第435話 岩場


 広場の雑草を刈り尽くして満足した白蜘蛛と合流すると、我々は妖精族の遺跡を離れ、砂漠に向かって移動を開始する。遺跡にいるときには感じなかった森の騒がしさが戻ってくると、先行していた見守る者たちが急に動きを止めた。

「どうしたんだ?」と、私はすぐ近くにいたラロに小声で訊ねる。


 大柄の豹人は鼻をひくひくと動かしながら森の奥に視線を向けた。

『敵の気配だ』

 敵意を感じ取れる瞳を使って周囲を見渡すが、それらしきものは見つけられない。私はミスズとナミに警戒させると、ハクの背に座っていたマシロにちらりと視線を向ける。マシロの腕に抱かれていたララは眠っているのか、全く身動きしなかった。緊張感が無いのか、それとも睡眠欲に抗えないのかは分からなかったが、ララは何処までも奔放だった。


『十時の方向、何か来るよ』カグヤの言葉のあと、視線の先に赤紫色の靄が次々と浮かび上がっていく。するとインターフェースを通して識別された敵の輪郭が赤い線で縁取られていく。どうやらペレーワの大群がこちらに向かって来ているようだった。

『相当怒っているみたいだね』

「仲間が殺されたんだ。温厚な獣でも怒りをコントロールすることはできなくなるさ」と私は言う。

『温厚な獣ね……私には怒り狂った狂暴な怪物にしか見えないよ』


 縄張りに侵入したものに対して、大声で威嚇する猿の鳴き声にも似た騒がしい音があちこちから聞こえてくると、見守る者たちは接近してくるペレーワに向かって容赦なく矢を射る。ライフルを構えていたミスズとナミも、小気味いい銃声を立てながら樹木の幹にしがみ付いていたペレーワたちを次々と撃ち落としていく。


「カグヤ、射撃支援を頼む」

 カグヤの操作する偵察ドローンは光学迷彩を起動すると、我々を包囲するように迫ってきていたペレーワの集団に攻撃標的用のタグを貼り付けていく。我々は弾薬を自動追尾弾に切り替えると、フルオート射撃で弾丸を撃ちだしていく。


 樹木の幹や枝を伝って移動していたペレーワが銃弾を受け地面に落下すると、槍を手にした見守る者たちが、一気に間合いを詰めて獣を仕留めていった。敵の数は多かったが、それほど苦労せずに撃退、あるいは殲滅することができると考えていた。けれどそれが間違いだと気がつくのに、それほど時間を必要としなかった。


『注意しろ』と槍を構えたラロが唸る。『誘い込まれたようだ』

 ペレーワに対して攻撃を続けながら、獣のいない場所に向かってじりじりと移動していた我々は、樹木が密集する区画を離れ、苔生した大木と巨石が横たわる場所に出た。


 そのときだった。風切り音と共に何処からか拳大の石が凄まじい勢いで飛んできて、先行していた豹人に直撃した。その衝撃によって豹人は吹き飛ばされるようにして、苔生した岩に身体を叩きつけられる。強力な攻撃だったが、旧文明の鋼材を使用した鎧のおかげで命は助かった。そう思った瞬間、狙いすましたように飛んできた石によって豹人の頭は嫌な音を立てて破裂する。


『ペダワ・ペレーワだ!』豹人のひとりが声をあげると、腹に響くような長い尾を引く咆哮が聞こえてきた。

 そして苔生した大木だと思っていた無数の生物が、ゆっくりと起き上がるのが見えた。それは毛皮のほとんどが失われ、岩のようなゴツゴツとした硬い皮膚に覆われた巨大なペレーワだった。苔生して痩せ細った身体の至る所に傷痕があり、腕を欠損している個体も確認できた。しかしそれでも、四メートルほどの体高を持つ化け物が我々の脅威であることに変わりない。


 次々と立ち上がっていくペレーワを茫然と見つめていると、そのペレーワが投げつけた石の直撃を受けて豹人が吹き飛んでいく。それを合図に我々は素早く近くの岩陰に隠れる。


「遮蔽物があって助かった」

「そうですね」とミスズが緊張した声で答える。

「奴の前に出るのは危険だ」ナミはそう言うと、地面に視線を向けた。かつて川が流れていた場所だったのか、我々の足元には大小様々な石が転がっているのが見えた。獣が投げる石に困ることは無いだろう。「どうやって奴らを始末する?」


 マシロがハクの背から降りるのを確認すると、私はカグヤに頼んで巨大なペレーワに自動追尾弾を発射するための攻撃標的用のタグを貼り付けてもらう。そして銃身だけを岩陰から出して射撃を行う。しかし望んだ結果は得られなかった。やはり岩のように硬い皮膚を貫通するには火力不足だったようだ。


