第506話 失望
作業用ドロイドに協力してもらいながら、処刑隊の遺体を瓦礫の下から回収し、焼却処分にしてから数日、私は鳥籠が抱える面倒事から逃げるようにして大樹の森にあるペパーミントの研究施設に来ていた。
施設にはペパーミント以外の生物の姿はなく、代わりに多くの機械人形の働く姿があった。どうやら『母なる貝』の聖域に繋がる地下トンネルの改修工事が急ピッチで行われていて、地下に向かうための昇降機の側では、大量の建設作業用ドローンが行き交う姿が確認できた。
ペパーミントの作業場に視線を向けると、多脚型戦車のサスカッチが修理されている様子が見えた。車体の周囲には、黒と黄色の縞模様で塗装された作業用ドロイドたちがいて、彼らの手によって、激しい戦闘で損傷していた箇所の修理が進められていた。
すでに真鍮色のモジュール装甲が装着されていて、対人機関銃の弾薬も装填され、完全な状態に近い姿になっていた。そのサスカッチの勇姿が誇らしいのか、戦闘用機械人形ラプトルを操っていたトゥエルブは、腕を組んで満足そうにサスカッチを眺めていた。
作業台に視線を移すと、処刑隊の戦闘員が使用していた角筒状のビーム砲が載せられているのが確認できた。サスカッチの装甲を破壊し、ヌゥモが率いていた部隊を苦しめた兵器だ。それらは戦闘終了後に鳥籠の兵器が保管されていた倉庫から回収していたが、我々が使用する兵器同様に、データベースに生体情報を登録した人間でなければ、兵器を自由に扱うことができないように設定されていた。
しかし不死の子供がもつ権限の前では無意味なセキュリティだった。接触接続でカグヤがビーム砲のシステムに侵入すると、我々でも簡単に扱えるように設定を変更してくれた。
そのビーム砲は現在、武器の性能試験のためにペパーミントによって検査されているところだった。安全性が確認できたら、各部隊に支給されることになるだろう。組織の戦力強化に繋がる装備を入手できたことは嬉しいことだったが、喜んでばかりもいられない。何故なら教団内部に、データベースに接続できる人物が存在すると証明された瞬間でもあったからだ。
人造人間の影がちらつくようになった教団は、さらに不気味な存在に変わっていた。教団が何を企んでいるにせよ、我々は警戒を続けなければいけない。
とかなんとか考えながら、私はペパーミントのお尻をぼんやりと眺めていた。彼女はニンジン色のフード付きツナギを着ていて、懺悔室にも似た小屋に繋がれた端末を操作していた。
ふいに大きな物音が聞こえると、私は反射的に身を屈めてハガネの鎧で全身を包んだ。けれど銃声を思わせた金属的な物音は、ハクに追われていてトゥエルブのラプトルがスチールボックスに躓いて立てた音だった。
「レイ、大丈夫?」と、側に来ていたペパーミントが困惑した表情で私を見つめる。
「ああ、問題ない」と、私はハガネの鎧を解いて、ハンドガンをホルスターに戻しながら言う。「少し驚いただけだ」
「本当に大丈夫?」
「平気だよ。神経質になっているんだと思う」
ペパーミントは乳房を持ち上げるようにして腕を組むと、ハクに捕まったトゥエルブが機体を捨てて、本体だけになって逃げていく様子を見ながら言った。
「大変な戦いだったから、無理もないか……」
「そうだな」と、私は溜息をついた。「問題だらけの戦場だった」
気を抜くと、今も濡れそぼつ夜闇の真只中に立っているような錯覚に陥った。その暗闇のなかには、私に銃口を向ける無数の敵が潜んでいて、我々を攻撃するためのタイミングを窺っていた。それが現実ではないことは理解していたが、しばらくの間は白昼夢にも似た幻覚に苛まれる覚悟はしていた。
「……それで」と、ペパーミントは私のとなりに座りながら言う。「今日はどんな面倒事から逃げてきたの?」
「逃げてないさ」と、私は思わず苦笑する。「それに、鳥籠の管理はイーサンとエレノアに任せてきたんだ。あの二人なら、何か問題が起きても上手く対処してくれる。なにより、鳥籠にはウミがいるんだ。彼女は並みの人間よりもずっと賢い。彼女が二人を補佐しているんだから、俺の出る幕なんてないよ」
「そう?」
「そうだよ。それとも、俺がここにいるのは迷惑だった?」
「まさか」とペパーミントは頭を横に振る。その際、彼女の綺麗な黒髪がサラサラと揺れる。「でも、こんなときじゃないとレイは会いに来てくれないんだなって思って、すこし寂しくなった」
「正直に言うと、ひどく忙しんだ。だからこんなときじゃなきゃ会いに来られない」
