第445話 毒


 立ち並ぶ水晶柱の天辺から我々を見下ろしていたコケアリたちは、人間ほどの背丈があり、深い赤茶色の体表を持っていた。しかしコケアリの特徴である苔は見当たらない。体表に付着した苔が多く、体色が明るくなるほど階級が高いコケアリだと聞いていたので、我々の目の前にいるコケアリの集団は、階級の低い戦士たちなのかもしれない。


 そのコケアリは、後脚と中脚を使って身体を起こした状態で立っている。腹部は小さく、前脚の先には人間の手に似た器官がついている。その手に握られていたのは、黒色の鈍い輝きを帯びる金属製の長い棒だ。コケアリは考えの読めない顔を我々に向けている。頭部には大きな複眼と長い触角、そして鋭い牙のついた大顎を持っている。


『レイ』とカグヤの声が聞こえる。『どうするの?』

「彼女たちからは敵意が感じられない」私はそう言うと、我々を取り囲むようにして佇んでいる無数のコケアリに視線を向ける。「それより、彼女たちは何処から現れたんだ?」

『分からない。ワヒーラが反応を捉えたときには、すでに私たちは囲まれてた』

「地下から来たんだな」

『うん。ワヒーラは地中の索敵もできるけど、動いている状態ではその機能が使えないから、接近していることに気がつくのが遅れた』

「俺たちが撤退中だったから索敵を怠ったのか?」

『ワザとじゃない。それにワヒーラの能力だって万能じゃない』

「俺たちを追い込んだのが敵対的な生物でも、カグヤは同じ言い訳をするのか」

『言い訳じゃない、事実を言っただけ』

「注意を怠るなって、散々俺たちに言っていたよな」

『注意してたよ。でも私にだってできないことはある。自分のしたことを棚に上げて私に文句を言うのは止めて』

「俺が何をした」

『あぁ、ごめん、そうじゃなかった。レイは何もしなかった。だから私たちは窮地に陥っているんだった』

「カグヤと違って俺は暇じゃなかったんだよ」

『なにそれ』

「カグヤは気楽だよな」

『気楽? 何が言いたいの?』

「別に」

『イヤな言いかた。気入らないことがあるならハッキリ口にすれば』

「カグヤは俺たちと違って、この場にいないから――」

『何それ、最悪。レイは私が好きでこんな状態になっているって言いたいの?』

「違うのか? 俺はてっきり――」


「レイ!」とペパーミントが私の言葉を遮る。「今は口論してる場合じゃない」

「分かってる!」

 何故だか分からないが、思わず声を荒げてしまう。

「何も分かってない。それにさっきの言葉は言い過ぎ。カグヤに謝って」

 反論しようとして口を開いたときだった。トゥエルブが前に出てきてコケアリに向かってレーザーライフルを構える。私は咄嗟に銃身に手をかけて無理やり銃口を下げた。次の瞬間には発射されたレーザーが地面を焦がしていた。

「なんのつもりだ?」

 私の言葉にトゥエルブはビープ音を鳴らした。

「彼女たちは敵じゃない。余計なことはするな!」

 トゥエルブは低いビープ音を鳴らして反論する。

「言い訳はするな。命令されなければ正しい判断ができない間抜けなら、これからは俺たちと一緒に行動させない」


「レイ、いい加減にして!」と、ペパーミントは私とトゥエルブの間に入る。「何が気に入らないの」

「何もかもが気に入らない」

「でもトゥエルブにつらく当たる必要は無い!」

「この状況でコケアリたちと敵対したらどうなるのかなんて、掃除ロボットでも分かることだ」

「だからって――」

 コケアリの一体が水晶柱から飛び下りてくると、私はペパーミントの言葉を無視して前に出る。こちらに向かって歩いてきているコケアリは、鮮やかな赤色の体表をしていて、斑模様のように身体のあちこちに苔が付着している。精鋭アリの部隊を率いている隊長アリなのかもしれない。その隊長アリは我々の近くまで来ると、金属製の棒を地面に打ち付ける。石突からは甲高い音が鳴り、それは周囲の水晶柱に反響する。我々とコケアリは三メートルほどの距離で向かい合って立っていた。


