第433話 穢れた血族
砂漠を歩いている際に感じていた冷たい空気は、いつの間にか生暖かく湿った空気に変化していた。私はライフルのシステムチェックを行いながら緑青色の森に視線を向ける。その森が生命に満ち溢れていることは、生物学者じゃなくても一目見るだけでも分かった。森の樹木ひとつとってもそれは明らかだ。
さっと見渡しただけでも、同じ種類の樹木は見当たらなかった。細長く無数の枝を生やす樹木もあれば、ツル植物が巻きついて傾いた樹々や異様に太い樹木もある。それぞれの樹木には、その環境だけに適応した無数の生物が生活している。
見たことのない小さな昆虫や植物、ナメクジやカタツムリに似た軟体動物の姿まで確認できる。生命の気配が感じられない白い砂漠と違って、森は多種多様な生命に富む環境になっていた。
ライフルの自己診断が終わったことを知らせる通知音が内耳に聞こえると、私は森から視線を外して見守る者たちの様子を観察する。これから危険な森に侵入するからなのか、つい先ほどまで彼らが纏っていた穏やかな雰囲気は消え、今では重苦しい緊張感が漂っていた。
豹人たちが身につけている装備は旧文明の鋼材を含んだ鎧、それに槍や弓といった軽くて頑丈な装備だったので、移動の妨げになることは無いだろう。
緊張した面持ちで戦闘の準備をしている見守る者たちとは対照的に、ニヤは退屈そうに足元の砂を蹴っていた。ちなみに豹人たちは靴などの履物は使用していない。それが猫科動物特有の長い踵の所為なのかは分からなかったが、豹人たちは常に裸足だった。
それは戦士であるラロや見守る者たちも同様だった。しかし脛当のような防具を身につけた見守る者たちとは異なり、ニヤは薄手のローブを羽織っているだけで、防具の類を身につけていなかった。危険な森に入っても安心できるような格好には見えないが、彼女がそれを気にしている様子は少しも無かった。
いつでも戦闘ができるように準備を終えると、我々は鬱蒼とした深い森に入っていく。するとさっそく無数の鳥や昆虫の鳴き声が聞こえ、我々の周囲は途端に騒がしくなる。吹き荒ぶ風の音を絶えず耳にしながら歩いていた砂漠とは大違いだ。
たとえ地球ではない何処かの星であろうと、そこに脈々と流れている生命の循環があるのなら、環境に大きな差は生まれないのかもしれない。あるいは、地球に似た環境の世界からやってきたからこそ、豹人たちは大樹の森での生活に適応できたのかもしれない。
背の高い草や樹木の根に注意しながら歩く。毒を持った未知の植物や昆虫がいるかもしれないので、常に気を張って移動しなければいけなかった。ミスズとナミが額にうっすらと汗をかくようになると、蚊や蠅に似た羽虫が我々の周囲に群がり、我々はすぐにフルフェイスマスクで頭部を保護することになった。
皮膚を露出させない戦闘服やスキンスーツを着ていたので、羽虫の心配をする必要はないと考えたが、瞬きする間に羽虫の数はみるみる増えていった。
ハクとマシロの周囲に羽虫は群がっていなかったので、人間の汗や体温が原因だったのかもしれない。ちなみに見守る者たちの周囲にも羽虫は飛んでいたが、豹人たちは毛皮を持っているからなのか、長い尾を振って羽虫を払うだけで気にしている様子は無かった。
足元に散乱する枯れ枝が踏み抜かれる音で視線を森の奥に向ける。すると日の光が樹々の間から差し込む空間の向こうに、ぼんやりとした赤紫色の靄が樹木を透かして見えるようになった。
「敵だ」私は小声でそう呟くと、ミスズとナミに注意を促す。
先行していたイアーラ族も敵の気配を察知したのか、動きを止めてその場で身を屈めた。
「カグヤ、敵の正確な位置が分かるか?」
『待って、レイの視界を通して敵の姿をインターフェースに表示する』
こちらに敵意を向ける無数の生物の輪郭が赤い線で縁取られていくと、鬱蒼とした森の風景に溶け込むように姿を隠していた大型動物の姿が見えてくる。それは老竹色の汚れた毛皮をもった二足動物で、短いが太い脚を持ち、脚先は木の根のように枝分かれしていた。
がっしりとした長い胴体には、複数の関節を持つ異様な腕を三本持っていた。馬のように長い頭部を持ち、顔の前面には毛が無く、顔は皺だらけで口と鼻の区別はできなかった。
その異様な生物は枝分かれした奇妙な指をつかって樹木の幹に掴まりながら、黄色い眼で我々のことをじっと睨んでいた。どうやら我々がすでに彼らの存在を察知したことに気がついていないようだった。彼らは石のように身動きせず、辛抱強く我々が接近してくるのを待ち構えているようでもあった。
「ハク」と私は白蜘蛛を近くに呼ぶ。「敵が襲ってくるのを待つ必要は無い、俺たちから攻めて奴らを一気に蹴散らそう」
