第十二部 紛争

第455話 諜報活動


 拠点地下の射撃訓練場では、断続的に騒がしい銃声が鳴り響いていて、その銃声の合間には、旧文明期以前の技術で製造された小型ドローンの回転翼が騒がしい音を立てているのが聞こえた。ドローンの機体下部に設置された投影機からは、ホログラムで再現された射撃訓練用人型ターゲットが投影されていて、銃弾が貫通すると赤い点で着弾位置が表示される仕組みになっていた。


 私は射撃訓練を行っていた仲間たちの後ろを通って、スチールの椅子とテーブルが並ぶ休憩室に入ると、テーブルについて防弾ガラスの向こうで行われていた射撃訓練の様子をじっと眺めた。それからふと思い立って、ベルトポーチから栄養補助食品の国民栄養食を取り出してテーブルにパッケージを載せると、休憩室に設置されていたカップ式自動販売機でホットコーヒーを入れ、紙コップを手にテーブルに戻る。ちなみに自動販売機は娯楽室の倉庫に保管されていたものを整備して使用していた。


 白い壁に覆われた休憩室にさっと視線を向ける。壁も床も、それから天井も自律型掃除ロボットによって常に清潔に保たれていて、壁は周囲の様子がくっきりと浮かぶほど磨かれていた。荒廃して廃墟に埋もれた街の地下にいるとはとても思えなかったほどだ。

『レイ、諜報活動を行っている部隊から届いた報告書を簡単にまとめたよ』

 カグヤの声が聞こえると、彼女が操作する偵察ドローンが目の前に姿を見せた。拳大の球体型ドローンは機体の一部を開閉すると、カメラアイにも見えるレンズから光を照射した。すると高い壁に囲まれた巨大な鳥籠の俯瞰映像が投影される。


 私はテーブル上に浮かんでいたホログラムに視線を向けると、多くの人間が行き交う通りや、人々が安心して暮らせるために修繕されていた建築物の様子を確認した。

「五十二区の鳥籠だな」

『うん。ここを見て』カグヤがそう言うと、ホログラムが変化して鳥籠の一区画が拡大表示された。『私たちに対する侵攻作戦は、いつでも開始できる段階にあるみたいだね』

 そこに映し出されたのは、倉庫だと思われる多数の建造物が並ぶ区画で、武装が施された大量の多脚型車両ヴィードルや、訓練所と思われる広場で作業用パワードスーツを装着した状態で戦闘訓練を行っている大部隊の姿が確認できた。それに留まらず、区画の周囲には回転翼を使って飛行する旧式攻撃ドローンが編隊を組んで飛んでいて、いくつかの倉庫入り口からは多脚型戦車の砲塔も確認できた。


「奴らは本気で俺たちのことを潰す気なんだな」と、私は率直な感想を口にする。

『鳥籠に潜入していた諜報員からは、こんな映像も届いてる』

 ホログラムの映像が切り替わると、戦闘訓練を行っていた部隊に指示を出している男の姿が映し出される。紺色のコートを身につけた男は、不死の導き手と呼ばれる宗教団体の人間で間違いないだろう。

 男の背中には金糸で教団のシンボルマークの刺繍がされていた。それは人間の瞳から涙のように線が伸びて、ピラミッドを形作るといったマークで、廃墟の街で同じような落書きを多く見かけることがあった。


「教団の人間が組織を指揮しているのか」

 私の言葉にカグヤは答える。

『報告書によると、以前まで鳥籠を管理していた幹部の多くは粛清によって姿を消して、代わりに教団の人間が重要なポストに就いた』

「粛清? それにも教団が絡んでいる?」

『当然でしょ』とカグヤは言う。『教団の布教活動も活発に行われていて、教義を受け入れない人間を排斥する運動も始まってる』

「市民を鳥籠から追い出しているのか?」と私は顔をしかめる。

『追い出すだけなら良かったんだけどね』

「もっとひどいことが行われているのか……」

『その活動の切っ掛けを作ったのは、うちの諜報員だけどね』

「うん?」

 私が首を傾げると、カグヤはクスクスと笑った。

『私たちは戦争をしているんだよ。敵の戦力を減らせるチャンスがあるなら、見逃す訳にはいかないでしょ』


 国民栄養食のパッケージを開いていた私は手を止めて、それから言った。

「でも鳥籠には、俺たちの争いに関与していない住人が多く暮らしている」

『関係のない住人なんて子供くらいだよ』とカグヤは言う。『ほとんどの人間は、武器を製造する工場で、私たちを殺すための兵器を朝から晩まで造る手伝いをしている』

「それは――」

『生きていくために仕方なくやってる?』

「そうだ。彼らだって働かなければ、生きていくための給金や食料を得ることができないはずだ」

『彼らの手で製造された兵器で仲間が殺されても、レイは同じことが言える? 仕方なかったんだって、彼らは生きていかなければいけなかった。だから私たちの仲間を殺したんだって』

