第482話 気配


 ホログラムの投影機を搭載したドローンが、企業の広告を垂れ流しながら我々の上空を通過していくのが見えた。紺色のつるりとした装甲を持つ半自律型の機体は、通りから人々の姿が消えたあとも、与えられた仕事を愚直に続けているようだった。


『野良のドローンだ』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『めずらしいね』


「そうだな」と、私は日の光を遮るように額に手を当てながらドローンの姿を確認する。

「完全な状態で動いている機体は、スカベンジャーや傭兵たちに撃ち落とされて、売却目的で分解されてしまう世界だからな」


『シールド以外にも、貴重な部品を積んでいる可能性があるね』

「旧文明が終焉を迎えてから今日まで、何の異常もなく飛行し続けている機体だから、耐久性は証明されているな」


『このまま放っておくのもかわいそうだし、遠隔操作でシステムを掌握できるか試してみる』

「カグヤに任せるよ」


 しばらくすると、多脚型戦闘車両の広告を投影していた円盤型ドローンは、重々しい雰囲気を演出する音楽とホログラムを消して、小粋なビープ音を鳴らすと、何処かに飛んでいってしまう。


「ハッキングに成功したのか?」

『うん。ドローンは企業の所有物だったけど、火器を搭載している軍用規格の機体じゃなかったから、システムに侵入するのはそれほど難しくなかったよ』


「何処に向かったんだ?」

『拠点だよ。味方だと示す識別信号を発信するようにしたから、警備をしている機械人形から攻撃される心配もない』


「そうか……ありがとう、カグヤ」

『どういたしまして』と、彼女は言う。

『それはそれとして、気になることがあるんだ』


「なんだ?」

『教団は傭兵たちを使って私たちの拠点を偵察させているみたいだけど、教団の狙いは何だと思う』


「……さあな」思わず溜息をついた。

「俺たちの拠点を偵察している組織は教団だけじゃないから、なんとも言えないよ」


『拠点の周囲にはハクの巣があるから、今までは攻撃の意思がない傭兵たちのことは放っておいていたけど、そろそろ警戒した方がいいのかもしれないね』

「そうだな。教団の狙いが保育園の地下にある旧文明の施設なら、襲撃を計画している可能性は充分にある……」


 倒壊した建物の下敷きになっていた人擬きが、うめきながら私に向かって腕を伸ばすと、私はその腕を踏みつけながら、皮膚が垂れ下がる人擬きの醜い頭部に銃弾を撃ち込む。人擬きの死を確認してから、ちらりと視線を動かすと、数人分の遺体が瓦礫の下敷きになっていることが確認できた。それらの遺体は、人擬きとしてではなく、人間として死ぬことができた人々の遺体だった。


『人擬きの襲撃から命からがら逃げてきたけど、建物の倒壊に巻き込まれて死んじゃったのかな?』

「残酷な運命だな……でもその可能性はある」と、私は周囲に視線を向けながら言う。

「この辺りの建物は経年劣化で今にも崩れそうになっている。俺たちも移動の際には建物の状態に注意しないといけない……それより、目的の建物はまだか?」


『もうそこまできてるよ』カグヤはそう言うと、私の視界に映像を表示する。

『何度も見たと思うけど、巡回警備中の部隊が目撃した変異体の映像だよ』


 表示された映像には、四肢動物にも見える大きな生物が建物内に勢いよく駆け込む姿が映り込んでいた。が、映像を記録した人間との間に相当な距離があるのか、生物の姿はぼんやりとしていて、ハッキリと認識することはできなかった。


「未確認飛行物体を捉えた出来の悪い映像みたいだな」

『でもこれを見て』


 生物の輪郭が赤色の線で縁取られると、おおよその体長が表示された。

「でかいな……四メートルはありそうだ」

『まるでサイだね……この辺りに動物園があるんじゃないのかな?』


「冗談だろ?」

『真面目に言ってるんだよ。動物園から逃げ出した動物が変異している可能性だってあるでしょ?』


「動物園か……」ライフルを構えながら前進する。

「富裕層や成功者のための娯楽施設には、そういったものがあっても不思議じゃないな」


『ラスベガスみたいだね』と、カグヤがクスクス笑う。

 目的の建物が遠目に見えてくると、ハガネの鎧で全身を覆って環境追従型迷彩を起動する。ショルダーバッグを肩に下げていたので、ついでに羽織っていた外套の迷彩も起動してバッグを覆い隠した。


「上空のカラスには付近の偵察を続けさせてくれ」と、建物を睨みながら言う。

「カグヤはそのまま偵察ドローンで俺の援護をしてくれ」

『了解』


 周囲の動きに警戒しながら三十メートルほど歩くと、未確認生物が潜んでいると思われる建物の前に到着する。冠水した地下横断歩道に向かって泳いでいく大型の水棲生物を横目に見ながら、雑草に覆われた無数の車両が放置された静かな通りに視線を向けた。


