第421話 工場区画
管理室が入った建物は菱形の特徴的な構造物だった。ざらざらとした灰色の外壁に窓のようなものは無く、複雑な幾何学模様が一面に彫りこまれていた。建物の入り口には生体認証を必要とするゲートが設置されていて、我々が接近するとシールドの薄膜が鈍い音と共に展開されるのが確認できた。しかし我々の生体情報はすでにシステムに登録されていたので、問題なくシールドの膜を通過することができた。
工場区画の管理を行う施設は広く清潔な空間になっていた。入り口正面には受付があって、壁ぎわには施設に訪れる人々のための長椅子が設置されているのが確認できた。そして外からは分からなかったが、建物内部の壁は全てガラス張りになっているかのように、外の景色が透けて見られるようになっていた。おかげで施設内は明るく、同時に開放感があり息苦しさは感じなかった。
「管理室の場所が分かったわ」と、受付の端末を操作していたペパーミントが言う。
我々は大理石のようなタイルが敷かれた廊下を歩いて目的の部屋に向かう。廊下はひっそりとしていて、休眠状態で動かなくなっている案内ロボットと、小型の掃除ロボットを何度か見かけただけだった。途中、食品の自動販売機が並ぶ部屋のそばを通る。
恐らく休憩室なのだろう、テーブルとイスが適当に置かれていて、自動販売機のそばには今まで一度も見たことのない植物が飾られていた。その植物はまるで雪の結晶のような、樹枝状結晶型の花弁をもつ植物だった。その見た目の所為で人工観葉植物だと思ったが、青紫色の葉に水滴がついていたので、本物の植物の可能性があった。植物の管理を行っているのは、建物を管理している自律型の機械人形なのかもしれない。
ふとカフェテーブルに視線を向けると、飲料を入れる金属製のボトルと携帯端末、それに国民栄養食の入ったパッケージがぽつんと置かれているのが見えた。さっそく興味を持った白蜘蛛がいそいそとテーブルに近づくと、テーブルにのっていた端末からホログラムディスプレイが投影される。ハクは驚いてバンザイするように前脚を持ち上げてピタリと動きを止める。それから驚いたことを誤魔化すように、身体を左右に振って奇妙な踊りを披露する。
「どうして踊っているの?」と、ペパーミントが意地悪な質問をする。
『すこし、たいくつだった』
「何かに驚いて威嚇しているのかと思ったわ」
『ハク、おどろかないよ』
「そうね、ハクはびっくりしただけ」
『うん。びっくりしただけだ』
ハクを揶揄っているペパーミントを横目に、私はホログラムディスプレイに書かれていた短い文章を読んだ。
『工場の管理を任されている君のために、ささやかな贈りものを残していく。(ところで、来週は誰が夜勤なんだ?)退屈で長い一日を過ごすのに打って付けの飲料と栄養食だ。ちなみに、そのボトルに入っている『清涼飲料水』には、地球外物質は一切使用されていない。だから安心して(君がそれを気にする人間じゃないことは知っているけど)飲んでくれ』
私は金属製のボトルを手に取り、僅かに緩んでいた蓋を外しボトルに鼻を近づけて中身を確認してみた。しかし匂いは無く、それどころか中身は空だった。放置されていた数世紀の間に、揮発して中身がなくなったのかもしれない。ボトルをテーブルに戻すと、自動販売機を眺めていたハクの側に行く。
「何か食べたいのか?」
私の問いにハクは短い返事をして、それから自動販売機の大きなディスプレイに映し出されたハンバーガーを見ながら言った。
『これがいい』
「本当に食べるのか?」
『とうぜんでしょ』
「消費期限は大丈夫かしら……」と、ペパーミントが商品の説明を読む。「食材には安心で安全な高品質な培養肉と、食品プラントで栽培されているトマトが使用されていて――なんでこんなにカロリーが高いんだろ……えっと、消費期限に関する項目はどこにもないみたい」
「国民栄養食と同じで、消費期限は永久に無いのかもしれない」
私がそう言うと、ペパーミントは緩く纏められていた黒髪を揺らす。
「それはどうかしら。ブロックタイプの完全栄養食品と違って、この自動販売機が提供する食品は調理されて出てくるのよ」
「つまり?」
「つまりも何も、数世紀もの間、この自動販売機に入っていた食材が調理されて、温かい状態で提供されるの。だから消費期限はあるかもしれないでしょ?」
「……確かに危険な食べ物になっているかもしれないな」
「それどころか、食品としての原型すら保っていないのかもしれない」
『たべるのダメ?』とハクが可愛い声で言う。
「ダメじゃないけど……」
「取り敢えず、購入できるか試してみれば?」とペパーミントが言う。
