第429話 白い砂


 空間を越える際に違和感のようなものを感じることは無かった。扉を開いて隣の部屋に入っていくように、気がつくと我々は豹人たちの世界に立っていた。そこは静寂に支配された広いドーム型の天井を持つ空間だった。


 先程まで我々が立っていた通路と違って、壁や床を覆うのは、自分自身の姿がハッキリと映り込むほどに磨かれた赤銅色の建材だった。振り返ると白い靄が見えたが、それ以外に何も無く、その空間は閑散としていて我々以外に人影も存在しなかった。


 高さのある円天井にちらりと視線を向けると、青白い光を発する拳大の球体が幾つも浮かんでいるのが見えた。その発光体のおかげで、窓が無い完全に閉じられた空間でも明るさが確保されていた。


『ハクがみえるよ』

 天井に張り付いて自分自身の姿を確認していた白蜘蛛がそう言うと、我々を先導していた女性がクスっと笑う。


 ハクが逆さになって張り付いていた天井には、複雑な文様と楔形文字のようにも見える記号が刻まれているのが見えた。ミスズに注意されたハクが天井から下りてくると、結び目を多く持つ文様が、角度と位置を僅かに変えながら俯瞰的に眺めた太陽系図を描いていることに気がついた。そして地球だと思われる惑星が、オーラのような放射体に包まれているのが見えた。


『待て、ニヤ』

 大柄の豹人ラロがそう言うと、大扉に向かってスタスタと歩いていた女性は立ち止まる。どうやら彼女の名前はニヤと言うらしい。

『なに?』と、彼女は神経質に長い尾を大きく横に振る。

『レイラたちの準備ができていない』


 ニヤは宝石のように輝く瞳を我々に向ける。何を考えているのか分からないが、彼女の機嫌を損ねないように急いだ方がいいのかもしれない。

「ラロ、族長はどこに?」

 私がそう訊ねると、ラロは大扉を指差した。彼の指の先には簡単に鉄板を引き裂くことができそうな鋭い爪がついていた。


『ヴィチブラナ砦を出て少し歩く。族長の宮殿はそこにある』

「砦? こちら側にも同じ名前の砦があるのか?」

『うむ。ヴィチブラナを守る必要があるからな』

「分かった。ありがとう」

 私はそう言うと、豹人の戦士が設置してくれていた通信装置の状態を確認する。目的の場所が近場なら、追加で装置を設置する必要はないのかもしれない。


「カグヤ、聞こえているか?」

 カグヤの操作する偵察ドローンが光学迷彩を解いて姿を見せる。

『大丈夫だよ。通信に影響は出ていない。それに、リアルタイムに情報を受信できているから、タイムスケールにも問題は無いみたい』

「そうか……ペパーミント、そっちはどうだ?」

『こっちも問題ないわ。通信装置を介して偵察ドローンからの映像と音声をしっかりと受信できてる』


「了解。ミスズたちは準備できているか?」

『じゅんび? どこにいく?』と、マシロを背に乗せたハクがやってくる。

「族長に会いに行くんだよ。そういう話だっただろ?」

『そうだった。うかっかりしてた』

「それを言うなら、うっかりだよ」

『しってる。すこしまちがえただけ』

 ハクはそう言うと、トコトコと大扉に向かっていく。


「私たちも準備できてるぞ」と胸元でライフルを抱いていたナミが言う。「ところで、随分と慎重になっているみたいだけど、何か警戒しているのか?」

「そうだな……」と、私はナミの撫子色の綺麗な瞳を見ながら言う。「ここは俺たちの知っている世界じゃないからな。少し神経質になっているのかもしれない」

「大丈夫、ここは危険な世界じゃない」


「危険な世界じゃないと分かるのですか?」とミスズが首を傾げる。

「私たちは以前、混沌の領域や名も知らない異界を渡り歩いて生活していた。だから何となく分かるんだ。混沌の意思によって支配されている世界と、そうじゃない世界が」

「すごいです。第六感のようなものですね」

「第七感かもしれないぞ」

「他にも秘密の能力があるのですか?」

「もちろん」とナミが大きな胸を張る。

 するとニヤの咳払いが聞こえる。


『行こう』ラロの言葉に頷くと、我々も大扉に向かって歩き出す。

 鉄黒色の大扉には豹人たちが使う特徴的な文様と、彼らの横顔が向かい合うように彫られていた。両開きの扉の右側には立派なたてがみを持った男性、左側には綺麗な耳飾りをした女性の横顔が彫られている。


