第418話 作業


 ゆっくりと日が沈んでいくと、廃墟の街はドロリとした濃い影に浸かっていく。その粘度の高い闇の向こうで、幾つもの眼が妖しく瞬くのが見えた。死を知らない無数の化け物の顔が、終わりのない食欲を我々に向ける。意思が無く感情を持たない化け物は、その身に生を孕んだまま、今もなお時間のなかで凍りついている。

 薄暗い廃墟のなかで雪に半ば埋もれ、凍ったまま佇んでいた『人擬き』から視線を外すと、私は偵察ドローンの姿を探した。


「カグヤ、状況の説明を頼む」

『何が知りたいの?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、球体型のドローンが機体をぼんやりと発光させる。その鬼火を思わせる青白い光を見ながら私は言う。

「まずは敵の様子が知りたい」

『警備隊はミスズの部隊が撤退したのを確認すると、鳥籠を囲む防壁まで後退した。私たちからの襲撃を警戒しているみたいだね。兵士を増員して防壁の警備を行っている』

「核防護施設の入り口が設置されている建物の周囲に潜んでいた兵士たちは?」

『周辺の警備をしているアーキ・ガライの部隊からの報告では、敵の姿は確認できなかったみたい。鳥籠の警備のために、防壁の側にある監視所に呼び戻されたのかもしれない』

「運が向いてきたな」


『そうだね』とカグヤが言う。『ミスズが指揮するアルファ小隊も周辺の巡回警備をしているし、施設の安全は確保できていると思う』

「警備隊が設置していた動体センサーの類は?」

 私はそう言うと、廃墟に潜んでいる人擬きに注意しながら、輸送機との合流地点に向かって雪の積もる道路をザクザクと歩いた。

『周辺に設置されているセンサーは、輸送機が運んでくる『ワヒーラ』の強力なハッキング装置を使って、操作権限を私たちに移す予定だよ』

 カグヤがそう言ったときだった。廃墟の街に鋭い銃声が木霊した。私はすぐに建物の側に向かうと、外壁に衝突したまま放置されていた車両の陰に入る。

「カグヤ、今の銃声は?」

『施設に接近してきた警備隊の偵察ドローンを、アーキが狙撃したみたい』

「作戦への影響は?」

『警備隊の兵士たちは警戒すると思うけど、今は防壁の側を離れられないと思うから大きな問題にはならないかな。それより、輸送機が到着するまで余り時間が無いから、急いだ方がいいかも』


 雪が積もっていない経路を慎重に選びながら合流地点に向かう。しばらくして目的の場所につくと、空気を震わせる重低音が近づいてくるのが分かった。視線を上げると夜闇にまぎれるように、青い線で縁取られた輸送機の輪郭が見えた。輸送機の機体は特殊な形状をしていて、水平尾翼と垂直尾翼が二つに分かれた胴体の後端に取り付けられている双胴機になっていた。また機体の中央には、胴体に挟まれるようにして兵員輸送用のコンテナが設置されていて、そのコンテナからワイヤロープで吊るされているワヒーラの姿が確認できた。


 ワヒーラの上方に見えていたコンテナの下部には、リアルタイムに周囲の色相をスキャンし、忠実に再現する旧文明の技術である『環境追従型迷彩』の機能を備えた特殊なフィルムが貼られていて、街の上空を飛行していても、意識して探さなければ輸送機の姿は見つけられないようになっていた。もっとも、現在は警備隊が厳戒態勢を敷いているので、飛行の際には細心の注意が必要だった。姿を消すことはできても、重力場を発生させて飛行する輸送機のエンジン音は、完全に消すことはできないのだから。


 輸送機は地上まで一定の距離に近づくと、空中で完全に静止し『ワヒーラ』を地上に降ろした。索敵に特化した機体であるワヒーラは、媚茶色の迷彩塗装が施された装甲を持つ機体だった。大型バイクよりも一回り小さく、四本の脚で移動する自律型の機体で、脚の中央には円盤型のレーダー装置が取り付けられていた。その装置の周りには予備弾薬や整備部品の詰まったバックパックと、発煙弾発射機が設置されていた。

 輸送機から切り離されたワヒーラは、カグヤの遠隔操作によって白い円盤型のレーダーをゆっくりと回転させる。私はワヒーラの機体をチェックしながら、輸送機が着陸するのを待つことにした。輸送機の全長は二十メートルほどあったが、着陸の際にはコンピュータが操縦を補助してくれるので、瓦礫や放置車両が比較的少ない道路に着陸することはそれほど難しくないのかもしれない。


