複数確認できた。彼女たちは大顎をカチカチ鳴らして、小型犬ほどの大きさの黒蟻に指示を出し、ホバー機能のついた荷車に物資が詰まった木箱を運ばせていた。集落で暮らす住民も照明を持ち込んでいて、一緒に作業していたので、恐らくあの物資が人間のためにコケアリが用意してくれているものなのだろう。


『彼女たちは働きアリだね。苔が生えてないし、体表には光沢がない』

 私はカグヤの言葉にうなずくと、先行する隊長アリに視線を向けた。トンネル内の青く発光する鉱石の所為で、彼女の身体は暗紅色の輝きを帯びていたが、確かに隊長アリのつるりとした外骨格は澄んだ綺麗な緋色だった。

 体色が赤みを帯びていて明るくなるほど、コケアリは優れた知能を持ち、強力な身体能力を持つ個体だと言われているので、周囲で作業していたコケアリたちは働きアリで間違いないのだろう。彼女たちの外骨格は岩肌のようにザラザラとしていて、光沢もなかった。


 物資の積み込み作業にはコケアリや人間たち以外にも、旧型の作業用ドロイドが使用されているのが確認できた。四角い無骨な胴体に、蛇腹形状のチューブで長い腕や、短い足の関節が保護された機体だった。自由の利かないマニピュレーターアームの所為で、難しい作業はできないが、単純な労働には能力を発揮する優秀な機械人形だと認識していた。

「ずいぶん古い作業用ドロイドだな。あれは今も現役なのか?」

 ワスダの言葉にマキシタはニヤリと笑みを見せた。

「修理に必要な部品は有り余っているからな。それにな、わしらは生まれつきのエンジニアだ。子供たちは遊ぶついでに、旧文明のジャンク品を解体、修理して機械について学ぶ。旧型の機械人形くらい、簡単に直してみせるさ」


 マキシタが言うように、機械人形は古く装甲には錆が浮いていて、継ぎ接ぎの鉄板には溶接のあとも確認できた。しかし機体の動きはスムーズで、単純な作業には支障がないようだった。

「あの、質問いいですか?」と、ミスズが老人に訊ねる。「旧文明期の機械には、どうやって指示を出しているのですか?」

『たしかに気になるね』とカグヤも言う。『普通に考えれば、権限がない人間は遺物のシステムに接続することすらできない。それなのに、ここで暮らす住人は機械人形に指示を出すだけじゃなくて、旧文明の遺物を使って砂糖まで手に入れている』


「がっかりするような答えで申し訳ないが、権限を譲渡することで、わしらは機械の操作を行っているのだよ」と、マキシタは長い顎髭を撫でながら言う。

「もしかして、前任者の権限を引き継いでいるのですか?」

 驚くミスズに対して老人はうなずく。

「しかし制限はある。例えば浄水装置や資源を再利用するためのリサイクルボックスを操作することはできる。もちろん、データベースのライブラリーに保存された映画を視聴することだってできるぞ。しかし地上の端末とは、どうやっても通信できないし、昇降機を操作することもできない」

「データベースに接続するための、制限付きの権限を所有しているのですね……その権限の譲渡は、どのように行われるのですか?」

「専用の装置がある。管理者として登録できる人数に限りはあるが、おかげでわしらは生きていける」

「登録者の管理はどうしているのですか?」とミスズは続けて質問する。

「登録の際に超小型チップが体内に埋め込まれる」老人はそう言うと、手の甲を見せてくれたが、しわがれた手にチップの痕跡は確認できなかった。「チップが権限を与えられた人間が生きているのか監視しているのだ」

『監視ね……それも大昔にここから去っていった人々が仕組んだことなの?』

 カグヤの言葉に、老人は瞼を閉じながら深くうなずいた。

「そういうことだ」


 トンネル内を飛んでいた昆虫の光を目で追いかけながら、思わずつぶやいた。

「制限付きだけど、データベースに接続できない人間でも、一時的に権限を取得できる装置が存在するのか……」

『なにか気になることがあるの?』と、カグヤの声が聞こえる。

「旧文明の兵器や技術を使っている不死の導き手も、同じような方法で権限を入手しているのかもしれないな」

『そうかな? 教団の事情はもっと複雑だと思うよ、守護者が絡んでいる可能性もあるし……』

「厄介な問題だな」


 コケアリたちが使用する石組みの砦は、中世の要塞というよりは、古代文明の巨石遺跡を思わせる外観だった。高く築かれた壁には、複雑な形の巨石が使われていたが、それらは剃刀の刃すら通さないほど隙間なく組み合わされ、ピッタリと積み上げられているのが確認できた。まるでアンデス山脈の高地に栄えた文明、インカ帝国の遺跡を思わせる砦だった。

 しかし大きく異なっている点もあった。それは砦に使用されている石材だ。黒い大理石にも見える光沢のある石材は、トンネル内で発光している鉱石の光を受けて、周囲の光景を映し出していた。ちなみに砦で使用されていた石が何処から運ばれてきたのかは、見当もつかなかった。


「この砦は旧文明期のモノじゃないんだよな?」と、私はマキシタに確認する。

「いや、わしらの友が築いたものだ。今も別の砦の建設が進められているから、それは間違いない情報だぞ」

 老人はそう言うと、振り返ってトンネルの先を指差した。見える範囲に砦は確認できなかったが、コケアリたちが使用するトンネルの規模は想像もできないほど広大なものだったので、他に砦があっても驚くようなことではないのかもしれない。


 黒蟻に跨がっていた隊長アリが巨大な門に近づくと、金属製の大扉がゆっくり開いていった。その門の先では、赤茶色の外骨格を持つ兵隊アリの一団が整列した状態で待機しているのが確認できた。軍隊のように厳格な規律を持った集団だと言われているので、隊長アリが戻ってくるのを待っていたのかもしれない。

 その隊長アリが巨大な黒蟻から降りると、数体の兵隊アリが小走りでやってきて、黒蟻を何処かに連れていった。


『レイラ、こちらに』

 隊長アリが大顎をカチカチ鳴らすと、彼女が所持している小さな装置から綺麗な女性の声が聞こえた。それはコケアリの言葉を我々が理解できる言語に翻訳したものだったが、機械的な合成音声ではなく、人間が声を発しているときのように自然な音声だった。

『私は、闇を見つめる者。かつてヨコハマと呼ばれた地域の警備を任されている』

 彼女の言葉にうなずくと、私は携帯端末を取り出して、端末の翻訳機能を使って仲間たちの簡単な紹介をすることにした。端末からは、コケアリが大顎を鳴らした際に聞こえる音以外にも、人間の耳では聞き取れない音も発しているようだった。


 ハクのことを紹介すると、闇を見つめる者はうなずいて、それから言った。

『我々は深淵の娘が地下に侵入してきたときから監視を続けていた。だから敵意がないことも分かっている』

「俺たちのことを何処から監視していたんだ?」

 ワスダが訊ねると、彼女は白藍色の複眼を彼に向けた。

『竜の骨が散らばる辺りだ。我々は地上に近づかないようにしているが、深淵の娘の気配を無視するわけにはいかなかったからな』

「地上に来ないのは、面倒事を避けるためか?」

『そうだ』と、闇を見つめる者は触角を動かす。『お前が我々に対して恐怖心を抱いているように、地上で生活する人間擬きは我々のことを恐れる』

「そこまで感情が読めるのに、俺たちを人擬きと同列に扱うのか?」

『何か問題があるのか? 双方とも腹を満たす事と破壊する事にしか興味がないように見える。少なくとも私にはその違いが分からない』

 ワスダは何か反論しようとしたが、諦めて口を閉じた。


 闇を見つめる者は急に砦の壁を見つめて、小刻みに触角を揺らした。すると兵隊アリが彼女の側に集まってきて、大顎をカチカチ鳴らした。しかし兵隊アリは翻訳機を所持していなかったので、彼女たちが何を話していたのかは理解できなかった。

『すまない、レイラ』と、闇を見つめる者は言う。『予定にない訪問者がやってきたみたいだ』

 慌ただしく動き始めた兵隊アリたちを見ながら私は訊ねた。

「訪問者……? それは敵なのか?」

『混沌の子供たちだ。奴らも深淵の娘の気配に反応したのだろう』

「混沌の子供たちがいるのですか?」

 ひどく驚いた様子のミスズにワスダが訊ねる。

「今度はどんな化け物が現れるんだ?」


『今から奴らを殲滅する。興味があるのなら、私についてこい』

 歩き出した隊長アリのあとに続いて、ミスズたちは階段を使って高い壁の頂上に向かう。けれどハクは砦の壁に張り付いて移動することができないのか、トントンと石を叩いて、巨石の表面に映り込む自分自身の姿を不思議そうに眺めていた。

