第438話 集落
山岳地帯にあるヴィチブラナ砦を離れるとき、イアーラ族の世界に繋がる『門』の側に設置していた通信端末について訊かれた。
「イアーラ族の世界には何度も行くことになると思うから、可能ならあのまま残しておいて欲しいんだ」
旧文明の技術によって動作する通信装置なので、壊れる心配はしていなかったが、捨てられるのは困る。
『分かりました』とニヤはうなずいた。『では見守る者たちに装置の管理をお願いしますね』
「ありがとう」
『それなんだけどさ』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『気になることがあるんだ』
「何が?」
『さっき私たちが通った門は、ニヤが開くまで閉じられていたみたいだけど、どうして普通に通信が繋がっていたの?』
それは確かに気になることだった。空間を越えて通信端末同士を繋ぐケーブルも切断されずに残っていた。
カグヤの疑問について訊ねると、ニヤは尻尾の先を揺らしながら答えた。
『ヴィチブラナはあの地点で固定されています。私には深淵の使い手が出現させる門がどのようなものなのかは分かりませんが、ヴィチブラナはその門とは根本的に違う性質を持った門だと理解してもらえればいいと思います』
「つまり、どういうことなんだ?」と私は首を傾げる。
『門は閉じられていますが、繋がりそのものがあの空間から消滅する訳ではありません』
『空間に残された僅かな隙間を通って、通信が継続されていた?』
ニヤにはカグヤの声が届かないので、私が代わりに訊ねる。
『違います。しかし解釈としては間違っていません』
『よく分からない……これもイアーラ族の秘密に関わることなのかな?』
「そうなのかもしれないな」と私は言ったが、実際にそれが秘密にされるような情報なのかは分からなかった。
ニヤの言葉が足りずに会話がまともに成立しないのは、イアーラ族とのコミュニケーション、と言うより、ニヤとの会話の難しさが関係しているのかもしれない。
ラロの帰りを待っていた豹人の戦士たちと合流すると、ヴィチブラナ砦を出発して、湖の側に止めていた輸送機に向かう。その間、ハクは豹人たちの集団のなかにいて、まるで叙事詩を語るように森の獣ペレーワとの戦闘を大袈裟に自慢していた。そのハクたちの向こうには、湖面から顔を出す青紫色の巨大な水晶が見えていた。山岳地帯のあちこちにある水晶についてもニヤに訊ねたかったが、今の彼女に何かを教えてもらうのは難しいのかもしれない。
輸送機のコクピットには私とミスズ、そしてニヤが入ることになった。
ニヤは補助員のための簡易シートに斜めに座ったが、居心地が悪いのか、何度も座る位置を変えていた。尻尾の関係で真直ぐに座れないのかもしれない。
「ニヤ、集落の位置は分かっているのか?」
『知っているからこそ、族長は私をこの地に遣わしたのです』
そう言ってニヤは私に向かって手を差し出した。彼女の手の平にはトルコ石のようにも見える綺麗な鉱石がのっていた。その薄緑がかった空色の石から、ホログラムのように投影される地図が浮かび上がる。それは大樹の森の詳細な地図で、イアーラ族の集落の位置が赤い点で分かるようになっていた。
「なあ、ニヤ。簡単な確認だけど、その情報は俺たちが見てもいいものなのか?」
私の言葉にニヤは鼻に皺を寄せる。
『どうしてダメだと?』
「イアーラ族の全拠点の位置を俺たちに知られることになる」
『深淵の使い手である貴方は特別です。族長が許可しています』
「わかった。カグヤ、地図情報を取得できるか?」
『待っててね』
カグヤの声がコクピット内のスピーカーを通して聞こえると、偵察ドローンがどこからともなく飛んできて、鉱石から投影されていた地図をスキャンする。ニヤはその様子を興味深そうに眺めていた。
『その姿を消す機械は、光の帯が輝く世界でも何度か見ていましたが、かぐやという名前なのですか?』
「いえ、違います」とミスズが答える。「それはドローンと呼ばれる自動制御や遠隔操作によって動く機械です。カグヤさんはその機械を操作しているだけなのです」
『どろーん……面白い機械ですね。イアーラ族の浮遊鉱石のような使い方ができるのですね。それで、そのカグヤとやらは何処にいるのですか?』
「ここにはいない」と私は言う。
『それならどこに?』
「正直分からない」
『意味が分かりません』
「俺も分からないよ。色々と複雑な事情があるんだ」
『でしょうね。深淵の使い手を取り巻く環境は奇妙で、多くの複雑な事情に満ちている』
