第十三部

第507話 unknown


 戦場になった鳥籠が落ち着き取り戻してから数日、私は保育園の廃墟を利用して築かれた拠点の一角で、枯葉色の戦闘服を着た青年が子供たちと一緒に畑を耕す様子をぼんやりと眺めていた。おぼつかない手つきで土に触れているのは、旧文明期の地下施設で保護した幼い子供たちだった。

 第三世代の人造人間でもある子供たちは、ついこの間まで感情の起伏がなく、無表情でぼうっとしていることが多かったが、拠点で一緒に生活する森の民の子供たちや、猫にしか見えないイアーラ族の『ペクェイ・ララ』と触れ合っているうちに、少しずつ子供らしい感情が芽生えるようになり、表情にも変化が現れるようになっていた。


 楽しそうに土遊びをしていた子供たちと一緒にいる青年は『ヨウタ』だ。彼は以前『ジャンクタウン』と呼ばれる鳥籠で浮浪者同然の生活をしていたが、最底辺の暮らしから抜け出そうと、稼ぎのいい危険な仕事に飛びついた。結果的に彼の仕事は成功しなかったが、彼は望んでいた通りの安全で快適な暮らしを手にすることができた。ちなみにヨウタに与えられた仕事は、寄せ集めの傭兵たちと共に我々の拠点を攻撃することだった。


 仕事の依頼主から得られた情報は少なく、確かな事と言えば、標的に指定された人物が『深淵の娘』と呼ばれる白蜘蛛と一緒に行動していることだけだった。それでも傭兵たちは与えられた仕事を忠実に履行した。自分たちが後方に展開していた砲撃部隊の囮に使われていることも知らずに。

 そして作戦は見事に失敗した。傭兵の大多数は、仲間の攻撃の巻き添えになり死んでいった。けれどヨウタは生き延びた。そしてそれが青年の運命であるかのように、彼は我々の捕虜になり、いつしか頼りになる仲間になっていった。


 畑の土で遊んでいた女の子のひとりが、こちらにトコトコと歩いてくるのが見えると、私は彼女と目線を合わせるためにしゃがみ込んだ。

「シズク、どうしたんだ?」私がそう訊ねると、小さなスコップを握っていた幼い女の子は私に手を差し出した。

「レイにあげる」と、シズクは言う。

 土で汚れた彼女の小さな手には、黒曜石にも似た丸みを帯びた石がのせられていた。

「俺がもらってもいいのか?」

「うん。シズクもつるつるのほうせきがあるから、これはね、レイにあげる」

「ありがとう」そう言って小さな石を手に取ると、シズクは満面の笑みを見せて、それから子供たちのもとに駆けていった。

 私はシズクにもらった不思議な石を持ち上げて日の光に向けた。すると石の内部が透けて、反射した光が綺麗な色彩で輝くのが確認できた。

『綺麗な石だね』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。『どうしてこんな場所に埋まっていたんだろう?』

「わからない……瓦礫と一緒に風で運ばれてきたものなのかもしれないな」適当にそう言うと、シズクからもらった石を失くさないように、タクティカルベストのポケットに大切にしまっておくことにした。


「れ、レイラも、し、仕事を、て、手伝いにきてくれたのか?」と、ヨウタは吃音で言葉がちゃんと伝わらないことを気にしているのか、丁寧に単語を区切りながら言葉を口にした。

「いや」と、私は頭を振りながら言う。「本当は食料の買い出しで、これからジャンクタウンに行かなければいけないんだけど、最近ずっと忙しかったから、ここで少しぼんやりしていたんだ」

