第434話 遺跡


 樹木の太い根が覆い被さるようにして石積みの建物を侵食し、風化による剥離破壊が見られる石柱は、絡まる樹木の根でかろうじて立っている。それらのかろうじて原型の残された遺跡の中央に広場があり、そこに石像がひっそりと立っていた。私は妖精族の姿を象った苔生した彫像の側を離れると、地面に敷き詰められた石畳のひび割れから顔を出す草が生茂る広場に近づいていった。


『待って』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。『周辺に危険な生物がいないかスキャンする』

 偵察ドローンが雑草に向かって扇状に広がるレーザーを照射しながら飛んでいくと、私は背の高い草の向こうに見えていた石像に視線を向ける。その人型の石像は長く幅のある胴体を持っていたが、頭部らしきものは何処にもついていなかった。鱗のような鉱石で全身が覆われ、深い赤紫の光沢を帯びた烏羽色の鉱石は見る角度によって色の濃淡を変化させていた。不思議だったのは、遺跡全体が緑の植物に侵食されているのにも拘わらず、その石像には苔すら生えていなかったことだ。


『茂みのなかに危険な昆虫や生き物の姿は確認できなかったよ』とカグヤが言う。

「了解。ありがとう、カグヤ」

 そう言ったあと、どうやって石像に近づくか考える。するとミスズが私のとなりにやってくる。

「私に任せてください」彼女はそう言うと、腰に差していた鉈を抜いて、邪魔になる雑草を次々と刈り払っていった。


 私はミスズのあとについて歩きながら、広場の中央に佇む石像を眺める。三メートルほどの体高がある石像の半身は雑草から顔を出していて、樹々の間から差し込む日の光を浴びていた。私は石像の胴体に不自然に開いていた穴に注目する。その奇妙な石像にも、胴体に開いた穴にも見覚えがあった。

「ペパーミントさんが管理していた兵器工場の地下にも、あの石像と同じものがありました」と鉈を振っていたミスズが言う。「あれは異界の領域に繋がる空間の歪みを発生させていたゴーレムですね」

「ああ。確か『混沌の監視者』と呼ばれていた存在だ。けど……あいつは死んでいるみたいだ」

「そうですね。兵器工場の地下で見たゴーレムの表面は、常に液体が流れるような複雑な動きを見せていました。でもあのゴーレムに動きは見られません」

「それに、異界に繋がる空間の歪みも確認できない」


 雑草を刈り払っていたミスズの姿を見て、遊んでいると勘違いした白蜘蛛がやってきて、鋭利な鉤爪を使って次々と広場の草を刈り取っていった。夢中になっているハクを横目に見ながら、私とミスズは石像の前に立つ。

「カグヤ、石像のスキャンを頼めるか」

『うん。すぐに終わらせるから待っててね』

 ドローンから石像に向かってレーザーが照射されると、ニヤが慌てながらこちらに駆けてくるのが見えた。

『なにをしているのですか!』とニヤは声をあげる。

「スキャン……じゃ分からないか、えっと……石像を調べているんだ」

『危険です、すぐにあれを止めてください!』

 ニヤのただならぬ雰囲気に気圧され、私はカグヤにスキャンを中止するように頼んだ。


「そんなに慌ててどうしたんだ?」

『石像が目覚めてしまいます』ニヤはそう言うと、眩しい程に瞳を輝かせる。

「心配しなくても、この混沌の監視者は死んでいるよ」

 私はそう言うと、ニヤの輝きを放つ瞳に視線を向ける。

『石像のことを知っているのですか?』ニヤは眼を大きく開いて両耳を私に向けた。『それなら、族長が仰っていたことは事実なのですね』

「族長に何を聞いたのかは分からないけど、ハクと一緒に異界を旅したときに、この場所に似たような遺跡を見たことがあるんだ。そこにも沢山の石像があったけど、ほとんど死んでいたよ……いや、正確には動きを止めていた。だな」