恐らく皮肉を言われたのだろう。私は肩をすくめてやり過ごすことにした。
『ミスズ』とカグヤが言う。『輸送機のシステムに集落の位置情報を取り込んだから、自動操縦システムの項目を確認して』
ミスズはコンソールを操作して、カグヤに言われた項目を探す。
「えっと……ありました。到着予定地の名前は未登録ですけど、所在地はしっかりと登録されています」
「すぐに行けるか、ミスズ?」と、私もモニターを確認しながら言う。
「問題ありません。まずはラロさんの集落に向かいますか?」
「そうだな……ニヤ、ラロの集落の位置を教えてくれないか?」
『ここです』と、ニヤは地図の赤い点を指した。『そこに我々が『イアーラの恵み』と呼ぶ集落があります。大樹の森に暮らす人間は『ヒョウの水場』と呼んでいるみたいです』
「豹の水場ですか、それっぽい雰囲気のある名前ですね……それじゃ『イアーラの恵み』で登録しますね」と、ミスズはコンソールを操作して名前を登録する。
『ところで』とニヤは言う。『どうして森の人間たちは我々イアーラの民をヒョウと呼ぶのですか?』
『豹に似た頭持っているからだろうね』とカグヤが率直に言う。
『ヒョウ……それはどのような生き物なのですか?』
カグヤがデータベースからダウンロードした豹の画像をモニターに表示すると、ニヤは低く唸って瞳を輝かせた。
「もしも気を悪くしたのなら謝るよ」と私は言う。「でも森の民に悪気がないってことも理解して欲しい。彼らはイアーラ族のことを表現する言葉を持たなかったんだ。だからその言葉に悪い意味は込められていない」
『そうですか』
何処かの動物園から逃げ出した豹の突然変異体が大樹の森に生息していたのか、あるいはマーシーと共に地球に来ていた旧文明の人類が、イアーラ族のことを豹人と呼ぶようになって、その呼び名が大樹の森で誕生した『最初の人々』の間に定着していったのかは分からない。いずれにしろ『豹人』という名前に、侮蔑が含まれていないのは確かだ。
ミスズの操作で重力場を生成するエンジンが起動すると、全天周囲モニターによってコクピットの壁が素通しのガラスのように透ける。ニヤはそれに驚いたのか尻尾をピンと立てた。
「ラロさんの集落が近いみたいなので、ペパーミントさんを迎えに行く前に、まずはそちらに向かいます」とミスズが言う。
『到着には、どれほどの時間がかかるのでしょうか?』とニヤがすぐに質問する。
「整備されていない危険な道が続く森のなかを移動する必要のない、安全な空の旅ですから、目的の集落にはすぐに着くと思いますよ」
『そうですか……』
回転起立機構が備わった主翼が動いて、推力偏向ノズルの先の空間が陽炎のように揺らめくと、輸送機はゆっくりと地面から離れていく。ニヤはその様子をじっと見つめていた。
あっと言う間に山岳地帯を離れ、雪で白く染まった大樹の上を飛行していると、見慣れない生物が凄まじい速度で飛行しているのが見えた。
「レイラ」と、ミスズが生物の姿を拡大しながら言う。「この間、私たちを襲った生物です」
「あのミミズクに似た奇妙な生物か……」
「一羽だけじゃないみたいです」
『鳥類型の生物ですね』とニヤが言う。
「ニヤはあれについて何か知っているのか?」
『戦士たちからの報告書に目を通しているので、それが存在していたことは知っています』
数羽の奇妙な生物は輸送機の存在に気がついていないのか、あるいは標的にしていた獲物が近くにいたのか、ミミズクに似た生物は翼を畳むと、大樹の間に向けて急降下していった。
「あの奇妙な生物について、戦士たちからはどんな報告が?」
私の質問にニヤは少し考えながら言葉を口にする。
『大樹の森の夏から秋にかけて、急に目撃するようになったとの報告がありました。彼らはあれが混沌の領域からやってきた生物だと考えています』
「結界を越えてこちら側にやってきた生物か……やっぱり防壁に穴がないか、一度本格的な調査をした方がいいみたいだな」と私は溜息をついた。
『結界に問題が起きているという報告はありませんが?』
「でも防壁のシールドを越えて、こちら側にやってくる異界の生物は増えているんだ。少しでも異常があるのなら、調査した方がいいと思うんだ」
『そうですね。たしかに不安です。それなら尚のこと、混沌の領域を監視する戦士たちの部隊編成を急いだ方がいいですね』
「ああ。でも特別な端末を用意する必要があるから、それまで境界の守り人たちとの合流は待ってもらえないか?」
『端末……言葉を通訳する機械ですね』