「そ、そうか」ヨウタは気持ちのいい笑顔を見せて、それから空を見上げた。「あ、暖かくなってきたから、だ、だから、し……仕方ないよ。じ、実は、俺も眠いんだ」

「なら、俺と同じだな」私が腕を伸ばして大きな欠伸をすると、ヨウタもつられて大きな欠伸をしてみせた。

「なぁ、ヨウタ。博士の姿を見かけなかったか?」

「は、博士なら、だ、大事な研究があるから、す、少し、で……出かけるって」

『研究か……』と、カグヤが言う。『どこかで昆虫型変異体の生態を研究してるのかな?』

「そ、その、か、可能性はある」と、ヨウタはうなずいた。「お、お……大きなカバンをもって、で、出掛けたんだ」


「カバンか」と、私は腕を組んで考える。「博士が拠点に帰って来るまで、今回も数週間は掛かると思うか?」

 私の問いにヨウタは片方の眉毛を上げて真剣に考えた。

「こ、今回は、は、早いかもしれない。ふ、ふらっと、で、出掛けるときは、い、いつも早いんだ」

「そうか……」

「な、何か大切な、よ……用事があったのか?」

「人造人間について訊ねたいことがあったんだ。ほら、教団のことは拠点のみんなにも話しただろ」

 土遊びする子供たちの様子を眺めていたヨウタは表情を曇らせる。

「きょ、教団か……あ、あれは、お、恐ろしい組織だ」

「そうだな。でもだからこそ俺たちは敵対する組織について知る必要があるんだ」

 ヨウタがうなずくと、内耳に通知音が聞こえて、網膜に投射されていたインターフェースに拠点を中心とした簡易地図が表示される。


『レイ、廃墟のあちこちに設置してる動体センサーが、拠点に近づく大型ヴィードルの存在を検知した』と、カグヤが言う。

「敵か?」

『それはまだ分からない』

「拠点周辺を巡回警備していたラプトルは?」

『戦闘用機械人形はすでに戦闘配置についてるよ。アンノウンからの攻撃が確認できた場合、すぐに反撃するように指示を出しておいた』

「わかった。そのヴィードルは俺が対処するから、拠点の警備を担当しているノイの部隊に、今はまだ持ち場を離れる必要がないと伝えてくれ」

『了解』

 ヨウタと子供たちに声をかけると、インターフェースに表示される不明大型ヴィードルまでの移動経路を確認しながら拠点を離れた。


 白蜘蛛のハクが拠点を囲むように、周辺一帯の廃墟に張り巡らせた糸の迷路を越えて廃墟の街に出ると、義手からワイヤロープを射出して建物屋上に向かう。ロープの先についた爪は外壁に合わせて自在に変形するので、爪を固定するための場所を探す手間がなく、簡単に建物の間を移動することができた。

 高層建築物が立ち並ぶ廃墟の街での移動を楽にしてくれるので、ヤトの戦士たちにも支給したい装備だったが、類似する機能を持つ技術はまだ見つけられていなかった。


「カグヤ、カラスは上空に来ているか?」と、私は廃墟の街を見渡しながら言う。

『うん。映像を表示するよ』

 上空を旋回していた鴉型偵察ドローンから受信していた廃墟の街の俯瞰映像が、インターフェースを介して視界に表示されると、放置車両が多く残る幹線道路に停車している濃紅色の多脚型車両の姿が確認できた。

「どこかで見たことがある車体だな……」

 甲殻類の外骨格を思わせるゴツゴツとした装甲を持つヴィードルには見覚えがあった。

『リンダのヴィードルだよ。ほら、ノイと一緒にレイダーギャングが支配してた鳥籠に買い物に行ったときに会ったでしょ』

「……ビックリするくらい綺麗な女性のことか?」

『そう。人間を魅了する怪しい魔法を使っているんじゃないのかって、レイが疑っていた女性だよ』


 私は左腕のワイヤロープを使って建物の間を素早く移動すると、大型ヴィードルが確認できた場所に急いで向かう。

「カグヤ、ラプトルに周辺一帯の偵察をするように指示してくれ。あれが本当にリンダなら、近くに敵が潜んでいるかもしれない」

『綺麗な容姿の所為で、常に奴隷商人に狙われているってやつだね』と、カグヤが言う。『昆虫型偵察ドローンに周囲の安全確認をしてもらうよ。何か見つけたら、すぐに報告がくる』


 建物上階から幹線道路の中央分離帯に立つ巨大な彫像の肩に着地すると、ハガネの液体金属を使って頭部をフルフェイスマスクで覆う。それから視線の先を拡大表示して、付近に敵が潜んでいないか素早く確認する。廃墟の街はひっそりと静まり返っていて、不死の化け物『人擬き』の姿も見えなかった。高層建築群の間に吹く虚しい風の音だけが聞こえていた。


 周囲の安全確認を済ませると、勾玉の首飾りが印象的な彫像の横顔を見ながら飛び降りる。真っ赤なヴィードルのすぐ近くに着地したが、ヴィードルの所有者だと思われる人物は故障したヴィードルの修理をしているのか、私の存在には気がついていなかった。

