第441話 蛹


 それが自分自身の腕だと認識してはいたが、装置のガラス越しに見るハガネの腕は、まるで自分のものではないかのように、周囲にその存在を誇示している。この感覚を上手く説明することは難しい。ハガネが形成する腕の表面を覆う装甲には、確かに触覚があったし、右腕と寸分違わない動きをしてくれていた。でも何かが違う。ハガネが垣間見せる意思を持っているかのような奇妙な動きは、ある種の疑念を抱かせる。そしてその疑念は、液体金属によって形成された腕を不気味な存在にしていた。


「まずはこれを試してみましょう」

 ペパーミントはそう言うと、銅板にも見える長方形の板を装置に近づける。それは大樹の森にある研究施設で回収していた未知の物質でつくられた板だった。

「それをどうするんだ?」と私は訊ねる。

「エボシの地下施設で肉塊型の人擬きと戦闘していた際に、ハガネは人擬きの体内に埋まっていた金属繊維の装甲を噛み千切って取り込んでいたでしょ?」

「確かにそんなことがあったな……そのあとすぐに別の化け物に腕を噛み千切られたから、すっかり忘れていたよ」

「それをここでもう一度再現しようと思うの。もしもハガネがこの未知の金属を取り込んで、新たな合金を生み出すことができれば、ハガネの装甲を強化することに繋がる」

 ペパーミントはそう言うと、三十センチほどに切断された板を装置の所定の位置に載せて、それから装置に設置されていた端末を操作した。すると引き出しのように迫り出していた装置の一部が引き込み、装置の内側に板が送り込まれるのと同時にガラスの周囲を覆うようにシールドの膜が展開される。


 私はガラス越しに板を見ながらペパーミントに訊ねる。

「このシールドは?」

「もしもの事態に備えているだけだから気にしないで」と彼女は素っ気無く言う。「それより、もう記録は始めたからハガネに指示を出してその板を取り込んでみて」

 インターフェースに表示される無数の項目を確認しながら、ハガネの操作項目を探す。

『私に任せて』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、左手を形成していた金属が融解するように白銀色の液体に変化して、装置内に出現した板に向かって伸びていく。今まで自由に動かせていた手が液体状に変化していくのを見るのは不思議な気分がしたが、形状を変化させて装甲を形成するとき同様に、液体金属の形状が変化している際には、あらゆる感覚が切断されているので、何かを感じることはなかった。感触が得られるように設定することも可能なのだろうが、今は止めた方がいいのかもしれない。


 未知の金属でつくられた板に覆い被さった液体金属は、網目状にゆっくり広がりながら板の表面に侵入し、まるで熔かすようにして板を取り込んでいく。白銀色の金属と赤銅色の金属が混ざり合い螺旋を描いていく。そして板が全て溶けだし、赤銅色が消えて白銀に輝く液体状のハガネだけが残されると、それは凄まじい速度でもとの位置に戻って瞬く間に手を形成する。

『取り込めたみたいだよ』と、カグヤの声が通知音と共に聞こえる。

「腕に違和感のようなものはありますか?」と、手元の端末を確認していたサナエが言う。

「いや」私はそう言って頭を振ると、手を開いたり閉じたりして手の感覚を確かめた。「いつも通りで、何かが変わったようには感じられない」

「そうですね……たしかに外見上に変化は無いように見えます」


「それなら装甲の強度も確認しましょう」

 ペパーミントの言葉のあと、装置内の両側面に折りたたまれるようにして収納されていたマニピュレーターアームが作動して、アームの先端についた円筒形の金属を腕にそっと押し当てた。

 理屈は分からないが、それで金属の強度が測れるようだった。

「通常状態では数値の変化が確認できませんね」とサナエが言う。

「レイ、ハガネの装甲を展開して」


 ペパーミントの言葉にうなずくと、液体金属を操作して腕の表面を覆う装甲を形成させる。すると質量保存の法則を無視するかのように、ハガネの腕から液体金属が溢れるように出現して、手の甲と前腕の表面を金属製の板で瞬く間に保護していく。

 そして肘の先にもハガネによって形成された金属繊維が伸びて、腕全体を包み込むようにして覆っていく。シールドによって空間が隔たれている肩口までやってくると、液体金属は皮膚に侵入して、そのままシールドを越えて皮膚の先から出現する。そして肩全体から胸部に至るまで金属繊維で覆っていく。不思議なことに、金属が皮膚に侵入しても痛みを感じるようなことは無かった。


