第516話 立方体


 立派な掘っ立て小屋をあとにすると、マキシタの案内でコケアリたちが使用しているトンネルに向かうことになった。かつて資源回収場として利用されていた集落を歩いていると、子供たちが何処からともなく集まってきて、我々のあとについてくるのが確認できた。集落の通りには廃材や鉄屑が無雑作に積み上げられていて、壁のように視界を遮り、まるで迷路のなかを歩いているような錯覚に陥るが、子供たちは慣れているのか、迷うことなく我々のあとについてきていた。


 地下空間の広大な空洞を利用してつくられた集落を歩いていると、人間以外の気配があることに気がついた。付近一帯に散乱する鉄屑の間を、小型犬ほどの体長を持つ黒蟻が自由に移動している姿を何度も見かけたが、それにも拘わらず、住人が昆虫型の変異体である黒蟻のことを気にしている様子はなかった。


「我らの友であるコケアリたちと同様、あの黒蟻も我々の生活を手助けしてくれているのだよ」と、マキシタは顎髭を撫でながら言う。「もちろん、定期的に砂糖水を与えてやる必要はあるが、あれも良き友だ」

 老人が言うように、数匹の黒蟻が荷物の積み込まれた荷車を引く様子を見ることができた。この集落で暮らす人々がハクに対して恐怖心を抱いていないのは、あるいは昆虫型の変異体に慣れている所為なのかもしれない。

「あの黒蟻もコケアリたちが集落に派遣してくれているのか?」

 私が訊ねると老人は頭を捻った。

「それは考えたことがなかったな……黒蟻が我々と共に生活することは、至極自然なことだからな。それに、この集落に居ついている昆虫は黒蟻だけじゃないんだ」

「危険性はないのか?」

「この集落にいる昆虫が危険だと考えたことはないな。黒蟻以外は、我々に関心を持っていないようなんだ」


 軽自動車ほどの体長を持つコガネムシにも似た甲虫が、ジャンクの山を崩しながらのっそりと移動している姿を見ながら、ミスズはマキシタに訊ねる。

「集落の住人がハクの存在に怯えていないのは、昆虫と生活しているからなのでしょうか?」

「あの綺麗な白蜘蛛はハクという名前なのか」と、老人はジャンク品を漁っているハクの後ろ姿を見ながら言う。「たしかに我々は昆虫に慣れているが、それは危険な生物の侵入をコケアリたちが許さないからなんだよ」

「コケアリたちは物資を運んでくるだけじゃなくて、住人を守るための活動も行っているのですね」

「そうだ。しかし我らの友には別の目的があると、わしは密かに考えているのだ」

「別の目的ですか?」

 ミスズが首を傾げると、老人は大きくうなずいた。

「集落とトンネルの境に旧文明の構造物がひっそりと残されているのだが、どうやら我らの友は、その構造物の管理を続けているようなんだ」


『構造物を管理するついでに、人間の集落も守っているってことか……』

 カグヤの声が聞こえると、老人は光学迷彩を使って隠れているドローンの姿を探した。

「わしはそう考えているが、我々が脅威から守ってもらっているのも事実だ」

『その構造物はどこにあるの?』

「もうすぐ見えてくる」

 至る所に放置され、無秩序に積み上げられていたジャンク品の山が見えなくなると、巨石が転がる広大な区画が見えてくる。しかしそこは住人が暮らす集落と異なり、照明パネルが設置されておらず、深い闇が何処までも続いているような区間だった。

『コケアリたちはこの先にいるの?』

「そうだ。暗いから足元に気をつけるんだぞ」

 老人はそう言うと、携帯用の小型照明装置の電源を入れた。

 暗闇についての恐ろしさをしっかりと教えられているのか、我々についてきていた子供たちとはそこで別れることになった。その子供たちと仲良くしていたハクは少し残念そうにしていたけど、イレブンは心なしか安心しているように見えた。やはり子供は苦手なのだろう。


 しばらく暗闇の中を移動していると、徐々に地面の地層が変化していることに気がついた。初めは湿った黒土だったが、奥に進むにつれて砂礫に変わり、しまいには砂漠地帯で見られる細かい砂の層に変化していった。しかし変わらなかったものもある。それは周囲に転がる巨石だ。人の背丈を優に超える巨石がゴロゴロと転がり、砂に半ば埋まっている光景も見ることができた。