『あの身体つきは女性のものだね』と、カグヤは女性の輪郭を青色の線で縁取りながら言う。『それに、カニの外骨格みたいな防具もリンダが使っていたものと同じだよ』

 カグヤの言葉は信用していたが、無意識に太腿のホルスターに収まっているハンドガンに手をかけながら接近する。


「また故障したのか?」

 私が声をかけると、女性は驚いてヴィードルの車体に頭をぶつける。

『何者だ!』機械的な合成音声で言葉を発しながら、女性は側に立てかけていた旧式のアサルトライフルを手に取る。

「落ち着いてくれ」と、私は手の平を見せながら言う。「俺は君の敵じゃない」

『そのマスクは……もしかしてレイラなのか?』

 私は彼女の言葉にうなずくと、ハガネを操作して素顔を見せた。すると女性は安心したように大きく息をついて、それからすぐに銃口を下げてくれた。

『すまない、レイラだって分からなかったんだ』

「無理もないよ。それより、君はリンダで合っているんだよな?」

『そうだ』彼女はそう言うとガスマスクを外そうとして腕を持ち上げたが、途中で諦めて腕を下げた。『すまない、レイラ。ここではガスマスクを外せないんだ』

「事情は分かっているから、気にしないでくれ」

『本当にすまない』と、彼女は肩を落とした。


 大型ヴィードルで拠点に接近していたのが『リンダ』だったことをノイに報告したあと、私は彼女に訊ねた。

「ところで、リンダはこんなところで何をしていたんだ?」

『実は……』と、彼女は言いづらそうにする。

 私は周囲をさっと見渡して、それから高い建物に挟まれた一角に立つ鳥居を指差しながら言った。

「道路の真ん中に立っているのは危険だから、あの神社で話そう」

 リンダは背の高い雑草に覆われた神社にガスマスクを向けて、コクリとうなずいた。

「カグヤ、カラスとラプトルに引き続き周囲の警戒をさせてくれ」

『了解』


 旧文明期の特殊な鋼材でつくられたと思われる朱色の鳥居は、経年劣化で色がくすんでいて、表面の塗料が所々剥がれていた。その鳥居をくぐって神社に入る。けれど敷地内は枯草で覆われていて、毒々しい体色の見慣れない甲虫が徘徊していたので、鳥居の側に転がっていた瓦礫の側で話をすることにした。

 ハガネの動体センサーを使って人擬きがいないか確認していると、リンダは早口に言う。

『レイラの組織と五十二区の鳥籠が大規模な戦闘になったって聞いて、何か手伝えないかと思って会いに来たんだよ』

「鳥籠にやってくる商人たちが噂を流していたことは知っていたけど、廃墟の街を放浪しているリンダたちにも噂が届いたのか」と、私は商人たちの情報網に感心しながら言う。

『ああ……』

「リンダの気持ちは嬉しいけど、鳥籠との戦闘は終了したんだ」

『そうか……』

「まだ何かあるのか?」


 私がそう言うと、リンダは何かを考えるように黙り込んでしまう。彼女の言葉を待つ間、私は視線の先に立つ女性の彫像を眺める。女性はまるで日本神話に登場する神々のような装束を身につけていた。

 これは完全に憶測だったが、もしかしたら『大いなる種族』のような知的生命体と遭遇したことで、世界中の神話が見つめ直されて、神話に登場した神々を崇める人々が現れたのかもしれない。神話に登場した神は実在していて、宇宙からやってきた存在だったとかなんとか。


『レイラに協力した見返りに、助けてもらおうと思っていたんだ……』と、リンダはポツリと言う。

「助け?」と、私は言う。「一族に何か問題が起きたのか?」

『廃墟の街を移動しているときに襲撃されたんだ。でも、それ自体はありふれた珍しくもないことだったんだ。私たちは常に何処かの組織に狙われているから……でも、今回の襲撃はいつもと様子が違っていたんだ』

「奴隷商人に仲間が捕まったのか?」

『いや』と、リンダは頭を振る。『信じてもらえるか分からないけど、空を自由に飛ぶことのできる悪魔みたいな化け物に襲われたんだ』

「悪魔……?」

『コウモリの翼をもった灰色の化け物だ』

『灰色……恐らく、姿なきものたちのことだよ』と、カグヤが言う。『まだ生き残りがいたんだね』


「それじゃ仲間は捕まったんじゃなくて、化け物に殺されたのか……」

 私の言葉にリンダはうなずいた。

『襲撃者たちも攻撃されていたから、私たちはその隙に逃げ出すことができたけど、あの戦闘で多くの仲間を失った……』

「そこでリンダは俺のことを思い出したんだな」

『ああ……あのとき、レイラは拠点の場所を教えてくれて、それで……』

 姿なきものたちとの戦闘で多くの戦士を失ったのかもしれない。奴隷商人と戦えるものがいなければ、廃墟の街を放浪することはできない。だから彼女は私に協力する見返りに、仲間を保護してもらおうと考えたのかもしれない。


「事情はなんとなく分かったよ」と、私は言う。「でも俺ひとりで決めることはできないから、リンダたちに協力できるか仲間と相談させてくれないか?」

『もちろんだ』と、リンダは慌てる。『私がレイラに頼んでいる立場なんだ。無理を言うつもりはない』

「大丈夫だよ。元々は俺が言いだしたことなんだから、そんなに緊張しなくてもいい」

『そうか……』と、リンダは息をついた。


 ここまで来るのに苦労したのだろう。彼女の装備はひどく汚れていて、精神的にも相当な無理をしていることが分かった。私の接近に気づけなかったことにも納得できた。

「とりあえず一緒に拠点に行こう。リンダの家族は近くに来ているのか?」

『いや』と、彼女は頭を振る。『でも連絡すれば、すぐに合流できると思う』

「それなら、俺たちはここから移動しよう」

『でもヴィードルが――』

「一緒に回収してもらうから安心してくれ」

 私はそう言うと、拠点で待機していたミスズと連絡を取って、輸送機で迎えに来てもらうことにした。

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