第456話 無法者


 片側三車線の道路を塞ぐように、横倒しになった高層建築物の残骸が見えてくると、地面に広がる地割れに落ちてしまわないように注意しながら歩いた。倒壊した建物の隙間からは、雪解け水が滝のように流れていて、行き場を失くした大量の水が深い地割れの中に流れ込んでいるのが見えた。

 時折、凍えるような風が吹いていたが、天候は安定していて、見上げた建物の間からは澄んだ青空が広がっているのが見えた。


 何処からともなく流れてきて、アスファルトを濡らしていた水に足を滑らせないように慎重に歩いていると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『本当にひとりで来ちゃったけど、良かったの?』

「ひとりじゃないよ、鴉が索敵してくれている」そう言って上空に視線を向けると、鴉型偵察ドローンが大きな翼を広げて建物の間を滑空している姿が見えた。

『そうだけど、戦えるのはレイだけだよ。せめて拠点を警備していた機械人形の部隊を連れてくれば良かったのに』

「大丈夫だよ。ワスダに会うだけなんだから」

『だからこそ用心しないといけないんだよ。相手は無法者のレイダーなんだからさ』

「それは昔の話だろ? 今は鳥籠の警備隊長だ」

『正確には、レイダーギャングが支配する鳥籠の警備隊長だよ』

「……そうだったな」

『襲撃される心配はしてないの?』

「拠点には娘がいるんだ。バカな真似はしないだろう」

『どうだろう。レイダーがやることは信用できない』


 網膜に投射されていた鴉からの俯瞰映像を精査して、周囲に人擬きがいないことが確認できると、横断歩道橋を使って水没した道路を渡る。雪が僅かに残る道をザクザクと音を立てて歩いていると、雪と瓦礫に埋もれていた球体型の乗り物が幾つか見えてくる。

『目印のゴンドラだよ』とカグヤが言う。

 インターフェースに表示された地図情報でロープウェイ乗り場の位置を確認すると、深い地割れに沿って歩いた。廃墟の街は驚くほど静かだった。銃声が聞こえてくる事も無ければ、昆虫型の変異体を見ることも無かった。ただ吹き荒ぶ風だけが、物悲しい音を立てて建物の壁面にかかる看板を揺らしていた。


 しばらく歩くと、旧文明期以降に造成された埋立地に続く道路までやってくる。

『待って、レイ』カグヤの声が聞こえると、ベルトポーチから偵察ドローンがもぞもぞと出てくる。目の前に浮き上がったドローンは光学迷彩を起動すると、徐々に周囲の景色に溶け込むようにして姿を消していった。

「なにか見つけたのか?」

 私はそう言うと、瓦礫の陰に入って身を隠した。

『レイダーの痕跡を見つけた』


 ドローンから受信していた映像を確認すると、陥没した道路に放置されていた多脚型車両の残骸をテーブルに見立てて、縛り上げられた人間の死体が磔にされている光景を目にする。死体には、生きている間につけられたと思われる複数の裂傷があり、地面には切断された指と性器が転がっているのが確認できた。

 青ざめた死体には霜が付着していたが、殺されてから数日も経っていないことが腐敗の進行状況で分かった。その死体の側には焚き火として使用されていたドラム缶と、パイプ椅子が転がっていた。


「死体を切り刻んで遊んでいたのは人間だな……」と私は溜息を突きながら言う。「この辺りを根城にしていた人食いのレイダーギャングは、すでに壊滅したんじゃないのか?」

『生き残りがいたのかも』とカグヤは言う。『冬の間に何処からか流れてきた可能性もある』

「厄介だな」

 私は適当な瓦礫に座ると、腰のポーチから水筒を取り出して、蓋になっていたコップに熱いコーヒーを注いだ。それから火傷しないように、湯気が立つコーヒーをゆっくりと飲んだ。


『この先にはレイダーが根城にしている地下街があるみたい』とカグヤが言う。

「地下? 陥没した道路から入り込んだのか?」

『そのようだね。入り口も確認できた』

 水筒をポーチに戻すと、胸の中心に吊り下げていたライフルのストックを引っ張り出して、しっかりとライフルを構えながら死体の側に近づく。陥没した道路には雪解け水が流れ込んでいたが、地割れによって出来た深い溝に大量の水が流れ込んでいて、なんとか水没せずに済んでいた。