 隊長アリは大顎の牙を何度か小刻みに打ち合わせる。

『興味深い』と、通訳されたコケアリの言葉が内耳に聞こえる。『出来損ないの人間が私の庭に迷い込んだと思っていたが、まさか本物の人間が混じっているとは……』

 何を言えばいいのか分からず黙り込んでいると、隊長アリは触角をピクピクと動かした。

『随分と気が立っているみたいだな。なにか問題でもあったのか?』

 隊長アリの言葉には棘があった。私はベルトポケットからカード型端末を取り出して、それを手に持ちながら言った。

「別に問題はない」

 私がそう言うと、端末からコケアリの言葉に通訳された音が発せられる。カチカチと牙を打ち合わせる音にしか聞こえなかったが、隊長アリにはちゃんと通じているようだった。


『それならさっさと出て行ってくれないか?』と、隊長アリは高圧的な態度で言う。

「気が立っているのは俺だけじゃなかったみたいだな」

『私に断りも無く毛むくじゃらのイアーラ族と深淵の娘を連れてきたんだ。嫌味のひとつくらい言いたくなる』

「それは謝るよ。すまない。イアーラ族がコケアリと敵対している種族だとは思わなかったんだ」

『違う』隊長アリはそう言うと、人間みたいに頭を横に振った。

「何が違うんだ」

『私たちをその名前で呼ぶな』

 私はしばらく隊長アリの複眼をぼんやりと見つめて、それからハッとして言った。

「すまない。あんたたちの本当の名前を知らなかったんだ」

『傲慢な人間らしい言いぐさだな』

「本当に知らなかったんだ。気を悪くしたのなら謝る」


 隊長アリは黒色の鈍い輝きを帯びた棒の石突で地面を突いた。

『貴様は二度も謝罪を口にした。いつから人間はそんなに軟弱な生き物になったんだ?』

「俺は別に――」

『いや、何も言うな』と隊長アリはぴしゃりと言う。『宇宙で行われてきた忌々しい戦争で貴様らが負け続けていたことは知っていたが、その理由が分からなかったんだ。私が知っている人間は恐ろしい生き物だったからな。でも、ここまで軟弱な人間が戦いに参加していたのなら納得がいく』

「人間について何を知っているのかは分からないけど、俺たちは不誠実なことをするつもりは無かった」

『そうね。無知であることを非難するつもりは無い』

「それなら――」

『ダメだ』と隊長アリは私の言葉を遮る。『貴様の提案に興味は無い』

「俺はまだ何も言っていない」

『言う必要が無いからだ。さっさと出て行きなさい』


「何様のつもり」と、ペパーミントが話に割って入る。隊長アリは何かを確かめるみたいに触角を小刻みに動かして、それからペパーミントに顔を向ける。

『神を気取る『大いなる種族』によって創造された『お人形』さんが、なんの権利があって私に話しかけているんだ?』

「権利なんて無いし、あなたと話をするのにそんなものは必要ない」

『黙りなさい。人形は飼い主の命令に――』

「あなたこそ黙って!」と、ペパーミントは怒気を含んだ声で言う。「いい? レイはコケアリと同盟関係にあるの。そしてそれを証明したのは『常闇を駆ける者』だった。あなたにとやかく言われる筋合いは無いの。私たちは行きたいところに行く。そこがあなたの庭だろうと家だろうと、それは関係ない」


『威勢の良い人形ね。でもこれ以上の勝手は許さない』と隊長アリは言う。

「許さない?」と、ペパーミントは頭を振った。「私たちが何をしたって言うの?」

『私の庭に土足で踏み込んでおいて、私を怒鳴りつけるだけに飽き足らず、私たちを攻撃しようとした』

「ごめんなさい。でも攻撃するつもりは無かったの」

『謝罪は受け入れた』と隊長アリはうなずく。『もう話すことは無いから、すぐに出て行ってもらえる?』

「意味が分からない」

『それなら、出来の悪い人形に分かるように端的に言いましょう。出て行きなさい。でないと、貴方は後悔することになる』

「私を脅してるの?」

『ええ。さっさと立ち去らなければ、貴方を――』


 そこまで言うと隊長アリはまるで跳ね飛ばされるようにして後方に吹き飛び、水晶の柱に凄まじい勢いで衝突する。巨大な水晶は衝撃で崩れ、砂煙が立ち昇る。隊長アリを攻撃したのはマシロだった。姿を隠しながら接近して殴ったのだろう。しかし何事も無かったように隊長アリは砂煙の向こうから姿を見せる。周囲のコケアリたちも冷静で、ピクリとも動かなかった。