「何度見ても不思議な光景ですね」とサナエは感心しながら言う。

「そうだな」と私も同意する。「それに、以前よりも鎧が形成される速度が上がっているみたいなんだ」

「不死の子供がもつ特別な肉体に順応しているのかもしれませんね」

「サナエは……と言うより、瀬口早苗はハガネを開発した企業の人間だったけど、ハガネについての情報は持っていなかったんだよな?」

 私の言葉に反応してサナエは端末に落としていた視線を上げる。

「はい。瀬口早苗は別のプロジェクトに関わっていたみたいですね」

『パワードスーツとか、大型機動兵器に関する研究もやっていたんだよね』とカグヤが言う。『それに関して、何か昔の記憶が残っていたりするの?』

「はい。私は――」

「カグヤ」とペパーミントがサナエの言葉を遮る。「その話はあとにしてくれる?」

『ごめん、話が脱線した。今は大事な実験の途中だったね』


 マニピュレーターアームの先端が腕の装甲に押し当てられると、ペパーミントは眉間に皺を寄せた。

「カグヤが送信してくれた過去のデータから、数値の変化は確認できるけど、期待していたほどの成果は得られなかったみたい」と彼女は溜息をつきながら言う。

「そうですね」とサナエも頷く。「飛躍的に性能を向上させることができると思っていました。けれど数値上の変化は僅かでした。どうしてでしょうか?」

「分からないわ」と、ペパーミントは困ったように答えた。「普通に金属を取り込むだけではいけなかったのかしら?」

「金属板を取り込んだ際のデータと、人擬きとの戦闘時に金属繊維を取り込んだときのデータを比較できるので、取り敢えず分析はできますけど……」


 二人が頭を悩ませている間に、私は腕の装甲と胴体を覆っていたハガネの薄い鎧を解いて、通常の状態に腕を戻しておいた。

「実験を次の段階に進めるのか? それとも今日はもう止めておくか?」

 私の問いにペパーミントは頭を振った。

「いえ、このまま秘匿兵器も取り込んでみましょう」

「さっきみたいに予測できない事態が起きるかもしれない。それでもやるのか?」

「ここで私たちがやっていることは、基本的に医者がやっている触診みたいなことなの。問題のある個所を押して確かめる。問題や予測のできない結果が出ることは想定済みなの」

「想定しているよりも、遥かに危険な事態になるかもしれない」

『爆発とかね』とカグヤが言う。

「そのために実験装置はシールドで覆われているの」とペパーミントは言う。

「重力子弾が生み出すエネルギーに対しては余りにも貧弱な装備だ」

 ペパーミントは腕を組んで、それから言った。

「なら、ここで実験は中止する?」


「そうじゃない」と私は頭を振る。「諦めるって言っているんじゃないんだ。安全対策ができているのか確認したかっただけだ。拠点で爆発事故なんて起こしたら洒落にならないだろ?」

「確かに未知の技術で製造されている兵器を弄るんだから、事故の心配をする気持ちは分かるけど、さすがに爆発するなんてことにはならないわ」

 ペパーミントの言葉にカグヤが疑問を投げかける。

『どうしてそう思うの?』

「それなら訊くけど、少しの損傷で爆発事故を起こすような、そんな危険な兵器が戦場に派遣される兵士たちに支給されると本気で思ってるの?」

『肉体を失っても死ぬことのない部隊に支給される装備なら、そういう兵器があっても不思議じゃないでしょ?』

「たとえば自爆装置を備えた兵器とか?」

『そう! きっとピンチになったら使うんだよ。ここは俺に任せろ。とか何とか言って、グレネードみたいにハンドガンを投げるんだよ』

「ありえない」ペパーミントはそう言って頭を振る。「少なくともレイのハンドガンにそんな機能は備わっていない」

『そうだね……』と、カグヤの声は心なしかガッカリしているようだった。


 ペパーミントは作業台に載っていたハンドガンを手に取ると装置に入れる。ハンドガンは装置内で生成された重力場の働きで、僅かに浮かんだ状態で空中に静止する。その何の飾り気の無いシンプルな形状をしたハンドガンは、旧文明の黒みがかった紺色の鋼材で補強されているのが、一見するだけでは特別な兵器に見えない形状をしていた。

「これから分解用のコードを使います」サナエはそう言うと、エボシの研究施設で手に入れていた情報を解析して得ていたエボシの暗号コードを入力した。すると装置内のハンドガンが自動的に幾つかの部品に分解され、浮かんだ状態で空中に固定される。そのなかには、三センチほどの正方形の部品が含まれていた。その金属にも鉱石にも見える不思議な物体は、濃藍色の淡い光に包まれていた。