「何か見えたか?」と、小声で訊く。

『ううん。建物内は分からないけど、少なくとも付近一帯の通りにいるのはレイだけだよ』


「……それで、目的の建物はここで合っているんだよな?」

 私はそう言うと、五階建ての集合住宅に視線を向ける。旧文明期前期に建てられたと思われる建物の外壁は、あちこちで崩落していて周囲には瓦礫の山ができていた。けれど建物の基礎はしっかりしているのか、通りにある他の建物に比べて状態は悪くなかった。


『このマンションで間違いないよ』

 カグヤはそう言うと、ドローンを操作して建物内に侵入できそうな場所を探す。

『エントランスは瓦礫で完全に埋もれているみたい。未確認生物が建物内に侵入したときに崩れたのかも』


「なら上階から侵入するしかないな……」

 外壁が崩落した際につくられた傾斜を歩いて、ガラスのない窓枠に近づくと、何処からか銃声が聞こえてくる。私は一瞬だけ足を止めるが、すぐに窓に注意を向けた。遠く離れた区画で行われている戦闘なのだろう。危険が及ぶことはない。


 大きなガラス窓から室内を覗き込みながら言う。

「カグヤ、室内の索敵を頼む」


 ドローンが光学迷彩を起動して、周囲の景色に溶け込むようにして薄暗い室内に向かって飛んでいくのを確認したあと、窓枠に足をかけた。


『敵影なし』と、カグヤの声が聞こえる。

『この階は安全みたい。入ってきて大丈夫だよ』


 深呼吸すると、腕に力を入れて窓枠を越える。それから室内の薄闇に慣れた瞳を使って室内の様子を確認する。瓦礫と窓から入り込んだ砂、そして部屋の隅に積み上げられたゴミが目についた。


「なにもないな……」

『使えそうなものは、大昔のスカベンジャーたちに持ち去られたんだよ』


 ヘドロのように床に堆積した泥に足をとられないように注意しながら、薄暗い部屋の奥に向かう。幾つかの部屋があるみたいだったが、その全てはゴミと瓦礫に埋もれていた。早々に探索を諦めると、幅の狭い廊下を歩いて玄関らしき場所に向かう。泥に埋もれた扉を足場にして真っ暗な廊下に出る。日の光が届かない廊下は、静寂と完全な暗闇に支配されていた。


 ドローンが扇状に広がる青白い光で廊下を照らすと、拳大の昆虫が照明を嫌って瓦礫の隙間やゴミに向かって一斉に移動する様子が見えた。


『ドローンの動体センサーでは生物の反応は捉えられなかったけど、そっちはどう? 敵意のようなものは感じ取れる?』


「いや、なにも感じないよ」と、カグヤの言葉に返事をした。

 その言葉は静かな廊下に響いた。


『堆積した埃の状態から見ても、何ものかが侵入した形跡はない』

「それなら階下だな」

『うん。階段を探してみるよ』


 廊下に無造作に捨てられていた家具や空き缶に注意しながらドローンのあとを追う。するとドローンの青白い光に照らしだされたエレベーターの扉が見えてくる。


『ここから下に行けるみたい』

「階段は?」


『あちこち崩れていて使えそうにない』

 エレベーターが設置されていた空間を覗き込むと、落下したエレベーターの残骸が見えた。経年劣化でワイヤロープが切断されたのだろう。


「階下に人擬きが潜んでいないか調べてきてくれ」

『わかった。レイはここで待ってて』


 光源になっていたドローンが階下に飛んでいくと、マスクのナイトビジョンを使って辺りの様子を確認する。ムカデに似た四十センチほどの節足動物が、天井付近の壁でモゾモゾと這っている姿を見ていると、廊下の先に子供ほどの体長を持つ人影が見えた。


 なにかの見間違いだと思って注意深く確認すると、開け放たれた扉から覗き込むようにして、こちらを見つめる子供の真っ青な顔が見えた。その瞬間、首筋を撫でる底知れない恐怖と共に、全身の鳥肌が立つのが分かった。


 息を呑んで一歩下がる。すると廊下の突き当りに設置されていた防火扉が前触れもなく、叩きつけられるようにして閉じると、何処からともなく子供の無邪気な笑い声が聞こえた。子供に視線を戻すと、こちらの様子を窺っていた青白い顔は、部屋の中に隠れるようにして消える。