『ん。いっしょにいく』密集する樹木を器用に避けながら近づいてきたハクは言う。
「敵の位置は分かるな?」
『みえるよ』
ハクが装着しているゴーグルのレンズが暗くなるのが見えた。インターフェースを介して敵の正確な位置を確認しているのだろう。私はハクの言葉に頷くと、ハクの背に乗っていたマシロに言う。
「マシロはミスズとナミの側にいてくれ。近づくものは何であれ攻撃してくれ」
マシロは触角を揺らしながら頷くと、ハクの背からふわりと浮き上がる。
『私はどうするの?』と、白猫のララが眼を輝かせながら言う。
「ララはそのままマシロの側にいてくれ」
ララは顔を上げると、胸の間から見えるマシロの顔を見つめた。まるで大切な飼い主を見つめる愛らしい猫の仕草だった。
ミスズとナミが身を低くしてライフルを構えるのを見ていると、大柄の豹人が近づいてくる。
『レイラ』と、槍を手に持ったラロが言う。『準備はできているな』
ラロの言葉に頷くと、私はハクを連れて敵の側面にゆっくりと移動する。奇妙な生物は樹木の高いところに掴まっていて全く動かなかったが、その内の数体は豹人たちの動きに合わせて身体の位置を僅かに変えていた。
風切り音が聞こえると、見守る者たちが放った矢が生物に次々と直撃していく。
『イアーラ様の乳房にかけて、混沌に安らかな死を!』
見守る者たちの奇妙な掛け声のあと、騒がしい威嚇音と共に無数の生物が頭上から降って来る。
「攻撃の合図くらいはして欲しかった」
『あれが合図だったんだよ』とカグヤが言う。
「イアーラ様はきっと立派な胸をもっていたんだろうな」
私はそう言うと、三本の腕を振り上げながら突進してくる生物に向かって銃弾を撃ち込んでいく。それでも醜い獣は威嚇するチンパンジーのような咆哮をあげながら迫ってくる。生物の体当たりを横に飛び退いて躱す。が、すぐに樹木に身体をぶつけて身動きが取れなくなる。
そこに醜い姿をした生物が腕を地面につけて駆けてくる。と、ハクが猛烈な勢いで生物に跳びかかり、獣の背中に鉤爪を突き刺しながら茂みに消えていく。私は周囲に素早く視線を走らせて密集する樹々の位置と、自身の立ち位置を素早く確認し、向かってくる生物に射撃を再開する。
カグヤの操作するドローンが獣の集団に攻撃標的用のタグを貼り付けていくのを確認すると、弾薬を自動追尾弾に切り替え、フルオート射撃で銃弾を適当にばら撒いていく。撃ち出された自動追尾弾は樹木を避けながら次々と醜い獣に命中していく。しかし生物を確実に仕留める殺傷力がないのか、獣は血液を流しながら襲いかかってくる。
するとラロが樹々の間から跳び出し、こちらに向かって駆けていた獣の脇腹に槍を突き刺す。生物は苦痛に身を捩るが、ラロは獣の腹を裂くように槍を一気に引いて、身体を回転させながら槍を振るい獣の頭部を綺麗に切断する。抵抗することも出来ずに殺された獣は、ぬめりのある内臓をどさどさと零しながら倒れた。
『レイ!』
カグヤの声が内耳に聞こえると、視界の隅に影が差し、次の瞬間には頭上から跳んできた生物に組みつかれてしまう。醜い獣は涎を垂らし、鼻とも口ともつかない器官を大きく広げて噛みつこうとする。
私は生物の口に左腕を突き入れると、液体金属を操作して鋭い杭を形成する。瞬時に硬化した杭は勢いよく伸びて、生物の頭部を破裂させるように破壊した。
力が抜けてぐったりとした生物の身体を押しのけて立ち上がると、老竹色の毛皮を赤黒い体液で濡らした生物が駆けてくるのが見えた。身体には無数の矢が刺さり、それが生物に激しい怒りを与えているのが分かった。
ライフルを構えると、獣に向かって焼夷散弾を立て続けに撃ち込む。飛び散る火花と共に生物は悲痛な叫びを上げ、もんどり打って倒れると焼け死んでいった。
「ハク!」
白蜘蛛が消えていった茂みに入っていくと、地面に転がる無数の死骸が目に入る。その全てはハクの鋭い鉤爪によって身体の一部を切断されていた。まだ息のある生物の頭部に散弾を撃ち込みながら進むと、息絶えた生物の死骸に乗り、触肢をつかって牙を綺麗にしていたハクの姿を見つけた。
「大丈夫か、ハク?」
『うん。かんたんだった』とハクは可愛い声で言う。
「怪我はしていないんだな」
『してないよ。でも、ちょっとくさい』
ハクはそう言うと、生物の体液がついた脚を振った。すると粘度の高い血液が飛び散って周囲の植物にかかる。マスクをしていたので分からなかったが、生物の毛皮はゴワゴワしていて酷く汚れていたので、酷い獣臭さがあるのかもしれない。
「あとでちゃんと綺麗にしよう。今は取り敢えずミスズたちのところに戻ろう」