「ねぇ、レイ。そういうときは嘘でもいいから、私に会いたいから来たんだって言うものだよ」
私はワザとらしく咳払いして、それから真剣な面持ちで言った。
「ペパーミントにどうしても会いたかったから、大切な仕事をほっぽり出してここに来たんだよ」
ペパーミントは溜息をつくと、手元の端末に映り込んでいた自分自身の顔を見つめる。
「製薬工場の方はどうなってるの?」
「俺たちの役に立つような情報が他にないか、サナエが工場のデータベースを調べてくれている」と私は言う。
「そうね。バイオジェルは思わぬ収穫だったし、他にも何かあるのかもしれない……ところで、周辺の鳥籠に対する医薬品の供給はどうなっているの?」
「ペパーミントは知っていると思うけど、あの工場はデータベースによって管理されているんだ。だから俺たちが何もしなくても、ジャンクタウンみたいに旧文明期の地下施設がある鳥籠には、地下の秘密トンネルを経由して自動的に医療品や医薬品が供給されるようになっている」
「でも鳥籠が自由に管理できていた場所があったでしょ?」とペパーミントは言う。「それが鳥籠の収入源だったわけだし」
「その区画を管理していた責任者は処刑隊に殺されていて、製造されていた大量の物資は教団の人間によって管理されていたんだ」
「その教団関係者は汚染地帯に追放されたんでしょ?」
「ああ。おかげで物資を管理する人間はいなくなった。ついでに商人たちと交渉する人間もいなくなっていたから、急遽代わりになる人間を手配しているところだよ」
「それって大事よね」
「実はそうでもないんだ。殺された前任者は真面目な人間で、いつでも後任に仕事を引き継ぐことができるように、入念な準備をしていたんだ」
「後任になりそうな優秀な人材はいるの?」
「ジュリと山田に、応援に来てもらったんだ。だから当面の間は、心配しなくてもいいと思っている」
「ジュリか……そうね。ウミも一緒だし、あの子たちなら大丈夫だと思う」
逃げ出したトゥエルブのドローンを捕まえたハクが、覚えたてのアニメソングを歌いながら戻ってくると、私はハクの頭胸部に乗っていたイアーラ族の『ペクェイ・ララ』の可愛らしい姿を見ながら訊ねた。
「処刑隊が使っていた携行式ビーム砲の調整は順調か?」
「問題ないわ」と、ペパーミントは笑みを見せる。「それに、鳥籠の地下にある機械人形の製造工場で詳細なスキャンができれば、すぐに部隊に支給できるだけの数が揃えられる」
「そうか……そのビーム砲は境界の守り人たちにも支給できそうか?」
「できるけど、あんなに強力な兵器を蟲使いたちに使わせてもいいの?」
「とりあえず、テアの部隊にだけでも支給したいんだ。大樹の森では歩兵用ライフルを持っていても対処できない敵がいるからな」
「そうね。防壁の側は混沌の化け物が徘徊していて、とても危険な場所になってる……彼女の部隊にも支給できるように、数を調整するよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」と、彼女は微笑む。
私は椅子から立ち上がると、作業台の側まで歩いて行った。その作業台にはビーム砲のほかに、乾いた血液がこびり付いていた端末が幾つか無雑作に置かれていた。
「処刑隊の頭部に埋め込まれていたツノ型の端末だな」
「ええ」と、ペパーミントうなずいた。「研究のために、死体から幾つか拝借してきてもらったの」
「拝借ね……それで、なにか分かったのか?」
「蟲使いたちのために『マーシー』が用意した端末に造りは似ているけど、使用されているソフトウェアは完全に別物だった」
「やっぱり処刑隊を狂わせていたのは、この端末だったんだな」
小さな端末を手に取って引っ繰り返してみると、針のように細い突起物がビッシリと並んでいて、頭皮の一部が隙間に挟まっていた。
「旧文明期の技術が使われた端末だから、確かに利点はあったけれど――」
「たとえば、どんなことができたんだ?」と、私はペパーミントの言葉を遮りながら訊ねた。
「データベースに接続できるようになるから、携帯端末を所持していなくても、インターフェースを使って仲間との通信が直接できるし、義眼に接続することで鳥籠の地図も表示できるようになると思う」
「ほとんど携帯端末で代用できることだな」
「でも網膜に表示されるインターフェースの利便性は、その埋め込み式の端末でしか得られない。それに教団が無料で手術してくれるのよ。ゴーグルや携帯端末から解放されるんだから、戦闘狂いの傭兵なら後先考えずに飛びつくはずよ」