 ニヤが聞き取れないほどの小声で何かを呟き、発光する右手で扉にそっと触れると、文様が彫られていた箇所が青磁色に発光し、そして大扉はゆっくりと開いていった。その様子にハクは興奮し腹部をカサカサと揺らす。ハクの背に乗っていたマシロはもう慣れているのか、揺れるのを気にせずに扉の先に複眼を向けていた。


 開いていく扉の間から差し込む日の光に思わず手で光を遮り目を伏せる。頬を撫でるひんやりとした空気に視線を上げると、透き通る青い空に、真っ白に輝く砂が目に飛び込んでくる。

「綺麗……」と、ミスズが感想を口にする。

『光の帯が輝く世界にようこそ』

 ニヤはそう言って、尾を振りながら扉の先に歩いて行く。


 扉の先はラロが言ったように砦になっていて、武装した多くの豹人の姿が見えた。砦は高い壁に囲まれ、監視所を兼ねた塔のような施設が建ち並んでいる。それらの外壁には漆喰のようなものが塗られ、日の光を受けて白く煌めいていた。地面は柔らかな砂地で、まるで砂浜にいるかのように何処までも白い砂に覆われている。


 扉の左右にも武装した豹人が立っていた。彼らの装備は砦にいた豹人たちと同じようなものだったが、昆虫の殻や大型動物の骨で作られた鎧は旧文明の鋼材で補強されているのが確認できた。


 我々は好奇の視線に晒されていた。砦にいる多くの戦士が我々に関心を持っているようだった。人間を見る機会が極端に少ないのかもしれない。あるいは、ハクとマシロの存在が気になっているのか。いずれにしろ、我々はニヤのあとを追うように歩いた。


 大柄の戦士たちがニヤの側を通るときには、手に持った槍の石突で地面を叩き、背筋をしっかりと伸ばしながら彼女に挨拶をしていた。ニヤは特別な地位の豹人なのかもしれない。ちなみに、見守る者たちはラロに対しても丁寧な挨拶をしていた。

 精鋭の集まりである見守る者たちの方が立場的には上なのだと思っていたが、一般的な戦士たちの間に階級のような厳格な位置づけは存在しないのかもしれない。


 振り返り我々が出てきた建物を確認する。磨き上げられた室内と違って、建物は巨大な岩を削って作りだしたような無骨で飾り気の無い外見をしていた。金属製の大扉が無ければ、古びた遺跡のようにも見えたのかもしれない。


 見守る者たちにジロジロと視線を向けられながら大門の側までやってくると、ニヤは戦士たちに指示を出し、外へと通じる門を開かせた。門の先には何処までも続く真っ白な地平線が見えた。


『さばく』ハクはそう言うと、門の先に進み出て地面を叩いた。それから何かに気がついたのか、さっそく砂を掘り返す。最早定番になっているハクの行動から視線を外し、視線の先に広がる白い砂丘に視線を向ける。


 砂紋を眺めていると、私のとなりに立ったミスズが言う。

「あれは湖でしょうか?」

 砂丘の間に、まるで湖のような水溜まりが幾つもあることに気がついた。しかしその周囲には砂漠のオアシスのように、緑の植物が自生しているということは無かった。ただ不自然な水溜まりがある。それは日の光を受けて紺碧色に輝いていた。


『レイ』とカグヤの声が聞こえる。『空を見て』

 視線を上げると我々の頭上に巨大な虹が見えた。けれどカグヤが見せたかったのは、その虹の奥に見えていた三つの月だったのだろう。それが正確にどんなものなのかは分からなかった。衛星、あるいは惑星なのかもしれない、でもとにかく、そこには三つの月が浮かんでいた。


「綺麗ですね」とミスズが言う。「やっぱり、ここは地球じゃないんですね」

「初めて異界にやってきた感想は?」

「まだ実感がありません」

「そうだな」と私は苦笑する。


 門の少し先で立ち止まって周囲の光景を眺めていた我々を余所に、ニヤは小声で呪文のような言葉を口にした。すると白い砂が広範囲に渡って振動し、綺麗に敷き詰められた石畳が砂の中から姿を見せた。


 その光景にハクは驚き、脚を持ち上げたまま固まる。形が揃えられた長方形の石材は、隙間なく前段と後段で半分ずらした状態で敷き詰められている。何をどうすればそれが砂の中から出てくるのかは分からなかった。ただ単に砂に覆われていただけなのかもしれないが、振動によって砂を退けたものの正体は分からなかった。