 私の言葉にニヤは頭を振る。

『族長は貴方が石像を封印したと仰っていました』

「確かに俺たちの世界を侵食していた異界の領域を、何とか封じ込めることには成功したけど……族長はそんなことまで知っているのか?」

『イアーラ様のおかげです』

「あの」とミスズが言う。「危険とはどういうことなのでしょうか?」

『混沌の監視者は、この遺跡で眠っているだけなのかもしれないのです』


「眠っている? このゴーレムはいつ目覚めてもおかしくない状況にあるのか?」

 ナミがそう訊ねると、ニヤの尻尾は彼女自身の足にくるりと巻きついた。

『この世界には多くの遺跡があり、それらの遺跡でも混沌の監視者の存在は確認されています。ですから、この石像が目覚めるとは断言できません。しかし族長は予言しました』

「どんな予言だ?」

『混沌の監視者が目覚める日が必ずやってくると』

「もしかして――」

『はい。族長は目覚めた混沌の監視者を封印するための助力を求めています』


『やっと話が見えてきたよ』とカグヤが言う。

「そうだな」私はカグヤに同意すると、ニヤに言った。「さっきララが話していた族長が持つ予言の能力で、混沌の監視者が目覚めることが分かったんだな?」

『はい。そして族長はイアーラの偉大な戦士たちと共に戦う深淵の使い手の姿を見たと、そう仰っていました』

「その予言の先はどうなっている?」

『先の……ですか?』

「混沌の監視者はどうなる?」

 ニヤは眼を伏せて、それから頭を振った。

『秩序の守護者が目覚めるのをハッキリと感じられたと』


 ナミは石像の近くまで歩いていくと、石像の鱗に似た鉱石の表面を撫でる。

「秩序の守護者か……あの化け物にいい思い出はひとつもない」

「俺も同じだよ」

 私はそう言うと、暗い洞窟に佇む恐ろしく美しい女性の姿を思い出す。

『残念ながら、族長はそれ以上先のことは予言できませんでした』とニヤは言う。『しかし目覚めた秩序の守護者を野放しにしてしまったら、この世界の輝きは永遠に失われてしまいます。そのことは断言できます』

「混沌の意思によって狂わされた秩序の守護者が、イアーラ族の世界を滅ぼす闇になるのか……」

『そうならないために、我々は貴方たちの助力を必要としているのです』

「残りの石像が何処にあるのか、イアーラの民は把握しているのか?」

『族長は見守る者たちを世界各地に派遣して、妖精族の遺跡を調査させています。ですが、まだ全体の把握は出来ていません。地下に広がる遺跡もあるので、調査には数十年単位の時間を要するかもしれません』


「絶望的な状況だな。族長の能力でどうにか出来ないのか?」

 ナミがそう訊ねると、ニヤは不満を示すように鼻にしわを寄せる。

『混沌は族長の強大な力の残滓を嗅ぎつけます』

「力の残滓? それが気づかれるとマズいのか?」

『族長が蜃気楼の宮殿での生活を強いられているのは、混沌の勢力から逃れるためです』

 話の内容が見えてこないのか、ナミは撫子色の瞳を私に向けると肩をすくめて、それから言った。

「なあ、ニヤ。私たちを煙に巻くような話し方をしないで率直に話してくれないか? もしもイアーラ族の戦争に肩入れすることになったら、私たちはそれこそ命懸けの戦いに身を置くことになるんだ。知っていることがあるのなら、隠さずに全て話して欲しい」


 ニヤは輝く瞳をナミにじっと向けて、それから言った。

『秩序に、それから混沌にも属さないものたちは、それらの勢力から常に監視され、そして侵略を受け、支配されるかもしれない脅威に晒されています。そしてイアーラ様と、生き神で有らせられる族長もまた、それらの勢力に監視され、そして力を奪おうとするものたちに狙われています。族長が神々の力を行使すれば、それは空間を越え、ありとあらゆる世界に微かな響きを残します。その残響はやがて我々の脅威になるものたちの耳にも届くことになります』


