第466話 善人
周囲の動きに警戒をしながら黙々と歩いていると、まるで古代文明の遺跡のように、ずっと昔に倒壊して、骨格だけが僅かに残された旧文明期以前の建築物が多く見られる地区までやってきた。目的地点に設定していた場所までは、まだしばらく歩く必要がありそうだった。我々は安全に休めそうな建物を探すと、そこで休憩することにした。
先ほどの戦闘で消耗した装備の点検を行いながら周囲に視線を向けると、旧文明期以前の戦闘機に似た航空機が、建物の壁面に突き刺さるような状態で残骸を晒している光景を見ることができた。赤茶色に腐食していた戦闘機の装甲には苔が繁茂していて、コクピットや装甲内部の機材が経年劣化で失われているのが分かった。
文明崩壊時の混乱期には、旧文明の特殊な資材で製造されていない、もはや骨董品とも呼べる戦闘機まで戦闘に駆り出されていたのかもしれない。
ベルトポーチから携帯食のパッケージと飲料水の入ったステンレスボトルを取り出していると、折れ曲がった鉄骨の上に立って遠くを眺めていたワスダが言った。
「人擬きの死骸を放っておいて良かったのか?」
何処からともなく偵察ドローンが現れると、カグヤの声が内耳に聞こえた。
『殺せないはずの人擬きの死骸を大量に放置してきたのは、確かに不用心だったと思う。でも、警備隊の人間に死骸が怪しまれる心配はしてないよ』
「あんなに派手に戦闘になったのに、どうしてそう思うんだ?」
『あそこには飢えた大量の人擬きがいる。機関銃の銃声も聞こえなくなったし、今頃は仲間の死骸を食べるので忙しいと思う。そんな危険な場所に警備隊の人間は怖くて近づかないと思う』
「死骸を食べるか……」とワスダは言う。「そう言えば、人擬きが共食いしている場面に遭遇したことはないな。死んだ人擬きは他の個体の餌になるのか?」
『理由は分からないけど、生きている間は敵対することが滅多にないんだけど、死んだら容赦なく餌にされるみたい』とカグヤは言う。
「仲間の死骸も奴らの栄養源になるのか……そいつは恐ろしいな」
『うん。だから警備隊が死骸に残る銃創を見つけて、それで私たちの侵入に気がつくようなことはないと思ってる』
「一理あるな」
単眼鏡を使って周辺の動きを確認していたワスダはそう言うと、近くを飛んでいたカグヤのドローンを捕まえようとして腕を伸ばした。
『いきなり何?』と、カグヤはドローンを操作してワスダから距離を取った。
「その機体に使用されているクローキングデバイスは、熱光学迷彩なのか?」
『そうだよ。透明になるだけじゃなくて、赤外線の吸収と反射の調整も可能だから、サーモグラフィーを搭載したカメラでも存在が検知されることがない。でもそれも機能の一部で、旧文明期の重要な施設で使用されているセンサーでも検知することが難しい特殊な装置を搭載してる』
「それなら、そいつを使って警備隊の監視所に侵入してきてくれ」
『監視所に?』
「ここだ。位置を確認してくれ」
ワスダから受信した監視所の位置情報がインターフェースに表示されると、私は頭を捻って、それから言った。
「その監視所には何があるんだ?」
私の疑問に答えたのはソフィーだった。
「データベースを介さずに自動攻撃タレットや対人地雷、それに機械人形や偵察型ドローンの管理を行っているスタンドアロン型の通信設備があります」
「どうしてそんなものが設置されていることを知っているんだ?」
ワスダは鉄骨から飛び下りると、私の手元から栄養食をひょいと奪い、それを口に入れながら言った。
「俺たちがこの鳥籠と商売していたことは話したよな?」
「ああ」
「でも関係はそこまでよくなかった。奴らが俺たちをチンピラと蔑んで信用していなかったように、俺たちも奴らのことを信用していなかったのさ」
「いつでも攻撃できるように準備していたのか?」
「攻撃なんて面倒なことはしない。脅しの手段として下調べしていたんだよ」
「意外だな」
「そうでもないさ。大きな勢力とやりあうときには、狡猾さこそが必要なんだよ」
『ドローンを使ってシステムに侵入させて、機械人形を操作してもらいたいんだね』
カグヤがそう言うと、ワスダはニヤリと笑みを見せた。
「一時的にハッキングして目を潰すんじゃなくて、機体の操作権限そのものを奪って俺たちと敵対しないように設定するんだよ」
『敵対しなくても、警備隊に送信されている映像には記録が残るんだから、私たちの存在はいずれ知られちゃうでしょ?』
「確かに奴らが受信している映像を操作したら逆に怪しまれる。でもドロイドに別の場所を警備させたらどうなる?」