「旧文明の鋼材を貫通する弾丸でもダメでしたか……」

 ミスズの言葉で巨体を持つペレーワの異常さに気づかされる。通常の個体でも銃弾で仕留めるのは難しいのだから、接近して散弾を撃ち込んでも倒すことはできないのかもしれない。


「レイの貫通弾なら奴を殺せるか?」と、フルフェイスマスクで頭部を覆ったナミが言う。

「試してみる価値はあるな」

「それなら、私たちが囮になります。レイラは――」


 ミスズがそう言ったときだった。我々を追ってきていたペレーワが背後の森から次々と姿を見せた。我々はすぐに射撃を行い醜い獣の大群を牽制するが、岩陰から出ることができない為、状況はどんどん悪くなっていった。


 巨大なペレーワが投げつけた岩や石が、我々に猛進してくる獣に直撃するのを見ながら、私は液体金属を操作してハガネの鎧で全身を覆っていった。ハクが変身ヒーローと言って喜んでくれる姿だったが、フルフェイスマスクに生えた第三の瞳の所為で、今はヒーローというより、怪人のほうが似合っていた。


「ハク、あのデカい奴らを攻撃しに行く。一緒に来てくれるか?」

『いっしょ、いく』

 それまで退屈そうにしていたハクは、猫の爪のように鉤爪を出して地面を叩いた。

「それじゃ、ハクは攻撃を躱しながら糸で奴らの動きを封じてくれ」

『ハク。それとくい』


 私はうなずいて、それから言った。

「ミスズ、こっちは任せた」

『はい』と、片膝をついて射撃を行っていたミスズは声を出さずに返事をする。

 偵察ドローンから受信している俯瞰映像で再度敵の位置を確認して、それから私はハクと共に一気に岩陰から飛び出した。


 我々が隠れていた岩場に最も近い位置にいて、こちらに向かって執拗に石を投げつけていたペダワ・ペレーワに私は接近する。凄まじい速度で石を投げつけられるが、研ぎ澄まされた意識と、ハガネの鎧によって強化された運動能力によって、僅かな動きだけで簡単に石を避けることができた。


 巨大な獣は接近してくる私に焦ったのか、両腕で岩を持ち上げ、それをこちらに投げつけようとする。私は走る速度を緩めながらハンドガンを抜くと、獣の細腕に向かって貫通弾を立て続けに撃ち込んだ。甲高い金属音を響かせながら撃ち込まれた質量のある銃弾は、螺旋状の衝撃波を生み出しながら獣の腕を破壊する。支えを失くした岩はそのまま獣の頭部を圧し潰しながら落下した。


『レイ!』

 カグヤの声に反応して後方に飛び退くと、横手から投げつけられた岩が地面に直撃して嫌な音を立てながら砕ける。岩が飛んできた方向に視線を向けると、巻き上げられた砂塵から、のっそりと大股で歩いてくる巨大な獣の姿が見えた。と、その獣の足元に網のように広がった糸が直撃すると、獣は地面に倒れ、屈辱と怒りから耳の痛くなるような咆哮をあげる。


 そして足に絡まった糸の所為で立ち上がれないことに気がつくと、植物の根のように枝分かれした無数の奇妙な指で周囲の石をかき集め、それを私に向かって投げつけてきた。


 まるでスローモーション映像のようにゆっくりと時間が流れていく世界で、私は素早く周囲に視線を向け、残りのペダワ・ペレーワの位置を確認する。それから迫ってきていた石を避けながら倒れていた醜い獣に接近する。


 音が消えた世界で、鼻とも口ともつかない器官から、涎を垂らしている獣の様子が静止画像のように見えた。獣に接近する私の身体は、水中で動いているかのようにひどく重たかったが、それは意識が加速されているのと同様に、身体能力が高められ、凄まじい速度で動いているために空気抵抗を受けているからだった。同時に身体の動きひとつひとつにタイムラグのようなものを感じているのは、動きによって生じる慣性を意識していなかったからだ。


 しかしハガネの鎧は私の動きに合わせて、空気や慣性によって生じる複雑な抵抗の計算を行い、それに対応する力や速度を出せるように柔軟に液体金属の表面装甲を変化させていた。


 ペダワ・ペレーワに接近すると、私は拳を振り上げ、凄まじい速度による力任せの攻撃を獣の頭部に叩きつけた。空気抵抗は速度の二乗に比例する。素早く動こうとすればするほど、身体にかかる負荷は増し、そしてその重力を上回る力が必要になる。通常の重力の何倍もの負荷で繰り出される攻撃には、どれほどの破壊力が伴うのだろうか?


