第413話 戦闘準備


 四肢動物にも見える輸送ヴィードルが、頭部についた球体型センサーを回転させ、急かすようにビープ音を鳴らすと、私はミスズから視線を外してヴィードルに目を向けた。輸送ヴィードルは朽葉色のラテックスに包まれた生体脚を足踏みするように動かしていた。

「必要なものは、ヴィードルと予備弾薬だけですか?」

 ミスズがそう言うと、私は彼女に視線を戻した。

「ああ、それで大丈夫だよ。それより、ヴィードルをすぐに使用できる状態にしておいてくれたのは本当に助かったよ。サナエはまともに歩けるような状態じゃないからな」

「サナエさんは大丈夫でしょうか?」

「意識はハッキリしているし、怪我もしていない。でも筋肉量は相当に減っているから、すぐには歩けないと思う」


「リハビリが必要になるかもしれませんね」とミスズは眉を八の字にする。

「ずっと捕らわれていたんだから無理もない……いや、むしろあの状態で済んだことが不思議なんだけどな」

「異界で捕らえられていた期間を考えると、確かに異常ですね」

「でも、そのおかげで彼女は生きていられた。今はそれに感謝しないといけない」

「そうですね。チハルたちにサナエさんのことを聞かせたら、きっと喜んでくれますよ」

「そう言えば、子供たちは?」

「今はジュリと山田さんがお世話をしてくれています」


『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえると、装備を急いで用意してくれたミスズに感謝して、それから空間転移のために開いた状態にしていた『門』の側に向かう。

「それじゃ、俺はもう行くよ」

「どうか気をつけてください」とミスズは言う。「私たちも出撃の準備をして待機していますので、何か問題があればすぐに連絡してください」

「了解。そのときは頼りにさせてもらうよ」

 私はそう言うと、輸送ヴィードルと共に空間転移を行い、拠点から地下施設に一瞬で戻った。それから門を閉じると、長椅子に横になっていたサナエの側に行き、拠点から持参した毛布を使って彼女の身体を包んでいく。

 そして彼女を抱いて近くに来ていた輸送ヴィードルの胴体でもあるコンテナボックス内に、彼女をゆっくり寝かせた。


「狭いと思うけど、少しの辛抱だ」私はサナエにそう言うと、飲料と携行食が入ったリュックもコンテナ内に入れる。「これからは喉も乾くし、お腹も空くと思う。だから必要だと思ったら、遠慮せずに食べてくれ」

「ありがとうございます」

 サナエはそう言うと、庇護欲をかきたてる瞳で私を見つめる。

「どうしたんだ?」

「私は自分自身が何者なのか分かりません。それどころか、人間なのかも分かりません。それなのに、どうしてレイラは私を助けてくれるんですか?」


 サナエはそこまで言うと、黙り込んで怯えるように顔を伏せてしまう。私は彼女の問いについてしばらく考えて、それから言った。

「サナエが人間だろうと、異界に生息する未知の生命体だろうと、俺の意思は変わらないよ。俺はきっとサナエに救いの手を差しだす」

「どうしてですか?」

「知り合って間もないけど、俺はチハルやシズクのことが好きになった、もちろん他の子供たちのことを深く知れば、同じように好きになると思う。でもそれは彼らが無垢な子供だったからとか、そういうことじゃなくて、子供たちに助けられて、彼らの考え方を知って好きになったんだ。そして子供たちの人格形成に大きな影響を与えたのは、他の誰でもない彼らの母親であるサナエなんだ。そんな愛情深くて優しい人間を見捨てられる訳ない。それがたとえ未知の生物だとしても、俺の気持ちは何も変わらない」

「そうですか……」サナエはそう言うと、伏せていた顔を上げて向日葵色の瞳を私に向けた。「子供たちを好きになってくれて、ありがとうございます。私も子供たちのことが大好きです。子供たちと一緒に生きてこられた時間が私の宝物です!」

「そうだな」と、彼女の言葉に思わず笑みが浮かぶ。


「レイ、そろそろ準備はいいか?」とイーサンが言う。

「少し待ってくれ」私はそう答えると、サナエに声をかけてから安全性を確保するために輸送ヴィードルのハッチを閉じた。それからヴィードルの側を離れて、ハクとイーサンが待機していた隔壁の近くに向かう。巨大な隔壁にちらりと視線を向けると、そこに絡みついていた泥の根が砂に変化していて、隔壁の操作を行う上で障害になるようなものが無くなっていることを確認した。


