第424話 羽角


 負傷した豹人を境界の守り人の基地まで連れていくと、ナミとテアの部隊に彼らの世話と監視を頼み、私はミスズと共に深い森に引き返すことにした。目的は混沌の領域からやってきた化け物の死骸を回収することだった。軍用ヴィードルの後部座席に乗り込むと、全天周囲モニターに表示される白蜘蛛の位置情報と敵性生物の反応を確認する。

 冬になると大樹の森はひっそりとして、森を騒がしていた生物は何処かに身を潜めて見かけることが無くなる。しかしいなくなった訳ではない。昆虫の変異体や危険な肉食動物は大樹の幹や地中に姿を隠し、間抜けな獲物がやってくるのを静かに待っている。だから雪深い森を移動する間も決して油断をしてはいけない。


「とても不思議な種族でしたね」とミスズが言う。

 私は目の前の操作パネルで機体の状態を確認しながら訊いた。

「豹人たちのことか?」

「そうです。みんなハクみたいにフサフサしていました」

「そういえば、ミスズは豹人たちとあれだけ接するのは初めてだったな」

「はい。豹人たちが参加した森の民の族長会議のときには、混沌の生物が襲ってきて大変なことになりましたから」

「確かにあのときは大変だったな」と私はしみじみ言う。「それで、ミスズはどう感じた?」

「豹人たちのことですか?」ヴィードルを操縦していたミスズは首を傾げる。

「そうだ。何か直感的に感じることは無かったか?」

「嫌な感じとかはしなかったですね。それに私たちよりも、むしろ彼らのほうが人間に興味を持っているように感じました」

「彼らは『コケアリ』たちと違って、森の民と交易をしている訳でも無いから、人間に慣れていないのかもしれないな」

「そうですね……ところで、レイラはあの大きな豹人と何を話していたのですか?」

「なんでも彼らの族長が、俺たちに重要な話があるみたいなんだ」

「重要な話ですか……なんでしょう?」

「さっぱりだよ。でも今まで人間と積極的に関係を持たなかった豹人たちが、重要な話をしたいっていうんだから、よっぽどのことが起きているのかもしれない」

「たとえば、結界を越えてやってくる混沌の生物についてなのかもしれないですね」


「結界を越えるか……確かにそれはあるのかもしれないな。防壁として機能してきたシールドは健在だけど、それでもこちら側にやってくる生物は後を絶たない」と私はミスズに言う。

「最近になって、テアさんの部隊はとても忙しくなっていると聞きました」

「テアの部隊?」

「はい。私たちが使っている歩兵用ライフルが支給されているのは、テアさんが直接率いている部隊だけなので、蟲使いだけで手に負えない異界の生物が現れると、テアさんたちの助けが必要になるみたいです」


 テアの部隊は、彼女がかつて族長をしていた部族の女性たちだけで編成されている。彼女たちは基本的に鳥籠『スィダチ』に属さない特殊な部隊だった。彼女たちは『母なる貝』を信仰し、母なる貝のためだけに身を捧げている。その独立性は辺境の地に集まる境界の守り人たちが起こすかもしれない反乱の抑止力にもなっている。

 権力はときとして暴走し、高潔で他の人にはない信条をもった人間すらも変えてしまう。もしも境界の守り人たちが手にした豊富な物資や装備、そして部隊を使って森の民の脅威になるようなことがあれば、森の秩序を守るため彼女たちは味方に銃を向ける存在になる。


「不死の導き手が森にもたらした混乱が、まだ尾を引いているのかもしれないな……」私はそう言うと溜息をついた。

 しんとした静けさのなか、我々は生物の死骸が放置されていた場所まで戻ってくる。

「死骸は無事みたいですね」とミスズはホッと息をついた。

『荒らされていなくて良かったね』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。『でもこの辺りは『森の悪魔』の縄張りでもあるから、すぐに死骸を運ぶ準備をして、この場所から離れよう』

「そうだな……」と私は大樹の幹に刻まれた逆さの鳥居を見ながら頷く。「ミスズ、手伝ってくれ」

 ヴィードルから降りると後部コンテナからワイヤロープと金属製の杭を何本か取り出し、それを持って死骸の側に向かう。化け物の死骸に杭を打ち込んでから、ワイヤロープを繋げて、ヴィードルで死骸を牽引しようとしたが、化け物の殻は異常に硬く、杭を打ち込むことができなかった。しかし化け物の外骨格や殻には鋭くて硬い突起物が無数に生えていたので、それを利用することにした。


 カタツムリの殻にも似た化け物の大きな殻と格闘していると、化け物の胴体にワイヤロープを繋げたミスズがやってくる。

「……レイラ」とミスズは小声で言う。「大樹の向こうに何かいます」

 振り返り樹々の向こうに視線を向けると、霧のように広がる雪煙の向こうから立派な角を持つ水牛にも似た生物の群れが現れるのが見えた。奇妙なことに、その存在はヴィードルの動体センサーでも今まで捉えることができなかった。警戒を怠ったつもりはなかった。しかしそれは、まるで魔法を使って瞬間移動でもしてきたかのように突然現れた。

『牛の化け物?』とカグヤが疑問を口にする。

 雪煙の向こうからのっそりと進み出てきた黒茶色の巨体を持つ動物は、鼻から白い息を吐き出して我々を睨んでいた。その動物の背には黒い毛皮を纏った生物が乗っているのが確認できた。


「あれは人間でしょうか?」と、ミスズはライフルに手を添えながら言った。

『分からない』とカグヤが答える。『でも、蟲使いたちが使用している感覚共有装置が常に発している僅かな信号が確認できないから、森の民では無いと思う』

「豹人たちの仲間でしょうか?」

「いや」私はそう言って頭を振ると、先程から見えていた敵意を示す赤紫色の靄に注意を向ける。「豹人なら俺たちに対して敵対的な意思は見せないはずだ……ミスズ、ヴィードルに乗って戦闘準備をしてくれ」


 毛皮を纏った生物が水牛に似た生物の背に立ち、ひょいと地面に飛び降りて、群れを離れてこちらに向かってくるのが見えた。ミスズは未知の生物にライフルの銃身を向けながら後退し、ヴィードルに急いで乗り込む。そして防弾キャノピーを閉じると、ミニガンのシステムを作動させて銃口を生物に向けた。

「カグヤ、ハクが何処にいるか分かるか?」

 私がそう言うと、視界の隅に表示されていた地図にハクの位置情報を示す青い点が現れる。どうやらハクは我々のすぐ近くにいるようだ。私はちらりと上方に視線を向けると、大樹の幹をゆっくりと移動していた白蜘蛛の姿を確認する。


 二十メートルほど先で奇妙な生物が立ち止まると、私は生物を見ながら言った。

「ミスズ、次にあれが動いたら容赦なく攻撃してくれ」

 敵の正体は分からなかったが、殺意を含んだ敵意が膨れ上がっていくのがハッキリと見えた。そして気がついたこともある。水牛に似た生物の背に乗っているときには分からなかったが、その生物は体高が三メートルを超えていて、やけに細長い胴体を持っていた。また黒い毛皮が森に差し込む光を浴びると、それが毛皮では無く羽毛だと分かった。ちなみに羽毛はマントのように生物の足先まですっぽりと隠していたので、生物の本当の姿を確認することはできなかった。


 長い脚をそろりと動かしていたハクが生物に向かって音も無く跳びかかる。が、生物は何の予備動作も見せることなく、まるで背中に目がついているかのように横に飛び退いてハクの攻撃を躱した。そして私は生物の頭部に、まるで羽角がついたフードのように頭部を覆っていた羽毛の間に、大きくて奇妙な眼が現れるのを確認した。それは猛禽類の眼球のように正面を向いていた。

 ミスズは生物に対してミニガンでの射撃を始めたが、ミミズクにも似た生物は羽毛を広げ、巨大な翼を使って空中に飛び上がって銃弾を躱してみせた。

『鳥の変異体なの?』と、困惑しているカグヤをよそに、生物は大きく広げた翼をたたみハクに向かって急降下する。


 ハクは生物の俊敏さに驚いたが、すぐに強酸性の糸の塊を吐き出した。しかし生物の羽毛は水に浮く油膜のようなもので覆われていて、ハクの攻撃を受け流し、そのままハクに強烈な体当たりを行った。その衝撃は凄まじく、ハクの身体は宙に浮きあがる。けれどハクは生物からの攻撃を物ともせず、空中でくるりと身体を回転させると、大樹の幹に張りついて敵の追撃に備えた。が、生物は数百発の銃弾を受けて、すぐに動きを止めることになった。


 ヴィードルのミニガンが発する鈍い特徴的な銃声を聞きながら、私も生物にハンドガンの銃口を向ける。ハンドガンが投影した照準器の先には、翼で全身を覆い隠し、銃弾を防いでいる生物の姿が見えた。生物の羽毛は強力な弾丸を防いでいるようだったが、私は構わずに貫通弾を撃ち込んだ。

 甲高い音と共に発射された弾丸を受けた生物の身体は、まるで強い力で後方に引っ張られるようにして吹き飛び、そしてうっすらと雪が積もっていた地面を転がっていく。私は攻撃の手を緩めず貫通弾を撃ち込み続けた。攻撃を受けた生物の羽毛が宙に舞って、貫通弾が発生させた螺旋状の空気の渦に呑まれ宙でひらひらと回転するのが見えた。


 貫通弾の残響を聞きながら、私は地面に倒れ伏したまま動かない生物に視線を向ける。

『死んだのかな?』とカグヤが言う。

「分からない……」

 私はそう言うと、無雑作に広げられた巨大な翼の間から見えていた生物の姿を確認する。しかし見えるのは墨色の奇妙な足だけだ。それはダチョウの足のように太い指が二本ついていて、それらの指には黒く恐ろしい鉤爪がついていた。

