第477話 条件


 口を開こうとしたとき、通知音と共にインターフェースに整備ドローンからの映像が表示される。どうやら確認作業を行っていたドローンが、浄水装置の故障個所を見つけたみたいだ。

『レイ、ホログラムで表示するよ』

 私はカグヤの言葉にうなずくと、センターテーブルに設置されていた端末を操作して映像が表示されるようにした。

「これは?」と、ジョンシンがホログラムに視線を向ける。

「貯水池で発生していた問題の調査をレイにお願いしたんです」とイリンが言う。「この映像は恐らく、故障個所の確認を行っていたドローンから受信している映像だと思われます」

「整備士たちに任せていた仕事だな」とジョンシンは溜息をついた。「手に負えなくなって、レイラ殿に無理なお願いをしたのか?」

「はい。紅蓮の整備士たちだけでは、手の施しようがなかったので……」


「そうか、またレイラ殿に借りを作ってしまったみたいだな」

 そう言って笑みを見せたジョンシンは、以前に会ったときとは異なり、顔色がよく、死に瀕していたときとは比べものにならないほど体調がいいように見えた。ジョンシンはすらりと痩せていて、豊かな髪を撫でつけて背中でひとつに結んでいた。その品のあるたたずまいからは、彼の育ちの良さが感じ取れた。

「いえ」と、私は彼の言葉に答えた。「自分は故障個所を突き止めただけですよ。それより、少し困ったことになっています」

「と言うと?」

「故障している部品は、すでに修理ができないような状態になっています」

 私がそう言うと、カグヤの操作によって投影されていたホログラム映像が変化して、部品が収まっていなければいけない場所が赤い線で縁取られた。

「部品が完全になくなっている?」

 イリンが疑問を口にすると、私はそれに答えるようにうなずいた。

「経年劣化による破損を想定していましたが、どうやら原因は他にもありそうです」


 ジョンシンは杖の持ち手を指先でトントンと叩いて、それから口を開いた。彼がつけていたゴツゴツとした金の指輪には、目を引く綺麗な彫り模様があった。

「周囲の部品にも腐食が確認できるな」と、彼は言う。

「はい」私はうなずくと、とくに損傷がひどい部品を赤い線で縁取っていった。

「これでは問題の部品を修理したとしても、すぐに別の箇所で問題がでるな」と、ジョンシンは難しい顔で言った。

「何か解決策はないだろうか?」とイリンが狐色の瞳を私に向ける。


『厄介な問題だね』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『ジョンシンが言ったように、部品の交換ができても、すぐに他の問題が発生すると思う』

 私は腕を組むと、あれこれと考えを巡らせて、それから声に出さずにカグヤに訊ねた。

『壊れた部品だけじゃなくて、装置そのものを新しいものに交換することはできないか?』

『浄水装置は高価なものだけど、絶対に手に入らないわけじゃないんだ。だからひとつの選択肢として考えるのは悪くないと思うけど……』

『けど、大規模な鳥籠で使用する装置の入手は困難?』

『うん。ものすごく難しいと思う』

『それならペパーミントが試作品として製造した装置はどうだろう?』

『採掘基地で使用する予定だった装置のこと?』

『そうだ。以前、イーサンからの依頼で俺たちは飲料水を販売する鳥籠の仕事を請け負った。その報酬で浄水装置関連の設計図を入手していて、採掘基地のために製造した装置を所持している』

『結局、工事の計画そのものが白紙になったから、装置は使用されずに倉庫で眠っているけどね』

『その装置は使えないか?』


『互換性が無いか確認するけど……いいの?』とカグヤが不安そうに言う。『私たちは設計図を持っているから、資材があればいくらでも製造できるけど、装置そのものは紛争の切っ掛けになるような貴重な代物なんだよ』

『それが大袈裟な話じゃないのは分かっているけど、タダで提供する訳じゃないさ』

『売りつけるの?』

『まさか』


「レイ?」と、イリンが黙り込んだ私を心配そうに見つめる。

「解決策がないか考えていたんだ」と、私は言う。

「その解決策とやらは見つかったようだな」

 ジョンシンの言葉に私はうなずいた。

「ええ。まだ確証はありませんが、紅蓮の水問題が解決する可能性があります」

 私はそう言うと、装置の出所に関しては伏せたが、浄水装置を所持していること、そして紅蓮のために装置を提供できることを話した。

「もちろん、条件はあるんだろ?」とジョンシンはニヤリと笑みを見せた。

「ご存知の通り、我々は五十二区の鳥籠と敵対しています」

「手助けが必要と言うなら、こんな頼み方をする必要はないぞ。恩人であるレイラ殿のためなら、いつでも戦闘部隊を派遣できる」


「いえ」と私は頭を振る。「紅蓮があの鳥籠と敵対していて、今も戦闘が続いていることは承知しています。ですが砂漠で暮らす人々の生命線ともいえる水の問題を抱えている状況下で、紅蓮の兵力を割いてしまうことは愚策だと思います」