「ハクも準備できているか?」

 私はライフルのシステムチェックを行いながら訊ねる。

『もんだい、ない!』ハクはそう答えると、べしべしと床を叩いた。異界で不思議な能力を手に入れてから、ハクはずっと機嫌がいい。

『ハクもレイに似ていて、すぐに調子に乗るから心配だよ……』とカグヤが言う。

 私は肩をすくめると、拠点から持ってきていた歩兵用ライフルの予備弾倉をイーサンに手渡して、それから『トロォヴァーリ』を使ってイーサンのライフルに特殊な能力を付与することにした。使用回数に制限のある貴重な遺物だったが、これからの戦いに必要になることだったので、躊躇することなく使用する。

「奇跡を起こすクリスタルか……お前さんの言ったことは本当だったんだな」と、イーサンは一瞬だけ青白い光に包まれたライフルを見て驚いていた。

 私はイーサンにライフルを返しながら言った。

「あの奇妙な人擬きの体表は貫通弾の直撃すら耐えた。だから攻撃が通用するのかは分からないけど、銃弾の貫通力は大幅に強化されたと思う」

「俺たちのライフルは貫通弾が使用できないから、強化されるだけでも充分にありがたいよ」


 トロォヴァーリは相変わらず紺碧色の淡い光を帯びていて、使用したあとでも輝きに変化は感じられなかった。最初に遺物を見たときには、半透明で色も無く、今のように淡い光を帯びていなかった。だから遺物に秘められた能力が失われていく過程を、遺物が帯びている輝きの変化で判断することが出来るかもしれないと考えていた。しかしニ回ほど遺物を使用していたが、輝きに変化が生じることは無かった。もしかしたら遺物は、我々が想定していたよりもずっと使用回数が多いのかもしれない。もしもこの考えが正しければ、拠点にいる仲間全員のライフルを強化することができる。


「出発しよう」とイーサンが言う。

『いくのか!』とハクが腹部をカサカサと震わせる。

 ハクは新たな能力を使いたくてウズウズしているみたいだった。そんなハクを落ち着かせようと、私はハクの体毛を撫でながらカグヤに訊ねる。

「カグヤ、そっちはどうだ?」

『システムの保全を行いながら、私たち以外からの通信を完全に遮断する設定も完了した。あとは作業用ドロイドたちが壁の修復を終えるのを待つだけだよ』

「それなら、もうエレベーターホールまで移動しても問題ないか?」

『うん。ここで私たちにできることは、もう何も残ってないよ』

「了解」

 待機していた数機の警備用ドローンと輸送ヴィードルに指示を出すと、我々も通路に出る。そして異界の領域に通じるリング状の装置が設置されている部屋を閉鎖する。肉塊の根によって無理やり開かれていた隔壁は、幸いなことに故障している様子は無かった。


『ドローンを先行させるね』

 隔壁が完全に閉じると、カグヤは偵察ドローンと警備用ドローンを通路の先に飛ばした。その通路には、かつて肉塊の一部だったと思われる砂が大量に積もっていて、掃除用ロボットが床を綺麗にしようと一生懸命に働いていた。

 しばらく何もない通路を進むと、壁にぽっかりと横穴が開いていた場所に辿りつく。そこでは壁の修復はまだ行われていなくて、作業用ドロイドたちの姿を見ることも無かった。


『外に繋がる壁の修復を優先させているんだよ』とカグヤが言う。『だから外部に繋がっていない壁の修復は後回しにされてる』

「そうか」

『でも施設の壁を破壊した犯人が分かったね』

「地球にやってきた『姿なきものたち』の所為だろうな」と、私はうんざりしながら言う。

『こっちに来たのが、一体だけで良かったね』

「不幸中の幸いだな」とイーサンが答える。「荒野を歩いているときに、奴らの話を聞いていたが、あのカイジュウが数の暴力で殺されていくのを見たあとでは、こっちに来たのが一体だけで本当に良かったって思うよ」

『カイジュウ? あの巨大生物のこと?』

「そうだ。珍しくハクが怯えていた化け物のことだ」

『ハク、こわくない』と白蜘蛛はすぐに反論する。

 イーサンは肩をすくめると、ハクと並んで昇降機に向かう。


 昇降機で上階に向かう僅かな時間を使って、ペパーミントに連絡を入れる。どうやらペパーミントはミスズたちを拠点に送り届けたあと、エレノアが指揮する工作部隊を使って、地上に続く駅構内の入り口を塞いでいた瓦礫を爆破したらしい。瓦礫は完全に取り除かれてはいないが、ハクと輸送ヴィードルが通過できるだけの道幅を確保できたらしい。安全性に考慮して、子供たちを救出してから行われた作戦行動だったが、地下施設に繋がるエレベーターに直接的な影響は出なかったみたいだ。

