第464話 潜入


 ゴミと泥で埋もれた店が並ぶ通りを注意深く前進していると、破壊されたヴィードルが横倒しになっているのが見えた。建物に衝突した勢いで倒れたのだろう。すでに鎮火していたが、衝突の際に火災も発生していたようだ。搭乗者は炎上していた車内から転がるようにして外に出ていて、壁際に横たわった状態で死んでいた。遠目から外傷は確認できなかったので、火災で発生した有毒ガスを吸い込んで煙死したのかもしれない。


 周囲に敵対的な生物がいないか警戒しながらヴィードルに近づくと、車両と壁に挟まれた状態の人擬きの姿が確認できた。焼け焦げて汚れた戦闘服に身を包んだ人擬きは、我々が近づくまで車体にうつ伏せになっていたが、私の気配を感じ取った途端、引き千切れそうになっている胴体に構うことなく乱暴に腕を振り回し始めた。


 焼けただれた醜い顔を持つ人擬きは、黄ばんだ歯の間から涎と血液を垂れ流していて、今にも襲いかかってくる勢いだった。私が人擬きにライフルの銃口を向けると、ワスダが私の前に出た。

「俺にやらせてくれ。こいつの威力を試したい」

 ワスダはそう言うと、人擬きの頭部に銃口を向けて引き金を引いた。彼が選択した弾薬は簡易型貫通弾だった。甲高い金属音と共に撃ち出された銃弾によって人擬きの頭部は水風船のように破裂し、銃弾は勢いを保ったまま後方の壁を派手に破壊して貫通した。

 簡易型が何を示しているのかは分からなかったが、銃弾の威力は通常の貫通弾よりも抑えられているように感じられた。弾薬が生成される過程で何か違いが生じるのかもしれない。しかしそれでも、ハンドガンから発射された銃弾は、旧文明の資材で建てられた壁を簡単に破壊する威力はあるようだった。


 頭部を失った人擬きの身体がピクリとも動かなくなったことを確認すると、ワスダは満足そうにうなずいた。

「流石だな。人擬きの頭部を吹っ飛ばす兵器はいくらでもあるが、こんな風にこいつらを簡単に殺せる武器は今まで見たことがない」

『まだハンドガンの性能を疑ってたの?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、ワスダは肩をすくめた。

「俺は疑い深いんだ」

 そう言って私に向かって片目をつぶって見せたワスダを無視して、私は死体の側にしゃがみ込んだ。人擬きウィルスに感染することなく亡くなった青年の瞼は開いたままだった。

「警備隊の人間じゃないな」


「鳥籠に商売しにやってきた商人が人擬きに襲われたんだろうな」と、ワスダは私の言葉に答える。「大方、走行中に人擬きに跳びつかれて、慌てて操縦をミスしたんだろう」

「商人か……五十二区の鳥籠はあちこちの勢力と面倒事を抱えているようだけど、外部の人間を受け入れる余裕はあるのか?」

「奴らは金で戦争をやっているからな。商売をする余裕くらいはあるんだろう」

「そう言えば、この鳥籠には大規模な製薬工場があったな」

 私の質問にワスダはうなずいた。

「寝ていても金が稼げる手段を持っているからな、面倒事は金で雇った傭兵に解決させているのさ」

「紅蓮との争いもそんな感じなのか?」

「ああ」と、ワスダは煙草に火をつけながら言う。「俺の知る限り、砂漠地帯からやってくる愚連隊とかいうゴロツキと戦っているのは雇われの傭兵だ」

「恵まれた連中だな」

「お前には敵わないさ」とワスダは鼻を鳴らす。「でもだからこそ、商人たちは危険だと分かっていても、この辺りまでやってくるんだよ。貴重な医療品が手に入るのはここだけだからな」


 ワスダは溜息をついて、それから言葉を続けた。

「でも以前はこうじゃなかったんだ。鳥籠がまともに機能しているときには、警備隊の連中は壁の外にも部隊を派遣して、鳥籠にやってくる商人たちの安全が確保できるように努めていた」

「詳しいんだな」

 私はそう言うと遺体に手を合わせて、それから青年の荷物を漁る。

「詳しいも何も、俺たちはこの鳥籠に随分と世話になったからな」

『世話になった?』とカグヤが言う。『やっぱり製薬工場では、レイダーたちのために危険な薬物も製造していたんだね』

「そうだな」とワスダは冷淡な笑みを見せる。「俺たちは商品として奴隷を多く扱っていたが、主な商売は売春と酒、それに薬物だったからな。だからこの鳥籠には世話になった。でもどうして分かったんだ?」