 その輸送機は、回転起立機構を備えた主翼を持っていて、垂直着陸を可能にしていた。コクピット部分には、内部の様子が分かる強化ガラスの窓はついていないが、代わりに安全性を高める着脱可能なモジュール装甲に覆われていて、搭乗員用のハッチも装甲との境目が分からないようになっていた。輸送機がゆっくりと着陸してしばらくすると、ハッチの周囲に警告表示が投影され、気密扉が開いて防寒着に身を包んだ女性が降りてくる。


「お疲れさま、ペパーミント」と、私は笑顔で彼女を迎える。

「拠点との間を何度も往復するのは流石に大変だったけど、気にしないで、私はコクピットシートに座っていただけだったし」と、人間離れした美しさを持つ『人造人間』は私に青い瞳を向ける。「それより、移動には苦労しそうね」

 ペパーミントの視線は道路に積もっている雪に向けられる。

「核防護施設の近くに、輸送機が着陸できるような場所があったら良かったんだけどな」私はそう言うと、兵員輸送用のコンテナから出てくる作業用ドロイドに視線を向ける。

「作業を手伝ってくれる機械人形は、全部で十二体」と彼女は言う。「必要な資材を積載したコンテナも、すでに施設の側に降ろしてあるから、あとはこの子たちを現場に連れて行くだけ」

「そうか……それなら移動しよう。無防備な状態で一箇所に留まるのはよくない」

「そうね、でも輸送機を擬装するから待って」


 ペパーミントがそう言うと、コンテナ内からバスケットボールほどの大きさの球体型ドローンが飛び出してくる。そのドローンの下部から、収納式の小型アームが伸びると、コンテナ内に用意されていた半透明の厚いシートの端を掴んだ。四機のドローンはシートの端を持ちながら四方に飛び、シートを広げるようにして輸送機の上に被せる。すると半透明だったシートは、周囲の景色に溶け込むようにして表面の模様を瞬く間に変化させる。ちなみに四機のドローンには、そのまま輸送機の警備を任せることになっている。警備隊の人間が周辺にいないことは確認済みだったが、用心するに越したことはない。


「コンテナのフィルムもそうだけど、何処であんな便利なものを調達したんだ?」

 私の問いかけにペパーミントは悪戯っぽい笑みを見せる。その際、フードについたファーが風に揺れて彼女の柔らかな頬を撫でた。

「ついこの間、レイが迷い込んだ『エボシ』の地下施設があったでしょ?」

「兵器の研究開発をしていた施設だな」

「うん。そこに残されていた研究データをサナエと一緒に整理していて、従来のものよりもずっと効率的で、信頼のできる性能をもったカモフラージュシートの開発資料を見つけることができたの」

「そうだったのか……」と私はシートの性能に感心する。

「手に入れられた技術や資料については、報告書にまとめてレイに送信したと思うけど、もしかして見てないの?」


「色々と忙しくて、まだ確認できていないんだ」と私は素直に言う。

 ペパーミントは顔をしかめると、機械人形に指示を出す。黄色と黒の縞模様の塗装がされた機械人形は、短いビープ音を鳴らすと、カグヤがあらかじめ確認していた雪の積もっていない経路に向かって移動を開始した。その作業用ドロイドは、頭部と一体化した太い胴体を持っていて、太く短い足で雪の上を慎重に歩いていた。

「それで、サナエとはどうだ?」

 私は雪に足を取られそうになっていたペパーミントの身体を支えると、気になっていたことを彼女に訊ねた。

「ありがとう、レイ」ペパーミントは私に感謝して、それから頭を傾げた。「どうって、何が?」


「彼女は俺たちの拠点に馴染めていると思うか?」

「さあ、それは私には分からないわ」とペパーミントは素っ気無く言う。「でも、少なくとも子供たちと一緒にいるときには笑顔を見せてくれている」

「そうか」

「うん。自分の存在に対する不安はあると思う。異界に生息する訳の分からない生物だった頃の記憶は無くても、自分が人間じゃないことはハッキリと分かっているからね。でもそれに関しては心配しなくても大丈夫だと思う」

「どうしてそう思うんだ?」

「私たちの拠点にいるのは人間だけじゃないから。混沌の勢力に属していた『ヤトの一族』や、ハクのように明らかに人型じゃない生物もいる。それに……今は人造人間も沢山いる。だから自分だけが人間じゃない、なんて思い悩むことはないと思う」

