第510話 メディカル・ドローン


 閑散としていて生物の気配が感じられない廃墟の街でさえ、注意深く観察すれば、大樹の森にも引けをとらない豊かな生態系が見えてくる。だから過酷で人間を寄せつけない環境も、実際はさまざまな動物相を宿している。今はそれが隠れていて、見つけられないだけなのだと思っていた。しかしどうやら私の思い違いだったみたいだ。この場所で確認できるのは、悪意をもった恐ろしい変異体の群れで、我々が知る野生動物は存在しないのかもしれない。


 敵意を感じ取ることのできる瞳を制御して、視界を埋め尽くしていた赤紫色の靄を払うと、植物が生い茂る薄暗い空間に視線を向けた。獲物になる生物の数が増えたことに気がついているのだろう。薄闇に潜んでいた無数の変異体が微かに身動きしているのが分かった。それはセントリーガンのセンサーでも検知できているのか、対象に向かって銃身が僅かに動いているのが確認できた。そのセントリーガンから伸びる弾帯が、床に並べられた弾薬箱に繋がっているのが見えた。恐らく弾薬には、人擬きを完全に無力化できる効果が付与されているのだろう。


 天井が崩壊した所為で吹き抜けになっていた空間からは、植物が繁茂した上階部分が見えていた。我々が目的にしている場所は階下にあるので、上階に用事はなかったのだが、以前の探索の際、植物に覆われたヴィードルの存在を確認していたので、なんとか回収できないかと考えていた。

 単独で高層区画までやって来られるヴィードルは、恐らく軍用規格の特別な車両だ。この場所に捨て置くには、あまりにも勿体ない。けれど今回の任務は、あくまでも警備システムの権限を入手することだ。ヴィードルの回収は無事に任務を達成したあとになるだろう。


 視線を動かしてワスダが連れてきた戦闘員の様子を確認する。十人にも満たないワスダの部下は、それぞれが人よりも秀でた特別な能力を持っているスペシャリストの集まりだったが、この場にいるのは、その中でも戦闘に秀でた能力をもった者たちだけだった。彼らとは何度か話をしたことがあったが、深い交流はなかった。

 思っていたよりもずっと少ない人数で探索することになるが、狭い室内での行動を考慮すれば、ちょうどいい人数なのかもしれない。


 カグヤが操作する偵察ドローンから受信していた簡易地図を見ながら、移動経路についての説明を聞いていると、薄闇の向こうから見慣れないドローンが飛んでくるのが見えた。そのドローンは、大樹の森の洞窟で発見していた六機の攻撃型ドローンの内の一機で、トゥエルブと同型の機体だったと思う。この作戦に特殊なドローンが参加することは知っていたが、どの機体が来るのかまでは聞いていなかった。

 球体型の機体は白磁色に塗装されていたみたいだが、あちこち塗装が剥がれていて、まるで血飛沫を浴びたみたいに、赤黒い染みがこびり付いていた。機体の側面には漢字で『士魂』と、白い塗料で大きく書かれていた。


 そのドローンは機体の周囲に重力場を生成しながら、私の周囲をぐるりと軽快に飛行してみせると、機体の中心にある単眼のカメラアイを発光させながらビープ音を鳴らした。

『イレブンだよ』と、カグヤの声が聞こえる。『ワスダの部隊を支援するために、この作戦に参加させたんだ』

「トゥエルブと同じ攻撃型ドローンだよな?」と、どこか血なまぐさい雰囲気を持つドローンを見ながら私はカグヤに訊ねた。

『そうだよ。装備はメディカル・ドローンのそれだけど、性格は超攻撃型だよ』

「さすがトゥエルブの同型機だな……それより、メディカル・ドローンってなんだ?」

『ここでは衛生兵みたいなものだと思ってくれてもいい。負傷者を治療するための装備――たとえば、オートドクターやバイオジェルを装備していて、前線で負傷した戦闘員を支援してくれるんだ。五十二区の鳥籠との大規模な戦闘を教訓に、ペパーミントとサナエがイレブンのために専用の機体を用意してくれたんだ』

「教訓か……たしかに負傷者の数はとんでもないことになっていたな」と、あの日のことを思い出しながら私は顔をしかめる。


 イレブンが操作する機体は、二式局地戦闘用機械人形ラプトルを改修した機体で、小型核融合ジェネレーターや、各種センサーが搭載された小型の胴体は、光沢のない黒い塗装が施されていた。しかし多関節のマニピュレーターアームや二足歩行を可能にする鳥脚型の長い脚は、白磁色のラテックスに包まれていた。またラプトルの特徴ともいえる長い脚は、鳥籠の地下に存在する機械人形の製造工場で入手していた『人工筋肉』が特別に使われていて、通常のラプトルよりも機動性が向上していた。


