第416話 灯り


 廃墟が横たわる街の上空で『姿なきものたち』の襲撃を受けてから、一週間ほどの時が流れていた。その間、我々の拠点には多くの変化がもたらされることになった。最も劇的な変化を与えてくれたのは子供たちの存在だった。子供たちは母親の帰還に涙を流して喜び、そしてその感情の起伏が伝染するように、人形のように感情を示さなかった子供たちの心にも僅かな変化をもたらしてくれた。子供たちは少しずつだけれど、自分たちの感情に従い、それを行動として示してくれるようになった。


 その子供たちが不慣れな拠点での生活に馴染むまでに、多くの時間を必要とすると考えていたが、意外なほどに子供たちはすんなりと拠点での生活を受け入れてくれた。母親であるサナエが一緒にいてくれたからなのかもしれないが、順応性が高い子供ならではのことでもあるのだろう。森の民であり、今では我々と一緒に生活していたシオンとシュナも、子供たちに良い影響を与えたのかもしれない。子供たちはすぐに打ち解けて、今では騒がしく喧嘩する仲になっていた。


 サナエに関して言えば、彼女は特に問題なく拠点に迎え入れられることができた。ヤトの戦士やイーサンたちは、基本的に私が認めた人間なら受け入れてくれたし、族長である『レオウ・ベェリ』も、異界の生命体であるサナエに対して忌避感を抱くことは無かった。それは彼らが元々、混沌の勢力に属する異界の生物だったことも関係していると思っていたが、どうやらことはもっと複雑だったようだ。

 レオウが言うには、かつて瀬口早苗を取り込んだ未知の生命体は、混沌の神々よりもずっと古い存在である可能性があったからだ。曖昧な表現になってしまうが、混沌の追跡者であった彼らにも、サナエがどういう存在なのか全く理解できないようだった。秩序にも混沌にも属さない生物、それが今のサナエを形成している生命体だった。


 しかしだからと言ってサナエが『特別な存在』である。と言うようなことは無かった。彼女は身体の一部を泥のように変化させて他の生物を取り込み、擬態するようなことはできなかったし、普通の人間と同等の身体能力しか持ち合わせていなかった。お腹も減れば、水分補給も必要な普通の生物だ。サナエは不死者である瀬口早苗の生体情報を取得しているのだから、普通の人間よりも長く美しい姿で生きられるのかもしれないが、彼女のもつ特異性はそれだけだった。


 それに既に聞いていたことだったが、残念なことにサナエは瀬口早苗の記憶の全て引き継ぐことはできなかった。それでも旧文明の知識や情報を断片的に持っていたサナエからは、旧文明期の多くの情報が得られた。たとえば、我々が旧文明期の鋼材と呼ぶ未知の物質の誕生の秘密や、それが持つ特性、それに『エボシ』の研究施設で開発されていた数々の兵器や、驚異的な医療品であるバイオジェルについての情報も得ることができた。

 そのサナエはこれから拠点で子供たちと生活しながら、ペパーミントの仕事を手伝うことになる。瀬口早苗の知識の全てを受け継いでいる訳ではないが、それでも彼女の持つ情報はペパーミントの研究の助けになるはずだ。地下施設から入手した情報は膨大だったので、彼女が助手になってくれることをペパーミントは素直に喜んでくれた。


 喜べる変化は他にもあった。冬の間、廃墟に遊びに行けずに拠点に籠りっきりだった白蜘蛛は、持て余した時間を子供たちと一緒に過ごすことに使った。すると自然に多くの言葉を口にするようになり、そのおかげなのか、ハクの言語能力は格段に向上し、今では他の子供たちのように引っかかりなく普通に話をすることができるようになった。それはお喋り好きのハクにとってはとても良いことだと思えた。つたない言葉を口にするハクも可愛かったが、ハクと普通に話せるようになったのは純粋に嬉しいことだった。


 それから『姿なきものたち』の襲撃について。廃墟の街の上空で襲われ、不可思議な攻撃を受けた輸送機は、何とか撃墜されることを免れたが、兵員輸送のために使用していたコンテナのフレームは歪み、装甲に大きな損傷ができるほどに破壊されていたので、時間をかけて修理する必要があった。しかし不幸中の幸いだったのは、兵員輸送のコンテナが『拡張空間』の技術を使用しない、ただの金属製の箱だったことだ。もしも旧文明の技術によって空間の拡張が行えるコンテナだった場合、我々のもつ技術では修理ができなかっただけでなく、そもそも外壁を破壊された際に、拡張空間に蓄積されていた膨大なエネルギーが外に勢いよく溢れ、大惨事を引き起こしかねなかったからだ。


