第419話 上層区画


 エレベーターの周囲を覆っていた防護シャッターがレールに沿って上下にスライドしながら開いていくと、素通しの強化ガラスの向こうに核防護施設につくられた旧文明の街並みが見えてくる。地下の広大な空間に街がすっぽりと収まっているような、そんな不思議な景色が目の前に広がる。

 眼下に薄桜色の八階建てほどの建築物が整然と建ち並ぶのが見えた。けれど数カ月前にこの施設を訪れた際に『老人』と呼ばれる変異体と戦闘になり、街に被害が出てしまっていて、その傷痕が街のいたるところで確認できた。広範囲に渡って幾つかの建物は倒壊していて、岩石が剥き出しの天井には、数え切れないほどの数の照明機器が設置されていたが、その照明も街のあちこちに崩落しているのが確認できた。


「それにしても」と、街の様子を眺めていたペパーミントが口を開いた。「今朝の戦闘で、あの化け物が現れなくて良かったね」

「化け物……?」

「ほら『姿なきものたち』とか呼ばれていて、姿を自由に変化させることのできるマネキン人形みたいな化け物」

「あぁ、確かに良かった」と、私は無意識に左腕に触れながら言う。「あれだけの規模の戦闘が起きることは想定していなかったから、化け物に対しての備えを完全に怠っていた。やつが現れていたら大変なことになった」

「今頃、あの化け物は何処をうろついているんだろ」

「それが何処であれ、血が流れる場所に現れては、人々を虐殺しているんだろう」

「酷く歪な生き物ね。いったいどんな精神構造をしているのかしら」

「あれと対峙した感想を言わせてもらえれば、まともな精神は持ち合わせていなかったように思う。身に巣食う抑えがたい破壊衝動に従って、ただ目的も無く行動しているようにも感じられた」

「壊して命を奪うだけか……なんだか可哀想な生き物」

「俺たちの価値観で語れる生物でもないんだけど、確かにそんな側面もあるのかもしれないな。でも今は、地上にいるミスズたちが奴に襲われないことを切に願っているよ」

「大丈夫よ。ワヒーラもついているし、接近してきたらきっと気がつく」

「そうだな」私はそう言うと、強化ガラスの向こうに視線を向けた。


 エレベーターは建物の間を通って隔壁によって仕切られた空間に入っていく。エレベーターが厚い隔壁の間を通り過ぎると、上層区画に通じる隔壁が上方で閉まり、エレベーター内が薄暗くなる。しかしすぐに設置されていた照明が灯される。

 静かに下降を続けるエレベーターから見える四方の壁は、つるりとした銀色の鋼材で出来ていて、磨き上げられた綺麗な壁には、光の反射によって我々の姿が映り込んでいた。白蜘蛛に視線を向けると、眼を保護するために装着していた拡張現実対応型ゴーグルのクリアレンズが暗くなっていて、ハクの眼が見えなくなっていることに気がついた。

「ハク」と私が呼ぶと、白蜘蛛は触肢を持ち上げただけで返事はしてくれなかった。

「何を見ているの、ハク」

 ペパーミントがそう言うと、ハクは腹部をカサカサと振りながら言った。

『あにめ』

「たのしい?」

『かっこいい』


 ハクのためにペパーミントが用意してくれたタクティカルゴーグルは、頭胸部の前方についた八つの眼をしっかりと保護し、またハクの思考を受信して、ハクの知りたい情報をレンズに投射するための特殊な装置を備えたものだった。レンズは防刃防弾の優れた性能を有し、体毛に触れるパット部分も特別な衝撃緩和材が使われ、装着した際の違和感を極限まで抑えてくれている。

 そしてレンズには、投射される情報が発する光の反射を防ぐための機能がついていて、インターフェースによって各種情報が投射されている際には、透明なレンズが曇りガラスのように暗くなる仕様だった。そして『深淵の娘』の持つ隠密性の妨げにならないように、ゴーグルとハーネスには電波吸収体としての機能を持つ塗料で全体がコーティングされていた。ペパーミントの手で時間をかけて設計、製造されたハク専用のゴーグルは、他には無い特別なものになっていた。