「そうだな。ヤバいものが出てきたら、食べなければいいだけだ」
『ハクがかう』
私は頷くと、ハクの端末に電子貨幣を幾らか送金する。
『ありがとう』
ハクは礼儀正しく感謝すると、ディスプレイに表示されるメニューをじっと眺めて熟考を重ねる。そして触肢を伸ばして自動販売機にトンと触れる。
〈お買い上げありがとうございます〉
自動販売機から軽快な音楽と共に合成音声が流れると、ディスプレイに二頭身にデフォルメされた作業用ドロイドのアニメーションが映し出される。シェフハットを被ったドロイドは、フライパンを片手にキッチンに立って忙しそうに料理を始める。ディスプレイの隅にはタイマーが表示されて、数秒でハンバーガーの調理が終わることが示されていた。
短い通知音のあと、シェフドロイドが丁寧なお辞儀をする。すると自動販売機の一部が開閉して、プラスチック製のトレイにのったハンバーガーセットが出てくる。見た目はディスプレイに表示されていたメニューに引けを取らなかった。大きなバンズはもっちりしていて、バンズの合間にレタスと玉ネギ、それにトマトにピクルスが載せられ、さらに溶け出したチーズがパテに何枚も重なっているのが見えた。熱々の肉汁と共に香ばしい油の匂いが周囲に広がり、途端に食欲がわく。スナックケースに入っていたフライドポテトからもユラユラと湯気が出ていて、とても数世紀まえの食材でつくられた食品とは思えなかった。
ペパーミントがトレイを手に取ってテーブルに向かうと、ハクも落ち着かない様子でペパーミントのあとについていった。
「カグヤ、スキャンをお願い」
ペパーミントがそう言うと、カグヤの操作する偵察ドローンが飛んできて、扇状のレーザーを照射してハンバーガーのスキャンを行った。
『有害物質や腐敗細菌の類は確認できなかった。味に関しては分からないけど、少なくとも食べても身体に害はないと思う』とカグヤが言う。
「腐ってない? 不思議ね。どんな技術が使われているのかしら」
『たべてもいい?』とハクはカグヤに訊ねる。
『うん。召し上がれ』
『いただきます』とハクは小声で言う。
ハクの口内がどうなっているのかは分からないが、ハクは大顎を器用につかって大きなハンバーガーを口に入れると、むしゃむしゃとハンバーガーを咀嚼する。通常、蜘蛛は口内に歯が無く、基本的に食べ物は溶かして飲むか、大顎についた牙で細かくしてから呑み込むらしい。そう考えると、やはりハクは普通の蜘蛛では無いのかもしれない。もっとも、人間よりも大きな蜘蛛が普通な訳が無いのだけれど。
「おいしい、ハク?」
ペパーミントが訊ねると、ハクは興奮した様子で床をトントンと叩く。
『これは、とてもおいしいものだ』
「そんなに美味しいの? それなら私も食べてみようかしら……」
『ハクも、もっとたべる』
「レイはどうする? 食べていく?」
「俺は遠慮するよ。それより周囲を調べてくるよ」と私はペパーミントに言う。
「分かった。私も食べたらすぐに行くね」
休憩室を出ると静かな廊下を歩きながら、開いている扉から部屋を覗いていく。会議室として使用されていた部屋や、何かの書類が大量に保管されている部屋があるのが確認できた。驚くことに、保管されていた書類は全て完全な状態で残っていた。特殊な紙を使っているのか、退色したり破れていたりすることもなかった。電子端末に情報を残さなかった理由は分からなかったが、経年劣化のしない紙があるのなら、紙媒体に情報を残すことも悪い選択では無いのかもしれない。
管理室の壁には幾つかのディスプレイが設置されていて、部屋の中央に管理者専用のデスクが置かれていた。窓もない殺風景な部屋だったが、デスクには休憩室にもあった観葉植物が置かれていて、部屋に彩りを添えていた。きっと管理者は植物を愛でる心優しい人間だったのだろう。そのデスクには収納型の操作パネルが用意されているのが確認できた。私は座り心地のいい椅子に座ると、操作パネルにそっと手を置いた。あとは接触接続によってカグヤが管理システムに侵入してくれるのを待つだけだ。
接続が終わるまでの短い時間を利用して、私は地上にいるミスズと連絡を取り、地上の様子を確認することにした。どうやら五十二区の鳥籠を警備している部隊からの襲撃は無く、懸念していた大雪も降っていないみたいだった。
『そちらの状況はどうなっていますか?』とミスズが訊ねる。
「こっちも順調だよ。空間転移のためのゲートも既に組み立て作業が始まっているし、工場区画の管理システムにも接続できそうだ」
『良かったです。老人型の変異体からの襲撃は大丈夫でしょうか?』
