第412話 肉体
施設の設備を完全に復旧させるための作業をカグヤに任せると、部屋の隅に適当に並べられた長椅子に寝かせられていた瀬口早苗の側に向かった。
「彼女の様子は?」と私はイーサンに訊ねる。
ライフルの点検を行っていたイーサンは女性に目を向け、それから頭を振った。
「外傷は確認できなかったが、お前さんの言うように、彼女はひどい状況で長いこと捕らえられていた。だから彼女の身に何が起きているのかは見当もつかない」
「そうか……」
「レイは彼女の側にいてくれ、俺とハクで周囲の安全確認をしてくる。機械人形たちの作業状況も確認したいからな」
「分かった。危険な人擬きはまだ徘徊しているから、注意してくれよ」
イーサンが肩をすくめて立ち上がったときだった。瀬口早苗が目を覚まして、錯乱するように暴れ始めた。
「俺たちは味方だ」と瀬口早苗を落ち着かせようとするが、白蜘蛛が現れると、見ていて気の毒になるほど彼女は混乱し震えた。
長椅子から落ちそうになった瀬口早苗を抱きかかえると、面倒事を嫌うようにイーサンはハクを連れてさっさと部屋を出て行ってしまう。
震える瀬口早苗を座らせて、状況を説明することにした。彼女は長いこと異界の洞窟に捕らわれていたが、彼女の意識というか、思念体のようなものが自由に動き回っていたので、彼女には子供たちとの記憶がしっかりとあるようだった。
私は簡単な自己紹介をしてから、自分たちがどういった目的で施設にいるのか説明し、彼女を害する存在じゃないと分かってもらえるまで辛抱強く話をした。
「あの……子供たちは無事でしょうか?」
しばらくして瀬口早苗はそう言うと、頼りなさそうな向日葵色の瞳を私に向ける。彼女が置かれている状況で、真実を伝えるのは酷だと思ったが、子供たちに死傷者が出たことを話すことにした。
可哀想だと思ったが、彼女にはそれを知る権利があった。
「覚悟はしていました……」
彼女はそう言うと、大粒の涙を零しながら声をあげて泣いた。
『レイ』と、作業を続けていたカグヤが言う。『子供たちのことは、まだ黙っておいたほうが良かったんじゃないの?』
「そうなのかもしれない。でも俺が彼女の立場だったら、優しい言葉をかけてもらうより、まず真実を知りたいと思う」
『そうだけど、こんなのあんまりだ』
「そうだな……」
彼女が落ち着くのを待ってから、私はチハルたちの置かれた状況を説明し、すでに施設から救い出したことも教えた。今更、こんなことを言っても気休めにしかならないとも思ったが、彼女にはその気休めが必要だ。
「あんたが行方不明になったあと、チハルが子供たちをまとめてくれていた。もっとも、彼らはあんたが死んだと思っていたけどな」と私は言う。
「そうですか……」
「訊いてもいいか?」
「何でしょうか?」と彼女は私に綺麗な顔を向ける。
旧文明の人間特有の整った顔を見ながら私は言った。
「あんたは何者なんだ?」
「私は……」と瀬口早苗は顔を伏せ、それから咳き込んだ。
彼女は黙り込んで、ぼうっとした顔で私を見つめて、それから言った。
「私はサナエ……かつては瀬口早苗だったものです」
「サナエがどういった生物だったのかは、何となく理解している」
「私には分かりません」
まるで真実を受け入れることから逃げるように、サナエは頭を振る。
「瀬口早苗と融合した際に、かつての自分を失ったのか?」
「いえ、そうじゃなくて……レイラが話したことの全てが本当のことなら、私がかつて泥のような生命体だって知っていると思います。でも、あの生物に自我はありませんでした」
「持ち合わせているのは、本能にも似た衝動だけか?」
「はい。何かに成りたいと願う強い欲求だけです」
サナエは私から受け取っていたハンドタオルで、黒髪についた粘度の高い飴色の液体を拭う。それは彼女が捕らえられていた半透明の球体に詰まっていた液体だった。
「何かに成りたい……か、だからサナエは瀬口早苗を取り込んだ。彼女に代って人間になるために」
「私は!」サナエは何かを否定するように声をあげたが、すぐに口を噤み、それから言った。「かつての自分自身に関して憶えているのは、どこまでも深い暗闇と、その暗闇で蠢いていた無数の仲間たちのことだけです」
「仲間? あの泥の塊のような生物が他にもいるのか?」
「ハッキリとは思い出せません。でも私はその光景を夢に見ることがあります……」
「地上にやって来たのは、その強い欲求の所為か?」
「はい……そこで私は瀬口早苗に遭遇して、それで……」
「瀬口早苗と融合した?」
サナエは伏せていた顔を上げて、私に向日葵色の瞳を向ける。
「でも私は瀬口早苗には成れなかった」
「どうして?」
