第426話 同盟


 航路作成室の床一面に張られた強化ガラスの表面を滑るように、自律型掃除ロボットが移動しているのが見えた。母なる貝の管理者である『マーシー』に会うために、この部屋にやってくる間にも、船内のいたるところで作業をしていた機械人形の姿を目にした。それは今までにない光景だった。

 数世紀もの長い期間まともな整備が行われてこなかった輸送船は、ペパーミントの提案で機能の回復が図られていた。しかし整備の目的は宇宙船を動かすことを目的にしているのではなく、あくまでも森の管理に支障が出ないように、母なる貝を維持するための処置だった。そしてそれは辺境の地に孤立無援だったマーシーにできなかったことでもあった。だから彼女は我々の支援を快く受け入れてくれた。


『それで』と、赤髪の女性は眼鏡の位置を直しながら言う。『キャプテンは豹人たちのことが知りたいんだね』

「そうだ。イアーラ族の長に会いにいくことになったから、彼らの仕来りや文化で知っておいた方がいい情報があれば教えて欲しいと思ったんだ」

 白い軍服に身を包んだ赤髪の女性は腕を組むと、難しい顔をして天井に設置された水槽を見つめる。半球状の水槽内部には宝石のように輝く物体が浮かんでいて、それは時折強く発光し蠢くように姿を変形させていた。

『以前にも話したと思うけど、私は豹人たちについての情報はほとんど持っていないんだ……違うな、本当は知っていたけど、記憶を整理する過程で彼らについての情報を失ってしまっている』

「でも、何らかの形で今も交流は続いていたんだろ?」

『うん。彼らの族長とは話をしたことがある』

「族長と? 母なる貝の聖域まで来てくれたのか?」

『そうじゃない』と、女性はヒールの踵をカツカツと鳴らしながら歩く。『データベースを介した通信を行うように、族長の声が聞こえて、それで話をしたの』

「通信じゃないなら、ハクが使う念話みたいなものか?」

『そう。まさにテレパシーってやつだね』


『てれぱしー』ハクは可愛らしい声でそう言うと、触肢を使ってトントンと水槽を叩く。するとマーシーの本体である粘液状生物は、身を捩るようにして天井の奥に逃げてしまう。

『キャプテン、お願いだからハクを水槽に近づけさせないで』とマーシーは言う。

「大丈夫だよ。ハクは水槽を壊したりしない」

『そうじゃないの』

「なら何が?」

 するとマーシーが自身の姿を再現し、ホログラムで投影していた女性が私に近づいてきて、隠し事を告げる子供のようにそっと耳打ちする。

『私は深淵の娘が苦手なの』


 私が顔をしかめて女性を見つめると、彼女は腰に手を当てて頬を膨らませる。

「ハクについて何度も説明したと思うけど、ハクを怖がる必要は無いんだ。それにハクは好奇心旺盛な子供みたいなものだ。興味が無くなれば、自然と弄らなくなる」

『分かってるけどさ……深淵の娘だよ』

『大昔の記憶を持つサナエもハクを怖がっていたけど』とカグヤが言う。『深淵の娘ってそんなに恐ろしい種族だったの?』

 赤髪の女性は顔に比べて妙に大きな眼鏡の位置を中指で直すと、天井に逆さになって張り付いていたハクを見つめる。

『深淵の娘は基本的に不死の子供たちにしか興味が無かった。だから彼女たちにとって、私たちは捕食される対象でしかなかったの』

『でも人類とは同盟関係にあったんでしょ?』

『そうだよ。だから少なくともあの時代には、彼女たちが人類に手を出すようなことはなかった。でも分かるでしょ? 深淵の娘たちの眼に映る人間は、ご馳走が服を着て歩いているようなものでしかないの』

『安全だったなら、怖がる必要はないんじゃないのかな……』

『ハクと仲良くしているカグヤたちに分かってもらうのは大変だと思うけど、あれは物凄く残酷な生物なの。戦場で人類の軍を圧倒して、兵士たちを生きたまま喰い散らかしている大蜘蛛の映像を見れば、きっと考えが変わるわ』


 白蜘蛛は水槽の側を離れて床に下りると、壁に設置されていた立体スクリーン用の操作パネルが収納されていた壁際まで移動する。私はハクの側に飛んでいくマシロの姿を視線で追いながら首を傾げる。