「今のところ老人の気配は感じないよ。でもミスズたちも老人の襲撃に気をつけてくれ、奴は神出鬼没でどこにでも現れるから」
『分かりました』
ミスズとの通信を終える頃には、システムへの接続が無事に完了していた。私は工場区画の至る所に設置されていた監視カメラの映像を見ながら、工場の様子をつぶさに確認していく。どうやら現在はほとんどの区画で本格的な生産がストップしているようだった。多脚型戦車やアサルトロイドに使用される資材の加工だけが、ゆっくりとした生産ペースで続けられているみたいだった。
アサルトロイドに関して言えば、前回の侵入の際に、それなりの数の機体を破壊していたので今も生産が続けられている理由は理解できた。しかし多脚型戦車の製造準備を進めている理由は分からなかった。
『これを見て』とカグヤが施設に備蓄されている物資や、戦闘用機械人形の詳細な数が分かるリストをディスプレイに表示する。
「大型機動兵器の製造が継続して行われているみたいだな……」
『うん。最下層で何が起きているのかは分からないけど、戦力は導入され続けているみたいだね』
「それは恐ろしいな」と、私は素直な感想を口にする。
『それがどんなものかは分からないけど、どうやら特殊な結界を生成するシールドで異界の領域が広がることを阻止しているみたい。だけどその結界も完全じゃないみたいだね』
「結界を生成するシールドか……大樹の森に設置されている装置と同じものなのかもしれないな」
『その可能性はあるね』
「この施設の最下層では、今も異界の勢力との戦闘が続いているのか?」
『うん。全面的な戦闘ではないと思うけどね』
「そうか……」
「そうなると、施設が備蓄している大量の資材も心もとないものに見えてくるわね」と、いつの間にかハクと共に管理室にやってきていたペパーミントが言う。
「俺たちが補填する必要がありそうだな……」と私は溜息をついた。
「そうね。幸い、地上に腐るほどある廃墟から旧文明の鋼材は入手できるし、希少鉱物も私たちなら手に入れられる」
「……俺たちが全てをやらなければいけない状況は癪に障るけど、混沌が溢れ出たら、俺たちが拠点を失うだけじゃ済まされない」
「いっその事、五十二区の鳥籠にやらせれば? 混沌の領域が広がったら、まっさきに被害に遭うのは彼らなんだから」
「能天気に戦争しているような連中が、協力してくれるとは思えない」
「協力させればいいのよ」
「どうやって?」
「銃を突きつけるの。レイは得意でしょ?」
私は溜息をつくとハクに訊ねた。
「ハンバーガーは美味しかったか?」
『うん。もってかえる』とハクは言う。
「持って帰る? ハンバーガーを?」
『じどうはんばいき』
「それは大変な作業になりそうだ」
「それなら」とペパーミントが言う。「レシピを持ち帰りましょう」
「妙に乗り気だな」と私は言う。「そんなに美味しかったのか?」
「それもあるけど、ほら、ハクが混沌の領域でまた願いを叶えて貰ったら大変でしょ?」
ハクが魔法のようにハンバーガーを次々と出現させる姿を想像して私は深く頷く。
「そうだな。自動販売機の設計図と、ハンバーガーのレシピが施設のデータベースで入手できるか確認してくれ」
「野菜の種が保存されているのかも確認するね。あのトマトは最高だったから」
「……そうだな。機動兵器の設計図も入手できるか忘れずに確認してくれ」
「分かってる」
工場のシステムを引き続き操作するペパーミントの護衛にハクを残すと、私は資材置き場に戻って、作業用ドロイドたちが完成させた空間転移のゲートを確認しに向かう。そのゲートには物資を転移させる際に、作業を安易に行えるレールが敷設されていた。私はさっそく保育園の地下拠点に繋ぐ空間の歪みを発生させると、拠点側にあらかじめ用意されていた中型のコンテナを資材置き場に運び込むことにした。レールのおかげでひとりでもスムーズに作業が行えた。
機械人形を製造するための資材が詰まったコンテナを、敷設されたレールに沿って資材置き場に並べると、マニピュレーターアームを持った円盤型の作業用ドローンが多数飛んできて、資材の入ったコンテナをスキャンしていく。
そして工場のデータベースに資材の登録を済ませると、素材ごとに仕分けしながら資材を何処かに運んでいった。
「驚くほど順調だな」
『そうだね』とカグヤが言う。『襲撃も無ければ、システムのトラブルも起きない。毎回こんな風にスムーズに作業ができればいいんだけどね』
「そうだな」
私はそう言うと。資材を持って飛んでいくドローンに目を向けた。
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