『これはどういうこと?』と、隊長アリは身体についた結晶を払いながら言う。

「私たちの大切な家族を脅したからだよ」と、抜き身の鉈を持ったナミが言う。「あんたはその報いを受けたんだ」

 隊長アリはナミの言葉にうなずいて、それからマシロの側を通って私の前に立つ。

『貴方は部下の管理も出来ないの?』

「止めろ」ナミはそう言うと、私と隊長アリの間に入る。「あんたはマシロに感謝するべきなんだ。もしもハクに攻撃されていたら死んでいたんだからな」

 隊長アリはハクに視線を向ける。ゴーグルを通して見えるハクの眼は真っ赤になっていた。ペパーミントのことを悪く言ったコケアリに怒っているのだろう。


 隊長アリは溜息をつくように肩を落として、それから言った。

『確かに深淵の娘を相手にするのは骨が折れる……それで、人間はどうやってこの事態を収めるつもりなんだ?』

「俺が間違ってあんたを殺してしまう前に出て行くよ」と私は言った。

『貧弱な人間にそれが出来るとは思えないけど、賢明な判断ね。私も人間とは争いたくないもの』

「ペパーミントを脅しておいて、よくもそんなことが言えるな」

『そう、あのお人形さんはペパーミントって言うの』

「あんたは争いたくないって言っていたよな。あの言葉は嘘だったのか」

『ひとついいことを教えてあげる』

「なんだ」

『あの綺麗な水晶が見える?』

「俺が年寄りに見えるか?」

 隊長アリは大顎をカチカチと鳴らす。

『ただ綺麗なだけの水晶じゃない。美しい輝きには人間の心を魅了する目に見えない毒が含まれている』


「嘘よ」とペパーミントが言う。「水晶の欠片を調べたけど、毒なんて検出されなかった」

『貴方たちが信仰する科学とやらで調べても何も出てこない。何故なら、その毒は人間の心に作用するものだから』

「心?」とペパーミントは困惑して顔を歪める。

『ペパーミント、貴方は賢いんだから気がついているんでしょ?』

 ペパーミントはじっと隊長アリを見つめて、それから私に視線を向けた。

「もしかして……」

『そう。貴方の大切なパートナは突然おかしくなった。彼の心を、感情をかき乱しているのはなに?』

「それは――」

『違う。私の挑発の所為じゃない。結晶の森にいるから彼はおかしくなっている』

「本当にそんなことが?」

『小さな水晶の欠片では何も感じないでしょう。でもこの場所に立っていたらどうなると思う?』隊長アリはそう言うと、我々の周囲に立つ巨大な水晶柱に複眼を向ける。『私は貴方たちのことを思って言っているの。その人間が取り返しのつかない過ちを犯す前に、早く出て行きなさい』


 ペパーミントはしばらく黙り込んだあと、そっと言葉を口にした。

「……貴方を誤解していたみたい。ごめんなさい」

『謝る必要は無い。でも次にこの場所に用事があるときには、絶対に人間を連れて来ないで』

「分かった。貴方の名前を教えてくれる?」

『草々の囀り。また会いましょう、ペパーミント』

 隊長アリはそれだけ言うと、バニラにも似た甘い香りを残しながら、クレーターの中心に向かって歩き出した。気がつくと我々を取り囲んでいた他のコケアリたちもいなくなっていた。


「ミスズ、すぐにここから出て行きましょう」とペパーミントは言う。

 ミスズはうなずくと部隊に指示を出し始めた。それを確認するとペパーミントはマシロの手を取って歩き出した。

「説明してくれ」

「彼女の言ったことを私は信じる。だからここから出て行くの」

「でも根拠がない」

「根拠もへったくれもない。今は此処から出て行くことを優先しましょう」

「訳が分からない」

「なら教えて」とペパーミントは立ち止まる。「レイは何で怒っていたの? どうして突然カグヤにあんなことを言ったの?」

「それは……」

「言えないんでしょ? それはレイにも出所の分からない感情だから」

「けど――」

「お願い、分かって」

 私はしばらくペパーミントの青い瞳を見つめて、それからうなずいた。

 

「カグヤ」とペパーミントは歩きながら言う。「輸送機までの経路を教えて」

『うん』

 視線の先に拡張現実で表示される矢印が出現すると、我々は矢印に沿って歩いた。コケアリたちの登場のあと、あの奇妙な甲虫は現れなかった。結晶の森を出て、輸送機の側までやってくると、それまで胸の中に渦巻いていた不快感は嘘のように消えてなくなった。それと同時に凄まじい後悔が胸の内に現れる。

「……カグヤ、さっきは悪かった。言い過ぎた」

『別に気にしてない』

 彼女が気にしているのは明らかだったが、それ以上言葉を重ねるのは止めておいた。もう少し落ち着いてから彼女と話をすることにした。


「トゥエルブ」私はそう言うと、輸送機のコンテナに乗り込もうとしていた機械人形に手招きをした。「完全に八つ当たりだった。許してくれ」

 トゥエルブは高いビープ音を鳴らして答える。

「分かってくれて良かった」

 トゥエルブは頭部をクルクルと回転させながらビープ音を鳴らした。

「そうだな、トゥエルブは確かに間抜けだけど、掃除ロボットとは違う」

 トゥエルブは力こぶを見せるように両腕を持ち上げ、そしてビープ音を鳴らした。

「ダメだ。調子に乗るな。ウェンディゴの操作権限はウミが管理する」

 トゥエルブは肩をすくめてみせると、不満を示すビープ音を鳴らしながらコンテナに入っていった。

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