 そしてあの最悪の状況でヤトの戦士を含め、多くの仲間に負傷者が出てしまった。もっとも、その多くはコンテナが破壊され、輸送機が制御を失った際に怪我をしていて、化け物の攻撃によって直接的に負傷した者はいなかった。しかしそれでもコンテナが破損した際の金属片や、コンテナ内に置かれていた器具によって怪我した者たちの傷は深く、負傷者の多くは拠点地下にある治療施設で数日過ごすことになった。


 ちなみに輸送機が攻撃を受けた際の混乱のなかで、コンテナの外に投げ出されそうになっていたエレノアを救ったことで、私はイーサンと、彼の部隊に所属していた元傭兵たちに沢山の感謝をされることになった。その日以来、拠点の食堂で私の姿を見かけると、彼らは私に飲み物をおごってくれるようになった。もちろん拠点の飲食物は全て自分たちで調達しているので、ある意味では無料だったのだが、彼らの感謝を受け取ることが大切だと思って、毎回飲み物をおごってもらっていた。


『姿なきものたち』について、もうひとつ。あの襲撃でハクの鉤爪によって切断された化け物の翼は、身体から離れた瞬間から高熱を持ち、まるで蒸発するように蒸気を噴き出し雲散していった。その理由は分からない。化け物に組みつかれた際には、熱を感じなかったので、化け物の身体から離れた瞬間に体組織の維持ができなくなったのか、あるいは組織内に抱える膨大なエネルギーを循環させることができなくなって、行き場を失くしたエネルギーが恐ろしい熱を発生させたのかもしれない。いずれにせよ、気まぐれに我々を襲撃した『姿なきものたち』の一体は、廃墟の街に逃走し、そしてドローンによる捜索の甲斐も無く、今現在も見つけることはできないでいた。


 その『姿なきものたち』との信じられないほど短い戦闘で、私は重症を負うことになった。まるで『ハガネ』のように、思い通りに姿を変えることのできる化け物が形成した鋭い刃によって、腹を刺し貫かれて内臓の幾つかを損傷した。しかしその傷はあまり問題になるようなものではなかった。それなりの時間は必要となるが、オートドクターによって傷の治療が可能だったからだ。問題は化け物に噛み千切られて失った腕だ。


 オートドクターを以ってしても失われた腕を再生することはできなかった。バイオジェルがあれば腕の再生ができたのかもしれないが、我々はそのバイオジェルを所有していなかった。だからジャンクタウンにある旧文明の施設で、サイバネティックアームを購入して、腕の機能を回復させようと考えていたが、ペパーミントとサナエの提案によってその必要がなくなった。


 ハガネの液体金属を操作して、本物の腕そっくりに機能する生体器官を生成することに成功したのだ。最早、私の身体の一部になっていたハガネは、体内にあるナノマシンと同期していて、血液によって運ばれる栄養素を吸収し、不死の子供たちの血液に流れる未知のエネルギーを得ながら増殖していた。その所為なのか、化け物に喰い千切られた腕に装甲として残っていた液体金属を失くしても、ハガネの機能が著しく低下するような変化が起きることは無かった。


 それからもうひとつ。ハガネを展開するために左手首につけていた専用の腕輪は、左腕の前腕と共に化け物に喰われてしまった。が、先程も言ったように、肉体との同化が始まっているハガネにとっては、既に必要のないものになっていたので、失った液体金属の一部と同様に痛手になることは無かった。それに、ハガネの液体金属は私にとっては有用なものだが、私以外の生物にとっては毒物でしかない。そして生体情報の登録が行われているハガネは、私以外の生物に悪用される危険性が無かった。もっとも、私の腕を噛み千切ったのは異界の未知の生物だったので、絶対に悪用されないという確証は無かった。


 腕を失ったショックと痛みは相当なものだったので、こうも簡単に腕を取り戻せたことを素直に喜んでもいいものか分からず、少々複雑な気持ちになった。しかし失ったのが右腕じゃなかったことは素直に喜んでいいことだった。右腕には『ヤト』との繋がりを示す刺青と、空間転移を可能にする腕輪をはめていたので、それを失くしていたら大きな損失になっていたことは間違いなかった。ヤトの刺青に関しては、奇跡のように超自然的な現象なので、失くしても何となく刺青が何処かに復活するだろうという気はしていたが、空間転移の腕輪は違った。あの腕輪が『門』を起動する鍵になっているのは明白だった。だから絶対に失くす訳にはいかなかった。