「戦場? 深淵の娘と人間は過去に戦争をしていたのか?」

『悲惨な戦争だった』女性はそう言うと、天色の綺麗な瞳を私に向けた。『深淵の娘との遭遇や戦闘に関する情報は、この船に残された軍の資料でも確認できるから、詳しく話せるように調べておくよ』

「そうだな……すごく気になるけど、今は話を前に進めよう。イアーラの族長について教えてくれ。族長とは何を話したんだ?」

『私が記憶整理のための長い休眠状態から目覚めて、ウトウトと自分の置かれている状況を理解しようとしていたときに会話をしたから、今でもよく覚えているんだ。けど森の管理に関しての相談だったから、彼らの文化について私が教えられることは無いかな』

『それなら、大樹の森でのイアーラ族の役割について教えて』とカグヤが言う。

『豹人には、混沌の領域を封じ込めるための結界を越えて私たちの世界に侵入してくる生物に対処してもらっている。森の子供たちでは、異界からやってくる危険な生物を相手にすることができない。だから彼らを頼っているの』


 ハクの背にちょこんと座ったマシロの触角がピクピクと動くのを見ながら、私はマーシーに訊ねた。

「それなんだけど……防壁のシールドは正常に機能していないのか?」

『してるよ?』と、赤髪の女性は眉を八の字にして小首をかしげる。

「でも混沌の生物はシールドを越えてこちら側の世界にやってきている。それはどうしてなんだ?」

『それにはとても複雑な理由があるの』

「簡単に分かるように話してくれないか?」と私はマーシーにお願いする。

『シールドを生成している装置に限界があるの。混沌の領域が行う世界改変を阻止することができても、まったく別の世界――つまり、私たちの宇宙の物理法則が通用しないような世界からやってくる未知の生物には、あの装置で対処することはできないの』

「世界を侵食する領域の広がりを止めることができても、異界からやってくる生物に対しては無力なのか……」

『いいえ。全く無力って訳じゃない』と彼女は赤髪を揺らす。『実際、結界のおかげで危険な生物の多くがこちら側にやってくるのを阻止することができている。ただそれでも富士山の麓に広がっている混沌の領域は、今までにない最悪の部類の領域だった。まさに混沌とした世界で、あらゆる世界が生まれては死んでいく複雑に入り乱れた世界になっているの。そういった世界から、稀に恐ろしい生物がやってくる。そして残念なことに、あの装置ではそれらの生物の侵入を防ぐことはできないの』


『物理法則が通じない世界か……』とカグヤが言う。『殺しても何度も復活するような生物とも戦ってきたから、そういう生命体が存在していることも理解していたけど、あらためて聞かされると、自分たちがどれだけ無力なのか痛感するよ』

 マーシーが投影していた女性はキョロキョロと視線を動かすと、カグヤの操作する偵察ドローンの姿を探す。そしてドローンを見つけるとニッコリと微笑む。まるで本物の女性を見ているように彼女の表情は豊かだった。

『確かに脅威だね。でもこちら側にやってくる全ての生物が私たちに敵意を持っている訳じゃない。自然現象のようにフワフワとしていて、他の生命体に無関心な存在もいれば、嵐のようにやってきて、そして何もせずに混沌の領域に戻っていく生物もいる。だから向こう側からやってくる全ての生物に対処しなければいけない、という訳でも無いんだ』

『でも危険な生物が結界を越えてやってくるのは事実でしょ?』

『うん。だから私は豹人たちに手伝ってもらっていたの』

『装置の改良はできないの?』

『改良? 例えば?』

『完全に生物を通さないようにするとか』

『そんなこと出来るのかな?』と女性は顎に人差し指を当てる。『軍の重要な機密に関係するから、装置の修理はできても改良することはすごく難しいと思う』

『でも大昔の装置でしょ?』

『今はそうだけど、私が前任者と共に地球に派遣されたときには、秘密だらけの最新鋭の装置だったの』


 壁に設置されていた立体スクリーンに、ハクのお気に入りのアニメが大きく表示されると、女性はビクリと驚いて、それから私を睨んだ。ハクが装着していた端末を使って航路作成室のシステムを勝手に操作したのだろう。私は肩をすくめてマーシーの不満をやり過ごすと、気になっていたことを訊ねた。

「豹人たちも異界からやってきたんだよな?」

『そうだけど、それがどうしたの?』

「豹人がどうしてマーシーの手伝いをしているのか気になったんだ」

『コケアリさんたちと同じだよ。地球での活動を許す代わりに、軍に協力してもらっているんだよ』

「よく了承してくれたな」

『当時の私たちには、彼らのことを容易に殲滅できるだけの物資と装備があったから、無理も通せたんだよ。それにいざとなれば、宇宙軍から特殊部隊を派遣してもらえたからね。彼らだって深淵の娘を引き連れた不死の子供たちの大隊とは戦いたくなかった』