 ちなみにハクの思考を受信している特殊な装置は、エボシの研究施設から入手したデータをもとに製造されていて、ハクとカグヤの意思疎通も可能にするものだった。どうして『深淵の娘』の思考を受信できるような装置が存在するのか分からなかったが、あとになってそれが特に不思議なことではないと気がついた。なぜなら旧文明の人類は『深淵の娘』たちと同盟関係にあって、円滑な意思疎通を図るためにも、それらの装置は無くてはならないものだったからだ。


「でも」とペパーミントがハクに言う。「今は危険な変異体が沢山いる施設にいるんだから、警戒しなくちゃダメでしょ」

『きけんなのはいないよ。いまは、とおいところにいる』

 ハクは幼い可愛らしい声でそう言った。

「ハクには敵の居場所が分かるの?」

『わかるよ。とうぜんでしょ?』

「当然なのかは分からないわ。私には敵の存在が感じられないから」

『ペパーミントも、まだまだだな』

「まだ?」ペパーミントは整った眉を八の字にすると、頭を傾げた。

『いまはね、スズとつうしんしてるの。じゃましないで』

 ハクがきっぱりとそう言うと、ペパーミントは悲しそうな顔で答える。

「そう。ハクは私よりミスズが大切なのね。ハクのために頑張って特別なゴーグルを作ってあげたのに、ハクは私が嫌いだったんだね」

『きらい、ちがうよ』ハクは慌てながらそう言うと、ペパーミントの肩にトンと触肢をのせる。『ちょっと、からかっただけかも』

「本当に?」

『うん。ほんと』

「良かった」とペパーミントは胸に手を置いて、ワザとらしくホッと息をつく。

『良かったな!』とハクもペパーミントの様子を見てすぐに上機嫌になる。


 金属製の壁で囲まれた空間を抜けると、エレベーターは巨大な隔壁の前で静かに止まる。その隔壁が左右に開いていくと、廊下が視線のずっと先まで続いているのが見えた。そしてその広い空間を支えるように、多くの柱が整然と立ち並ぶのが見えた。ここからは歩いて移動することになる。

「確か『バグ』に占拠されていた居住区画は、この通路の先にあるんだったわね」と、ペパーミントが警戒しながらエレベーターを出る。

『そうだよ』と、カグヤの声が内耳に聞こえると、偵察ドローンが通路の先にフワフワと飛んでいく。『でも今は警備システムが派遣してくれた警備用のアサルトロイドたちによって、すでにバグの大群は駆除されていて、バグが施設に侵入するために破壊した壁も機械人形たちが閉じたから、居住区画の安全は確保されてる』


 バグとは混沌の領域に生息する昆虫にも似た姿を持つ生物の通称で、群れで行動する習性を持つ厄介な化け物でもあった。この核防護施設の上には『汚染地帯』が広がっていて、バグは地上からやってきていた。しかしカグヤの言ったように、現在は警備システムによって駆逐されていて、居住区画の安全は保たれていた。もっとも、今回の目的に居住区画は含まれていないので、バグの影響を気にする必要は無かった。

「それなら安心ね」とペパーミントは言う。

『あんしん』ハクもそう言うと、天井に向かって跳びあがって、逆さになった状態で通路の先に向かっていく。

 しかしすぐにホログラムの警告表示が天井付近に投影されて、ハクは地面に戻ることになった。警告は深淵の娘の通行を規制するもので、天井や壁を伝って移動することに関する注意事項が、深淵の娘でも理解できるようにアニメーションで表示されていた。カグヤを介してハクの生体情報は警備システムに登録されていたので、施設の立ち入りは制限されていなかったが、通行に関しては厳しい制限が設けられているようだった。

「ハク、今回は諦めてくれ」私がそう言うと、ハクは触肢を持ち上げた。

『こんかいは、しかたないな』


 青白い光を放つ照明が等間隔に設置されている通路を進みながら、我々は地図で機械人形の製造工場がある場所の位置を再確認する。

「軌道車両に乗って、ここから工場がある中層区画まで向かうのか?」

 私の問いかけに答えたのはカグヤだった。

『そうだよ。以前はアサルトロイドに襲撃されて、メンテナンス用の通路に逃げ込んだけど、今回はその必要が無いからね。住人が利用していた交通機関を使って、一気に中層まで行く予定』