 イレブンはそのラプトルに向かって飛んでいくと、胴体上部の窪みに嵌るようにして合体して、ラプトルとシステムを同期させた。すると機体の周囲に磁界が発生して、イレブンの本体がラプトルの胴体部分から僅かに浮き上がり空中で固定される。

 それからイレブンは機体を制御できているのか確かめるように、脚や胴体に装着した救急ポーチや予備弾倉の確認を手早く行い、スチールボックスに立てかけられていた歩兵用ライフルを手に取る。


「イレブンの準備もできたみたいだな」と、ワスダがニット帽の位置を直しながらやってくる。彼はタバコに火をつけると、イレブンの機体に異常がないか触診する。

「ミスズたちはどうだ?」私が訊ねると、ミスズとナミ、それにリンダはうなずいた。

「それなら、さっさと探索を始めるぞ」ワスダはそう言うと、今回の任務から支給されることになった歩兵用ライフルのシステムをチェックする。

 鳥籠との紛争を経験して、とりあえず裏切る心配がないことが確認できたので、戦力を強化するためにも特別に武器を支給していたのだ。もちろん生体認証で登録されているので、我々を攻撃することはできないし、兵器が分解、解析されないように対策が施されていた。


 ライフルを肩に提げたワスダが歩き出すと、我々は彼のあとに続いて歩き出した。

「ところで、ハクは何処にいるんだ?」地図を確認しながら訊ねる。

『私が操作する偵察ドローンと一緒だよ』と、カグヤが答える。

「ハクの様子は?」

『問題ないよ。襲ってくる蜘蛛型の変異体はハクの相手にならないしね』

「黄金色の甲虫の群れを覚えているか? あれは大蜘蛛よりも厄介な存在だ」

『わかってる。ハクが油断しないように、常に警戒させてるから安心して』


 芥子色の雑草が生い茂る区画に近づくと、先頭を歩いていたワスダが立ち止まる。

「セントリーガンのテストがまだだった。試射するから手伝ってくれ」

 前哨基地には予備弾薬などの補給物資を残していくことになるので、セントリーガンのテストは必要だろう。私はワスダの言葉にうなずくと、彼のあとについて歩いた。

「あの扉が見えるか」と、ワスダは視線の先にある両開きのスリットドアを指差した。「あの中に二匹の大蜘蛛を閉じ込めてある」

「ハクの糸で扉が開かないように固定したのか……あの扉を開けばいいんだな」

「ああ」と、ワスダはうなずく。「セントリーガンのセンサーは起動してあるから、扉を開いたら射線に入らないようにすぐに移動してくれ」

「わかった」


 ミスズたちがセントリーガンの後方に移動したのを確認すると、私は義手からワイヤロープを射出して、スリットドアのガラスを割るようにして爪を突き刺した。そしてそのままハクの糸を爪の先から取り込むと、あとは力任せにロープを引っ張ってドアを破壊する。騒がしい音を立ててスリットドアが後方に吹き飛んでいくと、平均的な大人と同等の体高を持つ大蜘蛛が飛びだしてきて、こちらに真直ぐ向かってくるのが確認できた。


 セアカゴケグモにも似た大蜘蛛は、黒翡翠のような目を我々に向けながら迫ってきていたが、それは大きくて真っ赤な腹部に比べて異様に小さかった、しかしそれが却って大蜘蛛をより不気味な存在にしていた。旧文明期の装備で身を固めていなければ、恐怖で身体が動かなかっただろう。

 金属的な響きをもった短い電子音が聞こえたかと思うと、セントリーガンから空気をつんざく特徴的な発射音が聞こえて、数十発の銃弾が撃ち込まれる。大蜘蛛の脚は砕け身体はバラバラに吹き飛び、グロテスクな体液が飛び散る。それは数秒の射撃だったが、大蜘蛛を破壊するには充分な時間だった


 射撃の残響が建物内に広がっていくのを感じながら、銃身から白煙が立ち昇るセントリーガンを確認する。すると銃座にも似た脚の間に置かれていた空箱に、大量の空薬莢が排出されていたのが見えた。それらの空薬莢は探索のあとに回収されて、拠点のリサイクルボックスに放り込まれて再利用されるのだろう。空薬莢まで回収する行動は神経質に思えるかもしれないが、有用な資源を無駄にするわけにはいかなかった。戦場では空薬莢など気にしている余裕はないが、今回のように比較的安全な場所で兵器が運用される場合、回収しても問題ないと考えていた。


