第440話 土人形
横浜の拠点に戻った我々を出迎えてくれたのは、子供たちの純粋な好奇の視線だった。拠点に招くことになったイアーラ族のニヤとラロ、そしてララは瞬く間に子供たちの関心の的となる。
大樹の森に点在する各集落に赴き族長の言葉を届けたニヤたちは、我々と共に横浜の拠点でしばらくの間、生活することになる。しかしどれほどの期間、拠点に滞在することになるのか分からない。
戦士のラロは境界の守り人たちの砦に派遣され、イアーラ族の部隊を指揮することになる。本来はニヤの護衛をするという役割を持っていたが、横浜の拠点にいる限り、彼女の身が危険に晒されることは無い。
そこでイアーラ族の戦士であるラロが、部隊の指揮を任されることになった。ニヤに聞かされるまで知らなかったのだが、どうやらラロはイアーラ族でも勇猛で聞こえた戦士だったようだ。
しかしラロが部隊と合流することになるのは、イアーラ族に支給する予定になっている特別な端末を用意してからになる。だからそれまでの間、ラロも我々の拠点で一緒に過ごすことになる。
ちなみに猫のララは初めて目にした廃墟の街の様子に驚いて、終始興奮しているようだった。雲にも届きそうな高層建築物を見て、それがどうやって建っているのかハクとナミにしきりに訊ねて、彼女たちを困らせていた。
『まるで墓地ですね』と、ララとは対照的に廃墟の街を見て、そう口にしたニヤの言葉がひどく印象に残った。彼女から見たら、この廃墟の街は遺跡にも映らないようだった。死ぬことの出来ない死者が今も徘徊している街なのだから、言い得て妙だと思った。
『レイ、そろそろ約束の時間だよ』
カグヤの声が内耳に聞こえると、私は部屋の隅に無造作に置かれていた遮光器土偶から視線を外して、インターフェースで時間を確認する。ペパーミントの作業場で彼女に会う予定になっていたことをすっかりと忘れていたので、すぐに部屋を出る準備をする。
拠点の最下層に位置する施設管理者専用の部屋で、何をするでもなくソファーに座って壁の向こうに見える海底の様子をぼうっと眺めていると、あっと言う間に時間は流れてしまう。
海底に何か特別なものがある訳でも無いのだが、海底洞窟に迷い込むようにして姿を見せる未知の深海魚や、混沌の生物を眺めている間は余計なことを考えずにぼんやりすることができた。私が安心感を抱くのは、混沌に属する水棲生物に魅了されているからだとカグヤは言うが、真相は誰にも分からない。
とにかく急いで部屋を出るとエレベーターに乗り込む。扉が閉まる直前、カグヤの操作するドローンがエレベーター内に入ってくる。
『ねえ、レイ』と彼女は言う。『あの土偶って、ずっと壁際に置いてあった?』
「そうだけど、何か気になるのか?」
『昨日の夜はソファーの側に置いてあったから、少し気になったんだ』
「いや、それはあり得ないよ。俺は動かしてないし」
『それなら、誰か部屋に来たのかな?』
「そんなに気になるなら、部屋に設置されている監視カメラの映像を確認すればいいんじゃないのか?」私はそう言うと、エレベーターに設置されている多目的表示パネルに視線を向ける。
『レイが部屋にいるときには監視カメラの電源を切ってるから、映像が残っていないんだよ』
エレベーターの扉が開くと旧文明の建材に覆われた無機質な廊下に出る。
「カグヤの勘違いだと思うけど、一応カメラを起動して部屋の様子を監視してくれるか?」
『そうさせてもらうよ』
カグヤの操作するドローンがベルトポーチに入っていくのを確認して、それから視線をあげると通路の先を歩いているサナエの背中が見えた。ひとつにまとめた黒髪に白いドクターコートを着たサナエは、かつての不死者だった頃の面影が残っていて、驚くほど綺麗な容姿をしていて背も高かった。
「サナエも今からペパーミントの作業場に行くのか?」
「はい。今日はレイラが装備しているハガネの調整も行う予定なので」
私の問いにそう答えたサナエの腕の中にはシズクがいて、彼女は私の姿を見つけるとこちらに向かって腕を伸ばして抱っこをせがむ。私はサナエからシズクを受け取ると、彼女を胸に抱く。シズクは眠いのか、そのまま私の肩にもたれる。
「シズクも一緒に連れて行くのか?」
「いえ、少しの間だけモカさんに預けようと考えていました」
「そう言えば、幼い子供たちの面倒はモカが見ていたな」
「はい」とサナエは微笑む。「モカさんは子供の面倒見が良いですよ」
モカはレイダーギャングが支配する鳥籠の出身で、そこでは奴隷として闘技場の受付係をしていたので、失礼な話だけど、まさか幼い子供の面倒を見られるとは考えもしなかった。でも彼女と一緒に拠点に来てくれたリリーのこともいつも気遣ってくれていたので、それは意外でも何でもないのかもしれない。