『……そっか』とカグヤが言う。『警備用ドロイドに、人擬きを見つけたとか何とか適当な情報を監視所に送信させて、それから部隊を移動させればいいんだね』
「そうだ。それにな、あちこちに配置されている機械人形を味方に付ければ、侵攻作戦の際にも役に立つと思わないか?」
『でも操作権限を奪うには監視所にいかないといけないんだよね』
「ああ、だからそのドローンに活躍してもらうんだよ」
ワスダの提案に賛同したカグヤが監視所にドローンを向かわせると、私はこれから合流する予定になっていた諜報員に連絡をいれて、現在の状況を手短に伝えた。
「そう言うことだから、問題が何も起きなければ三十分ほどで合流地点に到着する予定だ」と私は言う。「アレナ、そっちの様子はどうだ?」
ヤトの一族が使う言葉で『硝子の砂』を意味する名前を持つ青年『アレナ・ヴィス』の声が内耳に聞こえる。
『目的の建物の周囲には、すでに護衛のための狙撃部隊を展開して防衛線を構築しました。それから……』と、アレナは続けた。『レイラ様、こちらが周辺一帯の詳細地図になっています』
インターフェースに表示された地図には、地雷原や自動攻撃タレットが設置されている場所、また警備員たちが廃墟のあちこちに設けた詰め所の位置が確認できるようになっていた。
「ありがとう、アレナ。人擬きの追跡を振り切るために、予定していた侵入経路から離れる必要があったんだ。だから更新された地図情報は助かるよ」
輸送ヴィードルに積まれていた装置の状態を確かめると、合流地点の側で活動していた機械人形の状況をアレナに確認する。それが終わると、我々は目的地に向かって出発することにした。
倒壊した建物の残骸と、その上に堆積した土が小高い山を形成している不思議な地形を眺めて歩いていると、ハクと一緒に行動していたソフィーが、ハクの質問攻めから解放されるのが見えた。ハクは気になるものでも見つけたのか、傾いた建物の外壁に跳びつくと、いそいそと何処かに行ってしまう。
心なしかホッとしているように見えるソフィーと視線が合うと、彼女は私に向かって微笑んで、それから言った。
「レイラ。ひとつ訊ねてもいいでしょうか?」
私は彼女の青い瞳を見ながらうなずいた。
「いいよ。何が知りたいんだ?」
「ヤトの一族とは、一体何者なのでしょうか?」
「そう言えば、俺も気になっていたな」とワスダが言う。「奴らは新種のミュータントかなんかなのか?」
「違う」と私は頭を振る。「どうしてそう思ったんだ?」
私の問いに答えたのはソフィーだった。
「鱗がある人間を見たのが初めてだったからです」
「鱗か……確かにそれは普通の人間には無いものだな」と私は苦笑する。
「瞳の色や髪の毛の色は変えられます。けれど鱗状の皮膚を移植する人は滅多にいません」
「たしかにそうだな」
「それで、奴らは何者なんだ?」とワスダが煙草の煙を吐き出しながら言う。
「ワスダたちは異界の存在を知っているか?」
私の言葉にワスダは顔をしかめた。
「イカイ……?」
「この世界とはまるで違う異世界に繋がっている空間の歪み……と言うか、門のようなものがあるんだ。俺たちはそこを異界と呼んでいて、ヤトの一族はその異界に無限に存在する世界のひとつからやってきたんだ」
「なぁ、兄弟。変なクスリに手を出してるのか?」
「本当のことだよ。大樹の森ではそれなりに知られている話だけど、ワスダたちは知らなかったのか?」
「あいにく、俺は都会育ちなんだ」
「都会ね」と、私は瓦礫の山に目を向けながら言う。
「でもよ」とワスダは言う。「真面目な話、異界なんて世界のことは聞いたことがないな」
「異界は危険な場所なんだ。それにこの世界に帰還できる可能性も極めて低い。だから知らなくても不思議じゃないんだけど、ワスダなら噂くらいは聞いたことがあると思っていたよ」
「帰還できない? そんなに危険な場所なのか?」
「俺も異界の全てを知っている訳じゃないから断言できないけど、銃弾が通用しないような、そんな恐ろしい怪物が生息している世界が無数に存在する」
「奇妙な怪物を専門に処理している傭兵団の噂なら聞いたことがあるけど、それと何か関係があるのか?」
「恐らく」
「それなら」と、ソフィーが言う。「拠点の地下に猫のような人たちがいるって言うのは、本当のことなんですか?」
「イアーラ族のことだな」と、私はニヤとララのことを思い浮かべながら言う。「彼女たちも異界からやってきた種族だ。でもどうしてそのことを知っているんだ?」
ワスダは指先で煙草を弾くと、瓦礫に向かって飛んでいく煙草を見つめながら言った。
「この間、俺たちに会いに来てくれたリリーに聞いたんだよ。拠点の地下には話ができる猫がいるってな。でも何かの冗談だと思っていたよ」