「そうだな」とジョンシンは溜息をついた。「奴らが派遣した傭兵部隊が、隊商に紛れて紅蓮に侵入することが増えてきている。先日も警備隊に大きな被害が出たばかりだ」

「申し訳ないです……」イリンが顔を伏せると、ジョンシンは頭を横に振った。

「イリンの所為じゃないさ……俺も何度か停戦交渉を試みてはいるが、教団と結託してからというもの、奴らは我々との交渉を完全に絶ってしまったからな」


「鳥籠の……教団の狙いは紅蓮なのでしょうか?」と私は訊ねた。

「恐らくな……」ジョンシンはそう言うと、葉巻が入った木製の小箱に手を伸ばした。「もはや我々に五十二区の鳥籠と争う理由などないからな……戦闘に勝利したところで、紅蓮から五十二区の鳥籠までは距離があり過ぎる。製薬工場を手に入れたとして、それを管理する人間がいなければ意味がないからな」

「紅蓮から人材を派遣すれば良いのでは?」


「無駄だろうな」と、ジョンシンはシガーカッターで葉巻の先を切断する。「フーチュンの失策が尾を引いてしまった。我々は紅蓮を立て直そうと、組織の改革……というより、フーチュンが残した反対勢力の粛清を行う必要があった。そしてそこで優秀な人材が多く失われてしまった。もしも戦争に勝利して、鳥籠を占領できたとしても、半端な人間に管理を任せてしまえば、すぐに他の組織に鳥籠を奪われてしまうのは目に見えている」

「紅蓮では想像していたよりも、ずっと大変な事態になっていたのですね」

 私の言葉にジョンシンはうなずく。

「俺がこうして生きているからこそ、紅蓮は昔のようにひとつの組織として結束することができた。そうでなければ今頃、五十二区の鳥籠のように、紅蓮も教団の侵入を許してしまっていただろう」

「教団ですか……」

「だからこそレイラ殿は恩人なんだ。我々は君に大きな借りがある」

 ジョンシンはそう言うと、葉巻を口に咥えることなく、葉巻をゆっくり回しながら火をつけていく。

「問題を抱えているのはお互いさまだ」と彼は続ける。「しかし、紅蓮はレイラ殿に借りをつくってばかりだ。我々にできることはないだろうか?」


 葉巻に火がついたことを確認すると、ジョンシンは葉巻をふかしてみせた。

「それなら、彼の部隊を貸してもらえないでしょうか?」私はそう言うと、ホログラムディスプレイに愚連隊を率いていた青年の顔を表示した。

「ウェイグァンの部隊か……」

「ウェイグァン、それが彼の名前ですか」

「あれはまだレイラ殿に名乗っていなかったのか?」

「はい」

「仕方ないやつだ」と、ジョンシンは葉巻の煙を吐き出した。


「愚連隊と名乗っていますが、あれは兵隊ごっこを楽しんでいる若者の集団には見えません」と私は率直な感想を口にする。

「そうだな」と、ジョンシンは苦笑した。「奴は優秀な戦士だ。しかし正規の部隊じゃなくて、どうして愚連隊を?」

「彼らにお願いしようとしているのが、陽動作戦だからです」

「愚連隊は廃墟の街と砂漠の境界をうろついていて、鳥籠から派遣されている傭兵部隊にちょっかいを出して遊んでいるからな、本隊の動きを怪しまれることなく、陽動するにはうってつけの部隊だ」

「我々が鳥籠に侵攻する際に、鳥籠の傭兵部隊を分断するために、ウェイグァンの愚連隊に陽動作戦をお願いしようと考えています」

「傭兵部隊を引き付けている間に、レイラ殿の部隊で鳥籠に攻勢をしかける……」


「はい」と私はうなずいた。「部隊を貸し出してもらうことは難しいでしょうか?」

「ああ見えても、あの子は俺の大事な甥だからな……命を危険に晒すような場所に派遣することは簡単に決められない」ジョンシンは葉巻をガラス製の灰皿にのせると、腕を組んで瞼を閉じた。「が、恩人であるレイラ殿を助けることは、ひいては我々紅蓮のためにもなる」

「本当にいいのでしょうか?」とイリンが心配そうな顔でジョンシンに訊ねた。

「構わない。それにな、あの子を甘やかす為だけに今まで高価な装備を与えていた訳じゃない。長いこと戦場に身を置いてきたウェイグァンなら、これまで同様に、困難な戦いでも生き延びてくれるだろう」


『レイ、コッコ、いっぱい!』

 突然ハクの可愛らしい声が内耳に聞こえると、インターフェースにハクから送られてきたニワトリの画像が大量に表示される。ハクは紅蓮の家畜が収容されている区画にでもいるのか、ハゲワシのようにも見える頭部が禿げているニワトリの画像を大量に送信してきて、視界がニワトリの画像で埋めつくされてしまう。