「ああ。意思疎通が上手くいかなくて、森の民との間で揉め事が起きるような事態を避けたい。それにデータベースに繋がっていれば、部隊の運用にも役に立つ」
『データベースですか? それはどのようなことができるのでしょうか? と言うより、私たちにもそれを使うことは出来るのでしょうか?』
興味のある話題だからなのか、ニヤの耳は我々に向けられていて、ぴくぴくと動いていた。
「端末は所有者の声に反応して動作するから、とくに難しいことは何もないよ。イアーラの民でも問題なく扱えるはずだ」
実際、ヤトの一族であるナミたちも端末の操作には戸惑っていたが、それも数日ほどのことで、今では普通に操作に慣れてしまっていた。
『そのデータベースは、私たちイアーラの言葉も理解してくれるのですか?』
「イアーラの言語はすでにデータベースに登録されているから、それを使って応答してくれるようになると思う」
『そうですか』
「少し特別な端末なんだ。だから使えば使うほど所有者との親和性が、つまり相性が良くなっていく。ニヤが端末を使って何かをしたいとき、最初は何をしてもらいたいか、直接言葉で細かく伝える必要があるけど、次第に端末はニヤの脳をモニターして、ニヤが何かをしてもらいたいとき、脳がどんな動きをするのか学習していく。だから最終的にはニヤが言動で示さなくても、端末が何をしたいのか察知して、実行してくれるようになる」
ニヤは瞳をぼんやりと発光させながら言った。
『それはそれでデータベースとやらに監視されているようで少し怖いですね』
「分かります」とミスズが言う。「データベースに人格……というより、知性が備わっていると思って、私も最初は戸惑いました」
『思っていた? それほど複雑なことができるのに、知性はないのですか?』
『断言はできないけど、知性は無いと考えても問題ないと思う』とカグヤが言う。『優秀な言語生成プログラムと、今の人間には到底理解できないシステムによって、私たちはデータベースと会話するように自然に命令ができる。だから知性があるって勘違いしがちだけど、でも私が知る限り、端末を介して得られる情報や、操作項目の管理をしているのは人工知能じゃない。確かに知性を備えたプログラムもデータベースにはあるみたいだけど、でも個人で端末を使用する分には、監視に怯えたりする必要は無い』
『どうしてですか?』
『データベースを介して使用される支援インターフェースは、あくまでも人類の活動を助けるために存在するものだからだよ。使用者を攻撃するようなプログラムは組まれていない』
『よく分かりませんね。言葉が理解できて、人類を支援するために最善を尽くす。私にはそのデータベースに意思があるように思えます。しかし生命の定義は複雑で難しいものです。私には一個の生命体に思えても、それを創造した人類が違う。と言うのなら、それは生命体では無いのでしょう……それで、そのデータベースは言葉を通訳する以外に、なにが出来るのですか?』
「そうだな……」と私は思考しながら言う。「離れていてもお互いに連絡が取れるようになるのは、すでに説明したと思う」
『はい』
「他には視覚情報を共有して、共有ネットワークで繋がった仲間と映像の交換ができて、テキストデータの送受信もできる。それにデータベースのライブラリーに接続して、膨大な数の映画や音楽も楽しめる」
音楽という言葉に、ニヤの猫耳がぴくぴくと動いた。イアーラの都市にいるときにも、太鼓や笛といった楽器を演奏していたものたちがいたので、イアーラの民は人類同様に多種多様な音楽文化をもっているのかもしれない。
『端末が脳をモニターすると言っていましたが、イアーラの民は人間とは異なる種です』とニヤは言う。『やはり私たちに扱えるものなのか不安です』
「大丈夫だよ。ナミたちも厳密に言えば人間じゃないけど、問題なく使えている」と私は言う。
『そうですか』端末に対する興味を持つようになったからなのか、ニヤの声は弾んでいるように聞こえた。
「レイラ、集落が見えてきました」
ミスズの声で視線をモニターに向けると、イアーラ族の集落が見えてくるが、そこだけ不自然なほど雪が積もっていないことが確認できた。集落の中心に目を向けると、石材や木材で建てられた家々と共に、山岳地帯でも見かけた青紫色の水晶が立っているのが見えた。やはりあの巨大な水晶には、周囲の環境に変化を与えるような秘密があるのかもしれない。
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