 猿にも似た異界の化け物の襲撃で始まった今回の一連の騒動は、廃墟の街に爆撃を行うことで終結することになったが、幸いなことに廃墟の街に大きな被害が出ることはなかった。これは計画を立案し実行したペパーミントのおかげでもあったのだが、廃墟の街に建ち並ぶ構造物の強度も大きく関係していたと思う。爆撃の周囲にあった構造物はそれなりの被害を受けたが、倒壊するようなことは起きなかった。


 そしてイーサンとミスズの率いる合同部隊が、廃墟の街で数日かけて行った調査の結果、拠点付近の地下区画を占拠していた大猿と、バグの大量の死骸が海岸で発見された。それら多くの死骸は地下にある広大な放水路を通って、大量の水と共に海に流れついたものだと考えられた。その所為で海岸線には死骸を目当てにした危険な水棲生物が多く出没するようになった。しかし死骸が食い尽くされると、やがて冬の海も落ち着きを取り戻していった。

 俯瞰的に見れば、子供たちを巡る騒動は失ったものに比べ、多くの有益な情報を得ることのできる機会になった。左腕と引き換えに、子供たちの命を救い、拠点の安全性を確保し、人擬きが徘徊する貴重な地下施設を入手できたと考えれば、悪くない取引だと思えた。


 最後に大切なことがもうひとつ。今回の騒動で個人的に得ることのできた最も貴重な情報について。自分自身の過去と、そしてカグヤの秘密に関する情報を得られたことは、失われた記憶について知るための大きな手掛かりになった。異界の不思議な洞窟に入ってからの情報は、意識して残そうと思った映像を含め、ほとんど何も残すことができなかった。しかし記憶までは奪われなかった。私はあの世界で体験したことの全てをカグヤに話して聞かせた。

 案の定、カグヤは自分自身のことについては何も憶えていなかったし、月に存在する軍事基地での暮らしについて何も憶えていなかった。それはある意味では幸福なのかもしれない。しかし想像を絶する孤独と苦しみのなかで生き続けていた彼女のことを思うと、それを素直に喜ぶべきなのか分からなかった。


 話すのが少々照れくさいこともあったが、カグヤは自分自身についての話を真面目に聞いてくれた。記憶を失い別人になった私同様、カグヤもまた記憶を完全に失っていた。記憶を失う以前の彼女の思い人が誰なのかは見当がついていた。それを否定するほど私は鈍感では無かったし、廃墟の街で目覚めたときから所持していた個人端末に残っていた私宛のメールも、その差出人が誰なのか今ではハッキリと理解できるようになっていた。彼女がどのような苦難のあとに『彼』を見つけ出したのかは分からないが、記憶を失う代わりに彼女はついにやり遂げた。不幸だったのは、二人とも記憶を失っていて別人になってしまっていたことだった。


 フクロウ男の言うように、私は最悪のバッドエンドを経験しているのかもしれない。けれど希望は残されていた。どこまであの世界での出来事を信じていいのかは分からないが、月の基地にいた彼女は『眠る』と言っていた。それならば、不死の子供である彼女の肉体が今も月に残されていても不思議じゃないと考えられた。もちろん肉体がどのような装置で保存されているのかは見当もつかないし、すでに干からびてミイラになっているのかもしれない。けれどそれは私とカグヤにとって大きな前進だった。カグヤは肉体を得られるかもしれないし、その基地に残る情報で我々は失われた記憶の手掛かりを得ることができる。


 ともあれ我々はまず月に行く手段を確保しなければいけない。宇宙船の当てがあるので、それも不可能なことじゃないように思えた。未だに地上で四苦八苦している状況が続いていたが、未知の領域に挑むことへの恐怖は無い。その恐怖に打ち勝ちながら、ここまで来られたのだから。


 宿命の相手、という言葉にカグヤは何だか照れくさそうに笑う。でもその言葉に嫌な気持ちは抱かない。私とカグヤの間に大きな繋がりがあることは分かっていたし、彼女が既に私の一部になっていることは否定できない事実だったからだ。

 望んだとおりの展開ではなかったが、絶望を抱え、何の目的も無く廃墟の街を彷徨っていた日々に終わりはやってきた。

 希望の灯はまだ遠くに微かに瞬いて見えている程度だったが、今ではその灯りを見失うことが無いような気がしていた。そしてそれがたとえどんなに小さな灯でも、よしんば目をつぶったあとでも、私にはその灯の輝きが見つけられるだろう。

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