第481話 課題
侵攻作戦に関する話し合いが行われた翌日、私は高層建築物が建ち並ぶ廃墟の街にいた。五十二区の鳥籠との戦闘には、各拠点の警備を行っている部隊も参加することになるが、その際には機械人形に拠点警備を任せることになっていた。けれど機械人形だけでは対処できない問題もある。そのため、イーサンの傭兵部隊に所属していた『ノイ』を拠点に残して、機械人形の指揮をしてもらうことになっていた。しかしそれでも対処できない脅威が廃墟の街には潜んでいる。
倒壊した高層建築物の間から雪解け水が滝となって流れているのを横目に見ながら、私はインターフェースに表示されている地図で、あらためて目的地を確認する。未確認の変異体が目撃されたのは、旧文明期前期のものと思われる建物が多く残る旧市街地だった。
廃墟の街をあてどなく徘徊する不死の化け物である人擬きとも、昆虫型の変異体とも異なる化け物は、混沌の領域からやってきた非常に危険な生物の可能性があった。そしてその可能性が少しでもあるなら、拠点警備を機械人形に頼らなければいけない状況では、野放しにすることができなかった。
立ち止まって地図を確認していると、上空で偵察を行っていたカラスが、腐食して折れ曲がった街灯の先に止まる。艶のある綺麗な羽毛を持つカラスは、翼を大きく広げてみせると、その場でトントンと跳ねて何かを伝えようとする。鴉型偵察ドローンは、特殊な人工知能を搭載しているトゥエルブと同様、独自の人工知能を搭載しているので、プログラムにない反応を示すのは普通のことだった。が、人間のように言葉を発する器官や、テキストメッセージを送信する機能がないカラスは、簡単なジェスチャーで意思表示することが多かった。しかしそれを理解するのは困難だった。
「カグヤ、カラスが伝えようとしていることが分かるか?」
『えっと……』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『たぶん、これのことだと思う』
インターフェースに表示された俯瞰映像には、アシダカグモにも似た大型の変異体を三匹ほど連れた人間の集団が歩いている様子が見えた。
「あれは蟲使いか?」
『うん。一般的な戦闘服を着た人間と一緒にいる状況を見るに、傭兵として雇われている森の民だと推測できる』
「蜘蛛型の変異体を使役している蟲使いは少ないって聞いていたけど、それほど珍しいものでもないみたいだな」
カラスが鳴いて青い空に向かって飛び上がると、思わず視線であとを追った。すると高層建築物の特殊なガラスに映り込んでいた雲が、ゆっくりと動くのが見えた。くっきりとした青に、真っ白な雲の組み合わせは驚くほど綺麗だった。
『鳥籠スィダチの提案を拒否した部族に所属している蟲使いなのかも』と、カグヤが言う。『それはそれとして、どうするつもり?』
「どうするって?」
『このまま移動すると、あの集団と鉢合わせすることになるよ』
「敵対的な勢力に属しているなら、容赦なく攻撃される可能性があるな……」
『そうだね。相手は貧弱な装備で武装したレイダーじゃなくて、大蜘蛛を使役できるほどの蟲使いだから、脅威度は高いと思う』
「でも俺たちにも猶予はない。侵攻作戦が始まる前に化け物は排除しておきたい」
『なら、このまま進むの?』
「この辺りをうろついている理由が知りたい。奴らの狙いが俺なら、俺の姿を認識した瞬間、敵意を感じ取ることができるはずだ」
『敵意を認識してから対処するには、いささか危険な距離だと思うけど……』
「かといって、奴らと遭遇しないように他の道を探していたら日が暮れる」
『……わかったよ。でも慎重に行動してね』
「心配ないさ、慎重さにかけては、俺の右に出るものはいないからな」
カグヤは大きな溜息をつくと、上空のカラスに指示を出して集団に接近させた。
ライフルを腰だめに構えながら大通りに出ると、道路に沿って生じた亀裂を起点にして、大きな起伏が路面に発生しているのが確認できた。歩くだけでも非常に危険な道となっていて、放置車両が傾いたまま挟まっている亀裂には雪解け水が流れ込んでいて、川のようになっている場所も存在した。そのうちの幾つかの亀裂は、恐ろしく深い縦穴になっていて、先の見えない真っ暗な空間からは生物の気配までもが感じられた。
カグヤが操作する偵察ドローンが何処からともなく姿を見せると、路面に向かってレーザーを照射して辺りのスキャンを行う。
『過去に激しい戦闘が行われた場所なのかな?』
「この先には……」と、私は地図を確認しながら言う。「カジノを含む複合型リゾート施設があるみたいだな」
『それがどうしたの?』
「戦闘の混乱に乗じて、カジノ強盗を企てた集団がいたんだよ」
『人類が滅亡してしまうかもしれないってときに、カジノ強盗なんてしないんじゃないのかな』
「人間はときに、俺たちが想像もしないような愚かな行動をとる」
『愚かな行動ね』
「リゾート施設の警備要員として、街のあちこちに配置されていた機械人形との間で戦闘になったのかもしれないな」
私はそう言うと、路面にできた亀裂に挟まっている状態で放置されていたアサルトロイドの残骸に視線を向けた。
『その推理は、それほど的外れでもないのかも』と、カグヤは言う。『不死の薬を発端とした戦争で、大陸から多くの難民が日本に流れてきていた。その貧しい人々の共同体が暮らしていたのは、皮肉なことに高級リゾート施設が建ち並ぶ区画のすぐ側だった』
カグヤが視界に表示した横浜の空中写真を見ながら私は言った。
「難民たちのために用意された地区は、俺たちが旧市街地と呼んでいる場所だな」
『そうだね。そして難民の多くは、不死の薬を手に入れられないほどの貧しい生活を強いられていた』
「そんなことまで分かるのか?」と、私は足元の亀裂に注意しながら言う。
『ただの推測だよ。でもアジア系移民の一部が暴動を起こした記録は残ってる』
「宇宙からなのか、それとも異界からの侵略なのかは分からない。けど、その混乱に乗じて難民たちが暴徒化した。その一部はカジノがあるリゾート施設を襲った?」
『可能性はあると思うよ』と、カグヤは言う。『貧しい地区からは、きらびやかな高層建築物が見えていた。彼らはその光景に、憧れと憎しみを抱いていたんだと思う』
「手に入れられないものに対する歪んだ思いだな。わかるような気がするよ」と私は言って、機械人形の残骸を拾い上げる。「で、警備用の機械人形が派遣された」
『恐らく。遊園地のことは覚えているでしょ?』
「ミスズを保護した場所だな」
『うん。あの遊園地に派遣されていたアサルトロイドも、暴徒鎮圧を目的としたものだったからね』
「そう言えばそうだったな。遊園地の出来事も、随分と昔のことのように思える」
『そうだね。あのあと、色々なことがあったから』
埋め立て地に向かう片側三車線の大通りから離れて、旧市街地に向かう道路に入っていくと、旧文明期前期に建てられたと思われる古びた建築物が並ぶ通りを歩いた。かろうじて倒壊していなかった建物の多くは、しかし経年劣化によって今にも崩れそうになっていて、近くを歩くことさえ躊躇わせた。
旧文明期の建築物に対して比較的低い建物が並ぶ通りでは、建物屋上からの狙撃に警戒しながら歩く必要があった。
「さっきの話だけど、そのリゾート施設はどうなったんだ?」
『今現在の状況ってこと?』と、カグヤが言う。
「そうだ」
『ジャンクタウンでも噂を聞かないから、今もスカベンジャーたちに荒らされていない場所だと思う。でもそれってつまり、人間が安易に立ち入ることができないほど危険な場所になっているってことだよね』
「警備用の機械人形や、金庫を守るための仕掛けが残されているのかもしれないな」
『仕掛け?』と、カグヤは呆れながら言う。『ライブラリーにある映画の見すぎなんじゃないの?』
「そうか? カジノって言ったら、金庫に続く通路に厳重な罠が仕掛けてあるイメージだけど」
『そもそも電子貨幣が一般的に広く普及していた時代に、金庫に何をしまうのさ?』
「……金塊とか?」
『それこそ映画の――」
カグヤの声を遮るように通知音が内耳に聞こえると、上空のカラスから受信していた映像が拡大表示される。
『蟲使いがレイの存在に気が付いたみたい』カグヤはそう言うと、小走りに動き出した蟲使いと、彼らが使役する大蜘蛛の輪郭を赤色の線で縁取る。
「俺の背後を取るつもりだな」
『蟲使いたちから敵意は感じられる?』
「いや、敵意は全く感じられない。まだ警戒している段階なのかもしれない」
しばらくすると、道路の先に蟲使いたちと行動を共にしていた人間の姿が見えてくる。二人は肩に下げたライフルから手を離していて、こちらに手の平を見せるように腕を持ち上げていた。
『少なくとも、あの二人に攻撃する意思は無いみたい』と、カグヤが言う。
「俺に対する悪意や敵意も感じられない」
『それなら、安全ってこと?』
「今のところは」
二人は頭部を完全に覆うガスマスクを装着していたので、放射能汚染区域の側を通ってきた可能性があった。苔色の戦闘服を身につけていた男はガスマスクを外すと、私に笑顔を見せた。
「まさかこんな場所で同業者に会えるとは思っていなかったよ」
「同業者?」私が頭を捻ると、年配の男は顔をしかめた。
「ガラクタが詰まった大きなリュックは背負っていないみたいだし、ゴミ拾いのスカベンジャーじゃないんだろ?」
「いや、俺は――」
「止せ」と、私の言葉を遮るように、大きな蜘蛛を従えた蟲使いが姿を見せた。彼の顔には絡み合う植物の茎を描いた入れ墨が彫ってあった。「そいつも俺たちと同じような依頼を受けた傭兵だ。余計な詮索をしていないで先に進むぞ」
急所を鉄板で補強した奇妙な動物の毛皮を着ていた蟲使いに対して、年配の男は肩をすくめる。
「だな。同業者相手に時間を潰している暇なんて俺たちには無い。この辺りの警戒を任されたんだろうと思うけど、お前もひとりで出歩いていないで仲間のところに帰れ。ここは危険な場所だぞ」
男は私の肩を叩くと、何事もなく通り過ぎようとする。
「待ってくれ」と、私は言う。「あんたの任務は?」
年配の男は答えようとして口を開いたが、蟲使いが頭を振ると、溜息をついた。それから何も言わずに通りの向こうに来ていた蟲使いたちと合流した。
「レイラだな」と、その場に残った蟲使いは小声で言った。
「俺のことを知っているのか?」
「ああ。俺の妹はスィダチで暮らしている。イアエーの英雄についての情報はもっている」
「そうだったのか……」
「俺たちの任務は」と蟲使いは続ける。「レイラの拠点を偵察することだ」
「偵察……依頼主は五十二区の鳥籠なのか?」
「詳しくは知らないが、傭兵組合に依頼したのは、何処かの宗教団体だ」
「不死の導き手だな」
それについては本当に知らないのか、蟲使いは何も言わなかった。代りに舌を鳴らして、建物に張り付いていた蜘蛛に何か指示を出した。体長が一メートルを優に超えるアシダカグモにも似た変異体は、その大きさに見合わない小さな眼で真直ぐ私を見つめたあと、建物の壁面を移動して暗闇が支配する建物に入っていった。灰褐色の体色を持つ蜘蛛は、薄闇に身体を馴染ませ、まるで風景に溶け込むようにして視界から消えていった。
「任務のことを俺に話しても良かったのか?」
蜘蛛から視線をそらして、私がそう訊ねると、蟲使いは素直にうなずいた。
「レイラはスィダチが戦場になったとき、奴隷として連れ去られそうになっていた妹を助けてくれた。恩人が困っているなら協力は惜しまない」
「そうか」と私は言って、それから苦笑する。「でも拠点の偵察はするんだな」
「攻撃の指示は受けていない。レイラと敵対しないなら、偵察の任務はいい稼ぎになる」
「教団は羽振りがいいんだな」
「そうでもない。でも、俺たちには金が必要だ」
「森の民の生活は苦しいままか」
「ああ」と、日に焼けた顔を持つ男は言う。「けれど境界の守り人にはなれない」
「どうしてだ?」
「危険だからだ。妹を残して死ぬわけにはいかない」
蟲使いの言葉を聞いた瞬間、私はハッとして男に視線を合わせた。そしてあれこれと考えたあと彼に言った。
「組合との契約が終わったら、俺に連絡してくれないか。もっと稼げる仕事を紹介できるかもしれない」
「危険でなければいいが」
「混沌の領域を監視する仕事より、ずっと安全だと思うよ」
「そうか……レイラに連絡するには、どうすればいい?」
私は自身の側頭部を指先で軽く叩いた。
「そのツノに似た端末を使ってくれ、俺に繋がるようにしておくから」
「分かった。仲間にも声をかけておく」
蟲使いの傭兵たちと別れたあと、私は変異体の目撃情報があった建物に向かって歩き出した。
『戦闘にならなくて良かったね』と、カグヤの言葉が聞こえた。
「そうだな。それに、森の民が抱えている問題にあらためて気づかせてくれた」
『彼らの仕事のこと?』
「ああ。俺たちは森の民に仕事を用意するとか言っておきながら、混沌の領域に気を取られるあまり、彼らが抱えている問題に目を向けようともしなかった」
『そうだね。みんなにも事情はある……』
「森の民との協力関係を続けていくなら、彼らのことを真面目に考えなければいけない」
『それなら、さっさと変異体の問題を片付けて鳥籠との戦争に本腰を入れよう。私たちにはやらなければいけない重要な課題がたくさんあるんだ。いつまでも鳥籠に構ってはいられない』
「……先導してくれ。まずは化け物に対処しよう」
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