『わかった』
私はハクと共に茂みに入っていく。
「カグヤ、ミスズたちの状況は?」
『問題ないよ。イアーラ族の戦士たちも戦いに慣れているのか、しっかりとミスズたちを守りながら戦ってくれてる』
「精鋭といわれるだけあって、彼らの実力は本物なんだな」
ハクと共に襲撃地点まで戻ってくると、奇妙な生物のほとんどは豹人たちの手によってすでに殺されていて、生物の死骸があちこちに転がっていた。それらの死骸に群がる羽虫を見ながら私はラロのもとに向かう。
『無事だったか、レイラ』ラロはそう言うと、槍を振って生物の体液を払う。
「何とか無事だったよ。ラロたちは大丈夫か?」
『負傷者はいない』
見守る者たちに視線を向けると、ニヤと何かの相談をしている豹人の姿が見えた。
「それで、こいつらは何ものなんだ?」と私はラロに訊ねる。
『妖精族の穢れた血族だ』
「妖精族? こんな醜い奴らが?」
生物の死骸に眼を向けると、豹人の槍によって刺し貫かれた獣の傷口から、蛆虫のような生き物が次々と這い出しているのが見えた。
『混沌に魅入られた古の種族だ』
「あれがイアーラ族と敵対している種族なのか?」
『ただの獣だ。話ができない』とラロは頭を横に振った。
「名前はあるのか?」
『穢れた毛皮を持つものたち『ペレーワ』だ』
「ペレーワか……こいつらが森に生息する危険な大型動物なんだな」
『違う。ペレーワは小さくて素早い』
「こいつらよりもっと大きい奴がいるのか?」
ラロは大きく頷くと、鬱蒼とした森に鋭い眼差しを向ける。
『危険な動物だ』
「それなら、この場所を早く離れた方がいいな」
『うむ。血の臭いはよくない』
我々はその場をすぐにあとにした。ペレーワの死骸は全部燃やして処分した方が良かったのだが、獣の数は多く、時間をかければかけるほど危険な生物との遭遇率が高くなるため断念した。
歩いているとマシロがふわりと飛んできてハクの背にちょこんと座る。私はララの様子を確認して、それからラロに訊ねた。
「俺たちが向かっている遺跡っていうのは、どんな場所なんだ」
質問には何故かララが答えた。
『偉大な妖精族の遺跡だよ』
「どうしてイアーラ族の世界に妖精族の遺跡があるんだ?」
『同じ世界で生きていたからだよ。まあ、ずっとずっと昔のことなんだけどね。まだイアーラ様の祝福が無かった時代のこと』
「その妖精族は森で暮らしているのか?」
『詳しいことは知らないけど、大昔の戦争で滅ぼされたんだってさ。でも偉大な妖精族が残した遺跡はあちこちに残ってるから、彼らが本当に存在していたことの証明になってる』
「そんなに曖昧な存在なのか?」
『うん。誰も実物は見たことが無いからね。本物に会ったのは族長だけだと思うよ』
「族長はそんなに長い間、この世界で生きているのか?」と私は困惑しながら訊ねる。
『さっきも言ったでしょ、族長は神さまみたいなものだからね。殺されても死なない不死性を持ち合わせているんだよ、きっと』
『ララ、族長に失礼ですよ』
ニヤの冷たい声が聞こえると、ララはマシロの腕に顔を隠す。
「えっと……」と、微妙な空気のなかにミスズが参加する。「その遺跡は何のために建造されたのですか?」
ニヤがこちらに耳だけを向けながら答える。
『閉ざされた世界を繋げるための儀式に使われたと、そう信じられています』
「世界を繋げる……?」
『はい。そろそろ遺跡が見えてきます』
背の高い茂みの向こうに、石造りの建造物が見えてくる。煤色の巨石には植物の根が絡みつき、建造物の大部分が緑に苔生していた。目が吸い寄せられたのは、三メートルほどの彫像だ。それらの精巧な立像は人型種族の姿を象ったものだった。
『あれが妖精族だよ』とララが小声で言う。『一応、あれで等身大だから、すごく大きな種族だったのがよく分かる』
妖精族は人間に似た種族だった。もちろん特徴的な尖った耳などを持っていたが、人間の美的感性からみても彼らは恐ろしく美しい容姿をしていた。
『まるで物語に登場する妖精だね』とカグヤが言う。
「そうだな」私はそう言うと、苔生した彫像を見上げた。
澄んだ青い空を背景にして立つ彫像からは、不思議な懐かしさが感じられた。その感覚を説明することは難しかったが、心が僅かに震えるのが感じられた。
『レイ』とハクの声がして、肩を触肢でトントンと叩かれる。
「どうしたんだ?」
『ごーれむ、みつけた』
「ゴーレム?」
『ん』
ハクの脚が指す方向に視線を向けると、胸に大きな穴を持つ人型の石像が立っているのが見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます