第483話 報告書


 五十二区の鳥籠に潜入していたイーサンは、教団の戦力になっていた傭兵組織の全容を把握するために、まず金の動きを追うことが最重要課題になると結論付ける。教団が雇い入れた傭兵たちは、警備隊と共に鳥籠を防衛する任務に就きながら、紅蓮との紛争を続けていた。

 そしてそれに留まらず、製薬工場で生産されていた医療品を、廃墟の街に点在する鳥籠に輸送する部隊の警護も任されていた。しかしそれだけの規模の傭兵組織を長期間拘束するには、一介のスカベンジャーには想像もできない莫大な資金が必要だった。教団の資金源は何処からくるのだろうか?


 情報を得るためにイーサンは鳥籠の議会に参加している人間のなかでも、鳥籠の予算を、それも警備隊や傭兵のための防衛資金を管理している人間を探し出す必要があった。諜報部隊を使った数日間の綿密な調査のあと、教団の指導者たちを徹底的に調べあげることができた。そこで理想の人物を見つけだすと、標的に対する工作活動を始めた。幾つかの作戦が練られ実行に移されたが、そこでもっとも効果を発揮したのは、カビの生えた古くさいやり方だった。


 五十二区の鳥籠を監督する教団の幹部であり、防衛予算を管理していた『ラムズ』という男には悪癖があった。いや、それを悪癖と言うには、あまりにも酷なことなのかもしれない。が、ラムズは大の女好きで知られた男だった。日中、ラムズは誰よりも真面目に働き、必要があれば、居住区画で教団に対する反対運動を続けている構成員の捕縛を行っていた処刑隊の幹部と和やかな雰囲気で会談も行った。ラムズは教団にとって“善良”とされる市民や、傭兵たちの苦情に耳を傾けることができる優しい男だった。


 しかし仕事が終わると、ラムズは通い詰めていた娼館に足を運び、そこで豹変した。以前はそうではなかった。ただの女好きの男だった。しかし分不相応な権力と金が男の欲望を歪ませていった。ラムズは支払いをすることなく女性たちに毎晩奉仕させ、女性との行為が気に入らなければ殴る蹴るといった暴挙に出た。なんとも前時代な男の態度は、しかし諜報部隊にとっては都合が良かった。


 娼館にはラムズが情熱を注ぐ女性がいた。彼女の名前は『ヘレン』と言う、この辺りでは良く聞く名だった。すらりとした美人で、茶色の髪、そして灰色が混じった青い瞳を持つ女性だった。知ってか知らでか、彼女は魅惑的な表情で男女を問わず虜にする。けれど彼女の態度に嫌味は感じない、そういうタイプの女性だ。報告書で彼女の画像を意味もなく何度も確認したが、確かに綺麗な女性だった。ラムズが夢中になる理由もわかるような気がした。


 イーサンはヘレンのもとにエレノアを送り出すと、彼女の望むものと引き換えに、ラムズから情報を得るための協力を仰いだ。人間、誰しも複雑な事情を抱えているものだ。ヘレンは幼い娘と娼館で働く仲間たちの無事を保証してくれるのなら、イーサンの計画に参加する約束をしてくれた。

 けれどヘレンが信用できる人物なのか知る必要があった。そこでエレノアはヘレンという女性を見極めるため、娼館に通うようになった。鳥籠でも有数の高級娼館の稼ぎ頭だったので、彼女との時間を買うためにそれなりの大金を必要とした。しかしこれから始めようとしている戦争に比べれば、それは微々たるものだった。


 エレノアの許可が出ると、イーサンはラムズの携帯端末をコピーするための専用端末を用意させて、それをヘレンに託すことにした。コピー端末の製造を担当したのは、イーサンの傭兵部隊に所属する女性で、ペパーミントと一緒に旧文明のシステムを解析した経験がある『アンナ』だった。

 情報解析の分野において、優れたセンスを持ち合わせていたアンナが用意したコピー端末の使用方法は単純だった。端末を起動させて、対象の携帯端末に数秒間コピー端末を接触させる。それだけで情報漏洩の対策が施された端末のシステムに侵入することができた。


 いつものようにラムズが娼館にやってくると、ヘレンは積極的にラムズを誘惑した。が、それまで自然体で客を魅了していたヘレンの態度はどことなく不自然で、すぐにラムズは異変に気が付いた。けれどある種の習慣として、警戒するということを知らない男は、ヘレンの態度を見て「まるで男を知らない初心な女性を見ているようだ」と、気を良くしてしまう。


