第476話 情報交換


 貯水池は旧文明の鋼材を含んだ紺色のつるりとした建材で囲われていて、周囲には高さ三メートルほどの縦置き型貯水タンクが並び、巡回警備している隊員の姿も確認できた。しかし貯水池は以前に見たときと状況が異なり水質は最悪で、水面は濁っていて藻類が大量発生していて不快な臭いも漂っていた。

 無数の小型ドローンが水面スレスレを飛行して、水質の改善に努めている様子を眺めていると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『ひどい状況になってるね』

「……そうだな。思っていたよりも状況は深刻だ」


 私は貯水池から漂ってくる臭いを嫌い、ハガネを操作してマスクで口元を完全に覆うと、イリンに浄水装置について訊ねる。

「装置はすぐそこだ」と、彼女は貯水タンクが並ぶ区画に向かう。その途中で訓練された犬を連れた警備隊の人間と何度か擦れ違ったが、彼らはハクの姿を見ると驚いて動きを止め、大型犬は身体を震わせて伏せた。けれど青年に睨まれると、隊員たちは犬を抱えて任務に戻っていった。


 俺様気質であるにも拘わらず自己紹介すら忘れている青年は、紅蓮の責任者であるジョンシンの甥だと言っていた。であるならば、青年に対する警備隊や周囲の人間の態度も何となく察することができたが、将来的に組織の重要人物になり兼ねない人間が前線で戦っている理由は理解できなかった。青年が徒党を組んで、危険な砂漠地帯で愚連隊を指揮しているのは、あるいは若気の至りというやつなのかもしれないが、高価な装備を提供して、青年の活動を支持している組織の考えも気になった。


 日の光を反射してきらめく水面を眺めながら歩いていると、貯水タンクに囲まれた大理石調の壁を持つ建物が見えてくる。目的の装置はその建物内に設置されているのだろう。地下から伸びる無数の配管が、建物に向かって雑然と並んでいるのが確認できた。イリンが建物入り口に立つと、壁に収納されていた球体型の装置が起動して、瞳のように見えるレンズからスキャンのためのレーザーが照射され、彼女の生体認証が行われる。それが終わると、建物入り口のシャッターが地中に埋まるようにして開いて、生体認証に使用された装置は壁に収納される。


「もう入っても大丈夫だ」と、イリンは建物内に入っていった。

 白い壁に沿って見慣れない装置が並ぶ無機質な部屋には、空調が立てる僅かな音以外に何も聞こえてこなかった。旧文明の施設同様に環境が保たれていて、空気はヒンヤリしていた。私はそれなりの広さがある管理室を歩きながら、壁際に設置されたロッカーやディスプレイを眺めて、それからスイッチが並ぶ装置に触れる。

「どうだ?」とイリンは言う。「何か分かりそうか?」

「試してみるよ」そう言ってコンピュータに付属したディスプレイに触れる。そして接触接続でシステムに侵入しながら適当にタッチパネルを操作して装置を起動する。ディスプレイに浄水システムに関する情報が表示されると、それを眺めながらカグヤが異常を見つけてくれるのを待つことにした。

「どう?」

 イリンの急かす言葉に私は頭を振った。

「不安なのは分かるけど、もう少しだけ待っていてくれないか」

「そうね」と、イリンは狐色の瞳を伏せて溜息をついた。


『問題の原因が分かったよ』とカグヤの声が聞こえる。『やっぱり故障しているみたいだね』

「地下にも装置は設置されているみたいだけど、両方とも故障したのか?」

『うん。最初は地下にある大規模な浄水施設に問題が発生したみたい。で、地上の装置に負担がかかるようになった』

「そして」と私はディスプレイに表示される故障個所を見ながら言う。「水の供給量が増えたことで、一気にダメになったのか」

『そうだね』

「修理できそうか?」

『整備を行う専用のドローンが配備されているから、予備の部品さえあれば、数十分ほどで修理できるはずだよ』

「予備の部品か……」


 不安そうに私を見つめていたイリンに状況を説明してから、装置の予備部品について訊ねた。

「そこのロッカーに保管されているかもしれない。一緒に確認してくれないか?」

 イリンの言葉にうなずいてロッカー内を確認していくが、それらしいものは見つけることはできなかった。

『困ったな……』と、カグヤが言う。『部品がなかったら製造するしかないんだけど、管理室のデータベースには、なぜか建築プランや設計図、それに装置を設置した際の計画書も残っていないんだ。設計図がなければ、故障した部品をスキャンして再現しなければいけないんだけど、損傷の状況によってはそれも難しい』

「紅蓮のデータベースで探せば、設計図くらい見つかるんじゃないのか?」

『今までも色々な施設の管理システムに侵入してきたから、今回も簡単にシステムに侵入できると思っているみたいだけど、専用のアクセス権限を持たない状態で核防護施設のデータベースに侵入するのは困難なんだよ』

