第443話 結晶の森


 雪が残る廃墟の街で『ハガネ』の能力テストを行ってから数日、私は山梨県と静岡県の県境にある山岳地帯までやってきていた。しかし今回の目的はイアーラ族の砦を訪問することでは無く、山岳地帯で確認されている未知の結晶を調査することが目的だった。

「この辺りだけ積雪が見られないのは、やはりあの不思議な水晶が関係しているのでしょうか?」

 全天周囲モニターを通して険しい地形を眺めていた私に代って、カグヤがミスズの質問に答えた。

『ニヤに結晶の名前を聞きそびれちゃったけど、あの水晶が生み出している熱が周囲の環境に影響しているみたいだね』

「大きな可能性を秘めた水晶なんですね……」

『でも問題もある。ラロに教えてもらったんだけど、この時期にはその暖かい環境を求めて周辺一帯から生物が集まってきている。だから近づくときには注意しないといけないみたい』

「そのなかには危険な生物も含まれますよね」

『もちろん。暖かい場所だから昆虫型の変異体にも注意しないといけない』

「それは厄介な問題です」

『私たちの日常だよ。だから気負う必要は無い、いつも通り注意深く行動しよう』

「そうですね」と、ミスズは視線を落とすと可愛らしく微笑んでみせた。それから急に表情を変えて、モニターの一点を見つめる。「レイラ、あれはオオカミでしょうか?」


「日本に野生のオオカミは生息していないはずだ。野犬の類じゃないのか?」そう言って地上に視線を向けると、岩場を凄まじい速度で駆ける生物の集団が見えた。

『野犬には見えない』と、カグヤがキッパリと言う。『三メートルを優に超える体長を持つ野犬なんて、今まで一度も聞いたことが無い』

「それなら、旧文明期に遺伝子操作で産み出された愛玩動物じゃないのか?」

『文明崩壊時の混乱を生き延びた個体が、山岳地帯でたくましく生きていた。とか?』

「ああ」

『あるいは、混沌の領域からやってきた生物なのかも』

 カグヤの言葉に思わず溜息をついた。

「山岳地帯では滅多に人擬きの姿を見ないから安心していたけど、今回の探索も楽ができそうに無いな」

『アルファ小隊を連れてきて正解だったね』

「そうだな。ハクとマシロを誘っておいて良かったよ」

『ララが一緒だけどね』

 カグヤの言葉に私は肩をすくめると、オオカミらしき生物を拡大表示して姿を記録する。


「ねぇ、レイ」と、コクピットシートの後方にある補助員のための席に座っていたペパーミントが言う。「イアーラ族の砦には寄っていかないの?」

「彼らには用事が無いからな」私はそう言うと、振り返って彼女に視線を向ける。「出発前に話したと思うけど?」

「それは残念」と、砂色のフード付きツナギを着た女性が退屈そうに言う。

「イアーラ族の砦に何か用事があるのか?」

「結晶について彼らが知っていることを教えてもらおうとしたの。ラロは口下手だし、ニヤは私たちを嫌っているでしょ? だからまともに話せるイアーラ族に会いたかったの」

「ニヤは別に俺たちのことを嫌っているわけじゃないよ。人間に慣れていないだけ」

「そうかしら」とペパーミントは素っ気無く言う。

「言いたいことがあるなら、ここで聞くよ」

「あら、今日のレイは随分と優しいのね」

「今日だけじゃない。俺はいつも優しい」

「そう、それは意外ね」

「これでも努力しているんだ」

「努力しないと他人に優しくできないって、なんだかおかしいと思わない? それって本物の優しさなのかしら」

「だれ彼の区別なく誠実である必要は無いからな、人を選んで優しくしているんだ」

「へんよ。だって優しさは心から生じるものでしょ?」

「その心の有り様をコントロールするのは感情だ。そして感情は意識によって左右されるものだ」

「そう。それなら今のレイは心に余裕があるのね」

「今だけじゃない、俺はいつでも寛大な人間だ」

「しばらく会わない間に、うぬぼれ屋さんになったみたい」

「しばらくって、俺たちは毎日顔を合わせているじゃないか」

「そうね。私に頼みごとがあるときには、いつも会いに来てくれる」


 ミスズがクスッと笑うと、私はミスズに向かって肩をすくめて、それから言った。

「今日のペパーミントはご機嫌斜めのようだ」

「機嫌はすごくいいように見えます」とミスズが小声で言う。「きっとレイラと一緒にいられるのが嬉しいんですよ」

「ミスズ、私にもちゃんと聞こえてる」

 ミスズはつくりものの笑顔で誤魔化して、それからコンソールを操作する。

「見えてきました。目的地の『結晶の森』です」

 巨大な水晶の柱が数え切れないほど立ち並ぶ地域の上空を、輸送機はミスズの操縦でゆっくりと旋回する。私はモニターを通して見えていた限りなく透明に近い水晶に視線を向ける。