 鳥籠の防衛予算の管理を任されている優秀な男が見せたあまりにも間抜けな態度に、思わず頭を捻ってしまいそうになるが、欲望というものは人の目を曇らせるものだ。ヘレンはその日の仕事を済ませると、ベッドで気持ちよく眠っているラムズを尻目に、アンナに教えられた通りにコピー端末を使って、怪しまれることなくラムズの端末とそっくりに機能するクローン端末を作製する。


 アンナはクローン端末を受け取ると、ペパーミントとカグヤの助力を得て情報解析を行った。調査の結果、鳥籠防衛に絡む予算の詳細を把握することができた。金の流れを追う過程で、議会や警備隊のなかに不当な利益を得ている者たちが存在していることがわかった。彼らの行為は教団に対する裏切りそのものだった。イーサンは彼らのうわさをそれとなく流して、教団から派遣されていた処刑隊の耳に入れた。それから何が起きたのかは言うまでもないだろう。

 処刑隊が動いたあと、まともな人間は粛清を恐れて鳥籠を離れ、能天気な人間は議会の席が空いたことを心から喜んだ。


 鳥籠の資金源に関する情報について調査を進めると、製薬工場で生産されている医療品だけでなく、無法者の略奪者や傭兵団に販売している『メタ・シュガー』と呼ばれる覚醒剤、そして武器の販売が教団の主な資金源になっていることが分かった。しかしそれだけで莫大な戦費を調達することはできない。では教団は何処から資金を得ているのだろうか?


 ヒントとして得られたのは、教団が行っている人身売買に関する情報だった。教団は各地の鳥籠を襲撃する過程で人々を捕らえ、教団の本部で秘密裏に行われている実験に利用して、使い物にならなくなった人間を人買いに売却していた。使い物にならなくなった人間、というのがどのような状態を指すのかは依然として分からないが、我々が想像している以上に教団の闇は深いようだった。


 また傭兵と警備隊の要請を受けて、議会が調達していた装備に関する情報もある程度把握することができた。多脚型戦闘車両を七十八台、傭兵に支給される専用端末が一七三四台、迫撃砲などの火器を含め、自動小銃が計六七二丁、その他食料品や戦闘服、そして傭兵を雇うための資金等の情報を得ることができた。

 そのなかで、傭兵たちに支給された携帯端末に関する情報は、侵攻の際に通信妨害装置を使用する発想に繋がる。支給された揃いの端末の詳細が分かれば、限定的な通信妨害が可能になるとイーサンは踏んだ。


 戦闘車両に関する情報も貴重だった。イーサンは完全な状態で鳥籠に運び込まれた貴重な軍用規格のヴィードルが、侵攻作戦の際に我々を攻撃する車両として使用されずに済む方法を考えることにした。車両が保管されている倉庫の位置が判明したので、ピンポイント爆撃で倉庫ごと破壊しても良かった。しかし貴重なヴィードルを破壊してしまうのは、あまりにも惜しい。もしも鹵獲することができれば、それは組織の今後のためにもなる。


 そこでイーサンは整備士たちの仕事を管理している職人組合に目を向けた。教団が周辺地域の鳥籠に対して行っている侵略政策をチャンスと捉えていた組合幹部は、積極的に教団と関係を持ち、警備隊や傭兵たちが使用するパワードスーツやヴィードルの整備で好景気に沸き、そして例のごとく腐敗していた。工作員として鳥籠に潜入していたイーサンたちにとって、それは都合が良い状態だった。


 諜報部隊の存在が露見しないように、念入りに計画を立て、身代わりを使って交渉を進めた。そして所属する組織を簡単に裏切るような人間が手にするには、充分すぎる莫大な報酬を約束することで、組合の幹部を抱き込むことに成功する。しかしイーサンが幹部に求めたのは、ヴィードルの操作権限ではなく、データベースに繋がっていない職人組合のコンピュータに保管されていた機密データだった。


 もちろんそこには組合がヴィードルを整備するために、教団から預かっていた車両の操作権限に関する情報も保管されていた。スタンドアローンで動作するシステムへの侵入は困難で、コピー端末を使用しても情報を得るのは難しいと考えていた。だから幹部との交渉が成功したとき、イーサンはひどく困惑した。

 しかし困惑してばかりはいられない。組合の幹部からデータが収められた外部記憶装置を受け取る際には、IDカードを所持していない、身元が追跡できない浮浪者を使って計画を完遂させた。ちなみに組合の幹部が約束の報酬を得ることはなかった。彼が得たのは前金として支払われた小遣い程度の小金と、処刑隊による拷問だった。職人組合に裏切り者がいると、処刑隊に密告したものがいたのだ。