「中層は安全なんだよな?」

 施設の各所に設置されている動体センサーの反応を確認しながら訊いた。

『うん。空間の歪みによって異界の領域が広がっているのは施設の最下層で、中層に影響は無いよ。それでも老人の行動を予測することはできないから、警戒しなくちゃいけないけどね』


 中層区画に向かう軌道列車は、流線型のシンプルで無駄のない車両で、余り詳しくは無かったがラッピング車両と呼ばれるもので、可愛らしい二頭身のアニメキャラクターが描かれているタイプの車両になっていた。もちろんハクはすぐ色彩豊かな車両を気にいってくれて、車両に乗れるのをウキウキしながら待っていた。

「深淵の娘のための乗車スペースは、後部車両に用意されているみたいね」

 ペパーミントはそう言うと、ハクと共にプラットホームを移動する。


「なぁ、カグヤ」と、私はずっと気になっていたことを訊ねる。「この施設には深淵の娘に関する設備があちこちにあるみたいだけど、深淵の娘は『不死の子供』たちの部隊と行動を共にしていたんじゃないのか? どうして地球に、それも市民のための避難施設に彼女たちのための設備があるんだ?」

『それは難しい質問だね』とカグヤは言う。『さっき表示された深淵の娘のための警告なら、山梨県に広がる『大樹の森』にある研究施設でも確認できた。だから彼女たちが人間の施設に出入りしていたことは安易に想像できるけど、さすがに何をしていたのかまでは分からないよ』

「戦闘以外の別の目的をもって、地球に残っていた深淵の娘もいたってことだよな」

『うん。この施設の上に広がっている汚染地帯にも深淵の娘は沢山いたし、怪獣みたいなハクの母親も地球の何処かにいる』

「……サナエなら、何か知っているのかもしれないな」

『そうだね。彼女の気持ちが落ちついたら、旧文明について知っていることを教えてもらおうよ』

「そうだな。彼女とゆっくり話せる時間をつくった方がいいのかもしれない」


 搭乗口が左右にスライドして車体に引き込むようにして開くと、ハクを先頭にして我々は車両に乗り込む。搭乗口の左手側には人間用の座席が複数用意されていて、右手側には深淵の娘であるハクが余裕で入ることのできる空間が用意されていた。

 厳密に言えば、深淵の娘は蜘蛛では無いのかもしれないが、大型の蜘蛛にしか見えない彼女たちがくつろげるように、車両内部は広い空間を確保できるように、余裕をもって設計されていた。ハクは車両に乗り込み所定の位置で落ち着くと、多目的表示パネルに映し出される施設の紹介映像をじっと眺めていた。施設に存在する各区画の説明をしていたのは、車両に描かれている二頭身の可愛らしいキャラクターで、それがハクの興味を引いたのかもしれない。


 ペパーミントがハクの身体に寄りかかるように座るのを確認すると、カグヤの遠隔操作によって車両は動きだした。するとルーフカバーが展開して、天井一面に設置されていたディスプレイに青空の立体映像が表示される。私はちらりと天井に目を向けて、それから車両側面のガラス窓から凄まじい速度で移動する車両の動きを確認する。

「どれくらいで目的の区画に到着するんだ?」

『あっという間だよ』カグヤはそう言ってから思い出したように言葉を続けた。『上層区画に出て、ぐるりと街を一周してから中層に向かうことになるけど、その際、老人と戦闘になった場所の近くを通ることになる』

「何かあるのか?」

『戦闘用機械人形の小型核融合ジェネレーターを暴走させて、老人を攻撃したことは忘れていないでしょ?』

「ああ。簡単に忘れられるようなことじゃないからな」

『爆心地付近に、その影響がまだ残っているかもしれないんだ。でも車両内は安全だから驚かないでね』

 カグヤがそう言ったあと、多目的表示パネルの映像が切り替わって、汚染区域を通過していること示す警告が表示される。窓の外に視線を向けると、街の一角に巨大なクレーターが確認できた。それは自爆攻撃を生き延びた老人の恐ろしさを再認識させる光景でもあった。

 ハクが床をトントンと叩いて不満を示すと、すぐに映像がもとに戻った。

『もう通過したみたいだね』とカグヤが言う。


 それからいくらもしないうちに車両は薄暗いトンネルに入った。次に外の様子が確認できるようになると、上層区画同様、広大な領域が広がる中層区画が見えるようになった。

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