第415話 痛み
勢いを増していく吹雪の向こうで、濁流に呑み込まれていく廃墟の街が見えた。
私は輸送機の後部ハッチから身を乗り出し、眼下の街を見下ろしながら訊ねる。
「ペパーミント、状況は?」
『用意していた幾つかの堰はまともに機能していないみたいだけど、それは想定していたことだから問題ない。予定通り、川の水は地下区画に向かって流れ込んでいる』
「地下区画と放水路がいっぱいになったら、街はどうなるんだ?」
『数十分後にもう一機の爆撃機が横浜の上空を通過する。その際に、川の周囲にある建物を爆撃して、川の流れをもとに戻す』
「その作戦は成功するのか?」
『成功するように計画を立てたの』と、ペパーミントは呆れながら言う。『それより、嫌な予感がする』
「作戦は順調に推移しているんじゃないのか?」
『作戦は順調よ。私が気になっているのは、レイが話していた『姿なきものたち』の存在なの。さっきのバグとの戦闘に引き寄せられて、この辺りに姿を見せるかもしれない』
「まさか」と私は頭を振る。「彼女が話していたのは、大規模な戦闘についてだった。バグとの戦闘で化け物とやり合うなんて聞いていない」
『その神さまだか何だか分からない正体不明の生物は、預言者のように全てを知っている訳じゃない。もしも『姿なきものたち』がこの辺りを徘徊しているとしたら、バグとの戦闘や爆撃に関心を持っても不思議じゃない』
「そうだな……カグヤ、索敵の強化を――」
そこまで口にしたときだった。凄まじい振動が輸送機を襲い、騒がしい警告音と共に兵員輸送用コンテナの照明が落ちた。重力場を生成して飛行している輸送機は、基本的に強い衝撃を受けない限り通常飛行で揺れを感じることはなかった。
『地上からの攻撃だ!』とカグヤの声が聞こえた。『下に何かいる!』
攻撃によって機体の周囲に展開していたシールドが機能しなくなったのだろう。凍えるような突風と雪がコンテナ内に入り込むようになった。フルフェイスマスクで頭部を覆うと、すぐに地上に視線を向けるが、吹雪の所為で視界が悪く何も見えなかった。するとコンテナ内の計器が騒がしく鳴って、機体が激しく揺れた。
『動体センサーが生物の反応を捉えた!』と、ペパーミントの声がコンテナ内に響いた。『追跡されてる!』
「雲だ!」とイーサンが声をあげる。「追跡しているものが何であれ、雲の中に逃げ込めば混乱させることができるかもしれない」
『了解!』
ペパーミントはそう答えると、身が縮むような角度で機体を急上昇させた。
「追跡をかわせると思うか?」
私がそう訊ねると、イーサンは頭を横に振った。
「難しいだろうな……そもそも俺たちは何に追われているんだ?」
後部ハッチからは雲に煙る真っ白な空間が見えるだけだった。
数キロメートル先で雲の上空に出ると、太陽の眩しさに私は思わず目を細めた。そしてまた計器が鳴った。
『まだ追尾されてる』と、ペパーミントの焦る声が聞こえた。
後部ハッチから身を乗り出すと、下方に広がる雲に影を伸ばす存在が見えた。
『姿なきものたちだ!』とカグヤが言う。
嫌な予感は当たるものだ。私はうんざりしながら灰色の生物に視線を向ける。マネキン人形のように何の特徴も無い人型生物は、背中から生やした巨大な翼を使って輸送機を追ってきていた。フルフェイスマスクの機能を使って視線の先を拡大し、灰色の生物に向かってすかさず射撃を行う。が、凄まじい速度で飛行している輸送機からでは照準が安定せず、銃弾を命中させることはできなかった。
「レイ」と、イーサンがライフルを構えながら言う。「自動追尾弾を使うぞ」
天井から垂れていた安全帯のフックを伸ばして腰のハーネスにかけると、後部ハッチの縁に立ってライフルをしっかりと構え、弾薬を自動追尾弾に切り替える。
<自動追尾弾を選択しました。攻撃目標を指定してください>
女性が発する事務的な声を内耳に聞きながら、標的である灰色の化け物に視線を向ける。すると化け物の輪郭が標的用の赤い線で縁取られる。
<攻撃目標を確認。自動追尾弾の発射が可能になりました>
女性の声を聞きながら射撃設定をフルオートにすると、委細かまわず引き金を引いた。乾いた射撃音が連続して鳴り、化け物に向かって無数の弾丸が発射される。
『トロォヴァーリ』によって奇跡が付与された弾丸は、青白い光を帯びながら化け物に向かって飛んでいく。しかし化け物は巨大な翼を使って全身を覆い隠すと、翼の皮膜で全ての銃弾を防いでみせた。
「構うな、レイ」とイーサンが言う。「このまま撃ち続けるぞ!」