「ハクでも登ることができないのか?」

 私が訊ねると、ハクは不満そうな声で答える。

『かべがね、つるつるしてすべるの』

「コケアリたちが相手にしているのは、恐らく混沌の勢力に属する化け物だからな。奴らが壁を登れないように、しっかりと対策しているんだろう」

『アリなのに、ちょっとかしこい』とハクは小声で言う。

「そうだな」と、私はハクの物言いに思わず苦笑する。


 壁際の階段を使って移動すると、遠くから奇妙な叫び声が聞こえてきた。トンネルに反響する声は徐々に大きくなって、その数も増えているようだった。

 ミスズたちの横に立って、トンネルの先を見つめると、青く発光する鉱石によって無数の白い影が薄闇に浮かび上がる。

 それは子供のように小さな身体を持つ化け物だった。皮膚は乳白色で、血管の位置や筋繊維、そして脂肪までもが透けて見えるほど半透明だった。華奢な身体に不釣り合いなほど大きな頭部には、目のような器官はついていない。そしてそれは、長いあいだ暗闇で生きてきたために退化して失われたのではなく、初めから瞳がなく、過去に存在していた痕跡も残っていなかった。


「奇妙な化け物だな」と、ワスダは髑髏を象ったマスクを装着しながら言う。

 混沌の子供たちの頭部には、不揃いの牙が生えた恐ろしい口があり、それは耳元まで大きく裂けていた。大きな耳の先は尖っていて、物語で見られる妖精族の耳にも似た造形をしていた。それに肌はぬめりを持った粘液で覆われていて、全身に体毛は一切生えていないようだった。ワスダが奇妙に感じているのは、その醜い化け物がボロ布を身につけていて、槍にも似た武器を所持していたからなのだろう。


 混沌の子供たちの数は増えていき、気がつくとトンネルの天井や壁からも現れて、昆虫のように岩壁をカサカサと移動しているのが確認できた。

「あれは厄介な化け物だ」と、ワスダのとなりに立っていたマキシタが言う。「どれだけ殺そうと、いつの間にか数を増やして繰り返し襲ってくる」

「混沌の子供たちについて何か知っているのか?」

 私の問いに老人は頭を横に振った。

「いいや、我らの友を執拗に攻撃している化け物だってことくらいしか知らん」

「集落には現れないのか?」

「幸いなことに奴らはトンネルで撃退されているからな、我々が襲われたことは一度もない」


 開門すると、黒色の鈍い輝きを帯びた金属製の棒を手にした兵隊アリたちが次々と現れて、砦の前に整列する様子が見えた。暗くて分かりにくかったが、トンネルの先には塹壕にも似た溝が掘られていて、そこにも複数のコケアリが待機しているのが確認できた。

「敵は数え切れないほどの数に膨れ上がっている。砦に籠っていなくてもいいのか?」

 ワスダの問いに、闇を見つめる者は人間のように頭部を横に振った。

『あれは簡単な相手だ』

「つまり、簡単じゃない相手がいるってことか……」


「私たちも援護します」

 ミスズはそう言うと、アルファ小隊に指示を出して戦闘準備を進める。

『感謝する』と、闇を見つめる者は言う。『人間の武器はとても役に立つからな』

 私は飛び出して行こうとするハクを落ち着かせると、すでに戦闘の準備を終えていたイレブンの横に立つ。

「まずは遠距離で敵を仕留める。敵に接近されるまでは壁の上から攻撃を続ける」

 イレブンは私の言葉にビープ音で答えてくれたが、ハクは不満そうにしていた。


「本当に大丈夫なのか?」と、ワスダは百を優に超える集団を見ながら言う。

『混沌の子供たちの皮膚は通常弾でも簡単に貫通できるから、それほど心配する必要はないよ』

 カグヤの言葉が信じられないのか、ワスダは頭を横に振った。

「防弾ベストを装着した奴らもいるぞ」

「旧文明の資源が回収できる場所は他にもあるからな……」と、老人がつぶやく。「どこかで拾ってきたものなんだろう」


 化け物の集団がある程度の距離まで接近すると、我々はミスズの合図にあわせて一斉射撃を始めた。脆い肉体を持つ混沌の子供たちを射殺することは簡単だったが、敵は死を恐れることなく果敢に攻めてきていた。そして数の暴力で瞬く間に塹壕の側まで近づいてきていた。

 しかし混沌の子供たちの後方に、黒蟻に跨がったコケアリの一団が現れると、一気に形勢は逆転する。混沌の子供たちは奇声をあげながら逃走を始めたが、黒蟻に跳ね飛ばされ、そして大顎に挟まれたものたちは、生きたまま身体を圧し潰されて死んでいった。


 目をそむけたくなるような悲惨な光景だったが、老人の言葉が正しければ、それはこの地で日常的に行われている出来事だったようだ。人類は自分たちの足元で何が行われているのか知らずに、地上で互いを殺し合いながら、のうのうと生きてきたのだ。地上の人間に対して、コケアリが無関心だった理由のひとつが分かったような気がした。

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