第437話 ニヤ


 人類によってイアーラ族にもたらされたという装置の側に、赤い布を持った豹人がやってくる。彼は台座に載っていた金属製の棒を布で丁寧に包み込むと、それを持って部屋を出て行く。紺色の鈍い輝きを帯びた金属は、確かに見慣れた旧文明の鋼材だった。

『不思議だね』とカグヤの声が内耳に聞こえた。『豹人たちは、簡単に手に入る敵の死骸じゃなくて、かつての仲間たちの亡骸をつかって武器をつくることを選択した』

 ニヤが話してくれたイアーラ族の死生観が関係しているのは、何となく理解できたが、それでも奇妙な行為に思えた。あるいは身近な仲間を失えば、私にも彼らの行動の真意が理解できるのかもしれない。そんな日が来ないことを願っているが。


「ラロたちが使っている装備も、その装置でつくられたものなのか?」

『そうだ』ラロはうなずくと、槍の石突で床を突いた。

『ねえ、レイ』とカグヤが言う。『秘匿兵器で反重力弾を使うと、生物は高密度に圧縮された鋼材として再構築された物体になるけど、その装置では直接武器として出力されている。どうしてだと思う?』

「確かにそれは気になる。なぁ、ラロ。近くであの装置を見せてもらってもいいか?」

 私の言葉にラロはうなずいてくれたが、ニヤは頭を横に振って否定した。

『ダメです。あちらの世界でやらなければいけないことが沢山あります』と彼女は言う。『すぐに大樹の森に向かいましょう』

 建物を出て行くニヤを見てナミは肩をすくめると、ミスズと一緒に彼女のあとを追った。


『すまない』とその場に残ったラロが言う。

「ニヤの態度のことなら気にしてないよ」と私は答える。

 実際、イアーラ族と人間は精神面で多くの共通点をもっていたが、結局のところ全く別の種族なのだ。我々が彼女の行動を嫌味な態度として感じるからと言って、それが本当に我々を嫌っているから取る行動とは限らないのだ。

 私の言葉に、ラロはゆっくり頭を横に振る。

『ニヤは宮殿で生きてきた。だから外の世界を知らない』

「蜃気楼の宮殿で? やっぱり彼女は族長に仕える巫女のような、神職に関係する重要な立場にあるのか?」

『女神イアーラ様に仕え、宮殿で族長の仕事を手伝う。それが彼女の役割だった』

「それなら、大樹の森の人間に会ったことは今まで一度も無かったのか?」

『ない。レイラたちの世界に行ったのも、今日が初めてだ』

「そうだったのか……」

『ニヤは優秀だ』

 私はラロが伝えたいことを考えながら言葉を口にする。

「でも、彼女は真面目すぎる?」

 ラロはうなずいて、それから建物を出て行った。ラロを追って建物を出る前に、私は装置の外見と、天井から垂れ下がるケーブルや機器の全体を確認できるように、画像データとして記録してから命の小屋と呼ばれる建物を出た。


 ラロと共に建物を出て砦の中央にある広場に向かうと、木製の大きな皿に入った果実を食べているハクとマシロの姿が見えた。ハクは触肢を使って果実を器用に口元にもっていくと、むしゃむしゃと咀嚼していた。その赤い果実は大きなリンゴのようにも見えたが、ブドウのように薄い皮に包まれていた。汁気の多い果実なのか、ハクの牙や体毛はべたべたとした汁で桜色に染まっていた。