『ニヤ、まほうつかいだった?』とハクは言う。

 名前を呼ばれたニヤは驚くように目を見開いて、それから頭を振った。

『これは魔法ではありませんよ。私はお呪いを口にしただけですから』

『おまじない?』

『そうです。イアーラ様にお願いしたのです』

『いあーらさまは、すごいな』

『そうですね』


 ニヤはクスクス笑うと、大門の側に立っていた見守る者たちに声をかけた。どうやら数人の戦士たちが我々の護衛についてくれるらしい。しかしそれは道中に危険が伴うから、ということでは無く、客人に対する礼儀のようなものだという。しっかりと武装した戦士たちが我々の前後につくと、ニヤは満足そうに頷き。砂漠に伸びた石畳を歩いていった。


『行くぞ、レイラ』

 我々もラロのあとに続いて地面から出現した道を歩いた。しばらく歩いて視線を上げると、頭上に浮かんでいた巨大な虹は先程と変わらない場所にあった。

「光の帯か……」と私は呟く。もしかしたら、あの虹も奇跡のような現象によって存在しているのかもしれない。


 幾つかの砂丘を越えると、視線のずっと先に目的の宮殿が見えてくる。と同時に、豹人たちが暮らす広大な都市の存在も確認できた。標高差のおかげで我々は都市を見下ろすように眺めることができていた。


 宮殿は半円型の屋根を持つ塔が建ち並ぶ広場の中心にあるようだったが、猥雑とした都市の風景とは違って、その広場にだけ妙な空白ができている。まるで何処からか宮殿を持ってきて、そこにはめ込んだような、そんな印象を持った。


 その違和感についてラロに訊ねると、何故かニヤが得意げに答えてくれた。

『族長の神殿は蜃気楼の宮殿とも呼ばれています。イアーラ族の都市であれば、何処にいてもその姿を確認することができます』

「つまり、この都市は首都のような場所では無いのか?」

 ニヤは瞳を輝かせて低く唸る。

『首都ではありません。ですがヴィチブラナに続く要所でもあります』

「だからあれだけ広大な領域の都市が築かれているのか」

『そうです』


 数え切れないほどの人煙が立ち昇る都市に近づいていくと、都市を囲む巨大な防壁が見えてくる。何処かに水源があるのか、防壁には青々とした蔦が絡みついていた。その都市の正門に続く街道には、幾つもの天幕が張られ、多くの豹人で賑わっていた。


 彼らは我々の姿を認めると、驚いたように立ち止まり口々に何かを言い合っていた。しかし話をしている豹人の数が多く、彼らの言葉の全てを通訳することはさすがに旧文明の優れた端末でもできなかった。幸いなことに、彼らから悪意や敵意を向けられることは無かったので、他種族である豹人の群衆の中にいても安心して歩くことができた。


 その街道には多くの出店が並び、食品から毛皮、果ては武器のようなものまで売られていた。ハクはその光景に興奮しているようだったが、フラフラと何処かに行ってしまわないように、ミスズとナミにしっかりと挟まれるようにして歩いていたので、我々の側を離れることは無かった。


「レイラ、見てください」とミスズが笑顔を見せる。「子猫がたくさんいます」

 砂の上に敷かれた灰色の大きな毛皮の上に、数匹の子猫が日向ぼっこしながら眠っていた。

「本当だ」ナミはそう言って子猫の側にしゃがみ込む。「この世界にも小さな猫がいるんだな」

『ねこ?』と通りすがりの猫が言葉を口にする。『ねこって何? 私たちはねこじゃないわ』

「猫が喋った」とナミは驚いて立ち上がる。


『だからねこじゃない! 私はペクェイ・ララ』と、ラグドールのような美しい毛並みをもった白猫が言う。

「ララ?」

『そう。あなたこそ何もの? 尻尾の無いイアーラ族なんて初めて見たわ』

「私はイアーラ族じゃなくて、ヤトって種族なんだよ。だから尻尾が無いんだ」

『ふぅん、イアーラ族以外の種族は初めて見たかも……あなたは何しにここに来たの?』


『ぞくちょう、あう』

 ハクがそう言うと、ララは身体を固くしてバタンと倒れた。

「ララ、どうしたんだ?」

 ナミがララを抱き上げると、ララは猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。

『今すぐに逃げた方がいいわ』と、ララは小声で言う。『食べられてしまう』

「ハクは誰も食べないぞ」


 そう言ってナミは胸に抱いていたララをハクに向ける。するとララは脚を伸ばした状態でまたしても身体を硬直させる。

『彼女を揶揄うのはそこまでにしてください』

 ニヤはそう言うと、ララと名乗った猫をナミから取り上げて、毛皮の上にそっと寝かせる。


『行きますよ』ニヤはそれだけ言うとまた歩き出した。

 ナミは私に向かって肩をすくめると、ハクと共に彼女のあとを追った。するとそれまでぼんやりしていたマシロがやってきて、ひょういと猫を抱き上げ、ハクの背に向かって飛んでいった。

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