「そう考えると、たしかに魅力的なデバイスだな」
私はそう言うと、端末を作業台にコトリと置いた。
カグヤの操作する偵察ドローンが懺悔室じみた小屋の端末にケーブルを接続して、なにか操作を行っている様子を眺めていると、カグヤの声が内耳に聞こえる。
『レイ、準備できたよ』
「一緒に来て、レイ」
歩き出したペパーミントのあとを追って私は四角い小屋に入る。
『その中では』と、カグヤが続ける。『混沌の気配が外部に漏れないように、空間が完全に隔離される。気密ハッチが開くまでの間、空気さえ侵入できなくなる。でもブースは以前の状態から改良されているから、ハッチが閉じられても酸素の供給について心配する必要はないよ』
「たしか……」と、私は狭い室内を見回しながら言う。「カグヤとの通信もダメになるんだったよな?」
『そうだけど、私はブースの端末に直接接続して、個室内の監視を続けるから安心して、問題が起きたらすぐに対処する』
「わかった」
気密ハッチが閉じた瞬間、カグヤを含め、データベースを介したあらゆる通信が遮断される。
「レイ、ヤトをお願い」
ペパーミントの言葉にうなずくと、戦闘服の袖をまくりあげて右手首の入れ墨からヤトの刀を出現させる。ぞっとするほど鋭利な刀身に浮かび上がるヘビの鱗を思わせる青緑色と紅色の毒々しい斑模様を眺めて、それから部屋の中央にポツリと置かれた作業台に刀を載せた。
「それじゃ、作業を始めるわね」
ペパーミントが端末を操作すると、作業台の一部が沈み込むように変形して、ヤトの刀は一段低い位置で固定される。それを確認したペパーミントは、ツナギの袖をまくると作業台の隅に載せられていた銀色の塗装缶に入っていた液体を作業台に流し込んでいく。するとヤトの刀身は水銀にも似た液体に完全に浸かる。一瞬の間のあと、まるで溶けて混じり合うように刀身に液体が染み込んでいくのが確認できた。
「これはね」と、ペパーミントは端末を操作しながら言う。「カタツムリっぽい外見の混沌の生物から抽出した特殊な溶液で、このブースの外壁に使われている塗料と同じものなんだ。ヤトのために特別な調合がしてあるけどね」
「混沌の気配を遮断する塗料か……これで混沌の生物に気配を察知される心配をせずに、自由にヤトが使えるようになるのか?」
ペパーミントは手を止めて、少し考えてから言った。
「刀が手首の入れ墨に戻ったときに、コーティングが維持されるのか分からないから、まだ何とも言えない。それにね、刀をつかったら溶液を塗り直さないといけないから、まだ完璧とは言えない。気配が完全に消せているか、ララに確認してもらわないといけないしね」
やがて水銀に似た液体は作業台の底に流れて、ヤトだけがその場に残されることになった。外見に変化はなく、今までと変わらない美しい姿の刀がそこにあった。
「もう手に取って大丈夫なのか?」
「ええ」そう言ってペパーミントがヤトの柄を握ったときだった。まるで時が止まったかのように彼女は動きを止める。
慌てて彼女に声をかけると、ペパーミントの右目から涙が零れる。
「どうしたんだ?」
「うん……?」と、ペパーミントは心ここにあらずといった表情で私を見つめて、それから言った。「レイは、彼女の本当の名前を知ってる?」
「彼女? もしかして、ヤトに会ったのか?」
ペパーミントはうなずいた。
「いや」と、私は頭を振る。「彼女は名前を教えてくれなかったんだ」
「そう……それなら、参考になるかもしれない資料をあとで送信するね」
それからペパーミントは決してヤトに触れようとしなかった。彼女が刀に触れた一瞬の間に、ヤトが何を見せたのかは分からない。けれど、それは彼女の精神をひどく消耗させたようだった。ちなみに小屋を出たときに、彼女から送信されたファイルの中身は平家物語と呼ばれる電子書籍だった。
「ねぇ、レイ。あの鳥籠はどうするの?」
しばらくすると、体調が良くなったペパーミントが私に訊ねる。
「どうするって?」
「あれだけ苦労して手に入れたんだから、これからも管理していくんでしょ?」
「どうだろうな」と、私は右手首の入れ墨を見つめながら言う。「俺たちだけで鳥籠を管理するには人材が圧倒的に不足している。それに鳥籠の住人と共同で管理するのも難しいと思うんだ」
「どうして?」と、ペパーミントは可愛らしく首を傾げる。