 洞窟の天井から落下してきたものなのかもしれなかったが、簡単に調べただけでも六十メートルほどの高さがあると判明した天井がどうなっているのかは、暗くて正確に確認することはできなかった。


 どれほど歩いたのだろうか、振り返ると集落を照らす明かりが暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。

「薄気味悪い場所だな……この暗闇に危険な生物はいないのか?」ワスダが訊ねると、先行していた老人は立ち止まって周囲の巨石に照明を向けた。

「かつては人間を襲う恐ろしい化け物が潜んでいたみたいだが、我らの友が全滅してくれたと聞いている」

「人間を襲う化け物ね……集落を広げないのは、その化け物の出現を恐れているからなのか?」

「言うことを聞かない子供に、恐ろしい化け物の話をして、親の言うことを聞かせることくらいはするかもしれないが、今も化け物が現れると信じている者たちはいない」と老人は頭を振る。「我々が集落の規模を維持しているのは、友から得られる物資に制限があるからだ」

「人間が増え過ぎないように、産まれてくる子供の数を管理しているのか」

「言わなくても分かっていると思うが、我々は地上から隔絶された場所で生きている。少しでもバランスが狂えば、住人同士の争いにつながるかもしれない。そしてそうなってしまったら、我々に残されるのは滅びの道だけだ」


 老人が再び歩き出すと、今度はカグヤがマキシタに質問した。

『集落では子供を多く見かけたけど、他の人間はどうしてるの?』

「この時間帯は集落の広場にある資源回収場で働いている。そこでは我々にとって大切な砂糖もつくられているからな」

『どれくらいの数の人間がここで暮らしてるの?』

「二百人ほどだな。これ以上増えてしまわないように、若者たちに協力してもらっているんだ」

『それにしては、なんだか子供の数が多いように見えたけど?』

「年々、厳しい冬になってきているからな……数年前にいくつかの暖房設備がダメになってからは、冬を越せない者たちが出るようになったんだ」

『深刻そうだね』

「実はそうでもないんだ。修理に必要な部品は有り余っているからな。問題があるとすれば、適切な部品をジャンクの山から見つけられるのかってことだ」

「年齢の割には、あんたは健康そうに見えるな」

 ワスダの言葉に老人はニヤリと笑みを見せる。

「鍛え方が違うのだよ。わしは家にばかり籠っていないで、今も現場に出て働いているからな」


 マキシタのあとに続いて、つるつるとした手触りがする壁伝いに歩いていると、ふと風が吹いてきて、周囲に甘い香りが立ち込めるのが分かった。以前も何処かで嗅いだことのある匂いだった。

『コケアリたちが発している匂いじゃない?』と、私の思考を拾い上げたカグヤが言う。『ほら、バニラの甘い香りがするって言ってたでしょ』

「なら、この辺りはもうコケアリの縄張りってことか」

 微かに空気の流れが変わったのを感じて、薄闇の先に視線を向ける。どうやら別の区画に続く横穴を通る必要があるみたいだ。

「我らの友のトンネルは、その横穴の先にある」マキシタはそう言うと、躊躇することなく真っ暗な横穴に入っていった。


 二十メートルほどの距離を歩くと、藍鉄色に染められたキューブ状の構造物が、半ば砂に埋まった状態で放置されているのが見えた。砂に埋もれていたので正確な大きさは分からなかったが、その物体は四メートルほどの高さがあり、そしてどう考えても人工物だった。

『マキシタが話していた構造物って、これのこと?』

 カグヤの操作するドローンが現れて、立方体に青白い照明をあてると、老人は目を細めてうなずいた。

「そうだ。我らの友はその構造物のことを気にかけている」

『砂に埋まってるし、私には放置されているようにしか見えないけど……』

「構造物に近づけば、その理由が分かるぞ」

 老人の言葉のあと、ドローンは立方体に向かって飛んでいく。


『別に何も変化がないけど?』と、カグヤが疑問を口にする。

「機械じゃ分からないだろうな。ほれ、レイラ。今度はお前さんが行くんだ」

 老人に言われるままに立方体に近づく。すると心臓の鼓動にも聞こえる奇妙な音が聞こえてきた。そしてそれは構造物に近づくほど大きな音に変わっていった。

「まるで巨人の心臓が入っているみたいだな……」と、構造物を眺めながらつぶやいた。「カグヤ、こいつの正体が分かるか?」

『スキャンしてみるよ』

 ドローンから立方体に向かってレーザーが照射されるが、構造物の表面に変化が起きるようなことはなかった。藍鉄色のつるりとした構造物に触れようとして腕を伸ばしたが、不用意に触るべきではないとミスズに注意されて、感触を確かめるのは諦めた。