「……そうだな」と、私はペパーミントから視線を外しながら頷いた。


 高層建築物に寄りかかるようにして傾いていた建物の下を通って、我々は薄暗い廃墟に入っていく。人擬きが周辺にいないことは既に確認していたが、それでも警戒して建物内を移動する。廃墟の街で脅威になるのは何も人擬きだけじゃない。冬の間も活動を続ける昆虫に似た大型の変異体や、先程の戦闘を生き延びた兵士が潜んでいる可能性もある。


 廃墟を抜けると目的の施設につながる大通りを進む。するとそれまで黙っていたペパーミントが口を開いた。

「レイは彼女のことが心配?」

 私は作業用ドロイドたちの動きを目で追いながら、何を言うべきか考えて、それからペパーミントに言った。

「……サナエは子供を失ったんだ。彼女の抱える悲しみは俺たちには推し量れない。それに、全ての傷が血を流す訳じゃない。彼女が泣いていないからって、苦しんでいない理由にはならない」

「そうだね……子供を失う苦しみは私には分からない……」


 雪の積もる通りを黙々と歩いて、それから狭い路地に入っていくと、目の前に雪に埋もれる崩れかけた壁が見えてくる。その雑に積み重ねられたコンクリートブロック塀の向こうに、工場の母屋を思わせる長細い建物が見える。そこが旧文明の地下施設へと繋がる建物だった。

 ペパーミントは拠点から運んできていた物資の入ったコンテナを確認して、それから機械人形たちに作業の指示を出した。機械人形の半数は、黒い塗料で『指定避難所・横浜第五十二核防護施設』と、日本語で書かれていた大扉を通って建物内に入っていく。そして地下施設に向かうためのエレベーターに載せられていたガラクタを建物の外に運び出す作業を始めた。残りの半数の機械人形は、旧文明の鋼材を含んだ建材を使って崩れかけていた壁の補修作業を始めた。


 機械人形が働いているのを横目に見ながら、私はアルファ小隊を指揮していたミスズと、狙撃部隊を率いているアーキ・ガライと合流して警備の相談をする。今回の探索の目的は、五十二区の鳥籠に隣接する旧文明の核防護施設に侵入し、機械人形の製造工場と資材置き場を確保することだった。しかし前回の探索時に、すでに上層区画の警備システムを掌握していたので、それほど危険を伴う探索にならないと予想できた。


「本当に二人だけで地下に向かうのですか?」と、ミスズは不安げに言う。

「二人だけじゃないよ、ハクも一緒に来てくれる」私は『相棒』であるミスズを安心させるように、笑みを作りながらそう言った。「だから俺とペパーミントは大丈夫だ。それよりも地上のことが心配だ」

「地上は任せてくれ」と、ヤトの戦士であるナミが言う。「アーキ・ガライの部隊も支援してくれるし、私たちは問題ない」

「そうです」と、アーキ・ガライは綺麗に編み込まれた鈍色の髪を揺らす。「私たちの目を盗んで施設に近づけるものはいません。だから安心してください」

 彼女たちは黒を基調とした揃いのスキンスーツに身を包み、暖かそうな防寒着を重ね着していた。


 ミスズたちに施設周辺の警備を任せると、私とペパーミントはどこかに遊びに行っていたハクを待って、それから建物に入っていった。施設に『空間転移』の出入り口になる『門』を設置する予定だったので、作業用ドロイドの半数はペパーミントの作業を手伝うために、資材の入ったコンテナボックスを持って我々と共に地下に向かうことになった。

 少ない人数で地下に向かうのには他にも理由があった。それは施設の最下層に異界の領域に繋がる空間の歪みが発生していて、変異体が徘徊する危険な場所になっているからだった。余りにも多くの人間で施設に詰めかけて、恐ろしい変異体を刺激することを避けたかったのだ。もっとも、人数を減らしたからといって、彼らの気分を損ねないとは絶対に言い切れなかった。


 積み上げられていたガラクタが退かされ、スッキリしたエレベーターに乗り込むと、私は不安そうにしているペパーミントに訊ねた。

「準備はいいか?」

「もちろん」と彼女は気丈に振る舞う。

「ハクはどうだ?」

 私がそう言うと、先程まで雪遊びしていた白蜘蛛は腹部をカサカサと振って体毛についていた雪を落として、それから可愛らしい声で言った。

『ハクはね、たのしみだよ』

 ハクの言葉を聞いてペパーミントはそっと溜息をついた。

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