「言わないさ」

『まぁでも、確かに排斥運動は諜報員たちの予想を大きく上回る活動に発展していったから、戸惑いがあるのは真実だけどね』

「鳥籠では何が起きているんだ?」

『密告や嘘の情報に踊らされた人間たちの手によって、集団リンチや強姦が当たり前のように行われている。惨い拷問で無実の住人が日常的に殺されていることも分かってる』

「最悪だな」

『そう、状況は最悪だよ。でも戦争を望んだのは彼らだ』

「彼らじゃない、教団だよ」と私は頭を振った。


『同じだよ』とカグヤは言う。『彼らは盲目的に宗教を受け入れた。抵抗することだって出来るのにそれをしない。どうして彼らは抵抗しないんだと思う?』

「教団の後ろ盾を得た組織に対抗できるだけの力が無いんだろう」

『違うね。ただ面倒な争いに巻き込まれたくないって思ってるだけだよ。鳥籠内の紛争が激化すれば、多くの住人の命が奪われる。それならいっその事、教団の指示に従って他の鳥籠を攻撃すればいいと思ってる。排斥運動だって永遠に続く訳じゃない。それまで教団に随順して、事態が鎮静化するのを待つ。多くの住人はそう考えているんだよ』

「それで終わる訳がない。教団はすぐに他の標的を見つける」

『そう。でも人間は絶望的な状況に立たされると、驚くほど楽観的な考えに染まる』

「悲観的なことを考えて生きるより、その方が幾分か楽だからな」

『だからこそ彼らは無実じゃない。集団意識がもたらした同調圧力であれ、彼らは私たちと争うことを選んだ』

「そして俺たちは奴らに殺される訳にはいかない……か」私はそう言うと、熱いコーヒーを口に含んだ。「いずれにしろ、気分のいい話じゃないな」

『それが戦争ってものでしょ?』


 防弾ガラスの向こうで行われている射撃訓練を眺めて、それから私は言った。

「五十二区の鳥籠は、砂漠地帯の鳥籠『紅蓮』とも戦争中だ。このままいけば、悲劇的な結末じゃ済まされなくなる」

『そうだね』とカグヤは私の言葉に同意した。『だから諜報部隊を指揮してるイーサンは短期決戦を想定して、すでに工作活動を進めてる』

「何をするつもりなんだ?」

『工場区画と大量の兵器を格納している倉庫を精密爆撃で破壊する』

 投影されていたホログラムには、鳥籠に向かって投下される爆弾の航跡が表示された。爆撃箇所は他にも幾つか存在していて、鳥籠に向かう際に設けられている監視所も爆撃の標的になっていた。


「爆撃か……多くの死傷者が出るな」

『全面戦争をするよりかは、被害を少なくできる』とカグヤはきっぱりと言う。

「爆撃のあとはどうするんだ?」

『戦闘用機械人形との混成部隊による侵攻を行う』

「奇襲で組織の中枢を一気に叩いて鳥籠を占領するのか?」

 私がそう口にすると、偵察ドローンはホログラムを消してふらふらと何処かに飛んでいく。

『鳥籠を素早く制圧するための進行ルートやら何やらは、すでに諜報員によって調査が進められている。もちろん、私たちが処理しなければいけない教団幹部の情報も探ってもらっている』

「作戦は成功すると思うか?」

『以前の私たちなら無理だった。でも今なら作戦遂行に支障はないはずだよ』

「戦闘に参加するのは?」

『全部隊に参加してもらう』

「ヤトの一族と、イーサンが指揮する部隊を合わせても百人と少しだ」

『でも私たちには強力な兵器がある』

 私は溜息をつくと国民栄養食を手に取った。


 パサパサした固形食をコーヒーで喉の奥に流し込んでいると、射撃訓練を終えた少女が休憩室に入ってくる。小柄な少女は灰色のデジタル迷彩が施された戦闘服を身につけていたが、身体のサイズに合っていないのか、袖口をまくり上げていた。艶のある栗色の髪はゆったりとひとつにまとめて背中に流していた。その年代の少女特有のなめらかな肌に傷は無く、やや太い眉毛は、灰色の瞳が与える冷たい印象をやわらげていた。

 彼女は私の側までやってくると、じっと私の手元にある紙コップを見つめた。そして思い出したようにとなりのテーブルに向かうと、椅子を手に取って、私の左側に座れるように椅子を運んできた。それから彼女はちょこんと椅子に浅く座ると、交差させた足をユラユラと揺らした。


「リリー、ホットコーヒーを飲むか?」

 私がそう言うと少女は私の顔を見つめて、それから柔らかい表情で微笑んだ。

「ううん。苦いからいらない」

「ホットココアもあるよ」

「甘いやつ?」

「そうだ」

「それなら欲しいかも」

 リリーは笑みを見せると自動販売機まで歩いていった。私は彼女の背中に視線を向けると、太腿のホルスターに収まっているハンドガンの状態を確認した。銃の取り扱いに関して厳しい指導を受けているからなのか、彼女のハンドガンに異常は見られなかった。