 二本足で立ち、マントを纏うように羽毛で身体を隠していたので人型生物だと思っていたが、それはもっと恐ろしく悍ましいものだった。

 ヴィードルの防弾キャノピーを開いたミスズが言う。

「鳥の変異体でしょうか?」

「たぶん……鳥の変異体なんて初めて見たから、何とも言えないけど」

 ミスズは動かない生物にミニガンの銃口を向けながら、ゆっくりとハクの側に向かう。大樹を離れ地面に下りてきていたハクも、鳥の変異体に注意を向けながらこちらにやってくる。幸いなことに、ハクは怪我を負っていないようだった。


 ハンドガンを構えたまま変異体に接近すると生物は突然、空気をつんざく甲高い鳴き声を上げ、上方に向かって一気に飛び上がる。そして赤黒い体液と羽毛を残し、あっと言う間に大樹の向こうに消えていく。

 両手で耳を塞いでいたミスズは顔をしかめて、上方に視線を向ける。

「逃げた……のですか?」

『うん。あれだけ貫通弾を受けたのに、やつは死ななかった』カグヤはそう言うと、偵察ドローンを飛ばして、生物が残した体液をスキャンする。

「ハク、敵の気配は感じるか?」

 私がそう訊ねると、ハクは薄暗い森にパッチリした眼を向ける。

『かんじないよ』

「あの牛みたいに大きな生物の気配は感じるか?」

『ううん。きえた』

「そうか……でも、戻ってくるかもしれない。ミスズ、作業を早く終わらせよう。ハクも手伝ってくれるか?」

『いいよ』と、ハクは腹部を震わる。


 奇妙な生物が残していった鳴き声が耳の奥で反響していたが、我々はそれを消し去るように黙々と作業をこなしていく。ワイヤロープで死骸をヴィードルに繋げると、ハクの糸で補強する。それから我々は基地に向かって森を進む。広大な混沌の領域を抱える大樹の森では、何が出てきても驚かないと思っていたが、まさか廃墟の街でも一度も見たことのない鳥の変異体に遭遇するとは思っていなかった。守り人たちの基地には、対空戦闘用の装備も必要になるかもしれない。

 日の光を受けて煌めく粉雪を見ていると、基地の方角からこちらに向かってくるテアの部隊が確認できた。

「大丈夫か、レイラ」と、厚い毛皮から顔を出したテアが言う。

 どうやら銃声を聞いて駆けつけてきてくれたようだった。


 ヴィードルから降りると、私は先ほど遭遇した生物についてテアに話した。

「鳥の化け物?」と、カグヤが記録した映像を見たテアは首を傾げる。「こいつも結界の向こうからやってきた化け物なのかもしれないな」

「テアたちも知らない化け物なのか」

 私の言葉に彼女は頷いた。

「ここにいると、色々と奇妙な生物を目にするけど、そいつは初めて見る」

「また新種の化け物か……」私はそう言うと、カタツムリの化け物にちらりと目を向ける。「森で何か異変が起きているのは間違いなさそうだな」


 しばらくすると、我々を迎えに来てくれたペパーミントの操縦する輸送機が姿をみせる。我々は手分けして負傷した豹人を輸送機のコンテナに乗せる。基地の側にある地下トンネルを利用して、一気に聖域に向かおうと考えていたが、オートドクターの作用によって眠っている者もいたので、輸送機に乗せることにした。歩ける者は我々と一緒にトンネルに向かい、軌道列車を使って聖域に向かうことになる。

 ちなみにミスズとナミも輸送機に乗ってもらった。ヴィードルを吊るして運ぶ必要があったし、ペパーミントの側にも人をつける必要があった。豹人は敵ではないが、味方だと断言することができない以上、ペパーミントをひとりにする訳にはいかなかった。


 苦労して運んできた化け物の死骸は、地下トンネルに繋がる洞窟に一時的に置いていくことになった。化け物の死骸は大きく、ヴィードルと同時に運ぶことができなかった。それに、得体の知れない生物の死骸を拠点に運ぶ勇気は無かった。まずは死骸に異常が無いか確認する必要があった。幸い、洞窟の奥には死骸を調べられる環境が整っているので、問題にはならないだろう。


「よう、蜘蛛使い」出発の準備をしていると、守り人のひとりが私に言う。「もうどこかに行くみたいだけど、基地の視察とやらはしなくていいのか?」

 赤髪の男に向かって私は肩をすくめる。

「急用ができたんだ、基地の確認は時間があるときにやるよ」

「そうかい」

「それまで蟲使いたちをしっかりとまとめて、テアの手助けをしてくれ」

「任せとけ」と男は鼻を鳴らす。「テアの姉さんを煩わせるような奴は、俺が基地の外に追い出してやる」

「それに」と、私は声を潜めながら言う。「この基地にいるのは、スィダチの警備隊をしていた人間だけじゃない。事を荒立てるようなことは言いたくないけど、他部族の蟲使いたちの動向にも注意してくれ」

「分かってるさ」

 赤髪の男は険しい顔をすると、偵察に出て行こうとしていた蟲使いたちに視線を向けた。

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