「豹人たちは今も律儀に約束を守ってくれているのか」

『そう。それにね、人類からも彼らを支援するための物資や技術を色々と提供したんだよ。だから人類側が一方的に押し付けた同盟でもなかったんだよ』


『宇宙軍はコケアリや豹人たちには何を提供したの?』とカグヤが訊ねる。

 女性は腕を組み瞼を閉じると、記憶をひねり出すように唸り始めた。

『……彼らが一番に喜んでくれたのは、生物資源を利用して特殊な金属を生成する装置だったと思う』

「バイオマスのエネルギー変換技術とかいうやつか?」と私は言う。

『それに近いものだね。でも生物の肉体だけじゃなくて、生命力や魂とか呼ばれるようなものまでエネルギーに変換して再利用する。キャプテンが使う反重力弾でも同じようなことをしているから見慣れていると思うけど、それを可能にする装置が軍から提供されたんだ』

「豹人たちが所持していた槍が旧文明の鋼材に似ていた理由が分かったよ」

『与えられた技術を使えば、敵を殺すだけで大量の資源が確保できるからね。戦いに明け暮れる生活を続けてきた種族には願ってもない申し出だったんだよ』

「そして友好関係は今でも続いている。そういうことか?」

『うん。限定的だけど鋼材を加工する術も人類は与えたからね。もしも人類に敵対してしまったら、データベースによって管理されているそれらの装置は使用できなくなる。そして戦線が拡大していく一方のアリさんたちも、今更その技術を手ばなす訳にはいかない』

「豹人たちが危険な森で生き抜くためにも、無くてはならないものになったのか」

『人類の技術に依存させたんだね』とカグヤが言うと、女性はこくりと頷いた。


「豹人たちと人類が複雑な関係にあることは分かった。他に何か思い出せることは無いか?」

 私がそう訊ねると、ホログラムで再現された大量の本が床に表示される。赤髪の女性はそれらの本の側にしゃがみ込むと、分厚い本のいくつか手に取る。

『それは?』とカグヤが訊ねる。

『私のメモ帳みたいなものだよ』女性はそう言うと、本の山を崩して違う本を手に取る。『えっと……とにかく豹人は嘘を嫌うみたいだね。だから何かの交渉をする際には、絶対に嘘をついてはダメ』

『嘘か……もしも嘘をついたら、魔法みたいな能力で見破られるのかな?』

『うん。生命体の気配や存在を察知するのにも使われている能力が使われるみたいだから、絶対に嘘はダメって書かれてる』

「そもそも共通の話題が無いから、嘘の心配ないな」と私は言う。「他には何か無いか?」

『族長に会う際には、特別な贈り物を用意する必要があるみたい』

「プレゼントか……案外、人間に近い精神構造をしているのかもしれないな」

『そうだね。喜ばれるのは武器や、詩、それにお酒……でも彼らの好むお酒は地球上に存在しない穀物で作られるみたいだから、これはダメだね』

「残念だけど詩もダメだ。彼らに喜んでもらえるほどの詩の才能は俺には無い」

『そっか……でも豹人からの招待だとしても、贈り物は絶対に必要になるから何か用意しないとダメだよ』

「明日までに考えておくよ」


『明日?』と女性は驚いて本から顔をあげる。『そんなに急ぐほどの用事なの?』

「豹人たちが危険を冒しながら俺たちに会いに来るくらいだから、できるだけ早く会いに行った方がいいと思うんだ。幸い、負傷した豹人たちは明日になれば歩けるようになるみたいだし」

『そっか……それで、キャプテンはどこに連れていかれるのか訊いた?』

「そう言えば、まだ聞いていなかったな。でも豹人たちの本拠地がある山に行くんじゃないのか?」

『いいえ』と、女性は頭をゆっくりと横に振った。『部族の多くの者は大樹の森に点在する集落で暮らしているけど、イアーラ族の長は今も異界の領域にいるんだよ』

「異界……?」と私は困惑する。「大樹の森には、他にも空間の歪みが存在するのか?」

『うん。その歪みは彼らの世界に今も繋がるっている。でも安心して、その門は完全に管理されているから、私たちの世界に影響は与えない』

「影響を与えないか……」不安からか、思わず溜息が出た。

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