 処刑隊は組合幹部を拷問する過程で、持ち出された情報の精査を行った。しかし組合のコンピュータに保管されていた情報は多岐にわたり、イーサンの目的がヴィードルの操作権限だと突き止めることのできる人間はいなかった。あるいは、そのことに気がついた勘のいい人間がいたのかもしれない。しかし処刑隊は日々の業務に追われ、組合幹部の問題にだけ構っていられなくなっていた。というのも、諜報部隊の扇動によって本格化していた教団に対する反対運動が激化していて、鳥籠ではいつ暴動が起きてもおかしくない緊張状態にあったからだ。


 ヴィードルの操作権限は簡単に入手できた。しかし現場で整備士たちを束ねていた男と交渉する段階までやってくると、計画は行き詰ってしまう。問題は整備士たちの監督者である『ラジブ』にあった。彼は昔堅気の職人で、外部の人間、ましてや整備士でもない人間が倉庫に近づくことさえ許さなかった。しかしラジブを抱き込まないことには、倉庫に保管されているヴィードルの操作権限を使用しても、教団が所有しているオリジナル権限でシステムの修復が行われ、戦闘で車両が使用される可能性があった。


 操作権限があるのだから、カグヤにハッキングしてもらってから、倉庫にある車両を持ち出せば済むと考えていたが、それでは計画が露見して、諜報部隊の活動にも影響してしまう。あくまでもヴィードルは故障等の理由で戦闘に参加せず、侵攻作戦の際には倉庫で保管されていなければいけない。

 そこでイーサンはラジブに多額の報酬を用意して交渉を行った。そう、約束したのではなく、すぐに大金が引き出せるIDカードを用意したのだ。けれどラジブは首を縦に振らない。そうして交渉は膠着状態になる。いっそのこと、適当な罪状をでっち上げて、ラジブを処刑隊に密告すればいいのではないのか、整備士たちを監督する人間の首を挿げ替えれば済む簡単な話だと思った。


 しかし私の考え無しの提案はすぐに却下された。優秀な整備士を失くすことは、貴重なヴィードルを失くしてしまうくらいに惜しいことだとイーサンは考えていた。ではどうしたのか。イーサンはラジブの知識欲を刺激することにした。そんな単純なことで上手くいくはずがないと考えた。しかし現実は違った。軍用規格の簡易型ヴィードルと戦闘用機械人形ラプトルの画像を見せると、ラジブは目の色を変えた。


 幼い頃から機械いじりが好きで、七歳になる頃には整備士である父親の仕事を手伝い、小さな工場で怒鳴られ殴られながらも雑用をこなして、整備用ドロイドが仕事するさまを眺めて仕事を覚えたラジブにとって、旧文明期の機械は何よりも美しいものだった。そして貴重な機械に触れられるチャンスが与えられるなら、気に食わない教団が倉庫に運び込んだヴィードルに細工することなどなんでもなかった。ラジブは信頼できる数人の整備士と話をつけると、彼らと共にイーサンの計画に参加することを承諾してくれた。


 次にイーサンが取り組んだ仕事は、警備隊に所属している人間の不安感を煽ることだった。酒や金で厄介事を抱えている人間がいれば、言葉巧みに取り入り、教団が行っている非道の数々、そして近々行われるかもしれない戦闘で多くの死者が出ること吹聴させた。処刑隊はうわさの出所を探したが、それは巧妙に隠され、そして処刑隊だけで対応するにはあまりにも人数が多かった。そうしてうわさは広がり、ついには警備隊をやめて、家族を連れて鳥籠を出るものも現れた。


『レイラさん』

 ウェイグァンの声が内耳に聞こえると、私はインターフェースに表示させていた報告書を消して、高層建築物が建ち並ぶ廃墟の街に視線を向けた。

「傭兵たちが動いたのか?」

『はい。今日も懲りずに攻撃を仕掛けてくるみたいです』

 数日間かけて行われていた陽動作戦によって、教団は廃墟の街と砂漠地帯の境にある地域に多くの傭兵を派遣していた。その陽動作戦には、ワスダの部隊と愚連隊だけでなく、空間転移を使用することで、いつでも拠点に帰還できる私とハクも参加していた。


 傭兵たちとの戦闘は、イーサンとワスダが計画したゲリラ戦術によって、戦闘員が圧倒的に少ない状況下であるにも拘わらず、我々は大きな成果をあげることができていた。そしてそれは、テストの一環として使用されていた簡易型の通信妨害装置の思わぬ効果のおかげでもあった。

「戦闘準備だ」と私は言う。「今日も長い一日になる。油断しないでくれよ」

『まかせてください』と、ウェイグァンの自信満々な声が聞こえた。

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