『目的の爆弾を積んだ爆撃機が、横浜の上空を通過する時間が迫ってる』とペパーミントは言う。『入り口の近くに輸送機を待機させているから、できるだけ急いでね』

「了解」通信を切るのと同時に昇降機が停止する。


「レイ」とイーサンが言う。「戦闘準備を」

 ライフルのストックを引っ張り出して構えると、カグヤの遠隔操作で開いていく隔壁の先に視線を向ける。警告音を発することなく静かに開いていく隔壁の向こうに、グロテスクな人擬きの姿を見ることは無かった。けれど通路の何処かに奴らが潜んでいることは分かっていたので、気を抜くようなことはしない。ドローンを先行させると、輸送ヴィードルの前後を挟むようにして我々も通路に出ていく。

 耳の痛くなるような静けさのなか、コンバットブーツがコツコツと堅く乾いた音を立てる。意識すればするほど、音が大きくなるような錯覚がした。そして男性の声とも、女性の声ともつかない奇妙な悲鳴が通路の奥から聞こえてくる。


『レイ!』とカグヤが言う。『人擬きが来る! 攻撃の用意をして』

 通路の先で警備用ドローンのレーザーガンから撃ち出される熱線が瞬くと、身体の至る所から無数の手足を生やしたグロテスクな巨体が我々に向かって駆けてくるのが見えた。我々はすぐに射撃を行うが、人擬きの勢いは止まらない。遺物によって強化された銃弾は人擬きの身体に損傷を与えていたが、不死の化け物を完全に殺すには至らなかった。

 そこへ耳の痛くなるような甲高い音が響いて、眩い閃光が人擬きの胴体を撫でるように通り過ぎる。すると人擬きの身体は綺麗に切断され、そして切断面から凍りついていった。それは瞬く間に行われ、人擬きの体液が飛び散る余裕もなかった。


 身体の周囲に発光する球体を浮かべていたハクの隣に向かう。

「ハク、身体に異常は?」

『ないよ?』と、ハクは自信なげに言った。

「短い攻撃なら、体力の消費は抑えられるのかもしれないな」

『それでも、連続して使うのは危険だと思う……』とカグヤが言う。

「そうなのかもしれないけど、能力の使用限界が分かるような指標が無い以上、能力を使いながら、感覚で限界を掴んでいくしかないと思う」

 私がカグヤと話している横で、ハクは短い間隔で閃光を放って、次々と肉塊型の人擬きを処理していく。


 すると我々の背後の天井が崩壊して、瓦礫と共に大量の人擬きが降って来る。数体の人擬きは、我々が地下に向かう際にハクが吐き出していた糸に捕まって身動きが取れなくなるが、それでも数十体の人擬きが駆けてくる。私とイーサンは強化されたライフルの銃弾を使って、比較的脅威度の低い人擬きを射殺しながら後退する。


 人擬きとの戦闘を続けながら、水平型エスカレーターが設置されている通路に出たときだった。バリケードの間から跳び出してきた肉塊型の人擬きに対処しようとして、ハガネを操作して手の先に液体金属を集めた。すると液体金属はイメージしていた杭のような突起物では無く、口のような器官を形成し、人擬きの肉に混ざり合うようにして埋まっていた金属繊維を呑み込んでしまう。

 突然のことに驚いたが、すぐに後方に飛び退いて人擬きの足に射撃を行い、人擬きの足を潰して行動を制御する。


 金属繊維に絡みついていたグロテスクな肉片だけを吐き出し、前腕の装甲に戻っていくハガネを見ながら私はカグヤに訊いた。

「今の何だったんだ?」

『見たとおりのことが起きた。ハガネが金属繊維を取り込んで、繊維の素材を分析して再現するのと同時に、繊維の特殊な編み方を完全に模倣して装甲の性能を向上させたみたい。これを見て』

 インターフェースに表示された数値を見ながら、私は頭を傾げた。

「そんなことが可能なのか?」

『忘れたの? ハガネには、未知の技術に遭遇した際に、それを解析して現地で使用可能にするためのナノマシンが含まれているんだよ』

 通路の先に現れた人擬きに対して射撃を行いながら私は言った。

「でも自らの意思で判断して学習するような、そんな高度な処理能力を持っているとは思わなかった」

『……確かに今の動きは怖かったね』


「レイ、急げ!」

 イーサンの声に反応して私は会話を打ち切ると、迫ってきていた数体の人擬きを射殺し、通路の先に見えていたエレベーターホールのゲートまで駆けていく。そこには警備用のアサルトロイドが待機していて、我々の姿を見つけると、援護のための射撃を開始した。

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