第427話 砦


 雪で白く染められた大樹の森を眼下に眺めながら、輸送機は徐々に飛行高度を上げていく。大樹の間に渡された古ぼけた吊り橋や、森に沈む高層建築物の残骸を見ながら輸送機は軽快に飛んでいく。システムが周囲の環境音を再現し、コクピット内に聞こえるようにしてくれていたが、森は驚くほど静かだった。僅かな重低音を響かせる輸送機のエンジン音と、雪の重みに耐えられなかった枝が折れて、地上に落下していく音が時折聞こえてくるだけだった。ふと大樹の枝に視線を向けると、太い枝に密集する毛虫の大群が見えた。毒々しい体色を持つ昆虫の変異体は、冬の間も活動できる生物なのだろう。厚い毛皮を纏った昆虫の群の中心には、中身だけが綺麗に刳り貫かれた巨大な甲虫の外骨格が確認できた。


 未知の生物によって奇襲を受け負傷していた豹人たちが目覚めると、我々は豹人たちの集落に向けて出発することになった。イアーラ族の長に会うには、豹人たちの世界に繋がる空間の歪みを越えなければいけない。そのため、我々はあらゆる事態に備え、また対処できるように装備の準備を行う必要があった。

 異界の領域に向かうことに対して不安はあったが、数世紀もの間、豹人たちによって管理されてきた空間は安定していて、我々の世界の脅威にはならないとされていた。だから安全なのだと力説するマーシーの言葉を信じるしかなかった。もっとも、起きるかもしれない問題に備えたところで我々にできることは少ない。向こう側の世界にいるときに、空間の歪みが閉じないことを祈ることくらいしかできないのだから。


 イアーラ族の集落に同行してくれるのはミスズとナミ、それにハクとマシロだった。ペパーミントも豹人たちの世界を見てみたいと言っていたが、今回ばかりは何が起きるのか分からないので、非戦闘員である彼女には諦めてもらうことにした。イアーラの族長との間で、どのような会談が行われるのかは分からなかったが、豹人たちと友好関係になれたら、そのときには彼女も連れて行けばいい。


 それに、未知の種族との対談だったので、我々の組織内でも見識があり、何かと頼りになるイーサンを連れてきたかった。しかし彼は現在、隠密行動に秀でたヤトの部隊を率いて、我々に対して活発な監視を行うようになった五十二区の鳥籠に対して諜報活動を行っていた。まだ活動の内容は詳しく聞けていなかったが、イーサンのことなので、あらゆる手段を講じていることは確実だろう。そしてそれが我々の助けになることは確実だろう。だから今回は彼の助力を得ることはできなかった。


 輸送機は山梨県と静岡県の県境にある連峰まで来ていた。山にかかる雪が日の光を反射すると思わず私は目を細めた。すると雪煙の向こうに、標高の高い峰々に囲まれた湖が見えてくる。それは旧文明期以前の地図には載っていない湖だった。それから理由は全く分からなかったが、その湖は凍っていなかった。母なる貝の聖域にある湖は凍りついていたので、まさかそんな光景を見られるとは思っていなかった。輸送機はその湖を眼下に見下ろしながら、螺旋を描きゆっくりと降下していった。


「見えてきました」と、隣のコクピットシートに座っていたミスズが言う。

 全天周囲モニターによって足元の景色が透けて見えていたので、豹人たちの集落がハッキリと確認できた。思っていたよりも規模の小さな集落だった。雪が積もる平坦な土地に、煌めく淡い紺碧色の水面を持った楕円形の湖があって、そのすぐ側に豹人たちの集落がある。不思議なことに、湖を中心にした狭い範囲には乾いた大地が広がっていた。そこだけは積雪がまばらで、雪が薄く積もっている場所もあれば、白茶色の地面が見える場所もあった。また湖の水面からは、青紫色の巨大な水晶が顔を出していて、数え切れないほどの半透明の水晶の柱があちこちに立っているのが確認できた。どうやらその水晶は豹人たちの集落にも幾つか立っているようだった。


『豹人たちを驚かさないように、湖から離れた位置に着陸しよう』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