 人間が磔にされていたヴィードルの残骸には、開封された缶詰と酒瓶が無雑作に置かれていて、確かに何者かがそこで活動していた痕跡が確認できた。


「カグヤ、上空の鴉にしばらく周囲の索敵をさせてくれ」

『レイはどうするの?』

「地下の様子を確認してくる」

『レイダーと戦闘になるかもしれない』

「だからと言って、レイダーの拠点を素通りする訳にはいかない」

『……そうだね。大規模な拠点になる前に潰しておこう』とカグヤは言う。『一応、ミスズに連絡しておくね』

 カグヤの言葉にうなずくと、私は羽織っていたポンチョのフードを深くかぶってから環境追従型迷彩を起動した。

「ワスダにも連絡しておいてくれ」

『なんて言うの?』

「少し遅れる」

『了解』


 急な傾斜になっている瓦礫の山には、何処からか運び込まれた鉄骨階段が設置されていたので、それを使って陥没した道路の底に向かうことにする。赤茶色に腐食した階段は今にも崩れそうだったが、地下街に繋がる通路まで安全に下りることができた。瓦礫の向こうには、不揃いな形の木材と鉄板でつくられた門が設置されていたが、監視所のようなものはなく、警備している人間の姿も確認できなかった。

「随分と不用心だな」

『廃墟の街を徘徊する人擬きの姿も見かけないし、完全に油断してるんだよ』

「けど、念のため罠や監視カメラの類が設置されていないか確認してくれ」

『分かった、少し待ってて』


 カグヤの操作するドローンから、スキャンのためのレーザーが周囲に向かって照射されているのを横目に見ながら、私は足元に注意しながら地下街に繋がる門に接近する。電球型の照明装置が数珠つなぎになって天井から吊り下げられていて、黄色い光が薄暗い通路をぼんやりと照らしているのが見えた。門の周囲には酒瓶と煙草の吸殻が転がっていて、通路の壁や門には卑猥な落書きがされていた。いかにも無法者の略奪者が潜んでいそうな雰囲気があった。


『レイ、システムに侵入するために制御盤を使うから、接触接続の準備をして』

 カグヤの言葉のあと、壁に設置されていた金属製の制御盤ボックスが緑色の線で縁取られる。半開きの蓋に手をかけると、腐食していた金具が壊れて蓋が落下する。蓋は大きな音を立てたが周囲に動きは無かった。ボックス内の基板には、壁から伸びる赤と黄色の配線コードが出鱈目に繋がっていて、目的の装置は配線の奥に隠れているのが確認できた。私は漏電に注意しながら装置に触れる。すると静電気にも似た軽い痛みを指先に感じた。

『接続できたよ』とカグヤが言う。『監視カメラと自動攻撃タレットのシステムを掌握した』


 視線の先に複数の監視カメラ映像が拡張現実で表示される。その中から略奪者たちが映っている映像を選択して拡大表示すると、犬型の変異体を戦わせて盛り上がっている略奪者たちの姿が確認できた。

「奴ら闘犬でもやっているのか?」

『レイダーたちの拠点を制圧するなら、今がチャンスだよ』とカグヤは言う。

「敵の正確な位置と数は分かるか?」

『確認する』

 カグヤがそう言うと、監視カメラの映像で確認できる略奪者たちの頭頂部に標的だと示すタグが貼り付けられていく。拡張現実で表示されているタグは、闘犬に使用されている変異体を含めて全部で十八になった。

「結構な人数だな」

『応援を呼ぶ?』

「いや」と私は頭を振る。「奴らの装備は貧弱だし、油断している今なら奇襲で問題なく数が減らせる」

『監視カメラが設置されていない場所にもレイダーが潜んでる可能性があるから、先行して偵察してくるよ』


 カグヤのドローンが門に使用されていた鉄板の間を通って通路の先に飛んでいくと、私もそのあとに続いて歩いた。門は施錠されていなかったので、簡単に侵入することができた。地下道として使用されている薄暗い通路の左右にも、幾つかの空間が存在しているようだったが、ほとんどの場所は瓦礫とゴミで塞がれていた。