銃弾に効果は認められなかった。しかし攻撃を受け続けた『姿なきものたち』の動きを止めることはできた。ペパーミントはその隙をついて機体を急降下させて厚い雲の中に再突入した。
『地上に接近する!』ペパーミントはそう言うと、機体を傾けた。『輸送機の速度ではすぐにあれに追いつかれる。シールドが再展開されるまでの間、地上擦れ擦れを飛行して、あれが使う正体不明の攻撃が私たちじゃなくて、建物に命中するように仕向ける』
輸送機は高層建築群に向かって凄まじい速度で降下し、建築物を繋ぐように張り巡らされている高架橋の間を通って飛行する。
「もう追いついてきやがった」と、イーサンが呟いたときだった。我々に接近してきていた生物の頭部に向かって光が集まっていくのが見えた。そして不吉な瞬きと共に甲高い音が響いて、ほぼ同時に輸送機の近くにあった建物の外壁に並ぶように立っていた巨大な彫像が爆ぜた。旧文明の鋼材を用いてつくられた数十メートルの彫像は、無数の瓦礫になって廃墟の街に降り注いでいった。
ペパーミントは輸送機を右に傾けて、四百メートルを優に超える高層建築物が立ち並ぶ区画に入っていく。深い峡谷を思わせる建物の間に入ると、周囲が不気味なほどに薄暗くなる。その暗闇で青白い瞬きが見えると、輸送機の周囲にある建物の外壁が次々と爆ぜていった。私とイーサンは『姿なきものたち』に対して射撃を続けたが、今度こそ銃弾を命中させることはできなくなってしまう。
輸送機はペパーミントの操縦で、右に左に急旋回を続けながら化け物の攻撃を避けていたが、敵の攻撃は徐々に正確さを増しているように思えた。
乱立する建築物の間を抜けて、輸送機が開けた場所に出たときだった。凄まじい衝撃に襲われ立っていられないほどの揺れが生じた。
『シールドダウン!』とペパーミントが声をあげる。
化け物が放つ攻撃を受け、再展開されていたシールドがすぐに使用できなくされてしまう。そして最悪は続いた。輸送機のすぐ側で耳をつんざく破裂音が聞こえると、衝撃波によって機体はコントロールを失ってしまう。そして再度、轟音が聞こえるとコンテナの側面が爆散した。
金属がねじれ、裂けていく嫌な音と共に誰かの悲鳴が聞こえる。その間もコントロールを失った輸送機は回転し、それによって生じた遠心力で我々はコンテナの天井や壁に何度も身体を叩きつけられた。
「ハク!」
吹き込んでくる突風に声が掻き消されないように叫ぶと、負傷したヤトの戦士を抱えていた白蜘蛛はコンテナに開いていた穴に向かって糸の塊を吐き出した。糸の塊は網状に広がって損傷個所をすぐに塞いだが、コンテナ内の状況は変わらなかった。
ペパーミントは必死に機体を制御しようとしていたが、それが簡単に実現するようには思えなかった。何かが飛んできてフルフェイスマスクに直撃すると、後部ハッチから飛び出していきそうになっていたエレノアの姿が見えた。私はすぐに手を伸ばして、すんでのところでエレノアの手を取ると、遠心力によって生じる重力に抗いながら彼女をコンテナ内に引きこみ、自身のハーネスから安全フックを外して彼女のベルトにかけた。
喜びも束の間、爆ぜたコンテナの金属片によって負傷していた誰かの血液がマスクにかかると、急に後部ハッチが塞がれコンテナ内が薄暗くなる。そちらに視線を向けると、後部ハッチから灰色の化け物が侵入しようとしてきているのが見えた。
マネキン人形にも見える表情の無い生物は、胸部からゴキブリの脚のようにも見えるグロテスクな器官を無数に生やし、ギザギザの突起がついた脚先をワサワサと伸ばして、ハッチの近くにいたエレノアを捕まえようとする。
私は遠心力によって凄まじい力で壁に押さえつけられていたが、躊躇することなく壁を蹴り、化け物に向かって突進した。灰色の化け物は私の動きにすぐに反応して、腕の先に鎌のような鋭い刃を形成し攻撃してくるが、私は液体金属の盾で攻撃を受け流しながら化け物に体当たりを行った。
そして次の瞬間、私は化け物と共に勢いよく空中に投げ出された。目が眩むほどの勢いで身体が振り回され、回転する視界の隅に一瞬、黒煙をあげながら回転して高度を落としていく輸送機と、こちらに向かって跳んでくる白蜘蛛の姿が見えた。
『レイ!』
カグヤの声で意識を化け物に向けると、翼を広げた化け物が向かってくるのが見えた。反応が遅れた所為で化け物の攻撃を避けることができなかった。もっとも、反応できたとしても、この状況で攻撃を避けられるとは思えなかった。腹に突き刺さった化け物の刃から感じるゾッとするほど冷たい痛みと共に、化け物に組みつかれたまま高層建築物の屋上に落下する。転落死は免れた。ある意味では運が良かったのかもしれない。しかし状況は最悪だった。