「見慣れないパーツがあるな」と私は言う。「あれが秘匿兵器の秘密なのか?」

「そうみたいね」ペパーミントはそう言うと、装置内のデータを記録するための各種センサーを起動する。「レイ、こっちは準備ができたわ。レイのタイミングでハンドガンの核をハガネに取り込んでみて」


 ガラスを通して見える不思議な物体に視線を向ける。

「一応、ペパーミントとサナエは装置から離れていてくれ」

 二人がある程度の距離を取ったことを確認すると、カグヤの操作でハガネが動き始める。そして先程と同様の現象が発生する。左手が液体状に変化すると、空中に浮かんでいたハンドガンの核に向かって伸びていく。問題が起きたのは液体金属が未知の物質に触れた瞬間だった。まるでハリネズミの背中に生えている棘のように、無数の突起物がハガネによって形成されていた腕から伸びて、目隠しをするようにガラスの全面に付着していく。それはやがて白銀色の液体状から、濃藍色の粘度の高い物質に変化していった。


「レイ!」

 異常事態は想定していると言っていたが、それでも心配になったのか、装置の側に駆け寄って来ようとするペパーミントに私は右手を向ける。

「大丈夫だ。状況はコントロール出来ている」私はそう言うと、網膜に表示されている情報をペパーミントに送信する。

「この数値は……まだ取り込んでいる段階なの?」

『そうみたいだね』とカグヤが答える。『時間を必要としているのは、同時進行で物体の解析を進めているからだと思う。その所為なのか、ハガネの操作に使用されるリソースが少しも残っていない状態になってるし』

「今まで取り込んだものは、全てあっと言う間に解析できていたのに」

『それだけ秘匿兵器に使用される未知の技術は難解なのかもしれないね』


「カグヤさん」と、作業台の後ろに隠れていたサナエが言う。「装置の内部がどうなっているのか分かりますか?」

『ううん。空間が満たされるくらいに液体金属でいっぱいになっているのは分かるけど、それ以外は全然ダメ』

「ペパーミントさん、設置されているセンサーからは何か?」

「残念だけど、どの装置からも反応は得られない」


 ドロドロとした液体金属を見ながら、私は何故か成虫になろうとしている蝶の蛹を思った。理由は分からなかったけど、そのドロドロとした液体の中で何かが生成されているのが感じられた。

「とにかく何が起きるか分からない、ペパーミントも装置の側を離れていてくれ」

 ペパーミントが素直に離れていくのを確認したあと、私は網膜に表示される情報に集中した。出鱈目な数字が大量に表示されている横で、何かのカウントダウンが進行している。


『そろそろだね』とカグヤが言う。

「そうだな」

 カウントダウンが終わった瞬間、装置を満たしていた液体金属が膨らみ、ガラスにひび割れが生じて装置の内側で発生していたシールドが消滅する。幸いなことに液体金属はすぐに収縮して腕の形に戻ったので、恐れていたような爆発事故が起きることは無かった。

 ちなみにハンドガンは跡形も無く消えていた。核を含め、全てのパーツがハガネに取り込まれたのだろう。


「終わったの?」と、ペパーミントがきょとんとした顔で言う。

「ああ、終わったみたいだ」

 装置を覆っていたシールドが解除されると、ひび割れた状態で空中に固定されていたガラスが割れて、床に落下して音を立てる。私は腕に視線を向ける。形状に変化があるようには感じられなかった。今は深い鉄紺色の金属繊維で覆われていたが、材質の見た目は自由に操作できたので、それは変化に当たらない。


『ハガネに射撃形態の項目が追加されたよ』とカグヤが言う。

「見せてくれる?」

 ペパーミントの言葉にうなずくと、左腕の前腕部分に縦の亀裂が生じて、左右にスライドするように装甲が開いて角筒状の銃身が腕の内側から出現する。ちょうど手首の上部に銃口がある。

『それからこんなことも出来るみたい』

 カグヤの言葉のあと銃身が前腕に収納され、今度は手首の下から銃口が現れる。

『手の平から銃口を出現させることも出来る』

 まるで機械のように手の平の中央が開閉すると、そこから淡い光を帯びた銃口が出現する。

「使用できる弾薬の種類は?」とペパーミントが質問する。

『反重力弾と重力子弾の選択が可能なのは確認した』

「……データは取得できなかったけれど、ある意味では実験は成功したみたいね」

「そうだな」と、私は彼女の言葉にうなずいた。「攻撃の選択肢が増えたみたいだ。ありがとう、ペパーミント」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る