 醜い獣の頭部に拳の先が触れた瞬間、獣の頭部は歪み、硬い皮膚は波打ち、頭蓋が砕けて青黒い血管に覆われた奇妙な脳が体液と共に周囲にゆっくり飛散していく。時速数百キロで、旧文明の鋼材よりも硬度のある合金に包まれた拳を叩きつけられるのだから、結果は火を見るより明らかだった。


 振り抜いた腕に身体を持って行かれそうになりながらも、私は何とか動きを制御して見せると、ハクに向かって岩を投げつけようとしていた獣に向かって跳んだ。地面を離れた衝撃で足元の石は爆ぜ、砂塵がゆっくりと広がっていく。


 そして次の瞬間には獣が目の前にいる。私はそのまま獣に体当たりをして、獣の胴体を突き破ると、獣の手から離れた岩がゆっくりと落ちていくのを横目に見ながら、次に攻撃する標的を探した。が、そこで急に身体の力が抜けると、私はその場に膝をついてしまう。そして世界に音が戻ってくる。


 耳鳴りのような鋭い音が、本来の音の輪郭を取り戻しながら聞こえるようになると、地響きを立てながら接近してくる獣の足音が聞こえた。激しい筋肉痛を感じながら顔をあげると、私に向かって握った両拳を振り下ろそうとするペダワ・ペレーワが目に入る。


 獣の攻撃を覚悟したときだった。ハクが跳んできて着地と同時に獣の細長い脚を切断する。片足を失ったことで身体のバランスが取れなくなった獣は前のめりに倒れてくる。ハクは獣の体重を利用し、突き出した脚先を獣の胸に突き刺すと、そのままもう片方の脚で獣の頭部を切断する。ハクは首の切断面から噴水のように血を流している獣の身体から脚を引き抜くと、次の獲物を求めて何処かに跳んでいく。


 獣の体液でハガネの鎧を赤黒く濡らしながら私は立ち上がると、こちらに狙いをつけ、石を投げようとしていたペダワ・ペレーワに向かって貫通弾を撃ち込んでいった。身体の節々が傷んだが、身体を動かす感覚は徐々に取り戻せていた。騒がしい鳴き声を上げながら我々を攻撃していたペレーワの集団も、ミスズとナミ、そして豹人たちの攻撃によって数は減らしていた。しかし見守る者たちの間にも負傷者が出るようになっていたので、戦いを長引かせる訳にはいかなかった。


 数体のペダワ・ペレーワに貫通弾を撃ち込んで射殺すると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『レイ、あれを見て』

 視界の隅にドローンから受信する映像が表示されると、見守る者たちに守られながら佇んでいたニヤの身体が淡い光を帯びていくのが見えた。ニヤがゆっくりとした動作で片手を空に向かって伸ばすと、彼女の身体を覆っていた黄色い輝きは、彼女の手の先に集まり、鮮やかな中黄色の球体に変化していった。


 ニヤは宝石のように光を反射して輝いていた瞳を閉じると、手の先に出現した球体を握りつぶした。すると彼女の手から放射状に光の膜が勢いよく放たれ、それは我々の身体を貫通しながら森全体に広がっていった。


 ドーム状に広がっていった眩い閃光が消えると、光を受けたペレーワたちは身体を痙攣させながら地面に倒れていった。巨体を持つ獣も大きな音を立てながら倒れ、口から涎を垂れ流しながら身体を痙攣させた。


 ラロは相手にしていた獣に止めを刺すと、倒れ込むようにして地面に膝をつけたニヤを抱きかかえ、そして森の奥を睨んだ。

『森を出る』

 ラロの声に反応して見守る者たちが駆け出すと、私はミスズたちが動くのを確認し、それからハクの姿を探す。ハクは痙攣していた獣を不思議そうにじっと見つめていたが、私の視線に気がつくとこちらに向かって一気に跳躍する。


『へんなの、うごかない』とハクは言う。

「何をしたのか分からないけど、ニヤのおかげだ。獣の集団が動けない内に、俺たちも森を出よう」

『うん。それはいいかんがえだ』

 ハクは脚を伸ばして引き寄せるように私を抱えると、森に向かって跳躍した。


『レイ、身体の調子は?』とカグヤの声が聞こえる。

「少し無理をさせたみたいだけど、なんとか動いてくれている」

『治療したほうがいい』

「分かってる。森を出たらすぐにオートドクターを使う」そう言って視線を動かしたときだった、頭部を失くした状態で岩場に横たわっていた豹人の死体が目に入る。「ハク、待ってくれ」

『どうした?』


 ハクは可愛らしい声でそう言うと、岩の上にピタリと着地し、起き上がろうとしていたペレーワに強酸性の糸の塊を吐き出した。

「イアーラ族の死体を回収したい。俺たちのために戦ってくれた戦士だ。こんな場所に置き去りにすることはできない」

『ハク、つかまえるのとくい』


 ハクは何でも得意だった。豹人の死体に向かって糸を吐き出すと、触肢で糸の端を器用に掴んで、糸を一気に引き寄せた。すると豹人の死体は空中に持ち上げられながらこちらに向かって飛んできた。少々乱暴な扱いだけど、それを気にしている余裕は無かった。私が両腕を伸ばして死体をキャッチすると、ハクはミスズたちを追うように樹木の間に向かって跳んだ。

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