「イアーラ族は実在するよ。森の民には豹人なんて呼ばれ方をしている」
「森の民か……蟲使いたちのことだな」
「ああ」
「兄弟はずいぶんと顔が広いんだな。さすが正義の味方は違う」
ワスダの皮肉めいた物言いに私は肩をすくめる。
「俺たちと組むつもりなら、将来的にはその蟲使いや他種族と一緒に働くことになる。だから争いのもとになるような差別意識を持っているなら、すぐに捨てた方がいい」
「組織内で花火を打ち上げるようなバカな真似はしないさ」とワスダは言う。「それに俺はな……いいか? 俺は弱者にさえ手を差し伸べる男だ。差別とはもっとも遠い場所にいる男なんだよ。だから余計な心配をする必要はない」
「弱者から巻き上げた金を数えるので忙しくて、差し伸べる手が空いてないと思っていたよ」
「なんだぁ?」とワスダは顔をしかめる。「兄弟は金が嫌いか? 俺は金のない惨めな人生なんて願い下げだ。だから大金を稼いできた。自分の能力を最大限に使ってな。それすらも『高潔』な精神を持つレイラさんには悪事に見えているのか?」
「悪いことだなんて言ってないさ。俺だって死体を漁って日銭を稼いでいた時期があるからな」
「なあ、兄弟」ワスダはそう言って立ち止まると、珍しく真面目な雰囲気で言った。「そろそろ自分は『善人』だって考えを捨てた方がいいんじゃないのか?」
「そんなこと考えてない」
「いや、考えているさ。まるで自分だけは違うみたいな顔をして俺たちを見下している。でもな、兄弟。お前さんもこっち側の人間だ。いい加減それを自覚してくれ」
「そっち側の人間じゃない。俺は罪のない人間には――」
「ダメだな」と、ワスダは嫌そうに頭を振る。「ダメなんだよ。そんなことを言っている間は、お前さんはまだ何も理解できていない。たとえばそうだな……これから兄弟はあの鳥籠と戦争をしようとしている。それは間違いないな?」
ワスダが指差した先にある鳥籠を思い浮かべながら私はうなずいた。
「ああ。間違いないよ」
「なら聞くけどよ、あそこで暮らしているのは悪人だけか?」
「違う」
「いいね」とワスダは笑顔を見せた。「それなら想像しよう。これから兄弟が組織した恐ろしい軍隊があの鳥籠を攻める。死ぬのは悪人だけか?」
「そのつもりだ。非戦闘員には手を出させない」
「非戦闘員ね……ずいぶんと気取った言い方をするんだな。でも違うよな、この馬鹿げた争いに関係のない人間も死ぬことになる。本当は分かっているんだろ? いや、違うな……すでに関係のない人間に被害は出ている。そうだろ?」
「ああ、でも――」
「でもそれは教団の所為だ」と、ワスダは私の言葉を遮りながら言う。「だから俺は関係ない?」
私は溜息をついて、それから言った。
「結局ワスダは俺にどうして欲しいんだ?」
「善人面して俺たちに説教して欲しくない」
ワスダはそう言うと煙草に火をつけた。
「悪いけど、俺はワスダが考えているような人間じゃないよ。それに、ワスダたちを見下しているつもりもない」
「兄弟は他人に無関心なのさ。だからこそ自覚のない悪意は恐ろしい」
私はしばらく考えて、それから言った。
「確かに無関心なのかもしれないな。自分が気持ち良くなるために人助けをしていたことも認めるよ。でも、それはいけないことなのか?」
「その考えを他人に押し付けようとしない限り、欲望に忠実なことは悪くないさ」
『レイ』と、カグヤの声が聞こえた。『システムに侵入できたよ』
「了解、これから諜報部隊との合流地点に接近する。カグヤもそこで俺たちと合流してくれ」
『分かった。今からそっちに向かうね』
我々は移動を再開する。その間、私はワスダに言われたことについて考えたが、やはり考えを変える気にはなれなかった。
「ワスダが言うように俺は善人じゃない。でも救いを求められたら手を差し伸べると思う。その過程で間違いを犯すかもしれない。そして今回の騒動のように、関係のない人間を不幸にするかもしれない。でもだからといって仲間を犠牲にするようなこともしない。結局大事なのは身内だからな」
私は言葉を切って、もう一度考えをまとめる。
「それに、他人よりも力を持っているからといって、搾取する側の人間になるつもりもない。そしてそれは組織にも徹底させるつもりだ。もしもワスダがそれを受け入れられないのなら、俺たちと組むのは諦めた方がいい」
ワスダは何かを考えているようだったが、この話題を続けることはしなかった。
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