『ララがね、おいしいっていった』ハクは私が何かを言う前にそう口にした。

「美味しいのか?」

『あまくて、すっぱい』

 ハクの背に座っていたマシロも果実に口をつけて、汁をゴクゴクと飲んでいた。

「ひとつもらってもいいか?」と私は皿の前にしゃがみ込む。

『ララにきいて』

 むしゃむしゃと咀嚼音を立てるハクにそう言われると、私はララの姿を探すことにした。


 そのララは、我々が空間の歪みを越えてこちらの世界にやってきたときに使用した建物の前で二ヤと言い争いをしているようだった。

「どうしたんだ?」と私はミスズに訊ねる。

「ララが私たちと一緒に大樹の森に行きたいみたいなんですけど……」

「ニヤが許可しない?」

「はい。ララには危ないからダメだって……」

「ミスズはどう思う?」

「私ですか?」と、ミスズは驚いたように琥珀色の瞳を私に向けた。

「ああ。ララが俺たちと一緒に来ることをどう思う?」

「私は特に問題はないと思っています。ララはマシロとも仲良くしているので……それに、横浜の拠点に一緒に来てもらえれば、危険なこともありませんし」

「そうだな」


 ニヤに対して低い鳴き唸り声を発しながら、尻尾を大きく膨らませて毛を逆立たせていたララを後ろから抱きかかえると、途端にララは大人しくなる。

「俺たちがララのことを預かるよ」と私はニヤに言う。

『無責任なことを言わないでください。ララはイアーラの民です。彼女に何かあったとき、貴方はその責任を取れるのですか?』

『責任なんか取らなくてもいい!』とララが声をあげる。『私は、私の行きたいところに行くの!』

『ワガママ言わないで!』と、ニヤは低い唸り声をあげて瞳を激しく輝かせる。

 ララはそれが怖いのか、私の胸に顔を埋める。

「なあ、ニヤ」私は彼女を刺激しないように、できるだけ優しく言った。「ララは俺たちの拠点に来てもらうことにするよ。そこなら危険な目に遭うことは無い」

『貴方の拠点は大樹の森の危険な場所にあるでしょ? 混沌の領域が目の前にあるのに、安全なはずがない』

「拠点は他にもあるんだ」

『他にも?』少し落ち着いたのか、ニヤの瞳は徐々に淡い輝きを取り戻していった。

「ああ。それにその拠点は、危険な状況から身を守ることを想定して建設された施設だから、余程のことがない限り安全なはずだ」


『……そうですか』ニヤは腕を組むと、神経質に尻尾を振る。『分かりました。ですが、私もその拠点に同行させてもらいます。それがララを一緒に連れて行く条件です』

『どうして私たちは交換条件を出されてるの?』

 カグヤの言葉に私は肩をすくめて、それからララを地面にそっとおろした。

「分かった。もともと横浜の拠点にニヤを招待するつもりだったから問題ないよ」

『そうですか……』とニヤは少し拗ねたように言う。『それなら、早く行きましょう』

「なあ、ニヤ」とナミが言う。「どうしてそんなに急いでいるんだ?」

『私には大切な仕事があります』

「仕事? ニヤは何をするつもりなんだ?」

『それは……混沌の領域を監視する戦士たちに、族長の言葉を伝えないといけないのです。そして大樹の森に点在する戦士たちの集落は沢山あります。全ての民に族長の言葉を伝えるのには、とても多くの時間が必要になります』

「それなら私たちが手伝うよ。だから肩の力を抜こう」

『私は別に――』

『ニヤ』とラロが静かな声で言う。『落ち着け』

 ラロの言葉にニヤはペタリと耳を伏せる。


 ララにハクが食べていた果実について訊ねようと思っていたが、そんな雰囲気じゃないような気がしてきた。そこにハクとマシロが戻ってくる。マシロは先ほどの果実を両手に余るほどもっていて、それをミスズとナミ、そして私に手渡す。

『これはおいしい』

 口の周りをベタベタにしたハクはそう言うと、トコトコと建物に入っていった。ララはそのチャンスを逃すこと無くハクの背にひょいと飛び乗る。ハクのことを怖がっていたのがまるで嘘のように、今ではハクに慣れてしまっていた。


「確かにうまいな」と果実を口にしたナミが言う。「これは何処で取れるんだ?」

『洞窟だ』とラロが答える。

「日の光が届かない洞窟で果物がなるのか?」

『違う。そこに生息する――の卵だ』

 言葉が急に不明瞭になって、意味を認識することができなかった。

「なんの卵だ?」とナミは顔をしかめながら言う。

『――だ』とラロは繰り返す。

 けれど同時通訳する機能が上手く作動しないのか、豹人の言葉がもつ独特の発音、喉を鳴らす唸り声のような言葉しか聞こえない。

「すまない、ラロ」と私は言う。「どうやら人類の言語に訳せるような言葉が存在しないみたいなんだ。なにか姿が似ている生物で例えてくれないか?」

 ラロは太い腕を組むと眼を細めた。

『大樹の森で暮らす、カエルに似た生物の卵だ』

 口の周りを汁で濡らしていたミスズは、巨大なカエルの姿を思い出したのか顔を青くした。

『栄養がある――の卵はうまい』


 長い年月、誰に知られることも無く放置されていた古代遺跡のような、ゴツゴツとした外見をした建物に入っていくと、空間の歪みが発生していた場所の近くでハクが待っていてくれているのが見えた。けれど白くぼんやり発光していた靄は無く、そこにあったのは藍鉄色の巨大な板だけだった。板にはイアーラ族が持つ独特な文様が彫られている。ハクはその金属製の巨大な板に自身の姿を映して遊んでいて、建物内を警備していた見守る者たちがその姿をぼんやりと眺めていた。

 近くで見る板は四メートルほどの高さがあって、鏡のように磨き上げられているのが確認できたが、我々を驚かせたのは、その板がとても薄かったことだ。恐らくノート型端末ほどの幅も無いだろう。それが床から僅かに浮かび上がるようにして支えも無しに直立している。