「つまり、今の状態では紅蓮のシステムに侵入することはできない?」

『残念だけど』


 私は溜息をついて、それからイリンに状況を説明した。

「面倒をかけるけど、部品の損傷状況を確認してもらえないか?」

 イリンの言葉に私はうなずいた。

「それならすでに専用のドローンに指示してある。だからしばらくすれば結果がでると思う」

 そう言ってディスプレイに視線を向けると、ドラム缶のような胴体に複数のマニピュレーターアームを装備した半自律型の整備ドローンが、充電装置から離れる様子が確認できた。多脚型ドローンは複雑に設置された配管の間を器用に移動して、損傷個所が確認できた場所に向かってゆっくりと移動する。作業にはそれなりの時間が必要みたいだ。


 ドローンが確認作業を待っている間、私はジョンシンと会談ができないかイリンに訊ねた。

「恩人のためなら時間はいくらでもつくれるさ」

 イリンはそう言うと、我々を地下施設へと案内してくれることになった。建物の外で待っていてくれていたハクたちと合流すると、貯水池を離れて客足が戻った通りに出る。案の定、通りにいた大勢の人間はハクの存在に怯えて、そそくさと離れていったが、傭兵や度胸のある人間は、もの珍しそうな視線をハクに向けるだけで逃げ出すようなことはなかった。


「蟲使いの存在を知っている人間もいますから」とリーファが言う。「白蜘蛛が危険じゃないと分かれば、それほど大事にはならないんですよ」

『くもじゃないよ。ハクはね、ハクだよ』

 ハクが可愛らしい声で答えると、リーファは目を見開いて、青年に茶色い瞳を向けた。

「言っただろ」と、青年は得意げに言う。「ハクは俺たちと話ができるんだよ」

「何かの悪い冗談だと思ってた……」

 リーファの言葉に青年は笑みを見せた。


 白茶色のレンガで建てられた商店や露店が連なる通りを抜けて、人間や車両の通行を制限する検問所が設けられた区画に出る。等間隔に道の左右に敷かれたコンクリートブロックの先に広場が見えてくる。その広場には物々しい警備体制が敷かれていて、戦闘車両や戦闘用機械人形の姿が確認できた。

 我々は検問所の列に並んでいた商人たちの大型輸送ヴィードルを横目に見ながら、広場につながる入場ゲートを通過する。その際、深淵の娘に関する警告がホログラムで投影され、日本語が読める警備員や商人たちを驚かせてしまうが、隊員たちが冷静に対処したため大きな騒ぎになることはなかった。

 ちなみに検問所の隊員は白を基調とした青色の戦闘服を着ていて、武器を手に巡回警備している隊員と差別化されていた。


 紅蓮の地下施設に繋がる広場の中心には、空に向かって真直ぐに伸びる真っ黒な円柱が立っていて、三十メートルほどの高さがある円柱の先からは、広範囲に渡ってシールドの膜がドーム状に展開されていて広場全体を覆っていた。地面にも旧文明の鋼材を含んだ金属板が敷かれていて、この広場が紅蓮にとって重要な場所であることが認識できた。


 地下に繋がる昇降機に向かって歩いていると、武装が施された大型軍用ヴィードルと擦れ違うことになった。するとハクは脚を伸ばしてヴィードルを指した。

『ウミといっしょ』

「そうですね」と、ヌゥモが優しい声で答える。「確かにあの戦闘車両はウェンディゴに似ています」

『ウミ、ちがう?』

「ええ。あれは別の車両ですよ」


「ウェンディゴって、レイラさんたちが使ってる大型の軍用ヴィードルのことだろ?」と青年がハクに訊ねる。イリンに怒られたからなのだろう、青年は私のことを呼び捨てにしなくなっていた。

『ウミはね、おうちでおるすばんだって』と、ハクは脚を大きく広げた。

「おうち? 廃墟の街にある拠点のことか?」

『おうちにはね、たからものがいっぱいあるんだよ』

「そうか……拠点を警備するために大型ヴィードルを残してきたんだな」と、青年はひとり納得する。

『うん。たからものはね、ジュリとシズクがいっしょにあつめてくれた』

「ハクの友達のことか?」

『ララもね、ともだちだよ』

「ララか……ハクは人間の友達がたくさんいるんだな」

『ちがうよ、ねこだよ』

「猫? ハクは猫も飼っているのか?」と青年は感心する。

『ねこちがう、ララはね、ララだった』

 ハクが無邪気に笑うと、なぜか青年も高笑いした。


 微妙に噛み合わないハクと青年の会話を聞いていると、イリンが咳払いする。

「言い忘れていたけど」と彼女は言う。「整備場に預けてくれたヴィードルの、戦闘で損傷した装甲板を交換しようとしているんだけど、整備士たちの操作を受け付けてくれなくて困っているみたいなんだ」

「あぁ」と、私は申し訳なさそうに言う。「ヴィードルのカギを残してくるのを忘れていたよ。イリンの端末に操作権限を送信するよ」

「すまないな」

「いや。整備してくれるんだから、こっちが感謝しなければいけない」

「それはいいんだよ。それより見たことのない軍用ヴィードルみたいだけど、情報を盗むようなことはしないから安心してくれ。私たちは恩人に失礼をするような人間じゃないからな」