「あの鳥籠を支配していた住人は、蟲使いたちに負けず劣らず排他的なんだ。その恵まれた環境から、自分たちは廃墟の街で生きている人々よりも優れているって考える人も多い」
「選民意識による優越感?」
「ああ」と、私はうなずいた。「今はまだ、俺たちは受け入れられているのかもしれないけど、時間が立てば邪魔者になる」
「でも、鳥籠の住人はレイがあそこで何をしたのか知っている。空爆されるかもしれないのに、私たちに敵対的な行動を起こすかしら?」
「実際、彼らは教団の圧政に苦しみながら、秘密裏に地下組織をつくりあげて、教団の支配に抵抗を続けていたんだ。俺たちが隙を見せれば、鳥籠の支配権を取り戻そうとして動くはずだ」
「それなら、私たちが争いに介入しなくても、鳥籠の住人はいずれ教団と内戦状態になっていたかもしれない?」
「そうなっていた可能性は充分にある」
「だからレイは鳥籠に興味がないの?」
ハクが建設作業用ドローンを追いかけて地下のトンネルに向かって飛び降りるのを見ながら、私は声を潜めて言った。
「ペパーミントには話すけど、正直、鳥籠なんてどうでもいいんだよ」
「どうでもいい?」と、彼女は困惑して眉をひそめる。
「今回の作戦で俺が手に入れたかったのは、鳥籠の地下に存在する施設を自由に使える権利だったんだ。もちろん、教団に支配された鳥籠も邪魔だった。だから攻撃した。争いに関係のない住人に被害がでることは極力避けたけど、今回の侵攻作戦が失敗に終わっていたら、絨毯爆撃でまとめて処分してもいいって考えていたんだ。俺にとって大切なのは、ミスズや一緒に戦ってくれたヤトの戦士たちなんだ。その仲間が傷つかないためなら、知りもしない他人が死んでもどうでもいいって、真剣に考えていた」
「それって……」
「俺の目標は月に行くことなんだ。その邪魔になるような存在は排除しておきたい。それだけのことなんだ。だから鳥籠の支配に興味はなかった」
「そう……」と、ペパーミントは視線をそらした。
「失望させたか?」
「してない。レイが月に行きたいことも、私たちのことを家族のように大切に想ってくれていることも知ってるから」
「でも俺は自分自身に失望しているんだ」感情が昂っているからなのか、声が震えているような気がした。「鳥籠の住人に対して、選民意識がああだこうだ言っているけど、俺も彼らと同じなんだ。自分にとって特別だと思った人間以外に興味がない。他人を救いたいフリをしながら、救う人間を無意識に選択していたんだ」
「それって悪いことなの?」と、ペパーミントは不安そうに質問する。
「わからない……でも今回の侵攻作戦では、それがハッキリとした。俺はワスダが言うように、自分が思っているほど善人じゃなかった。ただそれだけのことなのかもしれない」
ペパーミントはそっと私の手を握って、それから言った。
「レイは、みんなの目に映る自分でいられなくなることが怖いの?」
私はしばらくの間、彼女の言葉について考えていたけれど、返事になるような言葉は見つけられなかった。
「私はね」と、ペパーミントはぎゅっと私の手を握りながら言う。「ううん、私だけじゃない。これからも私たちがレイに失望することなんてない。一瞬でもそんな風に考えたことなんてない。だから、あまり思いつめないで。私たちは一緒にいるから……」
「そうだな」と、私はゆっくり息を吐きながら言った。
けれど先のことは誰にも分からない。何事にも絶対が存在しないように、人間の心は移ろうものだ。もしも仲間に失望されてしまったら、もしも仲間に見捨てられたら、私はこの世界でまた独りで生きていけるだろうか?
現実から逃れるように瞼を閉じると、暗闇の向こうから冷たい空気が静かに忍び寄ってきて、私の身体を包み込んでいくのが感じられた。その暗闇のどこかに、今も私に銃口を向ける無数の戦闘員が潜んでいた。彼らは私が諦めて膝をつく瞬間を待っている。彼らの銃弾はいつか私を捉えるのかもしれない。しかしそれも悪くないのかもしれない。彼らを殺したように、私が報いを受けるときも必ずやってくるのだから。今はただ、この流れに身を任せることしかできない。そしてその流れは何処か遠くに――私が知らない場所に、私を連れていくのだろう。
次に瞼を開いたとき、私は何処に辿り着いているのだろうか?
そこは私が望んだ場所なのだろうか?
私は息をつくと、そっと瞼を開いた。
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