『レイダーギャングと言ったら、危険な薬物を連想するでしょ?』

「そいつは偏見だな」

『そう?』


「そもそもレイダーたちは商売なんてしない。働く気概と環境が無いからレイダーになるんだよ。他人から奪うことで生活している奴らは、薬物の販売に手を出したりしない」

 ワスダはそう言うと、足元に煙草を落としてコンバットブーツの底で踏み潰した。

『でも薬物販売の競争率は高いんでしょ?』とカグヤが訊ねる。

「まあな。それに、上等なブツを継続して入手できる販売経路を持たなければ、商売としては成立しないんだ。他人のものを盗んで満足しているような奴らには出来ないことだ」

『ふうん。製薬工場で製造されていた薬物はそんなに上等なものだったの?』

「旧文明の施設でつくられるものだからな」と、ワスダは周囲に視線を向けながら言う。「そりゃ上等なブツだったよ」


 旧式の拳銃とIDカードしか所有していなかった死体の側を離れると、衝突の際に発生した火災で焼け焦げていたヴィードルを確認する。車両の後部コンテナも火災で被害が出ていて、物資のほとんどが燃えたあとだった。IDカードから電子マネーを引き出すと、我々は事故現場を離れることにした。

『上等なブツか……』とカグヤが呟く。『この鳥籠では、たとえばどんなものを製造していたの?』

 カグヤの問いに対する返答について考えているのか、ワスダは高層建築物の隙間に見えていた青い空に視線を向ける。

「なあ、兄弟。メタ・シュガーって知ってるか?」


 上空の鴉型偵察ドローンから受信している映像で、周辺一帯の動きを確認していた私はうなずいた。

「知っているよ。メタ・シュガーは一時期、ジャンクタウンでも流行していた覚醒剤だからな」

「そのメタ・シュガーは依存性が高く、幻覚作用の強い覚醒剤だった。けど同時に集中力を高めて、疲れを忘れさせてくれる効果があった。そして極めつけは人体への影響がほとんどなかったことだ」とワスダは興奮気味に言った。

「ほとんど? 危険な薬物なのに副作用が無かったのか?」

「精神的な影響はあったな。憂鬱になったり、倦怠感をもったり。でもそんなものは廃墟の街で普通に生活していたら誰もが抱く感情だ。だから副作用なんて誰も気にしなかった。おかげで傭兵たちには人気の商品だったよ」

「その覚醒剤は今も出回っているのか?」

「メタ・シュガーを所持していた人間が昆虫に襲撃されるとか何とかって奇妙な噂が立ってからは、流通量は見るからに減ったな」

「それでもまだ流通していたのか……」

「何か知っているのか?」

「ああ、でも今はその話は横に置いておこう」私はそう言うと、足を止めて倒壊した壁を眺めた。


 五メートルほどの高さがある壁は、冬の間に倒壊していたのか、僅かに残っていた雪と泥のなかに瓦礫と有刺鉄線が埋もれているのが確認できた。

「今年の冬は雪が凄かったからな」とワスダが言う。「奴らが補修工事をサボった理由が何となく分かる気がするよ」

『積雪で近づけなかったんだね』と、カグヤの操作するドローンが倒壊した壁の先を覗き込むように飛行する。

「それを見越して冬の間に壁を破壊したのは諜報部隊だな?」

 ワスダの質問に私は頭を振った。

「そうなのかもしれないな」

「そうなのかもって、おまえの部隊なんじゃないのか?」

「諜報部隊を指揮しているのは俺じゃないからな」と私は適当に返事をする。


 倒壊した防壁を越えて鳥籠の支配領域に入る前に、周囲の索敵を行っていたハクと合流することにした。先ほどから騒がしい銃声が聞こえていたので、巡回警備している警備隊の部隊が壁の内側に侵入してきた変異体と戦闘している可能性があった。そして我々は警備隊に潜入したことを知られる訳にはいかなかった。

 鳥籠の支配地域に安全に潜入することを考えるなら、索敵に特化した多脚ドローンのワヒーラを同行させるべきだったが、各拠点の警備に使用しているため、今回は鴉とカグヤの操作するドローンを頼りに潜入する必要があった。


 通信妨害装置を運んでいる輸送ヴィードルの状態を確認していると、球体型のセンサーデバイスがくるりと回転して、通りにカメラアイが向けられる。するとソフィーを連れたハクがやってくるのが見えた。ハクと一緒に行動することになったソフィーは緊張しているようだったが、ハクはそのことに少しも関心を向けることなく、夢中になって彼女に何かを話していた。