隔壁の先にある居住区画に入っていくと、サナエのことを待っていてくれたモカの姿が見えた。彼女は白いシャツに短パンというシンプルな服装をしていた。常に一定の気温が保たれている拠点内だからこそできる格好だった。
「レイラ様も一緒だったのか」と、モカは私からシズクを受け取りながら言う。
「様はいらないよ」
私はそう言うと、シズクの首筋に浮かんだ汗をハンカチで拭く。眠いからなのかシズクの体温は高くなっていて、彼女はうっすらと汗をかいていた。
「そうだったね」モカは私の言葉にうなずくと、自身の腕にある刺青を小さな指でなぞっていたシズクに笑みを向けた。
「シズクのお世話、お願いします」とサナエが礼儀正しく言うと、モカは困ったように苦笑いを見せる。
「気にしなくてもいいよ。子供たちの面倒を見るのが私の仕事だし、なにより私は子供たちと一緒にいるのが好きだから……」それから彼女は思い出すように言った。「そう言えば、リリーがレイラに話があるって言ってたよ」
「俺に? なんだろう?」
「彼女のお父さんについて、なにか話があるみたい」
『お父さん……? ワスダに何かあったのかな』とカグヤが言う。
「急ぎの用事か?」私がそう訊ねるとモカは頭を横に振った。
「ううん、急いでる感じは無かったかな」
「そうか、それならあとで彼女のことを探してみるよ」
「分かった」
「いい子にして待っていてね」サナエはそう言ってシズクの頭を撫でる。
モカにシズクの世話を任せると、私とサナエはペパーミントの作業場に向かう。
「ところで」と私はとなりを歩いていたサナエに訊ねる。「あの土偶について記憶がハッキリしないって言っていたけど、何か思い出せたか?」
「土偶……?」とサナエは首を傾げる。「地下施設の備蓄倉庫に粘土板と一緒に保管されていた土人形のことですよね」
「そうだ。カグヤが奇妙な現象を確認したんだ」
「奇妙な現象ですか……?」
『土偶が勝手に部屋の中を移動していたんだ』とカグヤが言う。
「土人形が歩いたのですか?」
「いや」と私は頭を振る。「歩いているところは見ていない」
「そうですか……」とサナエは眉を寄せる。「あの土人形は、私が異界から持ち帰ったものですか、その理由は記憶同様に曖昧としていて分かりません。けれど粘土板の解析を進めていて分かったことがあります」
「粘土板には確か神を賛美する詩が書かれていたって聞いていたけど、他にも何か分かったのか?」
「洞窟の主である神との接触、そして不幸な遭遇がやがて信仰に変わっていった経緯なども記されていました」
「神か……あの得体の知れない女神のことだな」
「はい。それであの土人形は、たとえば『依り代』のようなものとして使われていたと、そう記録されていました」
『依り代……えっと、神霊が依り憑く対象物のことだよね?』と、言葉の意味をデータベースで調べたカグヤが言う。『洞窟に入ったら信者たちは餌にされるから、土人形を女神との交信に使ったのかな?』
「まだ粘土板の解析は済んでいないので断言することはできませんが、その可能性は充分にあると思います」
「どこかの神さまが土偶を依り代にする前に、あの人形は倉庫に保管した方がいいのかもしれないな」
『そうだね』と、カグヤは私の冗談半分の発言に同意してくれる。
整備室に続く隔壁が開放されると、ベルトコンベヤのラインに沿って作業している大量の機械人形の姿が見えた。規則正しく動くそれらの機械人形を横目に、我々はペパーミントの作業場に向かう。
サナエと一緒に働くようになったからなのか、雑多なガラクタで散らかっていた彼女の作業場は驚くほど片付いていた。今まで使われることのなかった整備室の区画によって拡張され、作業するための空間も広くなっていて、聖域の地下トンネルから回収された加工台などが並んでいるのも確認できた。
ペパーミントとサナエがこれから行う作業についての意見交換をしている間、私は作業台に載っていたスナイパーライフルに視線を落とした。そのライフルは大樹の森にある研究施設で入手していたものだったが、電磁加速砲と同様の仕組みによって鋼材を撃ち出す際に、エネルギーを大量に消費してしまう問題があった。
細々とした問題は他にもあったのだが、それが原因で未だに部隊に支給することは出来ていなかった。そのスナイパーライフルのとなりには小型の電源ユニットが置かれていて、ケーブルでライフルと繋がっていた。興味を惹かれたのは、その電源ユニットにイアーラ族の集落から回収してきた水晶の欠片が組み込まれていたことだった。
