第509話 役所


 今後の予定をイーサンたちと相談してから数日、我々はリンダの一族が拠点にやってくるまでの時間を利用して、多くの課題に対処するために行動を開始していた。はじめに着手したのは、彼女の一族を受け入れるための安全な居住区画を用意することだった。拠点の周囲には旧文明期の建物が多く残るが、冬の間に人擬きや危険な変異体が侵入した可能性があるので、戦闘用機械人形のラプトルを派遣して、脅威になる生物がいないか索敵させることにした。

 その部隊を指揮するのは、特殊な人工知能を搭載した『トゥエルブ』と呼ばれる完全自律型ドローンだ。能天気でのんびりした性格だったが、敵に対しては容赦しない非常に攻撃的な一面も持っているので、トゥエルブに任せても問題ないと判断した。


 居住地はハクの巣に隣接する区画に決定したが、他種族を魅了するという一族の特性を考慮して、居住地の周囲には防壁を建設する予定だった。もちろん、一族の移住地に人擬きなどの変異体が侵入しないための対策も講じる必要があった。その現実離れした美しさゆえに奴隷商人に狙われている種族なので、注意を怠るようなことはしない。

 奴隷商人との対立と因縁は深く、リンダの一族を執拗に追う専門の集団が存在すると聞いたときは驚いたが、それだけ一族には価値があるのだろう。ちなみに奴隷商人は、一族の魅了から逃れる術を知っているとのことだった。こんなことを言うのは不謹慎なのかもしれないが、一族を飯の種にしてきたのだから、対処法を知っていて当然なのかもしれない。どこかで奴隷商人を捕まえることができたら、彼らから秘密を訊きだそうと考えていた。


 それはそれとして、ミスズとナミは輸送機を使って大樹の森に向かい、富士山の麓に広がる青木ヶ原樹海で確認されている『混沌の領域』に向かう。そこでは旧文明期の建設人形『スケーリーフット』が、混沌の領域を囲む大掛かりな防壁の建設を行っていた。ミスズはまず、危険な領域を監視している『境界の守り人』たちの基地に向かい、森に点在する鳥籠から派遣されている蟲使いたちの責任者『テア』に事情を説明して、スケーリーフットを使用するので、数日間だけ大樹の森での防壁建設が止まることを告げた。


『その機械はあんたらのものだ。ご丁寧に俺たちに事情を説明する必要はないんじゃないのか』と、テアを補佐する赤髪の蟲使いは言ったらしい。

 けれど彼が考えているほど物事は単純じゃなかった。混沌の領域からやってくる危険な生物に対処している境界の守り人は、常に森の状況を把握していなければいけない。たとえば、防壁の建設が止まっている間は、現場に派遣する守り人たちの数を増やさないといけない。だから我々も無責任なことはできないのだ。


 輸送機に牽吊されながらスケーリーフットが廃墟の街にやってくると、私は防壁の建設予定になっていた場所に赴き、邪魔になっていた建物を反重力弾で処理していった。そこで得られる高密度に圧縮された資材をつかって防壁を築いていく。保育園の周囲に比較的低い建物が多く、高層建築物が存在しないので作業に手間取ることはなかった。しかし廃墟の街にいる間は、危険な変異体にだけではなく、無法者の略奪者にも注意しなければいけないので、気を抜くことはできなかった。

 防壁建設の目途がたつと、作業の監督をノイに任せて、私は別の問題を解決するため輸送機に乗り込んだ。


『これから私たちが向かう建物は、そんなに危険な場所なのか?』と、リンダが無骨なガスマスクを私に向ける。彼女のマスクからは蛇腹形状のチューブが伸びていて、腰のベルトに提げた装置に繋がっているのが確認できた。

「昆虫型の変異体が根城にしている建物なんだ」と、私は装備のシステムチェックを行いながら言う。

『それって、この街では普通のことなんじゃないのか?』

「リンダは高層区画を探索したことがあるか?」

『いや』と、彼女は頭を振る。『高い建物は下から見上げるだけで、一度も探索したことがないよ。もしかして――』

『そうだよ』と、カグヤがリンダの言葉を遮りながら言う。『私たちが探索するのは、この辺りでも一際高くそびえる建物なんだ。そしてそこには地上の変異体とは比べ物にならないほど危険な生物がいて、独自の生態系のなかで生存競争を続けている』


 リンダはカグヤに慣れていないのか、コンテナ内のスピーカーから聞こえる声に驚いているようだったが、これから探索する予定の建物について質問する。

『すごく危険な場所だっていうのは分かったよ――その建物の何処かに、旧文明期の『役所』っていう場所があるのか?』

「そうだ」と、私はうなずいた。「そこで俺たちは、統治局が管理していた都市の警備システムにアクセスするための権限を手に入れるつもりだ」

『権限の入手か……それは難しそうだな』

 リンダの言葉に答えたのはカグヤだった。

『だけど警備システムを掌握できれば、街のあちこちに配備されている警備用の機械人形を支配下に置くことができるから、私たちが抱えている問題を一気に解決することができるんだよ』


『さすがだよ、都市の警備システムを掌握するなんて普通は考えもしない』と、リンダは感心しながら言う。

「他の人間には、それを実行するための手段がないからな」と私は続けた。「でも俺たちにはその手段がある」

『それにね』と、カグヤが言う。『私たちがやることは、高い権限をもった人間が使用していた端末を探し出して、接触接続するだけなんだ。それ自体は難しいことじゃないと思うんだ。特定の権限を持った人間が働いている階層は決まっていたから、そこを重点的に探索すればいいんだ。問題があるとすれば、建物内を徘徊している危険な変異体にどうやって対処するのか、ってことだね』

『変異体……大型の昆虫か?』

「ああ」と、私はシートに座りながら言う。「それに人擬きにも注意しなければいけない。逃げ場のない狭い空間で奴らと戦うことになるからな」

 リンダが装備の点検をしている間、私は先遣隊の状況を確認することにした。

 

 目的の建物には、あらかじめ戦闘部隊を派遣していて、すぐに探索ができるように前哨基地を設営してもらっていた。その先遣隊に立候補したのは、かつて、レイダーギャングが支配していた鳥籠で警備を担当していたワスダが率いる部隊だ。娘のリリーが暮らしている拠点が安全になるのなら、喜んで協力するとは言っていたが、彼の本心は誰にも分からない。けれど五十二区の鳥籠との紛争で、ワスダの部隊が頼りになることは分かっていたので、人手不足が深刻化している現状、彼の協力はありがたかった。


 網膜に投射されるインターフェースには、カグヤの管理ソフトによって監視されている部隊の情報がリアルタイムで表示されていた。生体認証によって登録され、そして管理されているので信頼できる情報だった。ワスダが意図的に情報を改ざんしていなければ、部隊に負傷者は出ていない。

 先遣隊には白蜘蛛のハクに加えて、カグヤが操作する偵察ドローンも参加していて、建物内の偵察を行ってくれていた。ヤトの戦士も派遣する予定だったが、手の空いている部隊が見つからなかったので、今回はワスダの部隊だけが派遣されることになったのだ。


 リンダが装備の確認を終えてシートに座ると、建物内の様子を再現したホログラムが投影されて、カグヤが状況を説明してくれる。

『すでに昆虫型ドローンを使って、目的の階層までの探索は済ませているけど、やっぱり大型の昆虫が占領している区画を通る必要がある』

 投影されていた立体映像が変化して、建物内を移動するドローンの視点映像に切り替わると、非常階段に接近していく様子が確認できた。ドローンが薄暗い通路の先に照明を向けると、恐ろしい姿をした無数の大蜘蛛が、獲物を待ち構えるようにして天井や壁に張り付いてじっとしている姿が見えた。

 頭胸部に比べて、丸くて異様に大きな腹部は真っ赤で、太い脚は灰色の体毛で覆われていた。しかしそれは疥癬と呼ばれる皮膚病で死にかけている動物のように、体毛が所々禿げていて、身体のあちこちが負傷していることが確認できた。


『あれは怪物だな』

 リンダが大蜘蛛の巨体に困惑しながら言うと、赤い線で輪郭が縁取られていく変異体を眺めながら私はうなずいた。

「それに数が多い」

『全部を相手にするのか?』

『そうだよ』と、カグヤが答える。『ずっと前に、レイとミスズが侵入するのに使った場所から建物内に入るんだけど、目的の階層までは非常階段を利用しなくちゃいけないからね』

『以前は、何処から建物内に侵入したんだ?』

『ここだよ』カグヤはそう言うと、輸送機が接近していた高層建築物を表示した。その建物の外壁に、大きな横穴があるのが確認できた。『そろそろ到着するから、すぐに動けるように準備してね』


 コンテナの後部ハッチが開放されると、外壁にポッカリと開いた横穴に向かって、輸送機がゆっくり接近していくのが確認できた。外では凄まじい風が吹き荒んでいるが、ハッチの周囲に展開されているシールドの膜の影響で、コンテナ内に突風が侵入してくることはなかった。