 高い天井を見上げると、略奪者たちの手で設置されたと思われる照明装置が見えたが、設置されている間隔が広く、照明としては全く役に立っていなかった。略奪者たちが設置した監視カメラの前を通るときは、歩幅を狭くして出来るだけゆっくりと歩いた。監視カメラは旧文明期以前の安物だったので、迷彩で簡単に誤魔化すことができた。


 しばらく進むと通路の角からガスマスクを装着した人間が歩いてくるのが見えた。略奪者はカグヤのドローンによって既にタグ付けされていて、赤色の線で輪郭が縁取られていたので、障害物を透かしてすでに存在を認識していた。だから焦ることなく対処することができた。


 ライフルから撃ち出された銃弾は二発だった。一発目は男の鎖骨を砕いて貫通し、二発目はガスマスクのフェイスシールドを破壊して眼球に食い込んだ。男が前のめりになって倒れようとすると、私は咄嗟に男の側に駆け寄り、腕を伸ばして男の身体を支えて地面にゆっくりと寝かせた。

 射撃に使用した銃弾は通常弾だったので銃声は気にならなかったが、薄い錆びた鉄板を身体中に装着していた男が倒れてしまえば、大きな音を立ててしまう。潜入していることに気づかれるにはまだ早い。隠密行動を続けるためにも、大きな音を立てる訳にはいかなかった。


 カグヤのドローンから届く映像で略奪者たちの動きに変化がないことを確認したあと、先ほどの男が開いたままにしていた防火扉をそっと押し開ける。すると略奪者たちの笑い声が聞こえてくる。酒を飲んでいるのか、略奪者たちはくだらない猥談で盛り上がっていた。

 防火扉からライフルの銃身だけを突き出すと、弾薬を自動追尾弾に切り替え、ドローンによって攻撃用標的タグが貼り付いていた略奪者たちに向かって発砲する。その際、セミオート射撃による的確な射撃を行う。引き金を引くたびにライフルのストックを介して軽い反動を肩に感じるが、それだけだった。略奪者たちの命同様、引き金は恐ろしく軽かった。


 ドローンの視界を通して室内の様子を確認したあと、防火扉を押し開けて先に進む。以前は何かを販売する場所だったようだが、今ではゴミと瓦礫が散乱していて、どんな店だったのかも分からない状態だった、金属製の棚が並ぶ空間の中央には大きなテーブルが置かれていて、そこで略奪者たちは酒を飲んでいるようだった。

 テーブルに突っ伏した状態で死んでいる略奪者の手から離れた酒瓶が、ゆっくりと転がっていくのが見えた。その瓶が地面に落ちる寸前にキャッチすると、棚の向こうに潜んでいた女性と目が合った。彼女は驚きに目を見開いていて、手に持ったサブマシンガンは震えていた。


 迷彩の効果によって、私の姿はぼんやりとした影に見えていたのだろう。幽霊にでも遭遇したように驚き、身体を硬直させていた女性に向かって私は反射的にライフルを構えると、彼女の胸部に弾丸を二発撃ち込んだ。が、それがマズかった。崩れ落ちる女性はサブマシンガンの引き金を引いて、フルオート射撃で銃弾をばら撒いた。銃弾は地面のタイルを削っただけで、私に直接的な被害は無かった。けれど銃声は闘犬で盛り上がっていた略奪者たちの注意を引いた。


『レイ、奴らが来るよ。すぐに準備して』

 カグヤの声にうなずくと、羽織っていたポンチョを脱いで、背負っていたバックパックをおろした。そして液体金属を操作して全身をハガネの鎧で覆うと、テーブルに突き刺さっていたハンドアックスを抜いた。先ほど殺した略奪者の愛用品だったのか、刃は丁寧に研いであった。