 言葉を覚えたばかりの幼い子供のように、あれはなに? これはなに? とソフィーを質問攻めにしていたハクの触肢には見慣れないものがあった。


「ハク、それはどうしたんだ?」

 私がそう訊ねると、ハクは糸が絡みついた物体を私に差し出した。

『ハク、みつけた』

「これは……偵察ドローンだな」私は壊れた機体をハクから受け取ると、絡みついていた糸をハンドガンで取り込んだ。「どこで見つけたんだ?」

『えっとね』ハクはその場で回転して身体の向きを変えると、通りの向こうにある高層建築物を脚先で指した。『あそこでみつけた』

「他にも飛んでいたか? それともこの機体だけ?」

『ほかにないよ。それだけ』

「そっか……こいつをもらってもいいか?」

『うん。あげる』


 旧式のドローンを注意深く観察すると、機体の一部が銃弾によって破壊されていた痕跡を見つけることができた。

「私です」とソフィーが言う。「私たちの情報を警備隊に送信される前に破壊する必要がありましたので」

 カグヤのドローンが飛んでくると、機体にレーザーを照射してスキャンを行う。

『確かに通信装置が狙いすましたように撃ち抜かれている』とカグヤは言う。『飛んでいる機体に銃弾を命中させるなんて、すごい射撃の腕だね』

「そうだろう」と、何故かワスダが得意げに言う。「だからソフィーにはハンドガンじゃなくて、ライフルを持たせて欲しかったんだ」

「今はそのハンドガンで我慢してくれ」私はそう言うと、破壊されたドローンを輸送ヴィードルのコンテナボックスに放り込んだ。


「レイラさんよ、俺たちはいつまで我慢すればいいんだ?」と、ワスダは皮肉めいた口調で言う。

「信用できるまでだ」

「お前の信頼を勝ち取っている間にバグの大群に襲われたらどうするんだ?」

「そんな事態になってもソフィーの心配をする必要は無いよ、彼女は俺とハクが守るから」

「俺のことは誰が守ってくれるんだ?」

「大丈夫だよ。ワスダは特別なんだろ?」

「なぁ、兄弟。性格が悪いって言われないか?」

 私は肩をすくめると、壁の向こうに移動していたハクのあとを追って歩き出した。


 身体のラインがハッキリと出るタイトなスキンスーツを着ていたソフィーの綺麗なお尻が、彼女の動きに合わせて微かに揺れるのを眺めながら歩いていると、カグヤのドローンが私の視界を塞ぐようにして飛んでくる。

『レイ、周辺一帯には警備用の機械人形も配備されてるんだよ。お尻ばっかり見てないで真面目に周囲の警戒をして』

 私はドローンを手で退けながら、視界の隅に表示していた街の俯瞰映像を素早く拡大表示する。

「警戒ならさっきからしていただろ?」

『そうだね』と、カグヤは溜息をついてみせた。『私たちに接近してくるドローンは、遠隔操作でハッキングしていて、一時的に視界を潰している。けど、さすがに同じことを繰り返していたら警備隊に怪しまれる』

「そうなったら、奴らがこっちに来ると思うか?」

『それは分からない。けど警戒は常にしておいた方がいい』

「分かった。忠告に感謝するよ」


 しばらく真面目に索敵しながら歩いていると、何処からともなく音楽が聞こえてくる。我々はすぐに建物の陰に身を隠して周囲の様子を窺う。

「あの建物からだ」と、義眼をチカチカと発光させていたワスダが言う。

 視線の先には旧文明期前期に建てられたと思われる廃墟が見えた。今にも倒壊しそうな五階建ての建築物のあちこちには土嚢で築いたバリケードがあって、扉が設置されていない建物の入り口には、大量の血液を流した人間の死体が横たわっているのが確認できた。

「あれは警備隊だな」と私は言う。「カグヤ、あのなかに生きている人間がいるか確認してきてくれ」

『了解』


 カグヤのドローンが建物に向かって飛んでいくと、引き千切れた人間の足を持ったハクがやってくる。

『みつけた』

「どこにあったんだ?」と、私は痙攣する足を見ながら言った。

『あっち』ハクはビクビクと痙攣する人擬きの足を投げ捨てると、建物の裏に続く歩道を指した。

 鴉の眼で建物の裏通りを確認すると、積み重ねられた砂袋の上に設置された重機関銃と人間の死体、それに無力化された無数の人擬きが地面に転がっているのが見えた。どうやら警備隊と人擬きの間で激しい戦闘が起きていたらしい。


「カグヤ、そっちの様子はどうだ?」

『ドローンの視界映像をインターフェースに表示するよ』

 建物内には数人の警備隊の死体が、開封された戦闘糧食と缶詰が散らばる床に無雑作に横たわっているのが見えた。揃いの戦闘服に千切れた防弾ベストを装着した男たちは、自分たちが流した血溜まりのなかに顔をつけていて、いくつかの死体は腹部が大きく裂かれていて、そこにあるべき臓器が何処にも見当たらなかった。


 先ほどから漂っていた血の臭いと糞尿の嫌な臭いの出所が分かると、私はフルフェイスマスクですぐに頭部を覆う。

『音楽はこの端末から流れていたみたい』

 カグヤは地面に落ちていた端末を操作して音楽を停止させた。と、そのときだった。受信している映像の隅で黒い影が素早く移動するのが見えた。


「カグヤ、建物内に人擬きがいる可能性がある。注意してくれ」

『すぐに調べるよ』

 カグヤはそう言うと、ドローンを部屋の奥に向かわせた。薄暗い廊下に出ると、そのまま日の光が届かない真っ暗な部屋の前で止まり、そして機体の照明をつけた。すると数十体の人擬きが地面に横たわっていた死体に群がり、裂かれた腹のなかに顔を埋めて臓物を貪っている様子が映し出された。

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