「結晶の森か……思っていたよりも規模があるな」

「不思議ね」とペパーミントが言う。「これだけ結晶が密集しているのに、周囲の気温は一定に保たれている……」


「えっと……近くに着陸できそうな場所はありませんね」

 私はミスズの言葉にうなずくと、コンソールを操作して輸送機が着陸するのに適した場所を探す。

「結晶の森まで少し歩くことになるけど、クレーターの側にできた高台に着陸できそうな場所がある」

「分かりました……」ミスズは輸送機を傾け、そして通知音と共にモニターに表示された警告に注意を向ける。「周辺一帯に多数の生物反応を確認しました」

「さっきのオオカミが追いかけてきたのか?」

「正体は不明ですね」とミスズは頭を振る。「結晶の森のあちこちに大きな反応があります……集団で行動しているみたいです」

「分かった。すぐに部隊と情報を共有しよう」

 ハクとアルファ小隊の端末に情報を送信すると、私はすぐに動けるように装備の点検を始めた。


 搭乗員用ハッチから外に出る。やはり冬だとは思えないような生暖かい風が吹いている。私は青く澄んだ空に視線を向けて、それから網膜に投射されている周辺一帯の簡易地図で点滅する赤い点の動きを確認する。それらの赤い点は動体センサーが捉えた生物反応だったが、深淵の娘のようにセンサーでは捉えられない生物がいるかもしれないので、目視でも周囲の安全を確認する。


 視線のずっと先には驚くような光景が広がっている。データベースを使うことで、結晶に埋もれた洞窟が世界中で確認されていることは知っていたが、何処かの鉱山では無く、地上で同じような光景が見られるとは思いもしなかった。十数メートルの高さがある水晶の柱が、不規則に立ち並ぶ光景には思わず目を奪われてしまう。


 名残惜しいが、すぐに見飽きてしまうことになる景色から視線を外すと、コンテナのハッチを叩く。ちなみに今回の探索で使用しているコンテナは、鳥籠『スィダチ』のガラクタ置き場に放置されていたもので、拡張空間を備えた特殊なコンテナだった。敢えてそのコンテナを持ちだしたのは、結晶を回収することが目的だったからだ。

 ミスズたちがコンテナから出てくると、私は探索の目的についてもう一度簡単に説明する。拠点を出るときにも部隊を招集して説明していたので手短に済ませた。


「結晶の森でペパーミントがサンプルを回収している間、ミスズとナミはアルファ小隊を率いて彼女の護衛をしてくれ。対処できないような問題が起きたら、ミスズの判断で撤退しても構わない」

「わかりました」ミスズはしっかりとうなずいてくれる。

「今回の探索では、拠点で留守番しているウミが俺たちの支援をしてくれることになっている。彼女から得られる情報には常に耳を傾けていてくれ」

 私はそう言うと、コンテナから出てきたワヒーラに視線を向ける。索敵に特化した多脚ドローンは、ウミの遠隔操作によって円盤型の回転式レーダーをゆっくりと回転させた。そしてウミの凛とした声が内耳に聞こえる。

『各自の端末にワヒーラから得られる周辺一帯の索敵情報を送信します。リアルタイムに受信する情報に常に注意して行動してください』

 ヤトの戦士たちがうなずいたのを確認して、それから私は言った。

「ウミ、輸送機の遠隔操作も頼む。敵対的な生物が接近してきたら、上空に避難してくれ」

『承知しました』


「ハクとマシロ、それにトゥエルブは俺と一緒に来てくれ。俺たちは接近してくる生物の確認を行う。もちろん危険な相手なら追い払う」

 触肢に挟んでいた何かを一生懸命に食べていた白蜘蛛が片脚を上げて了解したことを示すと、ハクのとなりに立っていたマシロも胸に抱いていた猫のララを高く持ち上げる。すると何故かトゥエルブもラプトルの両腕を上げさせて、レーザーライフルを高く持ち上げた。