「レイ」とペパーミントの声が聞こえる。「さっそくだけど、左腕をその装置のなかに入れてくれない?」
桜色のフード付きツナギを着たペパーミントに視線を向けて、それから装置に目を向けた。彼女の言う装置は、クリーンベンチにも似たガラスに覆われた箱のような装置だった。しかしゴミや埃、浮遊微生物などの混入を避けながら作業を行うための装置と似ているだけであって、それは全く別のものに思えた。
「腕を差し込むスペースがあるけど、そこに左腕を入れるのか?」
「そう。それに『ハガネ』の動きを観察したいから、上着はちゃんと脱いでね」
ペパーミントの指示通りに上着を脱いで、送風機能のついた装置で腕を綺麗に洗い、それから装置の所定の位置に左腕を挿入する。すると挿入口の周囲に半透明の青い薄膜が出現して、シールドによって完全に箱が密閉される。
液体金属によって形成された腕は、本物の腕とつくりは同じだったが、炭素繊維複合材に覆われているかのような見た目をしていて、サイバネティクス技術によって造られた義手のような外見をしている。
「それで」と、ガラスの向こうに見えていた左腕に視線を向けながら訊ねる。「どんな実験をするんだ?」
「レイが手に入れた秘匿兵器のことを覚えてる?」
「ああ。重力子弾を使う許可を持っているのが俺だけだから、結局、ハンドガンの予備として持ち歩いているやつのことだよな?」
「そう。でね、そのハンドガンをこれからレイのハガネに取り込んでもらおうと考えているの」
私は左腕から視線を外すと、ペパーミントに目を向ける。彼女は何故か得意げな笑みを浮かべていた。
「本当にそんなことができるのか?」
「それが出来るようにハガネは設計されている」
『……未知の技術に遭遇した際に現地でそれを解析して、技術を応用、または再現することの出来るナノマシンが液体金属に含まれている』と、カグヤが取扱説明書を読むように言う。
「そう、その機能を試そうと思っているの」とペパーミントは言う。
「でも秘匿兵器は――」
「第二種秘匿兵器と呼ばれるものは」と、サナエが私の言葉を遮る。「不死の子供たち専用の装備で、兵器に組み込まれたソフトウェアとデータベースによって使用者が限定されています。それと同時に、秘匿兵器の仕様は私たちに再現できない完全なブラックボックスとなっています。そこでハガネに含まれる未知のナノマシンを使って解析することで、秘匿兵器の能力をハガネに取り込めないかと考えました」
「秘匿兵器の秘密は得られないけど、ハガネに取り込むことで戦力の強化を図れる」とペパーミントが続けた。
「秘匿兵器の調査は諦めるのか?」
私の純粋な問いにペパーミントは頭を振った。
「諦めない。でもね、調査の取っ掛かりすら掴めない状態なの。確かに第二種秘匿兵器は貴重なものだけれど、研究できないものを大切に倉庫に保管していても仕方ないでしょ?」
『……そうだね』とカグヤも言う。『それに私たちの手に負えないからって言って、ブレインたちに研究を手伝わせるには危険過ぎる代物だし』
「だからハガネの強化に使おうと考えたのか……」
「そう」とペパーミントはうなずく。「レイは反対?」
「反対じゃないけど、秘匿兵器は貴重な遺物だろ? もしも研究できる環境が整ったときに、手元に兵器が無かったらどうする?」
「秘匿兵器を発見できる可能性はあります」とサナエが言う。「これは研究施設のデータを解析して分かったことなのですが、私たちにとって貴重な秘匿兵器も、不死の子供たちにとっては一般的な兵器として扱われていました」
「一般的」と私は首を傾げる。
「ハガネの強化に使用されるハンドガンと同型のものは、全ての兵士に支給されるものであって、決して貴重なものでは無かったのです」
「兵器である以上、戦場で使用されなければ意味が無い」とペパーミントは言う。「そして戦場に立つ兵士全員が、必ず生きて帰ってくる訳じゃなかった。いえ、これは語弊ね。彼らは肉体を失うだけだから」
「秘匿兵器を何処かで入手するチャンスは残されているってことか……」
「それに実験が成功して、ハンドガンが失われることになっても、同様の技術によって動作するレイのハンドガンは手元に残る。だから完全に秘匿兵器を失う訳じゃない」とペパーミントは言う。
「そうか……それで、ハンドガンを取り込んだらどうなると思う?」
「それを今から確かめるのよ」
ペパーミントは笑みを見せると、手元の端末を操作した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます