第430話 都市


 街道を歩いていた多くの豹人は、白蜘蛛の存在に驚いて思わず動きを止めてしまうが、我々と一緒に行動していた重武装の『見守る者』たちの姿を目にすると、頭を捻るようにして我々のために道をあけてくれる。豹人たちがハクに対して驚いたり、怯えたりしている理由は何となく想像できた。豹人は深淵の娘の存在を知っていたのだから。であるならば、彼女たちの残忍さや恐ろしさを知っていても不思議じゃなかった。それでも彼らがハクから逃げ出さないのは、イアーラ族の世界に渡ってくる前に、身体に塗り込んでおいた甘い匂いのする粉のおかげなのだろう。


 そしてそれは我々に対しても同様だった。豹人たちは今まで一度も見たことの無い人間の出現に驚いているようだったが、我々の近くから逃げ出すようなことはしなかった。しかしそれでも豹人の幼い子供たちは興味が尽きないのか、ミスズやハクに輝く瞳をじっと向けて何かを考えて、それからしばらく我々のあとを追うようについてきていた。ちなみに子供たちの性別を判断するのは極めて難しかった。男女を区別できるような身体的特徴は無かったし、男の子にはまだ立派なたてがみが無かった。だからお手上げ状態だった。


 街道沿いの出店で売られている極彩色の果物を眺めていると、そのなかに奇妙な魚を売っている店があることに気がついた。砂漠の真ん中でどうして魚を売っている店があるのか疑問だったが、都市の周囲には湖のような水溜まりがあったので、もしかしたらそこで魚を捕えているのかもしれない。

 背中に大量の突起物が生えたナマズに似た巨大な魚が吊るされている店の側を通るときには、鼻を押さえるほどの異臭がしたが、豹人たちはとくに気にしている様子が無かった。


 街道を進むと都市に続く正門が見えてくる。インターフェースの機能を使って門の高さを測ると、十メートルほどの高さがあることが確認できた。都市を囲む防壁は、場所によって高さに僅かな違いがあったが、平均して十八メートルほどの高さがあった。防壁に使用されている石材の種類は分からなかったが、相当に古いものなのだろう。積み上げられた石材の繋ぎ目が苔生している様子がハッキリと見えた。旧文明の鋼材を思わせる紺色の正門には、鎧に身を包んだ『見守る者』たちのレリーフが刻まれていた。その精巧さに思わず見とれてしまうほどに綺麗だった。


 正門は大きく開かれていて、都市に自由に出入りができるようになっているようだった。しかしそれでも正門付近は多くの豹人で混雑する場所だからなのだろう、あちこちに武装した豹人の姿を目にすることなった。彼らは揃いの布地の制服を身につけていて、昆虫の外骨格、あるいは動物の骨を加工してつくられた短弓を背負い、手には槍を持っていた。けれど全員が槍を持っていた訳では無かった。豹人のなかには腰に曲刀を帯びた者たちもいた。彼らは他の豹人たちから差別化されるように、制服の他に真っ赤な首巻をしていた。正門付近に待機していた戦士たちをまとめる指揮官なのかもしれない。


 我々が正門に近づくと、その赤い首巻をした豹人が我々のもとにやってくる。彼は他の豹人よりも大きくがっしりとした体格をしていた。彼は目を伏せてニヤに挨拶したあと、見守る者たちに挨拶をして、そして我々にも丁寧な態度で接してくれた。

「ラロさん」とミスズが小声で言う。「あの方はどういう立場の人なのですか?」

『ラロと呼んでくれ』彼はそう言ったあと、ミスズの質問に答えた。『都市の守備隊だ。市内で騒ぎを起こせば、彼らの世話になる』

「守備隊ですか」

『うむ。レイラたちを宮殿まで案内してくれる』

 ラロの言ったように、それまで警護してくれていた見守る者たちとは別れることになった。彼らは正門の側にある詰め所で我々が戻ってくるまで待っていてくれるようだ。見守る者たちが都市に入らない理由は分からなかった。何か重要な決まり事があるのかもしれない。


 我々は武器を携帯していたが、それに関して守備隊に何かを言われるようなことは無かった。武器を使用する状況が発生しないほどに都市の治安がいいからなのか、あるいは我々のことを信用してくれているからなのかは分からなかった。が、彼らの配慮には感謝した。豹人のように、相手の嘘を見破ることのできる超自然的な能力を持たない人間は、とくに廃墟の街で生きてきた人間は、たとえ敵意を感じ取れる瞳を持っていたとしても、武器を携帯しないと安心できなかった。


 正門の先は綺麗に敷かれた石畳の街道になっていて、道幅に余裕がある大通りには、山岳地帯の砦でも見かけた山羊の姿が確認できた。大型の山羊の背には多くの荷物が載せられていて、衣類を着こんだ豹人によって手綱を引かれていた。豹人で混雑した大通りは、どうやら宮殿に真直ぐに伸びているようだった。


 守備隊に率いられながら通りを歩いていると、露店と共に豹人たちの住まいである石造りの建物が見えてくる。建物の外壁には、砦の防壁にも使用されていた漆喰のようなものが塗られているのが確認できた。砂漠の砂が使われているのか、白い砂に含まれる石英に似た白色鉱物が日の光を受けて煌めいていた。

 ほとんどの建物は三階建てほどの高さがあって、密集するように建つ建物を繋ぐように通路が複雑に通されている。高架橋とも呼べない間に合わせの通路には、転落防止用の手すりなどは無かったが、豹人の子供たちや猫が軽快に駆けて行く姿を頻繁に見ることができた。


 それらの通路から垂れ下がる蔓植物を眺めたあと、マシロがこっそり捕まえていた猫にちらりと視線を向ける。ララと名乗っていた猫は、私と視線が合うとマシロの腕の間に顔を埋めて隠れた。深淵の娘であるハクのことは苦手なようだが、マシロに抱かれるのは平気なようだ。

 奇跡を操る獣人がいるのだから、大抵のことでは驚かないと思っていたが、まさか言葉を話す猫がいるとは思っていなかった。通りを歩いていると、その不思議な猫の姿を多く見かけるようになった。興味深いのは猫の種類が一定では無いことだ。短い毛の猫もいれば、ララのように長く美しい毛並みの猫もいる。曲がった尾の猫もいれば、短く丸い尾を持った猫もいる。しかし全ての猫が豹人の言語を操れるようだった。

 乾燥した大量の薬草を天井から吊るしている店の側でも、多くの猫の姿を見ることになった。彼らは、あるいは彼女たちは、白蜘蛛の姿を見つけると隠れるようにして裏路地に逃げていった。


 青く澄んだ高い空に伸びていくような、見晴らしのいい大通りでは、行き交う豹人たちの会話が小波のように寄せては消えていく。そんな光景を眺めていると、まるで夢の世界に迷い込んだかのような錯覚がしてくる。これまでも異界に関連する多くの世界と、多種多様な種族を見てきたが、豹人たちの文化的な生活の営みを見ていると、現実味を帯びた不思議な感覚が呼び起される。

 これは現実の光景なのだろうか? もしも現実の出来事だとしたら、それはどのような社会的秩序によって成り立った世界なのだろう……と。しかしもちろん現実に私は彼らの世界に立っていた。そうなると、豹人たちの歴史や文化に対する興味が湧いてくる。ペパーミントを連れて来なかったのは、失敗だったのかもしれない。彼女がいれば、あるいは豹人たちの歴史について知る手助けをしてくれたかもしれない。


 そんなことをつらつらと考えながらしばらく歩くと、大通りの左右にオベリスクにも似た柱が立っているのが見えてくる。柱の表面にはレリーフがビッシリと刻まれ、その柱の側には槍を手にした戦士を象った立像が立っている。いずれも巨大で十五メートルほどの高さがあった。彫像の側には噴水があって、複数の子猫が豹人の子供たちと水遊びをしているのが見えた。


『もうすぐ宮殿だ』ラロがそう言うと、周囲を見渡していたミスズが彼に訊ねる。

「ラロ、あの大きな建物には何があるのですか?」

 ミスズが指差した先には、複数の柱によって支えられる石造りの建物があるのが見えた。壁が無く吹き抜けになっている建物には、色とりどりの巨大な布が張られ、日差しを遮るように工夫がされていた。その建物内には多くの豹人がいて、複数の場所に分かれて何かを議論するために集まっている姿が見えた。建物を支える柱は全て豹人の戦士たちの姿を象ったもので、どれひとつとして同じものは無かった。


『図書館を兼ねた学問の場です』と、ニヤが得意げにミスズの質問に答えた。『もっとも、現在は扱いが難しい巻物では無く、特殊な鉱石に情報を記憶しているので、図書館と言っても書籍や巻物の類は存在しません』

「鉱石ですか……? もしかして、魔法のような力で鉱石に情報を記録したりしているのですか?」

『そうですね。使用者が限定されますが、森の子供たちが使うカード型の機械と同じようなものだと考えても構いません』

「魔法を使用できなければ、情報の閲覧はできないのですか?」

『正確には魔法ではありませんが、その認識で正しいです。図書館にはイアーラ族の歴史だけでなく、貴重な文化遺産の情報も含まれています。ですので、私たちイアーラの民にしか扱えないように情報は守られています。たとえ他種族の略奪に合っても、情報が知られるようなことはありませんし、もとより彼らも小さな鉱石の欠片に興味など無いでしょう』

「だから奪われる心配も無いのですね……あの、他種族というのは?」

『残念ですが、平和そのものに見えるこの世界にも、混沌の領域に繋がる空間の歪みは存在します』

「そうですか……」


 都市の中央に存在する宮殿に近づくにつれて、壮麗な建物を多く目にすることになった。大理石のような石材で組まれた柱や構造物、そして精巧につくられた彫像の数々。長いこと廃墟の街で生活していたので、これほどに美しい建物や彫像を見ることは滅多になかった。それをまさか豹人たちの都市で見ることになるとは思ってもいなかった。

 彫刻で薄布の質感が完全に再現された戦士の像を眺めていると、そのすぐ近くに倒れた人間の側で跪いて祈っている豹人の女性を象った彫像を見つける。その等身大の彫像を眺めていると、倒れている人間の耳が特徴的な形をしていることに気がついた。


『妖精族です』とニヤが言う。『過去の大戦に於けるイアーラ族の懺悔を表現した彫像だと言われています』

「大戦……? イアーラ族に敵対的な種族と言うのは、この妖精族のことなのか?」

 私はそう言うと、剣が胸に突き刺さった状態で仰向けに倒れている美しい女性の彫刻に視線を向けた。

『いいえ。それは昨日今日の出来事では無いです。私が言った大戦というのは、神々が私たちを残してこの世界を去る遥か以前に行われた戦争のことです』

「神々が去る……何処かで同じような話を聞いたことがある」

『秩序と混沌によって世界が変質してしまう以前のことなので、共通する神話を持っている種族がいても不思議ではありません』

「それはどういう意味なんだ?」

『詳しく知りたいのならあとで話します。今は族長に会うことを優先しましょう』

 ニヤはそう言うと彫像の側を離れる。私は跪いた女性に視線を向ける。彼女の装いはニヤの身につけているローブに似ていた。祈り――ニヤは神に仕える立場の豹人なのかもしれない。


 目的の広場までやってくると族長が待つ宮殿の姿が見えてくる。が、それは薄い膜の奥にある頼りない存在として目に映る。ある地点を境に広場には霧が立ち込めていて、そのずっと奥に荘厳な宮殿の姿が見える。まるで古代ギリシャの建築様式を思わせる神殿のようにも見える宮殿の周囲にも、戦士たちの彫像があるのが確認できた。その彫像のなかには、僅かな動きを見せる巨大な彫像が幾つも存在していた。

 動く彫像についてラロに訊ねると、ラロは低く唸って、それから耳を伏せた。

『族長を守っているものだ』

「随分と厳重な警備みたいだ。族長は何かに狙われているのか?」

 ラロは太い腕を組み、瞼を閉じた。そして思わせぶりな態度で瞼をゆっくり開いて言った。

『そうだ』


 言葉の続きを期待したが、ラロは広場にある境界を越えて宮殿に向かってスタスタと歩いていってしまう。守備隊に囲まれたニヤも境界の向こうに入ると、我々も彼女のあとに続いて霧の中に入っていく。振り返ると、霧の向こうの光景が絶えず変化していることに気づいた。それは何処か見知らぬ都市の広場や、草原が何処までも続く平野、そして白い砂漠がずっと遠くまで見渡せる山の頂からの景色に刻々と変わる。

「カグヤ、まだそこにいるか?」

『大丈夫だよ。通信に少しの乱れはあるけど、ドローンの遠隔操作も問題ない』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、光学迷彩を解いたドローンが姿を見せる。

「これから何が起きるか分からない。俺たちの側にいてくれ」

『分かってる』

 戦士の彫像が左右に立ち並ぶ通路を歩いて宮殿内に続く門に近づく。その門は赤銅色に輝く金属によって補強された大理石調の石材でつくられていて、中央には頭部に枝角を生やした巨大な獅子の姿が彫られていた。

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