第511話 『ねぇ、』


 前哨基地で弾薬の補充を行い、ハクと合流したあと、我々は恐ろしい変異体が潜む建物の探索を再開した。ちなみに階下から戻ってきたハクは、真っ白な体毛を昆虫の体液やら毒液で汚していて、ひどい姿をしていたが我々も似たような恰好だった。ともあれ、大型昆虫や大蜘蛛の相手を続けながら役所に向かうことにした。

「ハク、もう少し休憩していくか?」

 私の問いに、ハクは可愛らしい声で答える。

『きゅうけいしない。ハク、もっとたんけんする』

「わかった。でも無茶はしないでくれよ」

『うん』ハクはカサカサと腹部を揺らすと、ミスズたちの側で待機しているイレブンをからかいに行く。けれどその途中でミスズに捕まって、汚れたタクティカルゴーグルを綺麗にしてもらっていた。


 すぐに逃げ出すトゥエルブと違い、毅然とした態度でハクを無視していたイレブンを見ながら私はカグヤに訊ねた。

「階下に俺たちの脅威になるような生物はいたか?」

 カグヤはドローンのカメラアイを発光させながら答える。

『私たちが探索した場所にはいなかったと思う。でもフロア全体の探索はしてないから、閉鎖された扉の先に危険な生物が潜んでる可能性はある』

「閉鎖された扉か……昆虫型ドローンを使っても中の様子は確認できなかったのか?」

『厳重に閉鎖されていたからね。侵入できそうな隙間もなかったし。ハクに扉を破壊してもらってから、室内を探索しても良かったんだけど、大量の昆虫がいたら大変なことになるでしょ? だから止めておいた』

「そうだな。まずは目的の端末を見つけ出すことに集中しよう」


 横穴に吹き込む強風の騒がしい音とは対照的に、暗闇が支配する廊下は静まり返っていた。そこではあらゆる音が、微かな息遣いや足音までもが、壁や床に反響して増幅されることなく、くぐもったように聞こえた。理由は分からなかったか、まるで底のない井戸に石を落としたときのように、音は反響することなく、どこまでも石が落ちていく。そして我々が不安になる頃になって、ようやく小さな残響が聞こえてくる。


 そんな不気味な暗闇の中を我々は時間をかけながら慎重に移動して、役所がある階層まで向かう。その道中、蜘蛛に代わる昆虫型の奇妙な変異体を見るようになった。それはぶよぶよとした半透明の体表を持つイモムシのような生物で、照明の青白い光を浴びると、透けた体表の内側で律動するグロテスクな内臓が見えた。高層建築物内の深い暗闇で変異を繰り返してきた生物なのか、眼に相当する器官は存在しなかったが、触角のように動く針金に似た細長い体毛が頭部から背中にかけてビッシリと生えているのが確認できた。


 不思議だったのは、人間の子供ほどの体長を持つ生物が、敵意を感じ取れる瞳の能力を使っても見つけられなかったことだ。粘度のある体液を垂れ流しながら、音もなく廊下を這って接近してくるまで、その存在にまったく気がつかなかった。そしてそれは我々を攻撃していた蜘蛛にも同様の効果を発揮しているのか、イモムシに似た奇妙な生物が接近しても蜘蛛は反応することができず、気がついたときには、すでにイモムシに捕らえられて捕食されているようだった。さすがに人間ほどの体高がある蜘蛛は襲われていなかったが、この階層に蜘蛛がやってこない理由が分かったような気がした。


 そのイモムシに似た生物は廊下の隅や、倒れたテーブルやイスの陰にうずくまるようにして隠れていて、我々が接近すると暗闇からもぞもぞと這い出てくる。そして気が向くと、強酸性の体液を吐き出して攻撃してくる。けれど照明を使って敵の接近に気がついている我々にとって、脅威になる攻撃ではなかった。また、その醜悪な外見からは想像もできないほど体表が硬く、ライフル弾を数十発撃ち込まないと殺すことはできなかった。その所為で、我々は思うように進めなくなり、予定していたよりも多くの時間を費やすことになった。


 前哨基地を出てから二時間後、なんとか目的の階層に辿り着いたが、部隊は疲労していて集中力も途切れているようだった。

「やけに広いな」と、ワスダは広大な空間をショルダーライトで照らしながら言う。

 青白い光に浮かび上がるデスクの周囲には、端末やら用途不明のゴミが散乱していて、厚いホコリの層ができているのが見えた。視線を動かすと、通路のずっと先に閉鎖された扉があるのが確認できた。瞳の能力を使って敵対的な生物が潜んでいるか確認するが、反応を捉えることはできなかった。我々の存在に気がついていないだけなのかもしれないので、注意は怠らないようにする。