「射撃訓練はもういいのか?」

 私の問いに彼女は振り返ると、太腿のハンドガンを軽く叩いた。

「うん。今日の訓練は終わり」

「射撃の腕は上達したのか?」

「どうかな?」リリーはそう言うと、紙コップを手にテーブルに戻ってくる。「銃の扱いは苦手なのかも」


『意外だね』カグヤの声が聞こえると、何処からともなく偵察ドローンが姿を現した。『レイダーギャングが管理している鳥籠で暮らしていたときには、サブマシンガン片手に、娼婦たちの護衛をしていたでしょ?』

「驚くから急に出てこないで」リリーは眉を寄せてそう言うと、機体の周囲に重力場を発生させて音も無く浮かんでいたドローンを押し退ける。「それに護衛って言っても、あれはハッタリみたいなものだったから」

『それじゃ、ミスズから訓練を受けるまで本格的な射撃の経験は無かったの?』

「当然でしょ」と、リリーはココアを啜りながら言う。「だから少し不思議な訓練だと思う」

『どうして?』

「人に銃口を向けてはダメだって、ミスズにすごく厳しく指導される。でも私たちが射撃訓練してるのは、誰かに銃口を向けて引き金を引くためでしょ?」

『射撃訓練が必要なのは、悪い人間から自分たちを守るためだよ。仲間を傷つけるためじゃない』

「知ってる。それも何度も聞いた」


 リリーはまるで難しい手術を行う一流外科医が持つ慎重な仕草で、そっと紙コップをテーブルに置くと、私に灰色の瞳を向けた。そこには以前の彼女が持ち合わせていなかった柔らかな雰囲気が漂っていた。

「この組織の頭はレイなんでしょ?」

 彼女の言葉に私は肩をすくめて、それから言った。

「一応、そういうことになっている」

「不思議な集まりだよね」とリリーは続ける。「誰もが知る有名な傭兵団に、異界とか言う怖い場所からやってきた蛇の鱗をもった戦士たち、それに、街で暮らす人間を極端に嫌う森の民や、言葉を話す大蜘蛛までいる」

「言われてみれば、確かに不思議な集団だな」

「それに子供もいっぱいいる」

「話をする猫もいるな」

 私がそう言うと、リリーは笑顔を見せた。

「ララは可愛いよね」

「ああ、そうだな」

「でもね、一番不思議なのはレイとカグヤ。レイはミスズと一緒にトウキョウって言う場所から来たの?」

「いや」と私は頭を振る。「俺が何処から来たのかは、今もハッキリと分からないんだ」


「それだよ」とリリーは言う。「レイはさ、自分自身の存在や過去に執着してないよね」

「身についた習慣の所為だよ」と私は苦笑しながら言う。「過去に執着するよりも、生きるための努力をしなければいけなかったからな」

「生きる?」

「俺が記憶を失っていることは知っているよな?」

「……うん」

「この世界で目を覚ましたとき、俺にはカグヤしかいなかったんだ」

「カグヤだけ?」と、リリーは偵察ドローンに視線を向ける。

「そうだ。自分の名前は覚えていた。兵器の扱い方も知っていた。レーザーライフルだろうがロケットランチャーだろうが、手に持った瞬間に使い方を思い出すことができた。手に馴染んだんだ。でもそれだけだ。自分自身に関する一切の情報を持っていなかった。でもこの世界は失くした記憶に思いを馳せて、くよくよと考えている時間を与えてはくれなかった。不死の化け物が徘徊する廃墟の街で、俺は生きるために戦わなければいけなかった」

「だから考えることを放棄した?」

「少し乱暴な言い方だけど、間違ってない。俺は考えることを放棄したんだ」

「それは今も?」

 しばらくの沈黙のあと、私は正直に言った。

「分からない」と。


「だからレイはいつも不満そうな顔をしているんだね」と、リリーは紙コップを見つめながら言った。

「不満?」

「そう。だってレイはみんなが羨むような拠点や、旧文明期のすごい兵器をいっぱい持ってる。でも、本当に欲しいものは手に入れることができなかった。だから世界に対して不満を持ってる」

 理由は分からなかった。でもリリーの言葉に動揺していることを悟られないように、私は作り笑いを浮かべた。自分でも表情が強張っていることが分かった。

「それより」と私は言葉を絞り出した。「俺に大事な話があったんじゃないのか?」

「ヤバい!」と、リリーは慌てて立ち上がる。「お父さんが……じゃなくて、ワスダがレイに会いに来るって言ってたんだよ」

「会いに来る? いつ来るんだ?」

 リリーはポケットから携帯端末を取り出すと、困ったように微笑んで見せた。

「もう近くまで来てるって……」

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