「分かりました」輸送機を操縦していたミスズはそう答えると、集落の上空を飛行しないように大きく旋回しながら湖から距離を取っていく。

 モニターを操作して集落を拡大表示すると、豹人たちが巨大な山羊に乗って、慌てた様子でこちらに向かってくるのが見えた。彼らの手には槍や弓が握られているのが確認できた。恐らく集落を守る戦士たちなのだろう。

 私は兵員輸送用のコンテナに乗っていたナミと通信をつなげる。

「ナミ、ラロたちに目的の場所に着いたことを報告してくれるか?」

『あっという間だったな』とナミの声が内耳に聞こえる。

「ああ。それからもうひとつ頼みがある。集落にいる豹人たちが驚いて、武装した状態でこっちに向かって来ているんだ。俺たちに敵対の意思が無いことを、ラロから彼らに伝えてくれるように頼んでくれるか? ラロの言葉はシステムが拾って外部スピーカーを通して伝わるようになっているから、そのまま話してくれるだけでいい」

『任せてくれ』


 しばらくするとイアーラ族の言語で話すラロの声が聞こえた。すると豹人たちが騎乗していた赤錆色の体毛を持つ山羊の速度が徐々にゆっくりしたものに変化していった。二メートルほどの大柄の豹人たちを乗せている山羊は、地面に届くほどの立派な髭を持ち、どっしりとした筋肉質な身体はフサフサとした体毛に覆われていた。その山羊を眺めている間に、ミスズは輸送機を着陸させた。

「この辺りは森にくらべて暖かいみたいですね」と、ミスズがモニターに表示された数値を見ながら言う。

「確かに標高の割には暖かいみたいだな。常に氷点下の大樹の森とは大違いだ……何か理由があるのか?」と私は頭を捻る。

『周辺一帯に生えている水晶の柱が怪しい』とカグヤが言う。『あの水晶の周囲にだけ妙に暖かい空気の流れがあるんだ』

「あの綺麗な水晶ですか……?」とミスズが首を傾げる。「あれも異界を由来とする鉱石なのでしょうか?」

『うん。水晶についての情報はデータベースにも載っているみたいだけど、閲覧不可の情報だから詳しいことは分からなかったよ』


 搭乗員用ハッチを使って外に出ると生暖かい風が頬を撫でる。湖に視線を向けると、鏡のように周囲の峰々を映していた湖面が、風によって生じた水の流れによって微かに揺らぐのが見えた。

 輸送機のコンテナから降りた豹人たちが、ラロに率いられながら集落からやってきた戦士たちと合流するのを横目に見ながら、私は湖の近くに立っていた水晶の側に向かい、斜めに傾いた柱にそっと触れる。まるで水の表面に触れているかのように柔らかく、ひんやりとしていた。しかし力を入れて押し込むと、途端に岩のように硬くなる。

『不思議だね』カグヤの声が聞こえると、偵察ドローンが何処からともなく飛んできて水晶の柱をスキャンする。『放射性物質の可能性も考慮していたけど、全く未知の鉱石だね』

「そんな可能性があるなら、もっと早く教えて欲しかった」

『大丈夫だよ。レイの身体はハガネが守ってくれる』

「やれやれ」と私は溜息をついた。


『レイラ』と、声がして私は振り向いた。そこには媚茶色の体毛を持つラロが立っていた。『見守る者たちとの話はついた。彼らは深淵の使い手であるレイラと、その仲間たちを歓迎する』

「ありがとう」と私は言って、それから気になったことを訊ねる。「見守る者たちについて教えてくれるか?」

『うむ』とラロは大きく頷いた。『彼らは女神イアーラの世界に続く門を守護している戦士だ。部族で最も優れた戦士たちの集まりでもある』

「異界に続く門の守護者か」

『そうだ。混沌の意思によってこの地の門が歪められないように、絶えず警戒し、絶えず備え、絶えず見守る勇敢な者たちだ』

 私はラロの後方にちらりと視線を向ける。見守る者と呼ばれた豹人の集団は、ラロたちのように薄手の布を身体に纏っているのではなく、大型動物の骨や昆虫の外骨格を加工した奇妙な鎧を身につけていて、集団のなかには身体を覆い隠せるほどの大盾を背負っている者もいた。また彼らの持つ槍や弓は、旧文明の鋼材が使われた装飾の無いシンプルなものだったが、どれも実用性の高い装備になっていた。けれど銃の類は確認できなかった。