『神々の奇跡を使わなければ、イアーラ族を救うことはできない』とカグヤが言う。『けど奇跡を使えば、守るべき民の命を危険に晒す……嫌なジレンマだね』

「そうだな……」私は石像から視線を外すと、静寂に支配された遺跡をゆっくりと見渡す。「族長が予言するときにも、その神々の奇跡が使われるのか? それとも古代ギリシャ人みたいに、夢のなかでイアーラ様からお告げのようなものを受けるのか?」

『ぎりしあじん?』とニヤは首を傾げる。

「ずっと大昔に俺たちの世界に生きていた人たちのことだ。彼らは夢のなかで受けるお告げを何よりも重視したんだ。たとえば、そのお告げによって病気の診断を下していたことも確認されている」

『それは面白いですね』

 ニヤはそう言うと、フサフサの尻尾の先を僅かに揺らした。

「興味深いのは、その夢が地下世界からやってくると彼らが信じていたことなんだ」

『地下にある世界ですか?』

「ああ。うろ覚えだけど、彼らはそこに神の世界が存在すると信じていた」

『信じていた……? つまりそれは本当のことでは無いのですか?』

「分からない。すこし前だったら迷信だと思っていたかもしれない。でも異界の存在を知ってからは、それを嘘だと断言することは難しくなった」

『そうですか……』

「それで、どうなんだ?」

『いえ、族長はイアーラ様からお告げを受けるのではなく、自らの能力で予言を行います』


『監視されている以上、いつでも予言ができる訳じゃないんだね』とカグヤが言う。『神さまのような存在でも、できないことはあるんだね』

 カグヤの言葉に、私は声に出さずに返事をする。

『失礼な物言いだけど、石を適当に投げれば何処かの神さまに命中するような世界だからな……神の能力にも格の違いがあるんだろう』

『怖い世界だね』

「ああ。すごく恐ろしい世界だ」

『何が恐ろしいのですか?』とニヤが言う。

「すまない、何でもない」

『そうですか……それでは私についてきてください』


 ニヤはそう言うと、樹木の根に覆われた建物に向かって歩き出す。

「何処に行くんだ?」

『イアーラ様と族長からの贈り物が保管されている場所に向かいます』

「見守る者たちはいいのか?」

 周囲に視線を向けると、遺跡のあちこちに散らばって警戒している豹人たちの姿が目に入る。

『大丈夫です。もとより今から向かう場所には、貴方しか入室できませんので』

「俺だけ?」

『はい。必ず貴方ひとりで入室するようにとのことでした』

「族長の指示なのか?」

『はい』

 ミスズとナミをハクたちの側に残すと、私はニヤのあとを追った。


 風化した建物のすぐ側には溜池にも見える底の浅い用水施設があって、水面が日の光を浴びてキラキラと揺れているのが見えた。水底で煌めいているのは砂金なのかも知れない。とするならば、この用水施設に直接繋がる水源が何処かにあるのかもしれない。緑青色の植物に埋もれた遺跡の奥に視線を向けるが、それらしき場所は見つけられなかった。


『こちらです』

 ニヤの言葉に急かされるように建物の入り口に立つ。が、そこには四角い石が隙間なく積まれた石組みの壁があるだけだった。なめらかな表面をもつ外壁の所々には苔が生えている。

「この中に贈り物の宝玉が?」

『はい。ですが扉を開く前に灯りのお呪いをかけます』

 ニヤは聞き取れないほどの小さな声で何かを呟くと、そっと私の手を握る。すると握り拳ほどの大きさの発光体が、我々の繋いだ手の先に浮かび上がる。青白い光を発する球体はそのままフワフワと浮き上がり、私の頭上で動きを止めた。

『室内は真っ暗です。その光を頼りに進んでください』

「分かった」

 ニヤは私の言葉にうなずくと、こんどは石組みの壁に触れた。彼女の手が淡い光に包まれていくと、その光はピタリと組まれた石の隙間を流れるように、放射状に一気に広がっていった。そして次の瞬間に目にした現象に驚いて、私は思わず後退る。綺麗に組まれていた石の壁が透けていくように徐々に消えていったのだ。