「立っていられるのが不思議なくらいに彼女は弱っていた……ううん、彼女は死にかけていたんです」
「だから融合は完全に行われなかった?」
「はい……」
「サナエが長い間、何もせずに異界に留まっていたのはどうしてなんだ?」
私がそう訊ねると、彼女は困ったような顔を見せた。
「自分が何者か分からなかったんです。どうして生きているのか……そもそも、どうしてあの世界にいるのか、何も分からなかったんです」
「瀬口早苗の記憶を引き継げなかったのか?」
「いえ、全てでは無いですけど、ちゃんと瀬口早苗の記憶は引き継げました。でも何かが欠けていました。そこにいるのは確かに私だけど、本当の私じゃないような、そんな不思議な気持ちでした。自分の名前も分かる。言葉も話せます。でも存在がぼんやりとしていて、ハッキリとしませんでした」
彼女の言いたいことは、何となく理解できるような気がした。時折、鏡のまえに立つと、ふとそういった疑問に悩まされることがあった。鏡に映る自分の身体が、自分のものじゃないように感じられる。それは誰か他の人間のもので、自分はそれを俯瞰して見ているちっぽけな存在でしかないと強く感じる。それと同時に、自分を俯瞰して見ている誰かが何処かにいるんじゃないのかと錯覚する。まるで意識が分裂しているようにも感じられる。
『俺の目のまえにいる男は誰なんだ?』と私は自分自身に問いかける。『お前は、本物の俺なのか?』
もちろん答えは返ってこない。
いつか本物の自分がやってきて、自分が今まで築いてきた全てを奪い去っていくんじゃないかと考えて、冷や汗をかくほど恐怖した。どうしてそんな感情を抱くのか最初は分からなかった。けれど今なら分かるような気がする。私の抱える不安は、恐らく不死の子供たち特有のものだ。死を幾度も繰り返し、その度に新たな肉体を与えられ戦場に送られる戦士特有の精神病だ。
不死の子供たちは決まった肉体を持たない。何故なら肉体は武器でしかないからだ。それが彼らの存在を不安定なものにする。
本当の自分を見失ったとき、不死の子供はどうなるのだろうか?
『私たちが使用する肉体は――』と、ずっと昔に誰かが私にかけた言葉を思い出す。『どんな肉体も、ただの武器でしかない。兵器であるのなら、それは特別な目的のために存在している。つまり肉体は私たちが使用する兵器と何も変わらない。あなたが秘匿兵器を使用するからといって、あなた自身が秘匿兵器になる訳じゃない。忘れないで、肉体はあなたを人間たらしめる存在じゃない。それは兵器に過ぎない』
私は思考を打ち切ると、サナエの瞳に視線を向け、不安そうにしていた彼女に言葉をかけた。
「でも状況は変わった」
「はい」とサナエは頷いた。「あるとき、失くしていたと思っていた瀬口早苗の強い思いが、胸のずっと深い場所から込み上げてきました」
「子供たちのことを救いたいと、そう願った想いだな」
「それを思い出したら、いてもたってもいられませんでした。私はすぐに施設に帰ってきました。理由は分かりませんでしたけど、そのときの私は飲まず食わずでも生きられました。それに不思議ですけど、空間の歪みの位置もしっかりと思い出すことができました。だから施設に戻ってくることは難しくありませんでした」
『混沌の領域に潜む『何か』が、彼女の願いを叶えたんだね』とカグヤが言う。
私はカグヤの言葉にただ頷くと、サナエに子供たちについて訊いた。
「ハッキリしたことは分かりません。でも焦燥感に駆られていました。私には確信のようなものがありました。施設で子供たちが私を待っているって」
「第三世代の人造人間である子供たちを誕生させたのは、サナエの操作じゃなかったんだな」
「はい」と彼女は頷いた。
『そして』とカグヤも言う。『データベースの意思でもなかった。やっぱり混沌の意思はこの世界にも影響を及ぼしたみたいだね。それが空間の歪みによって開いた領域の側だったから起きたことなのか、それとも混沌の意思が私たちの世界に直接関与できるのかは、まだ分からないけど……』
「いずれにせよ」と私は言う。「サナエは子供たちを育てることにしたんだな」
「はい……」
「サナエの仲間は――そんな風に言っていいのか分からないけど、あの肉塊はどうして子供たちを襲わなかったんだ?」と私は気になっていたことを訊ねた。
「子供たちは、あなたの求める人間とは違うと、そう言い聞かせていました」
「人造人間だと教えたのか……肉塊は言葉を理解できたのか?」
「いえ、でも私との間にある何かしらの繋がりで、たぶん理解できたんだと思います。子供たちは彼の望んだ人間じゃないって」
「そうか……サナエの存在が、肉塊の行動を妨げていたんだな」
「でも、それも変わりました」