 その見守る者たちの集団の中から、立派なたてがみを持つ豹人がこちらに向かって歩いてくる。ラロのように大柄の豹人は、クロヒョウに似た艶のある黒く美しい体毛を持っていた。

『レイラ、よく来てくれた』と、彼は低い唸り声と共にそう口にする。『我々はレイラたちの訪問に感謝している。さっそくだが砦に案内させてもらう』

「砦……ここから見えているのが、見守る者たちの砦なのか?」と、私は集落のある方向に視線を向ける。

『そうだ。ヴィチブラナの砦だ』

『また通訳されない単語だね』とカグヤが言う。

 黒い毛皮を持つ豹人に意味を訊ねようとしたが、彼は砦に向かってさっさと歩き出していたので、ラロに訊くことにした。

「あの言葉に何か意味はあるのか?」

『我々の世界に通じる穴の名だ。しかし意味は分からない』ラロはそう言うと、耳をペタンと伏せた。豹人たちが困ったときに、耳を伏せるのだということは分かった。


 見守る者たちが山羊を連れて集落に戻っていくと、我々も彼らのあとに続いた。集団は白蜘蛛のことを警戒しているようだったが、ラロたちに安全だと聞かされているからなのか、ハクに対して何かしらの行動を見せることは無かった。しかしそれでも山羊らしき大型生物はハクの存在に苛立っていたので、我々は山羊から離れ、列の最後尾につくことになった。


 見守る者たちが管理する集落は、大小様々な石を組み合わせた高い石壁によって囲まれていて、綺麗に詰まれた石を覆うように、名も知らぬ赤茶色の蔦が至る所に生えていた。砦内部に続く木製の大きな門には、巨大な動物の肋骨が覆い被さり、我々はその巨大な骨の下を通って砦に入ることになった。ハクは巨大な肋骨を見て喜んでいたが、一本一本が五メートルを優に超える骨の長さに私は驚いていた。これほどの巨大な骨を残す生物とはどんなものだったのだろう。

 門の先にも槍や弓を手にした豹人たちの姿を見かけたが、ラロたちのように軽装な出で立ちをした豹人を見かけることは無かった。砦というだけあって、戦士たちだけがこの地に留まっているのかもしれない。

『ここで待っていてくれ』集落の中心に立つ巨大な水晶の側までやってくると、黒い体毛を持つ豹人は我々にそう言った。それから彼は山羊を連れた戦士たちを率いて何処かに行ってしまう。


 我々と共に砦に来ていた豹人たちも、砦内に建てられている石積みの建物の中に消えていった。その石積みの小屋は天井が低く、屋根も平たい石が並べられている建物だった。天井が低いのは、もしかしたら竪穴住居のように、地面を掘り下げているからなのかもしれない。気になったことは他にもあった。見守る者たちの管理する砦のあちこちで、巨大な動物の骨を多く見かけた。地面から突き出すように立つ巨大な骨の表面には、色彩豊かな模様が描かれていたので、信仰や儀式的な意味合いがあるのかもしれない。興味深いのは、砦内に立つ水晶の柱にも同様の模様が描かれていたことだ。


 ケルト文様にも似た多くの結び目のある模様を眺めていると、ラロが私のとなりにやってくる。

『見ろ、レイラ』と、ラロは石積みの低い建物を指差した。『あそこにヴィチカバヤがある』

「ヴィチカバヤ……確か、旧文明の鋼材のことだったな」

 ラロが指差した場所には、他の小屋よりも大きな建物があった。

『そうだ。見にいきたいか?』

「いいのか?」

『まずは族長に会ってくれ。そのあと案内する』

 すると石積みの低い小屋から豹人の女性が出てくる。彼女は鎧では無く、金色の糸で刺繍があしらわれた真っ白な布を身に纏っていた。

『お待ちしておりました』と、女性の柔らかな声が端末を通して聞こえた。『族長のもとに案内させていただきます。ラロも私についてきなさい』

 そう言って銀鼠色の体毛を持った女性は長い尾を振りながら歩く。ラロは私の肩に手をポンとのせると、女性のあとに続いて歩いた。

 ハクの背に乗ったマシロがあくびしているのを見ながら歩いていると、女性は湖の側に立つ巨大な動物の骨の間を通って、地面に不自然に開いていた大きな穴に入っていった。

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