 ニヤは入り口の先に現れた不自然な暗闇を確認する。

『この先には必ず貴方ひとりで向かってください』

「危険なことがあれば教えて欲しい」

『贈り物である宝玉は、入り口のすぐ近くに保管されていると仰っていました。ですから迷子になることはないと思いますが、絶対に光の側を離れないでください。この暗闇は死者の国に続いていると言われています』

「死者の――もしかして、異界に続く門が開いているのか?」

『いいえ、先ほどの地下世界の話ではないですけど、生ある者の影響が及ばない死者の国が遺跡の地下に存在しています。そこでは今も妖精族の憎しみが渦巻き、地下世界に迷い込んだものは虜にしています』

「虜になったものはどうなるんだ?」

『さぁ』とニヤは頭を振る。『迷い込んだ者たちがどうなったのかは、本人たちにしか知ることができません』

「それもそうだな……」私はそう言うと、すぱすぱと雑草を刈っていた白蜘蛛に視線を向ける。ハクを一緒に連れて行くべきなのかもしれないが……ここはニヤの忠告に従った方がいいのかもしれない。「それじゃ、行ってくるよ」

『はい。この場でお待ちしております』


 暗闇に踏み込むと、青白い光を放つ球体が私を誘導するようにフワフワと飛んでいくのが見えた。

 私が立っていたのは奇妙な空間だった。光に照らされた空間は真っ暗なのに、自分自身の姿は光によってしっかり浮き上がっている。まるで黒いペンキで染められた部屋に立っている気分だ。けれどそんな能天気な気分も光が離れていくと、得体の知れない恐怖に変わる。まるで音も無く地面が裂けて、地の底から何かが這い上がってくるような、そんな恐怖に囚われる。


 鳥肌が立つのを感じながら光の球を追って歩き出す。いくらもしないうちに視線の先にぼんやりと光を纏う物体が見えてくる。それはすりガラス状の台座で、腰の高さほどの位置には豪華な刺繍が施されたクッションがあって、その中心に宝玉がのっていることが確認できた。手の平に収まる半透明の小さな球体の表面には、シャボン玉に浮かぶ構造色のような複雑な色彩の模様が現れ、それは絶えず球体の表面を流動していた。


『レイ、何も考えないで宝玉を回収して』

 カグヤがそこにいることに何故か驚いたが、私は何も言わずにショルダーバッグを開いて、台座と宝玉に触れないようにして、素早く宝玉を回収する。淡い光を放っていた宝玉がショルダーバッグのなかに消えていくと、不思議な台座も暗闇に溶け込むようにして消えていった。

「あれは――」

『願いを叶える遺物だね』とカグヤが言う。

「ハクを連れて来なくて正解だったみたいだ……」

『そうだね。なにか身体に変化は感じる?』

「いや、とくに何も感じないよ」

『それなら、願いはまだ叶えられていないってことだね』

「確証はないけどな。けど、願いを叶えずに宝玉だけを回収してどうするつもりなんだ?」

『分からないけど、前回みたいに適当な願いが叶えられないようにした方がいいと思ったんだ……』

「どうして?」

『だってそれも混沌に関係のある遺物なんでしょ? それよりすぐに移動して、光に置いて行かれる』


 ハッとして視線を上げると、光の球が来た道を引き返していくのが見えた。私はすぐに光の球を追って歩きだす。そのすぐあとだった。なんの前触れも無く、私は建物の前に立っていた。

『贈り物は見つけられましたか?』と、ニヤが尻尾を立てながら言う。

「ああ、ちゃんと受け取ったよ。イアーラ様と族長に感謝しないといけないな」

『心配しないでください。貴方の気持ちはきっと伝わっています』

『困惑が伝わらなければいいけど……』とカグヤが言う。

『それでは、ヴィチブラナ砦に向かいましょう』とニヤは唸るように言った。

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