「サナエも襲われるようになった。それはどうしてだ?」
「分かりません。急に狂暴化して、それで私は逃げるので精一杯で……」
「あのパレードは何だったんだ?」と私は奇妙な行進について訊いた。
「あれは……」とサナエも困ったように顔をしかめた。「意味なんて無いと思います。ただ人間の生活する場所で見たものを、真似していたに過ぎないと思います」
『人間に対する憧れが、人間の行動を真似させていたのかもね』とカグヤが言う。『私たちは理解のできない行動に、勝手に深い意味を与えて怖がっていただけだったのかも』
私は溜息をついて、それから言った。
「カグヤ、施設の状況は?」
『システムの大部分を復旧させて、今は施設を封鎖する際に障害になるような問題に対処してる』
「人擬きはどうなっている?」
『脅威度の低い人型の人擬きは、警備用に配置されて、暴動の際に破壊されなかったアサルトロイドの部隊を派遣して対処してる。でも肉塊型の特殊な人擬きには、あのデカいやつね。あいつと戦闘になったら、アサルトロイドでも破壊される可能性があるから、近づかないようしてもらってる』
「完全に施設の脅威を取り除くことは不可能なのか」
『うん。それは難しい』
「こっちは問題なしだ」とイーサンの声が聞こえて私は振り返る。
『もんだい、なし』と、ハクも脚をあげながら元気な声で言う。
「肉塊の化け物は砂に変わったよ。この先の通路にいるのは、床に積もった砂を忙しそうに取り除いている掃除ロボットだけだ」
「そうか」と私は言う。「危険な人擬きはいたか?」
「あの気色悪いやつらはいなかった。けど、昇降機の先にいることは分かっているから、戦闘の準備はしたほうがいいな」
「わかった」
「あの」とサナエが私の袖を引っ張りながら言う。「レイラは不死の子供なんですか?」
「サナエは不死の子供について、何か知っているのか?」
「いえ、瀬口早苗は研究者だったのですが、不死の子供に直接関わるような研究はしていませんでした。だから多くは知りません」
「それなら、どうして俺が不死の子供だと?」
「深淵の娘がいますから」と、彼女は身体を小刻みに震わせながら言う。
「ハクが……深淵の娘が怖いのか?」
「はい……彼女たちが心を許すのは、不死の子供たちだけですから……」
「ハクは大丈夫だ」
私がそう言うと、ハクは我々の側にトコトコとやってくる。サナエはハクから逃げようとしたが、身体に力が入らず、長椅子から倒れそうになる。
私は彼女の身体を抱くように支えると、ハクに紹介する。
「ハク、彼女がチハルたちの母親で名前はサナエ。彼女と仲良くしてくれるか?」
『うん。いいよぉ』とハクが間延びした口調で言う。
機嫌のいいハクと違って、サナエはひどく震えていた。
「レイ」と、イーサンはゆっくり頭を振った。「みんなが簡単に受け入れられる訳じゃない。それに彼女は俺たちよりもずっと深淵の娘に詳しいみたいだ。その彼女が震えているんだ。無理をさせるのは良くない」
私はハッとして、すぐにサナエに謝った。
「ハク、こっちに来て手伝ってくれ」
イーサンがそう言うと、ハクは嬉しそうに腹部をカサカサと震わせて、それからイーサンのあとに続いた。
「色々と気づかなくて、すまない」と私は言った。
「いえ……」とサナエは俯く。
サナエが与える印象は、映像で見た瀬口早苗のものとは全く異なっていた。瀬口早苗はもっと自信に満ち溢れた、聡明な女性だったが、サナエは何処か弱々しさを感じさせた。それが名前のない生物と融合した際に生じた人格の差異なのかは分からない。
「それで」と私は話題を変えるように言った。「瀬口早苗はこの施設でどんな研究をしていたんだ?」
「医療品に関する研究だったと思います」とサナエは言う。
「医療品か……でも施設では兵器の研究もしていたんだろ?」
「はい。ここでは確か、不死の子供たちが使用する専用のパワードスーツや、兵器の試作品を開発していました」
『パワードスーツか……』とカグヤが言う。『すごく興味深い話だね』
「そうだな」
『でも、続きは拠点に帰ってからにしよう』
「準備が済んだのか?」
『うん。壁の修復を優先して進めてもらっているから、もうすぐ施設の封鎖ができるようになる』
「施設の研究データは取得できそうか?」
『データベースに紐づけされていない状態で、施設のサーバに保存されていた研究データは既に拠点に転送済みだよ。それに外部から、この施設のシステムに接続できるように設定しておいたから、研究データは確実に確保できる』
「それなら俺たちも脱出しよう」
『了解。ペパーミントに連絡をいれるね』
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