『残念だけど、未知の素材で造られているってことくらいしか分からなかったよ』

 カグヤの言葉にワスダは険しい表情を見せた。

「旧文明の鋼材でもないのか?」

『違うよ。正直に言えば、地球上に存在する物質なのかも分からないんだ』

「そんなものが本当に存在するのか?」

『するよ。現にここに不思議な物体があるでしょ?』

「いや、それはおかしいだろ」

『あぁ、そうか』と、カグヤは納得しながら言う。『私たちは混沌の領域からやってきた奇妙なモノを多く見てきたから、普通に受け入れているけど、こんな不思議な遺物に遭遇することは滅多にないから、ワスダが困惑するのも分かるよ』

 ワスダはカグヤの説明に納得していないのか、義眼を使って構造物を調べているようだった。しかし結局、その物体についての情報は得られなかったみたいだ。


「この先に我らの友が待っているぞ」マキシタはそう言うと、さっさと薄暗い通路の先に歩いて行った。

 構造物の側を離れると、それまで絶えず聞こえていた鼓動に似た音が、徐々に小さくなり、そして聞こえなくなっていった。コケアリたちはこの音を嫌って、物体に近づかないのかもしれない。ハクも構造物から異様な気配を感じているのか、物体に近づこうとしなかった。好奇心旺盛なハクがそうするのだから、事情を知っているかもしれないコケアリが、物体の側にいないこともなんとなく納得できた。


「甘ったるい匂いで酔いそうだ」と、ナミが顔をしかめたが、彼女の気持ちは理解できた。

 洞窟内に充満している甘い香りが強くなっていることに気がついていたが、それよりも気になることがあった。それは通路の先にぼんやりと見えていた青い光だ。あの光は何処から来るのだろうか。青い光に魅了されて、私は前に足を進めた。


 横穴を抜けると、天井まで四十メートルほどの高さがあり、横幅も三十メートルほどある巨大なトンネルに出た。たしかに驚くような規模のトンネルだったが、我々を驚愕させたのは、トンネルの岩壁に存在する無数の亀裂だった。それらの亀裂には、みずから青く発光する鉱石が埋まっていて、コケアリが掘ったとされる巨大なトンネルを青い光で照らし出していたのだ。

「綺麗ですね」ミスズが鉱石をうっとりしながら見つめていると、老人はトンネルの奥を指差した。

「我らが友の砦も素晴らしいぞ」

 視線の先を拡大してみると、黒い大理石にも似た石材を使って築かれた堅牢な砦が見えた。それがまるで関所のように、こちら側と向こう側の空間を隔てているのが確認できた。


 砦の規模に驚いていると、我々の存在に反応した無数の昆虫が上方に現れて、白い光で周囲をぼんやりと照らしていった。

『ホタルみたいに、発光器官をもった昆虫だよ』と、カグヤの声が聞こえる。『私たちが急に現れたから驚いているみたいだけど、襲ってくる様子はないよ』

 どこか幻想的で、非現実的な光景を眺めながら砦に近づく。その間、ハクは飛んでいた昆虫を捕まえて、得意げに見せてくれたが、それはホタルと言うよりは、十センチほどのテントウムシに似た昆虫だった。それがハクから逃れようとして、鞘翅を広げて飛んでいこうとすると、腹部の先についた発光器官から強い光が発せられるのが見えた。


 昆虫を逃がして砦に向かって歩いていると、巨大な黒蟻に跨がったコケアリが接近してくるのが見えた。深淵の娘であるハクの存在に警戒しているのかと思って身構えたが、どうやら私の杞憂だったようだ。

 そのコケアリは赤い体表を持ち、彼女たちの特徴でもある苔も僅かだったが、身体のあちこちに生えているのが確認できた。

『隊長アリだよ』と、カグヤが言う。『マキシタと何か話をしているみたい』

 コケアリの首からは小さな装置がぶらさがっていて、コケアリが大顎の牙を鳴らすたびに、我々が理解できる言語に言葉を翻訳してくれていた。

「我らの友は、レイラたちを歓迎するそうだ」

 老人が笑顔を見せると、黒蟻に跨がっていたコケアリは私に向かってコクリとうなずいてくれた。

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