化け物に伸し掛かられ、身体を押さえつけられた状況で雪の降り積もった屋上に叩きつけられる。ハガネの装甲は強化されていたが、それでも凄まじい衝撃を受けることになった。けれど意識はハッキリとしていた。化け物の胸部から飛び出した無数の脚によって戦闘服を切り裂かれながらも、私は致命傷を受けないようにハガネの装甲を上手く使って攻撃を防いだ。すると化け物の胸部が縦に割れるようにぱっくりと開いて、青黒い粘液に覆われた気色悪い肉と無数の牙が見えた。
私はハガネに蓄積されていたエネルギーを化け物に向かって放出した。衝撃波と共に破裂音が周囲に建ち並ぶ建物の外壁に響き、化け物は勢いよく空中に吹き飛ばされる。そしてこちらに向かって落下してきていたハクの鉤爪が、化け物に向かって一直線に振り下ろされるのが見えた。が、間一髪のところで化け物はハクの攻撃を避ける。しかし翼竜の翼にも似た巨大な翼が綺麗に切断される。その翼は雪煙を立てながら化け物と一緒にドサリと屋上に落下すると、周囲の雪を溶かしながら蒸気を噴き出し始めた。
さすがの化け物もダメージを受けたのか、落下の衝撃から立ち直るのに時間をかけていた。私は追撃しようと立ち上がるが、すぐに身体のバランスを失ってその場に倒れ込む。
『レイ!』とカグヤの声が頭に響く。『腕が――』
カグヤの焦った声を聞きながら腕に視線を落とすと、左腕の肘から先が無くなっていて、流れ出した大量の血液が真っ白な雪を赤黒く染めていることに気がついた。腕にできたグロテスクな切断面を見て、腕を失くしたことに気がついたとき、とてつもない痛みと共に声にならない呻き声が漏れた。
『落ち着いて、レイ!』と、カグヤの声が遠くから聞こえるが、まるで全身が痛みを感じるためだけに存在する器官に変わったかのように、激しい痛みにだけ反応する。それは心臓が脈打つたびに、筆舌に尽くしがたい痛みを感じさせた。ハガネの液体金属がすぐに腕の切断面を覆って、体内のナノマシンが治療を開始すると同時に痛みを遮断するが、私は壮絶な痛みに腕を抱え、その場にうずくまってしまう。
何とか視線を化け物に向けると、甲高い音が聞こえて、化け物に迫っていたハクが衝撃波を受けて屋上から吹き飛ばされてしまう光景が見えた。すぐにハクの無事を確かめに行きたかったが、痛みの所為で他のことが考えられなくなっていた。
『レイ!』とカグヤの声がする。『落ち着いて、レイが感じている痛みは錯覚でしかない。それは本当の痛みじゃないの。だから立ち上がってすぐにそこから逃げて』
錯覚だろうが痛みを感じているのなら、それは本物の痛みと何が違うのだろうか? 激しい痛みが苛立ちに変わる。化け物に組みつかれたときに腕を噛み千切られたのかもしれない。そう考えると、化け物に対して何とも形容しがたい憎しみを感じた。その憎しみを原動力に無理やり立ち上がると、太腿のホルスターからハンドガンを抜いて、化け物に向かって重力子弾を撃ち込んだ。
閃光が射出されると同時に周囲の雪が溶けて爆風が吹き荒れた。しかし照準が合わず、光弾は化け物のすぐ側を通り過ぎて向かいの高層建築物を破壊しながら貫通していった。けれどそれでも光弾が掠めた化け物の半身は酷く焼け爛れていた。
私はすぐに化け物に狙いを合わせて、もう一度引き金を引いた。秘匿兵器が生み出す強烈なエネルギーは、あと少しのところで化け物に直撃しそうになるが、背中から新たな翼を生やした灰色の化け物は空中に飛び上がり、そのまま凄まじい速度で周囲に建ち並ぶ高層建築群の間に消えていった。
私はしばらく化け物の消えた方角にハンドガンを向けていたが、やがて息を整え、ハンドガンをホルスターに収めた。それから腕を気にしながら慎重に膝をついた。痛みで身体が震え、冷や汗をかいていた。
『カグヤ……』と、私は声を出さずに言った。と言うより、痛みで声が出せなかった。『ハクは大丈夫か?』
『うん。動きを見た限り、怪我はしていないみたい』
顔を上げると、こちらに向かってくる白蜘蛛の姿が見えた。
『……ペパーミントたちは?』
『輸送機は何とか持ち直した。だから墜落はしなかった。けど、それなりの負傷者が出た』
『負傷者……死者は出ていないんだな?』
『うん。イーサンとエレノアがオートドクターを使って、負傷者たちの簡単な応急処置をしてくれた。だから大丈夫だと思う』
「そうか……」私は声に出してそう言うと、安心して息をついた。
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