「異常ないみたいだな」ワスダは満足そうにうなずくと、非常階段がある通路に向かって歩き出した。「それじゃ探索を再開するぞ」

「大蜘蛛の死骸は処分しなくてもいいのか?」と、私は訊ねる。

「先は長いからな、ベースキャンプに戻ってきたときにまとめて処分するつもりだ」

 さっと周囲に視線を向けると、すでに焼却処分にされたであろう変異体の死骸があちこちに転がっているのが確認できた。我々が来るまでの間にも、何度か大蜘蛛と戦闘になっていたのだろう。


 自分たちの背よりも高い雑草の間を通って薄暗い廊下に出る。先行するのはワスダが指揮する部隊だ。彼らは着脱式のショルダーライトを使って廊下の先を照らしながら、ゆっくり前進していく。廊下は索敵が済んでいて、変異体が潜んでいないことが分かっていたが、握り拳ほどの大きさの危険な甲虫が潜んでいる可能性があるので、油断せずに慎重に進む。

 非常階段に接近すると、大蜘蛛の死骸が多く目につくようになった。ハクとワスダたちが事前に処理していた個体なのだろう。それらの死骸から漂ってくる吐き気を催す臭いを嫌い、私はハガネを操作してフルフェイスマスクを装着した。


 目的の非常階段に到着すると、イレブンがワスダの部下を押し退けるようにして前に出る。その瞬間、敵意を示す赤紫色の靄を纏う大蜘蛛が暗闇から飛び出してくるのが見えた。イレブンは体長一メートルほどの蜘蛛の脚を掴むと、跳んできた蜘蛛の勢いを利用して壁に思いっきり叩きつける。そしてイレブンは転がっていった蜘蛛のあとを追い、脚を天井に向けるようにしてひっくり返っていた蜘蛛を踏みつけて銃弾を撃ち込む。

 壁や天井に銃声が響き渡ると、硬いものを擦るような嫌な音と共に、無数の蜘蛛が非常階段に姿を見せる。それらの蜘蛛は先程の個体同様、一メートルほどの体長しかなかったが、群れがひしめき合っている様子はひどくグロテスクな光景だった。


 イレブンがフルオート射撃で蜘蛛を射殺していくと、ワスダの部下たちも前に出て蜘蛛の群れを火炎放射で焼き払っていく。凄まじい熱によって蜘蛛の腹部が膨れ上がると、次々と破裂して周囲に体液を撒き散らしていく。イレブンはその光景を楽しむように非常階段に近づくと、群れの中心に小型擲弾を撃ち込んでいく。小気味いい音を立てて飛んでいった擲弾が立て続けに炸裂すると、廊下には蜘蛛がのた打ち回りながら燃える音だけが残った。

「どんなに殺してもすぐに別の群れが何処からか湧いてくる」と、髑髏のマスクを装着したワスダが忌々しそうに言う。「だが無視する訳にもいかない。兄弟も奴らに背後を取られないように充分に注意してくれ」

 ワスダの言葉にうなずくと我々は探索を再開する。


 未だ激しく燃え続けていた蜘蛛の死骸に注意しながら階段を移動する。通路の先では、炎がつくりだした影が踊っている様子が見えた。恐らく火炎放射を受けて逃げ出した蜘蛛が力尽きて、通路のどこかで燃えているのだろう。

「多数の反応を確認しました」と、手元のタブレット型端末を確認していたソフィーが言う。「注意してください、大型昆虫の群れです」

 視線の先に拡張現実で表示されていた簡易地図をちらりと見て、向かってくる変異体の群れを確認すると、私はライフルの銃口を廊下の先に向けた。

「ミスズ、背後からも敵が来るよ」と、ナミは非常階段にライフルの銃口を向ける。「リンダも攻撃の準備を」


 それから我々は変異体の襲撃を何度も受けながら、目的の階層に向けて前進を続けた。通路を支配する薄闇のなかでは、生い茂っていた植物は見なくなり、人間がそこにいた痕跡さえ確認できないようになっていった。堆積した埃や塵、そして得体の知れない生物の死骸や蜘蛛の巣が、かつて人間が生活していた空間を異質な場所に変化させていた。

『レイ、目的の階層についたよ』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。

「役所までの道は塞がれていなかったか?」

『うん。昆虫型の変異体や蜘蛛に何度か遭遇したけど、移動経路に関しては問題ない』

「なら合流しよう。ハクと一緒に戻ってきてくれるか」

『了解、すぐに移動する』

「俺たちもベースキャンプまで戻るぞ」と、壁に張り付いていた小型の蜘蛛にナイフを突き刺したワスダが言う。「数え切れないほどの蜘蛛を排除できたが、弾薬も大量に消費したからな」

「そうだな」と、蜘蛛の体液で戦闘服を汚したナミが言う。「キャンプに戻って休もう。くたくたに疲れた」

 彼女が言うように、暗闇のなかでの探索は我々が想定していたよりも困難で、精神的にも疲れるものだった。

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