『目的の端末に関する情報を送信するから、ここからは手分けして探そう』とカグヤは言う。『それらしい端末を見つけたら私に知らせてね。すぐに調べるから』

「その端末とやらは、本当にこの場所にあるのか?」と、ワスダは時間が止まったかのような奇妙な空間を見渡しながら言う。

『間違いないよ。要人が働いていたことは職員名簿ですでに確認してあるから』

「その名簿はどこで入手したんだ?」

『ハクと偵察していたときに、このフロアで見つけた端末にアクセスしたんだよ』

「そいつはまだ動いていたのか?」

『デスクに備え付けられた端末は、建物の何処かにあるリアクターからエネルギーが供給されているから、破壊されてなければ問題なく動くよ』

「リアクター?」

『旧文明期に製造された安全な小型核融合炉だよ』

「そいつがあるのに、どうして建物は真っ暗なんだ?」

『どうしてだろう? それは分からないよ』

 ワスダは溜息をつくと、部下に指示を出して目的の端末を探させた。


 ハクが床に散乱するゴミを器用に避けて通路の先に進んでいくと、ミスズたちも白蜘蛛のあとに続いて目的の端末を捜索する。

 ひとり残された私は、ずっと気になっていた場所に向かうことにする。そこは閉鎖された部屋と同様に、周囲のものを使って即席のバリケードで近づけないようになっていた。

 私が近づくと、故障しかけたホログラム投影機から『委員会室』の文字が浮かび上がる。その部屋だけはバリケードが退かされていて扉が半開きになっていた。

「なにか見つけたのか?」

 ワスダに向かってうなずくと、ライフルを構えながら部屋に近づき、半開きになっていた扉を銃身で押しあけた。すると、照明の光に人間の遺体が浮かび上がる。乱雑に積み上げられた無数の遺体は、そのどれもが衣類を身につけておらず、血の気のない皮膚をさらしていた。


「あれは、人擬きなのか……?」

「いや」と、ワスダは私のつぶやきに答える。「人擬きじゃないな。もっと別の悍ましい生き物だ」

 人間の遺体だと思っていたモノが微かに動くと、皮膚の間からムカデの脚にも似た黒光りする奇妙な外骨格が現れるのが見えた。

「人擬きの皮膚を被った昆虫……いや、人間の皮膚に似せた何かで擬装している生物か……」ワスダはさっと部屋の中を見渡して、天井や壁の隅で蠢いていた生物の姿を確認する。「奴らが出て来られないように、この扉は開かないように処置したほうがいい」

 私はうなずくと、音を立てないようにして扉をゆっくり閉めて、それから扉両脇の壁に食い込むようにワイヤネットを撃ち込んで扉が開かないようにする。部屋の何処かに他の出入口があるかもしれないが、とりあえず端末を探している間、謎の生物の群れに襲われる心配をする必要はなくなった。


「人擬きに擬態して、不用心に近づいてきた生物を捕食しているんだろう」と、ワスダが言う。「さっきから人擬きを見かけない理由が分かったよ」

「人擬きを餌にするような生物を捕食する生き物か、考えただけでも恐ろしいな」と私は身震いする。

「そうだな」ワスダは苦笑すると、地面に転がっていた端末を拾い上げる。「ここで働いていた人間は、全員人擬きに変異したのか?」

『どうだろう?』と、カグヤの操作するドローンがどこからともなく現れて、ワスダが手にしていた端末をスキャンする。『逃げ延びた人間はいたのかもしれない。でもほとんどは人擬きになって、今もこの建物内で徘徊しているかもしれない』

「あんな化け物が大量にいるのに、それでも生き残っていると思うのか?」

『人擬きの特性を考えれば、ひっそりと生き延びている個体がいても不思議じゃない。下層区画に行けば、脅威になるような生物は少なくなるのかもしれないし』

「逆に危険な生物がいるのかもしれない」

『そうだね。探索できる範囲に役所があって助かったよ』


 カグヤの偵察ドローンが何処かに飛んでいくと、ラプトルを操作するイレブンがやってくる。

「そいつを何処で見つけたんだ?」

 ワスダの言葉に答えるように、イレブンは音量を抑えたビープ音を鳴らした。そのイレブンの手には、先程の部屋で見たのと同じ生物の死骸が握られていた。イレブンは、生物の黒光りする脚を持ち上げて、我々に自慢するように生物の死骸を見せた。一メートルを優に超える生物の背中を覆うように、人間の皮膚にも似た奇妙な皮が張り付いている。その皮膚には細かい体毛が生えていて、人間のそれとほとんど変わらない見た目をしていた。


「そいつと同じような生物を他にも見かけたか?」

 私が訊ねると、イレブンは胴体から僅かに浮かんでいたドローンを横に振って否定した。

『でも警戒したほうがいいよ』と、カグヤが言う。『昆虫型ドローンのセンサーが奇妙な動きを検知するようになったから、あちこちに潜んでる可能性は充分にある』

「そういうことだ」と私はイレブンに言う。「襲われないように注意してくれよ」

 イレブンは短いビープ音を鳴らすと、死骸を捨てて端末を探しに向かった。



 目的の端末を探していると、フロア全体の照明が次々に点灯していくのが見えた。そのあまりの眩しさに思わず瞼を閉じた。

「ねぇ」と、誰かに袖を引っ張られる。

 瞼をゆっくり開くと、静謐な空間で働く人々の姿が見えた。ホコリを被ったデスクは綺麗に磨かれていて、湿っていて嫌なぬめりがあった床には、汚れひとつない絨毯が敷かれていた。

「ねぇ、どうして――は、一緒に来てくれなかったの?」視線を動かすと、綺麗な黒髪に琥珀色の瞳をもつ幼い女の子が、私のすぐ側に立っているのが見えた。彼女は下唇を噛んで私のことを睨んでいた。

 曖昧模糊とした意識がハッキリしてくると、私は少女に返事をした。

「軍の偉い人に呼び出されたんだ。だから仕方なかったんだ」

「偉い人……それってウルのこと?」

「そうだよ」

「ふぅん」と、彼女は私の手をそっと握る。「またすぐに会えるかな?」

「会えるよ。だからもう少しだけ我慢してくれるか」

「我慢する」少女は手に持っていた可愛らしいクモのぬいぐるみを抱くと、小さな声で言った。「でもここは嫌いだな」

「俺も嫌いだよ」

 少女は顔をあげると、私を見ながらクスクス笑う

「人に待たされるのが嫌いなんだもんね」

「そうだな」と、私も笑顔になる。


「ねぇ、見て。飛行機がいっぱい飛んでる」

 走り出した少女のあとを追うように、陽光が差し込む壁に近づく。外の景色が透けて見える壁の向こうでは、高層建築群の間で瞬く無数のホログラムと、編隊を組んで飛行する戦闘機が見えた。

「あれは戦闘機だ」と、私は嫌な胸騒ぎを覚えながら言う。

「せんとうき?」

「ああ。戦争の道具だよ」

「……また空から――がやって来たのかな?」と、少女は不安そうな表情を見せた。

「わからない」

「ねぇ」と、少女は私の手をぎゅっと握る。「ここは大丈夫……だよね」

 私はしゃがんで少女と目線を合わせる。

「大丈夫って、なにが?」

「ニュースで見たの……建物が燃えていて、それで――」

「心配しなくても平気だよ。彼らは人間と敵対していない。それに、役所を攻撃する必要なんてないからな」

「でも……」

 そのときだった。避難を知らせる騒がしい警告音が聞こえてくる。

「おい!」と、何処か遠くから男の声が聞こえる。「兄弟!」



「しっかりしろ!」

 肩を引っ張られて振り向くと、薄暗い空間にワスダが立っているのが見えた。

「大丈夫か?」

「ああ」と私はうなずいた。「……問題ない」

 視線を戻すと、目の前に凹凸のない壁があった。どうやら部屋の隅まで歩いてきていたようだった。私は冷たい壁に触れて、それからワスダに視線を戻した。

「奇妙なものを見つけた」と彼は言う。「確認してくれないか」

「すぐに行くよ」私は立ち上がると、手の平に残る小さな感触を思い出すように手を握りしめた。しかし少女について思い出せることは何もなかった。


 この異質な空間が有りもしない記憶を見せていたのかもしれないし、いつものように奇妙な白日夢を見ていただけなのかもしれない。いずれにせよ、それが理解を越えた現象だったのは間違いない。

 私は息をつくと、気を取り直してワスダが立っていた場所に向かう。テーブルやイスが強引に退けられていた場所には、妙な空白ができていて、その中央に醜い姿をした人擬きが横たわっているのが確認できた。


『人擬きの死骸だ……』

 カグヤの困惑する声が聞こえると、偵察ドローンが現れて人擬きの死骸にレーザーを照射してスキャンする。

「ミイラ化した人擬きか……たしかに異常な光景だな」

「それに完全な状態で保存されているようだ」と、ワスダは人擬きの背中から生えた三本の腕を見ながら言う。

 その死骸がいつからそこに横たわっていたのか、我々には想像することもできなかったが、頭髪や肉が綺麗な状態で残されていた。


『一時的に無力化されたんじゃなくて、完全に死んでいるみたい』とカグヤが言う。

「つまり」と、ワスダが死骸の側にしゃがみ込みながら言う。「この建物には人擬きを捕食するだけじゃなくて、完全に殺せる生き物が潜んでいるってことか?」

『そう言うことになるね……』

「厄介なことになる前に、さっさとここから離れたほうがいいみたいだな」

『そうだね』

 我々は不気味な死骸の側を離れると、端末の捜索に戻った。

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