 言葉の意味を聞き取れないほどの声でニヤが何かを口にして、淡い光を帯びた手で金属製の板に触れると、まるで蒸発するように板の表面から蒸気が立ち昇っていく。そして板はすっかり無くなり、代わりに白く発光する靄が現れる。

『門が開きました』とニヤは言う。

 初めて空間の歪みを見たのか、ララは興奮しているようだった。

「今のもイアーラ様の力で?」

 私の問いにニヤはうなずいた。

『そうですけど、なにか気になることでも?』

「俺も遺物を使って『門』を開くことが出来るんだけど、その門を通過することができるのは自分自身とハクだけなんだ」

『門の違いについて知りたいのですか?』

「そうだ」

『残念ですけど『お呪い』に関して話せることは何もありません』

「ああ、分かってる。俺はイアーラ族じゃないからな。少し気になっただけだ』

『そうですか』ニヤは尻尾を立たせると、靄のなかに入っていった。


 白い靄の中に入る。瞬きのあと我々は地球側で発生していた門の前に立っている。それは一瞬の出来事で、その僅かな間に何が起きたのか理解する時間もなかったほどだ。

『すごい!』とララが声をあげる。『魚が見えるよ!』

 マシロは水中トンネルの壁際まで駆けていくララを捕まえると、天井付近まで飛んでいって、周囲を泳いでいた魚をララに見せてあげていた。


 湖面に差し込んだ日の光が、薄暗いトンネル内に紺碧色の光の揺らめきをつくりだしているのを見ながら、私は考えていたことを口にする。

「なぁ、カグヤ。遺跡で手に入れた宝玉に願いを叶えてもらうのはどうだ?』

『お願い? 何を?』

「俺が『輪』を使って出現させる門だよ」

『もしかして、レイとハク以外の人間も門を通過できるように頼むの?』

「そうだ。すごく便利になると思わないか」

『なると思うけど、出口側の問題があるから』

「問題?」

『機械人形が出口側に設置されている装置を通過するとき、その数に応じてエネルギーの使用量が一気に増えていったのが確認できたでしょ?』

「人間を同時に転移させたら、それだけエネルギーの消費量が増えていく?」

『うん。だからその問題に対処できなければ、大人数の転移は現実的じゃないかも』

「数人だけで転移すればいい」

『それだと貴重な宝玉を使って叶える望みとしては、なんだか勿体ない気がしない?』

「そう言われると、確かに勿体ないな……」


 あれこれと考えながら水中トンネルを通って建物から出る。すると山岳地帯に築かれたヴィチブラナ砦を警備していた見守る者たちが我々を温かく迎えてくれる。その理由をラロに訊ねると、どうやらイアーラ族の世界で族長に会ったことで、我々を真の同志として認めてくれるようになったようだった。それだけ族長はイアーラの民にとって重要な存在なのだろう。

『光の帯が無い!』と、興奮するララの声が聞こえる。衛星の数が少ないことに気がついたら、もっと驚くのかもしれない。


 それからひとつ、たいした問題ではないのだけれど面白いことに気がついた。イアーラ族とはまた別の種族である『小さきものたち』と呼ばれていたララに対して、見守る者たちは戸惑っているようだった。戦士として身を守ることのできない小さきものたちが、こちら側の世界に来ることが珍しいのかもしれない。そんなララと見守る者たちが話している姿を横目に、私はニヤとこれからの予定について話をすることにした。


「それじゃ、ニヤは私たちと一緒にイアーラの集落に行こう」

 ナミの言葉にニヤは尻尾の先を揺らしながら答えた。

『あの『ゆそうき』という、乗り物で行くのですか?』

「そうだ。場所を指示してくれれば、ミスズが連れて行ってくれる」

『ミスズさんが?』と、ニヤは猫耳をピクピクと動かす。

「そうだ」と私は言う。「ラロたちのことも集落に送り届けないといけないし」

『いえ、ラロはこれから私の護衛として行動するのでその必要はありません』

「そうだったのか」ラロにちらりと視線を向けると、彼はうなずいた。「でも砦で俺たちのことを待っていてくれた他の戦士たちは違う。彼らのことを集落に送る必要がある」

『そうでした』とニヤは耳を伏せた。

「どの道、全ての集落を回ることになるんだろ?」

『はい』


 ふと空に視線を向けると、雲ひとつ無い青く澄んだ空のずっと高いところを飛ぶ爆撃機の姿が見えた。飛んでいく方角的に静岡県に向かうことが予想できたけど、何処かに爆弾を投下しに行くのだろうか?

「レイラ」ミスズの声で私は視線を下げた。

「どうした?」

「ペパーミントさんを迎えに行きますか?」

 彼女が聖域の地下にある軌道車両を使って、混沌の領域の側にある洞窟に向かっていたことを思いだす。

「そうだな。彼女に相談したいことがあるから、ついでに洞窟に向かってくれるか?」

「分かりました」

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