「準備できました」と、ミスズがライフルを手に取りながら言う。

 今回の探索には輸送機を操縦していたミスズとナミも同行することになっている。輸送機はそのままオートパイロットシステムを使って拠点に戻ることになっていた。

 その輸送機が主翼を回転させて、ホバリングしながら後部コンテナを建物に向けて、ゆっくり横穴に接近すると、我々は建物に向かって一気に跳んだ。充分に接近できたので、それほどリスクのある行動ではなかったが、もしものときに備えて、重力場を生成するグレネードは全員に支給してあった。


『何もない、寂しい場所だな』と、到着して早々リンダは感想を口にする。

 以前、建物内を探索したときには、室内は雑草が生い茂り、数え切れないほどの鳥の巣が確認できた。しかし今回は様子が異なっていた。背の高い枯草はそのままだったが、生物の気配がまったく感じられなかった。ハクの存在に怯えて逃げ出したのかとも思ったが、鳥の巣があった区画も植物に侵食されているのが確認できた。何か環境に変化を起こす出来事があったのか、あるいは繁殖の時期が決まっているだけなのかもしれない。いずれにしろ、生物の気配がない薄暗い空間は不気味だった。


 我々は横穴から吹き込む風に煽られながら、横穴の近くに設営されていた前哨基地に向かい、そこで先遣隊と合流する。

「待ってたぞ、兄弟」と、セントリーガンの側に立っていたワスダは、こちらを見ずに手を上げる。

 そのワスダは、デジタル迷彩が施されたスキンスーツに、朽葉色の戦闘服を重ね着していたが、相変わらず奇妙なランドセルを背負っていた。彼は手に持っていた端末を操作してセントリーガンを起動すると、自動制御で動く機関銃の状態をチラリと確認する。


 私は腰の高さほどのセントリーガンを眺めながら言った。

「見たことのない装備だな」

「あの綺麗な姉ちゃんが用意してくれたんだ」と、ワスダは言う。

「ペパーミントのことか?」

「ああ、その怖い顔の姉ちゃんだ」

「自動攻撃タレットの技術を応用したのか……それなら、あのバリケードも?」

 私はそう言うと、基地の周囲に設置されていた軍用バリケードに視線を向ける。

「そうだ。旧文明期の鋼材が含まれているとか言っていたな。軽くて頑丈なことに加えて、設置するのも簡単だから持っていけって渡されたんだ」

 折り畳み式の設置型バリケードの表面は、多脚型戦車サスカッチの装甲に使用されているのと同様の薄い金属板で覆われていて、その真鍮色のバリケードが前哨基地に設置された軍用テントを囲むように並んでいるのが確認できた。


「なんだか頼りないけど、役に立つのか?」

 私の疑問にワスダは苦笑しながら答えた。

「設置してシステムを起動すると、自動的に太い杭を床に打ち込で固定されるんだよ。おかげでデッカイ蜘蛛が体当たりしてもビクともしなかったよ」

「あの大型の蜘蛛か……やつらはここまで来たのか?」

「間抜けな獲物がふらりと縄張りに侵入してきたからな」

「ハクを見ても逃げ出さなかったのか?」

「まさか」と、ワスダは鼻で笑う。「それどころか、ハクを捕まえようとして尻から糸を出しやがった」

「ハクは無事なのか?」

「深淵の娘が怪我するような相手なら、俺たちはとっくに逃げ出していたよ」

『つまり』と、カグヤの声が聞こえる。『あの大蜘蛛は地球原産の生物じゃないってことだよ』

「原産?」と、ワスダは顔をしかめる。

『環境の変化や汚染物質の影響で徐々に変異していった生物じゃなくて、異界からやってきた生物ってことだよ。だからハクのことも恐れない』


「異界の領域がどうとかってやつのことか?」と、ワスダは隣にやってきたソフィーに端末を手渡しながら言う。

『そう。すでに説明したと思うけど、そういう化け物のなかには、レイの兵器でも殺せない相手がいるから注意しないといけない』

「でもあの蜘蛛は殺せる」

『だから私はドローンを使って偵察を続けてるんだよ。それより移動経路の説明をするから、部隊を集めてくれる?』

 肩をすくめたワスダが部隊を招集しているのを横目に見ながら、私は暗闇に潜んでいるモノたちの気配に注意を向ける。すると敵意を示す赤紫色の靄が視界を埋め尽くしていくのが確認できた。

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