 通路の先に現れたのは犬型の変異体だった。体高が二メートルほどで、全身の皮膚が垂れ下がり、口からは大量の涎を垂らしていた。不思議なことに、その犬には目に相当する器官が存在しなかった。しかしそれでも、変異体は真直ぐ私に向かって駆けてきていた。


 その大型犬に向かってハンドアックスを力任せに投げつけた。変異体の頭部に手斧が突き刺さると、衝撃で身体が跳ね飛ばされ、後方からやってきていた別の闘犬に衝突する。私は太腿のホルスターからハンドガンを抜くと、間髪を入れずに貫通弾を撃ち込んだ。甲高い金属音と共に撃ち出された銃弾が大型犬に命中すると、螺旋状に広がる衝撃波と共に変異体の内臓や体液が廊下に飛び散る。

 次の瞬間、騒がしい警告音が内耳に聞こえると、私は全身を覆っていた鎧を粘度の高い液体に変化させて、ほぼ無意識的に飛んできた無数の銃弾を受け止めた。それらの銃弾は瞬く間に溶かされ、ハガネに取り込まれていくことになった。


 騒がしい銃声が聞こえる通路の先に視線を向けると、こちらに向かってアサルトライフルを構える数人の略奪者の姿が見えた。私は彼らにハンドガンの銃口を向けたが、引き金を引く必要は無かった。略奪者たちが天井に設置していた自動攻撃タレットが起動すると、彼らに向かって銃弾を撃ち込んだのだ。

 攻撃タレットに備え付けられていたガトリングガンは、ヴィードルぐらいなら簡単に破壊できる火力があり、その一斉射撃を受けた略奪者たちの身体は文字通りバラバラになって床に散らばることになった。


「ありがとう、カグヤ」と私は素直に感謝する。「助かったよ」

『どういたしまして』と彼女は言う。

「でもそれだけ強力なタレットがあるなら、どうして最初から使わなかったんだ?」

『敵の正確な数が分からなかったから隠密行動を優先させたんだよ。こんな狭い場所で、もしも人擬きの大群に襲われていたら、大変なことになったでしょ?』

「そうだな」と私は肩をすくめた。「それで、敵はまだ残っているのか?」

『ううん、もう残ってない。奥に隠れていたレイダーたちも、自動攻撃タレットで処分した。自分たちが設置したタレットに攻撃されるなんて、すこしも考えていなかったみたい』

「タレットは便利だけど、俺たちもシステムを乗っ取られないように注意しないとダメだな」


 ハガネの鎧を解いてバックパックを背負い直すと、その上から脱いでいたポンチョを羽織った。それから略奪者たちの拠点を見て回ることにした。通路の先は広い空間に繋がっていて、そこには略奪者たちが闘犬の会場として使用していた金属製の囲いがあった。

 周囲には酒瓶や非常食の缶詰が載ったテーブルと、観客用のソファーなどが雑然と置かれていたが、地下街に繋がる通路は瓦礫で塞がっていて、地下区画の全容を把握することはできそうになかった。瓦礫の先にはまだ誰も探索していない空間が広がっているのかもしれないが、あちこちで崩落が起きているので、無理に瓦礫を動かすこともできない。


 通路を引き返すと、闘犬に使用されていた大型犬が入った檻を見つけたので、射殺しようと考えたが、ふと思い立って殺すのを止めた。

『放っておくの?』とカグヤが言う。『檻の中で餓死させるより、一思いに殺してあげた方がいいと思うけど……』

「飼い慣らすことができたら、拠点の番犬として使えるかもしれない」と、私は皮膚の弛んだ大型犬を見ながら言う。

『闘犬用に育てられた変異体だから、飼い慣らすのはすごく難しいと思うよ』

「考えがある」私はそう言うと数匹の犬を残して通路の先に進む。

 略奪者たちが寝床として使用していた部屋には、未開封の弾薬箱がぎっしり詰まった木箱と、国民栄養食が入った段ボールが積まれていた。

『酒以外でやっと役に立つものを見つけられたね』

「そうだな」私はカグヤの言葉にうなずくと、あとで物資を簡単に回収できるように現在地の情報を地図に登録した。

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