『私はどうすればいい?』と、身体が伸びきっていたララが言う。

「ララは輸送機に残っていてくれ」

『嫌よ』

「ニヤと約束したんだ。ララを危険な目に遭わせられない」

『ハクとマシロが守ってくれるわ』

「ダメだ。結晶の森は俺たちにとっても未知の場所だ。危険を冒す訳にはいかない」

『絶対に嫌よ。こんなところにいたら退屈で死んでしまう』

 私はララの言葉に溜息をついて、それから言った。

「それなら正直に言うよ、ララはハクとマシロの足手まといになる。だから連れていくことはできない」

『足手まといになんてならないわ』

「ララ、頼むよ」と私は幼い子供を諭すように言う。「拠点を出るときに約束しただろ?」

『あれは約束じゃない。連れて行ってもらうために話を合わせただけ』


「それならこうしよう」ナミはそう言うと、ひとつに纏めた鈍色の髪を揺らしながらマシロの側に歩いていってララを受け取る。それからムスッとした可愛らしい表情を見せていたララをペパーミントが着ていたツナギのフードに入れる。「ララはペパーミントと一緒に行動してくれ」

『悪くない』とカグヤが言う。『ペパーミントはもともと護衛対象だった。そこにララが加わるだけだから、大きな障害にならない』

「確かにハクとマシロの邪魔にはならないな」私はミスズに視線を向ける。「ララの護衛も任せていいか?」

 ミスズは下唇を軽く噛んで何かを考えて、それからうなずいた。

「任せてください。私たちが守ります」

「ありがとう」

「待って」と、ペパーミントが言う。「私からの了承を得ようとは考えないの?」

「この方法しかない。ララと一緒に行動してくれ」

 私がそう言うと、彼女は頬を膨らませる。

「ララ、これは大きな貸しになるわ」

 ペパーミントの言葉にララは首を傾げる。

『何も貸してないけど?』


 それから我々は装備の最終確認を行い、周囲の動きに警戒しながら結晶の森に向かう。クレーターの中心に位置する結晶の森に近づいていくと、ゴツゴツとした結晶が無雑作に転がっているのが目に付くようになった。ハクよりも大きくて角張った結晶は、水晶のような透明度が無く、白く濁っていて、青紫色の輝きを発していなかった。しかし結晶に触れてみると、僅かだが熱を感じ取ることができた。

「少し待ってくれる?」ペパーミントはそう言うと、ショルダーバッグから幾つかの道具を取り出して白く濁った結晶の欠片を回収する。


 ミスズはその場に立ち止まると、傾斜の先、クレーターの縁に向かってライフルの銃口を向ける。

「レイラ、さっきのオオカミです」

 液体金属を操作して頭部を覆うと、マスクの視界を拡大してオオカミに似た生物の様子を確かめる。

「俺たちのことに気がついているけど、こっちに向かってくる様子は無いな」

「オオカミが獲物を見逃す?」とナミが顔をしかめる。「悪い兆しだな」

『確かに変だね』とカグヤが同意する。『結晶の森には、あの巨大なオオカミよりも危険な存在が潜んでいるのかもしれない』

「そんな化け物がいるなら、ニヤが事前に忠告してくれるはずだ」

 私の言葉にペパーミントは首を傾げて、それから自身の肩に頭をのせていたララに訊ねた。

「ララ、結晶の森には何があるの?」

『知らないわ』とララが言う。『結晶の森が存在していることは噂で聞いていたけど、来るのは初めてだし』


「ハク、何か感じるか?」と、巨大な結晶の柱に登っていたハクに私は訊ねる。

『うん。たくさんいる』

「危険な存在か?」

『ううん。きけんちがう』ハクはそう言うと、となりの柱に向かって跳びあがる。

「ミスズ。俺はハクたちと先行して様子を見てくるよ」

「わかりました。ここは私たちに任せてください。サンプルを回収したら、すぐにあとを追います」

「ワヒーラは残していく。敵の反応に注意してくれ……それから、結晶の森ではコケアリたちの存在が確認されている。もしも何処かで接触しても、敵対するような行動は取らないでくれ」

「わかってます」とミスズは苦笑いを見せる。

 私はトゥエルブを連れて、ハクとマシロのあとを追うように結晶の森に近づいていった。

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