『急に心拍数が上昇したけど、どうしたの?』と、カグヤの声が聞こえる。

「急に?」と、廊下にライフルを向けながら言う。「今の騒がしい音が聞こえなかったのか?」


『どの音?』

 防火扉に視線を向けると、扉は開け放たれた状態だった。私は深呼吸して、それから言った。

「子供の姿を見た」


『冗談……じゃないよね?』

「ああ。なんだか嫌な胸騒ぎがする」


『危険な感じはしないけど、気のせいなんじゃないんだよね……』

 彼女の言葉にうなずいたあと、背後に注意しながら後退る。

「通信の状態は?」


『良好だよ。でも不安なら撤退してもいいと思う。ここは得体の知れない化け物が徘徊する廃墟の街だからね、用心するに越したことはない』


「いや……任務を継続しよう。拠点の側に化け物が潜んでいるのを知りながら、不安を抱えて鳥籠と戦争するつもりはない」


 そう言って階下に向かって飛び下りようとしたとき、薄暗い廊下の先から乾いた打撃音と、接近する何かの重い足音が聞こえた。


 足を滑らせて階下に落下すると、音に驚いたカグヤのドローンが近づいてきた。堆積していた砂埃が舞い上がりドローンの照明で浮かび上がる。それまで私が立っていた場所には、こちらの様子をじっと確認する子供が立っていた。瞳のない眼孔からは、赤黒いムカデが顔を出していた。不気味な子供は笑顔をみせると、廊下の暗闇に消えていった。


『大丈夫、レイ?』カグヤの不安そうな声が聞こえる。

「ああ。でも、すぐにここを離れたほうがいい」


『それなんだけどさ……目的の変異体を見つけたかも』

 カグヤの言葉に驚いて視線をドローンに向けた。

「すぐに移動しよう。どこか安全な場所まで先導してくれ」


『待って!』カグヤは冷静に言う。

『もう死んでいるみたいなんだ』


 周囲に警戒しながらドローンのあとについていくと、紫黒色の生物が壁に寄りかかるようにして座り込んでいる姿が見えた。確かに呼吸している様子はなかった。

「ゴリラに似ているな……あれは本当に死んでいるのか?」


 体毛のない大型類人猿の皮膚に外傷は確認できなかった。化け物の胴部に照準を合わて引き金に指をかけると、警戒しながら生物に接近した。


『サイじゃなくて、ゴリラだったね』

「混沌の生物だと思うか? それとも地球の生物が変異した?」

『それはわからないけど、この生物は――』


 耳鳴りがしてカグヤの声が聞こえなくなると、めまいがして内臓が持ち上がるような吐き気を感じた。次の瞬間、粘液に濡れた無数の触手が暗闇を這う明瞭な映像が視界を過る。幻覚とも呼べない鮮明なイメージが頭の中に流れ込んでくるのと同時に、なにかの強い気配を感じた。


 全身の血の気が引くような立ちくらみを感じながら、私は恐怖に後退り、そして廊下に転がっていた瓦礫に躓いて倒れてしまう。


 体毛のないゴリラは、そんな私を笑うように歪んだ頭部を揺らし、そして歯を鳴らし、舌を打つようにして声を発した。しかしその言葉は〈データベース〉を以ってしても翻訳できない類の禍々しい言語だった。


 あるいはただのしゃがれた威嚇音だったのかもしれない。けれど死んでいたと思われていた化け物が大きな口を開いて、ネットリした血液を吐き出しながら声を発するたびに、化け物の全身についていた無数の瞼が開いて、奇妙な眼をきょろきょろと私に向けるのが見えた。


『レイ!』カグヤの声が遠くから聞こえる。

『レイ、しっかりして!』


 カグヤの言葉でハッとすると、急いで立ち上がり、そして化け物に銃口を向けた。しかし化け物は最初に見た状態から変化していなかった。


 私は側頭部を押さえながら言った。

「ひどい吐き気と耳鳴りがする」


『やっぱり何か変だよ。すぐにここを離れよう』

「賛成だ」


 倒れそうになりながらも、ふらふらと歩いて化け物の側から離れた。エレベーターの側まで行ってワイヤロープに手をかけると、それまでに感じていた吐き気が嘘のように消えた。


 結局、建物内の探索はカグヤのドローンに任せることになった。未確認生物が他にも潜んでいないか確認している間、私は建物から出て、先ほどの現象について考えた。けれど幾ら考えても答えはでなかった。今までに体験した不思議な出来事同様に、その現象は一方的なものだった。


 なにか恐ろしいものが建物内に潜んでいる。それは死んでしまった化け物が残した混沌の影響だったのかもしれないし、悪霊のようなものが発生させた不可思議な現象だったのかもしれない。あるいはその全てだった可能性もある。いずれにしろ、私がその建物に入ることは二度とないだろう。


 しばらくしてカグヤのドローンが戻ってくる。どうやら建物に潜んでいたのは、死んでいた化け物だけだったようだ。私は遺物を使って空間転移の門を開くと、逃げるようにして拠点に帰還した。探索は散々な結果に終わったが、少なくとも、生きている化け物からの襲撃を警戒する必要はなくなった。

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