 タクティカルゴーグルを使いこなしているハクから送られてくる画像を削除して、視界をクリアにすると、今度は寝そべっているブタの画像と動画が大量に表示される。母親だと思われるブタの周囲には、ハクに驚いて駆けまわるコブタの姿が映っていた。


『コッコがね、たくさんいるよ』と、機嫌の良いハクの踊るような声が聞こえる。

「それはニワトリじゃなくて、コブタだよ」

「コブタ?」と、イリンは私の言葉に驚いて、困惑した視線を私に向ける。

「失礼」

 私はそう言うと、ハクとヌゥモに同行させていた偵察ドローンから受信する映像をテーブル上のホログラムディスプレイに表示した。映像にはパッチリした眼を豚舎に向けるハクと、そのハクに手招きをしているウェイグァンの姿が映っていた。どうやらハクにウシを見せようとしているようだ。

「リーファたちと一緒にいる深淵の娘が家畜と?」

 イリンがそう言うと、ジョンシンは興味深そうにディスプレイを見つめた。


「地上の警備隊から送られてきた画像で確認していたが、レイラ殿は本当に深淵の娘と行動していたんだな」と、ジョンシンは感心しながら言った。

「ハクです」と、私は言う。「そんなに噂になっているのですか?」

「うむ。レイラ殿と一緒にいるのが深淵の娘だと知る者は少ないが、白蜘蛛の存在は傭兵組合を始め、多くの組織で噂になっているからな」

「そうですか……」

 イーサンの作戦が功を奏したのだろう。ある種の抑止力としてワザと流した噂は、想定していたよりも拡散しているようだ。


「部隊の貸し出しについては了解した」とジョンシンは言う。「しかしそれだけでは恩に報いることはできない。せめて補給物資を受け取ってもらえないだろうか?」

「物資ですか?」と私は首をかしげた。

「迫撃砲等の火器や弾薬、機械人形のバッテリー、それにヴィードルのための装甲板も用意しよう。整備士たちの情報が正確なら、レイラ殿が使用するヴィードルは軍用規格だから、問題なく使用できるだろう」

「感謝します」と、私は素直に頭をさげた。

「しかし大型コンテナほどの量になります」とイリンが言う。「輸送のためのヴィードルを用意しないとダメですね」

「それなら輸送機があるから大丈夫だよ」と私は言う。

「輸送機ですか?」

「飛行機だよ」

 そう言って天井を指差すと、イリンは眉を寄せて天井を見つめた。

「飛行機って、あの空を自由に飛べる飛行機?」

「その飛行機だよ」と私は苦笑する。


「レイラ殿は輸送機も所有していたのか……」と、葉巻の煙を吐き出したジョンシンが言う。「それなら、警備隊の倉庫でホコリをかぶっている戦闘型のヘリコプターも使えるかもしれないな……」

「攻撃ヘリですか!」と私は驚きながら訊く。

「ああ、この砂漠で生きてきたご先祖様が残してくれたものだが、故障していて、今の俺たちではどうやったって動かせない。それなら修理できる可能性があるレイラ殿に譲った方がいいと思ってな……不都合でなければ受け取ってもらえないか?」

「旧文明の貴重な遺物ですよね……よろしいのでしょうか?」

「もちろんだ」と、ジョンシンは気持ちのいい笑顔を見せながら言う。「どうも歳を取ると、若いのに物をやりたくなるんだよ。貰ってやってくれ」

「それなら、ありがたく頂戴します」


「うむ。攻撃ヘリとやらは二機あるから、部品のやり取りが適切に行えれば、すぐに使いものになるだろう」とジョンシンは言う。「それにしても、やっとレイラ殿に喜んでもらえる贈り物ができたな」

「そうですね」と、イリンもホッと息をついた。「愚連隊の派遣に関しては私が話を進めておきます」

「ウェイグァンには俺からも話をつけておくが、イリンが指揮官として命令した方が確実だろう」

「反抗期ですね」

「ああ」と、ジョンシンはうんざりしながら言う。「もう反抗期って歳でもないのに、まだ拗らせてやがるんだからな。親がいないからって、甘やかし過ぎたのかもしれないな」


 浄水装置の互換性についての情報が得られると、装置の受け渡しに関する相談をジョンシンと行った。装置を設置するためには、整備ドローンに加えて、ペパーミントとサナエの支援が必要になるので、日取りを調整する必要があったのだ。

「ただ」と私は言う。「装置が故障した原因については今もハッキリとしないので、様子を見る必要があります」

「また故障する可能性があるのか……」とジョンシンは顔を曇らせた。

 そんなシリアスな雰囲気が漂うなか、私の視界にはハクから送られてくる動物の画像が大量に表示されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る