「紅蓮の人間は義理堅いんだな」

 私の言葉にイリンは笑みを見せた。

「レイは老大を救ってくれた恩人だからな」

「そうだったな」と私は肩をすくめてみせた。


「そう言えば、採掘基地では上手くやっているみたいだな」とイリンが言う。

「けど砂漠の民の儀式に関しては、事前に教えてもらいたかったよ」

「儀式?」と、イリンは頭を捻る。

 敵意を感じ取れる瞳を使って、イリンの言葉に悪意が含まれていないか確認した。けれど彼女は本当に『インシの民』が、砂漠地帯に許可なく侵入したものに対して“決闘”と称する血の儀式を行っていることを知らなかったみたいだ。やはり今まで儀式を行って生き延びた勢力は存在しなかったのだろう。


「いや、なんでもない」と私は強引に話題を変更することにした。「それより、ジョンシンとイリンに報告したいことがあったんだ」

「私に?」

「ああ、イリンが今は紅蓮の警備責任者をしているんだろ?」

「以前はフーチュンが責任者だったけど、あれから色々とあったからな……」

「その節は世話になったよ」

 組織内で痛みを伴う改革が行われたのだろう。当時のことを思いだしてイリンは溜息をついた。


 我々は紅蓮の幹部だけが使用できる昇降機に乗り込むと、そのままジョンシンが待つ建物まで移動することになった。居住区画の高台に建設された建物に向かって移動する昇降機からは、紅蓮の広大な地下空間が一望できた。住人のために元々用意されていたであろう建物の周囲には、廃材で建てられた掘っ立て小屋が隙間なく並び、膨大な数の照明が設置された天井に向かって不格好な建物が幾つも伸びていた。

 その建物の間から確認できる薄暗い通りは、地上の状況と変わらないほどの多くの人間で賑わっていた。増え過ぎた住人に対応するために無計画に、そして無秩序に繰り返された増築によって、居住区画は他の鳥籠では見られない迷路のような街並みになっていた。


 目的の建物に到着すると、青年と共に紅蓮の採掘場を見学しに向かうハクに、ヌゥモとカグヤの偵察ドローンを同行させることにした。ヌゥモとカグヤが一緒にいれば、大抵の問題に対処してくれるだろう。

「リーファ」と、イリンが言う。「ハクとヌゥモ殿のことは任せたぞ。失礼のないようにな」

「はい」と、リーファはしっかりとうなずいてみせた。

 ハクたちと別れると、私はイリンに連れられてジョンシンが待つ建物に向かう。芝生に敷かれた石畳のうえを歩いて建物の入り口に近づく。白を基調とした赤い戦闘服を身につけた警備員は、無言でお辞儀すると、我々を建物内に通した。


 混沌とした居住区画と異なり、建物内は旧文明期の施設で見られるつるりとした建材で覆われていて、壁は綺麗に磨かれ、ペルシャ風の絨毯が敷かれた床にはゴミひとつなかった。私は歩き心地のいい絨毯のうえを歩いて、イリンのあとについていく。それからイリンは木製の重厚な扉の前で立ち止まると、壁に収納されていた端末を操作して扉を開いた。


 ジョンシンの部屋も白い建材で壁全体が覆われていて、ペルシャ風の豪華な絨毯が敷かれていた。壁には大きな窓があり、そこには厚い雲を纏う雄大な峰々が表示されていて、立ち昇る雪煙が日の光を浴びてきらめく様子が見えた。部屋の奥には高級な重役机があって、背の高い革張りの椅子にはジョンシンが座っていた。彼は黒い杖を使って立ち上がると、笑顔で私を迎え入れてくれた。


 私は紅蓮の責任者であるジョンシンに失礼がないように、言葉に注意しながら挨拶を交わし、近況報告を兼ねた情報交換を済ませると、さっそく話を切り出した。

「ふむ」と、ジョンシンはテーブル上に投影された映像を見ながら顎を撫でた。「この怪物が件のオアシスを占拠しているのだな」

「はい」私はうなずいて、昆虫型ドローンで撮影していた恐竜じみた怪物の映像をジョンシンとイリンの端末に送信した。


「行商人たちに警告を出す際には、この映像は有効活用させてもらう」

 イリンはそう言うと、感謝を示すために頭を下げた。

「それで……」と、私はオアシスで保護した女性たちの画像もイリンに送信した。「その画像に映っているのは盗賊に捕らわれていた女性たちだ。今は採掘基地で保護しているけど、もしも彼女たちの家族や仲間に関する情報をもっていたら、協力してもらいたいと思っているんだ」

「もちろんだ。彼女たちは紅蓮の同胞だ。私たちは同胞を見捨てるようなことは絶対にしない」イリンはそう言うと、彼女たちを助けだしてくれたことに関してあらためて感謝してくれた。


 助力が得られることが分かると、私は五十二区の鳥籠に関しての話を切り出すことにした。ジョンシンの眼差しが鋭くなるのを確認しながら、紅蓮が我々の提案を受け入れてくれる手段を模索しながら話を始めることにした。

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